百醜千拙草

何とかやっています

Natureのない世界

2016-05-17 | Weblog
遺伝子操作を使わず、低分子化合物だけを使ってiPSを作る技術がしばらく前に開発されていますが、そのprotocolを調べている間にNature Publishing Groupからでている「Cell Research」という細胞生物学雑誌があることを知りました。知らない雑誌だなあ、新しいNatureビジネスなのかな、と思って、そのホームページに行ってみると、そこの示されているインパクトファクターは12.4とあり驚きました。細胞生物学のリーダー的雑誌であるJCBを凌駕し、同じNPGが出しているNature Cell Biologyにも迫らんばかりの勢いです。

にもかかわらず、この雑誌の名前は私にとっては初耳です。いくら細胞生物が専門ではないとはいえ、ウチの分野でもインパクトのある仕事がJCBやNCBに出ることもあるので、それほどインパクトの高い雑誌なのであれば、名前を聞いていても良いはずです。

雑誌の中身をチラリと見てみました。9割以上が中国人著者です。調べてみると、これは中国の科学アカデミーの関連雑誌で、NPGが出版を請け負っているのだということが分かりました。成る程、と思うと同時に、コレってどうよ、と思いました。雑誌のインパクトファクターとその雑誌に載る論文の質はしばしば乖離がありますが、それでも投稿者は良い仕事はインパクトファクターの高い雑誌に載せたがるわけで、だからインパクトのある仕事は大抵インパクトファクターの高い雑誌に載って、我々の目に触れるということになります。しかし、この雑誌の名前は聞いたことがありません。ということは、少なくともウチの分野でインパクトのある論文がこの雑誌には載ったことは多分ない、ということ示していると思います。

想像するに、これは中国の国家レベルの科学振興策の一環としてのインパクトファクター操作でしょう。中国人研究者に対して、この中国科学アカデミー雑誌の論文をできるだけ多く引用するようにという指令がどこかから出ているか、何らかのインセンティブがあるのではないでしょうか。自身の仕事の引用を増やすために自己引用するとかはよくあることですけど、多分これは、中国の国際科学会への影響力を増大するための中国の学会レベルのマニピュレーションではないかと想像します。

そういえば、戦後の日本経済の発展は護送船団方式と呼ばれました。国家レベルで国内の産業の競争をコントロールすることで、日本全体としての産業の発展を達成しました。中国の研究界も、ひょっとしたらそういうことでしょうか。中国の研究レベルを全体として上げることを目的に、個々の研究者に細かい指導が入るのかも知れません。ま、気持ちは分かりますけど、雑誌のメトリックスは研究者にとっては無視できない数字であり、論文内容と掲載雑誌のインパクトファクターはある程度、相関性を保ってもらいたいと個人的には思います。

加えて、NPGにもちょっと問題があると思います。近年のNPGのビジネスのやり方は多くアカディミックでの研究を発表する場を提供する会社としていかがなものか、と思います。実際、少なからぬ著名研究者が、Nature、Cell、Sceineceの編集方針に異議を唱えて、これらの雑誌には投稿しないと明言しておりますし。

ま、商業雑誌ですからビジネスで、まずは健全な経営が優先するのは分かります。しかし、論文出版は、研究者にとって非常に大切な研究活動の一部です。カネになりそうな流行りのネタを優先していく編集方針が、結果としてアカデミックでの研究動向を左右します。出版は研究者にとって非常に大切であり、研究資金の獲得に大きな影響を及ぼします。研究者も流行に沿った研究をある程度やらざるを得ないのですが、その流行を簡単に作り出す力をこれらの雑誌は持っております。まるで焼畑農業で次々に耕作地をかえていのように研究分野そのものが流行り廃れするという傾向を助長しているのではないかと思います。

現在、Cellの姉妹紙やScienceの人気が低下傾向にある一方で、どうもNature系列は一人勝ちの様相を呈しつつあります。PLoS Oneの商業的成功に触発されてか、上位タイトルには届かないが比較的高品質の論文の受け皿となる関連雑誌を作って、論文を系列雑誌に取り込むというやり方を多くの雑誌がやり始め、この数年で雑誌の種類は急激に増えました。Nature系では、Nature Communications、その下にSceintific Reportsと二段構えです。Cell系はCell Reports、Cell Stem Cellの下位雑誌としてStem Cell Reports、JCIはその下にJCI Insightなどなど、有名雑誌出版社からの新興雑誌がどんどん増えて、その評価が追いついていません。そこに大量の中国などからの論文が流れ込むのですが、レビューシステムはそれに対応できませんから、このやり方はある程度のところで成り立たなくなるのではないかと思います。

そのうち、Peer Reviewで商業雑誌にカネを払って、研究成果を広めるというやり方そのものが崩壊するかも知れません。レビューが容易でない数学などの分野にならって、最近、コールドスプリングハーバーがやりだしたBioRxivのような、Publication firstの発表方式は、悪い試みではないと思います。

今や、オンラインの時代で出版コストは低くなり、情報の効率的な分配も極めて容易になりました。科学研究の発表に出版社が必要でなくなる時代は遠くないと感じます。
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3 コメント

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同意です (K.Ikegami)
2016-05-18 14:43:56
以前、ゲノム編集の件でここでコンタクトを取らせてもらった者です。

私も、今の研究成果発表方法は限界にきていると感じます。学会や各領域の専門家が作る雑誌は廃止し、BioRxivの巨大版を各国がお金を出し合って作り、世界の研究はそこにどんどん投稿(登録)していけばいいと思います。その中から自分に興味のあるものをPubmedのさらに上位版みたいな検索エンジンで探して読むとか、キーワードを登録しておいて、それに該当する論文が登録されたら知らせが来るとかにしておけば、いつも最先端の「生の」知見に触れることができます。

「査読を通っていないデータは信用できない」という意見があるでしょうが、そもそも査読を通ったデータだって半分くらい再現しない「かなり眉唾に近い」ものなわけですから、あんまり変わらないでしょう。それよりも、査読を飛ばすことで、新しい知見がこれまでよりも半年から1年以上も早く世に出てくることになり、科学の進歩にはプラスにはるはずです。

NatureとCellのような商業雑誌はどうするか?上記サイトに投稿された中から、キャッチーなものを自分達で拾って取り上げれば良いだけです。この二大雑誌社は、レフリーのコメントを抑えて編集者の意向で論文を掲載することもままあるわけですから、究極的には編集者だけで選んで載せても、今とさほど変わりはないでしょう。この形式でNatureやCellに取り上げられることを、発表者が名誉に感じるかどうか(あるいは、学界的に評価されるかどうか)は、それぞれの国の文化に依存するようになると思います(日本は、新聞報道が業績になる権威主義の国ですから、評価の対象になるでしょう。一方、アメリカなどは、研究内容が多くの人に再現されたとか、その研究から多くの研究が派生したとか、実質的なことで評価しそうですね)。
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追記 (K. Ikegami)
2016-05-18 15:01:25
少し付け加えますと、今の生命科学研究で、載る雑誌=その研究(研究者)の評価、となっているのは、報告された発見の再現性が多くの場合第三者によってテストされないからに他なりません。仮にテストされたとしても、その結果が査読をパスして論文として報告されるには1年以上の時間を要します。そんなことに誰も時間を割きたくありませんし、1年後まで発表された研究の評価が出ないようでは、発表した人の評価もできません。したがって、学界全体で、雑誌に載った時点で、その雑誌のIFをその研究と研究者の評価とせざるを得ないのでしょう。

しかし、先のコメントにあるようなシステムすれば、再現実験をショートレポートで報告できるので、誰しもがすぐに検証できるようになります。論文のコア部分だけなら、2カ月くらいで可能かもしれません。そうなると、数か月で報告の価値がある程度決まりますから、研究と研究者の評価もすぐにつけることができます。否定的なことを書かれた発表者は、材料をそろえて反論すれば良いわけですし、反論しないなら負けを認めたことになるわけです。まさに、STAPの時に起こったようなことが、リアルタイムでさくさく進むようになるのだと思います。

思うに、システムを動かし出した頃は、いい加減だったり嘘のデータがそれなりに出てくるでしょうが、上記のようにすぐに検証されて自身の評価を下げてしまうことを目の当たりにし、だんだん、ちゃんとした結果や内容しか報告されなくなるのではないでしょうか。結果的に、査読制度と雑誌に頼っている現在よりも、発表データの信頼度は増し、且つ、それがこれまでよりも1年近く早く世に出てくるという、科学の発展にとっては非常に好ましいことばかり起こるのではと思います。
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ありがとうございます (百醜千拙草)
2016-05-19 03:19:06
Ikegamiさま、コメントを残していただいてありがとうございます。
自由な科学コミュニケーションを阻んでいる大きな理由は、現在の世界が資本主義の原理で動いているからだろうと私は思います。
 すなわち、限りあるリソースを奪い合う競争に勝ち、生き残ることを目的の一つとして研究者は研究に励むわけで、その道具であり賞金が、Nature論文であったり、研究費の獲得であったりするということだと思います。勝ち負けを決めるために何らかのメトリックスが必要となり、現在のところは、それは論文の数と質ということで、質の評価は簡単ではないので論文が載った雑誌のIFをサロゲートに使うということになっていると思います。
 現在の資本主義に基づく競争原理が、研究のドライバーとなっている以上、何らかの評価体系は必要となってきますが、それがビジネス志向の商業雑誌に依存するのでは、先々、まずいのではないのか、というのが私の思うところです。
 おっしゃるように、発表とその検証が比較的自由に行われるようになれば、掲載雑誌のランクで仕事を評価するのではなく、各分野のピアによる直接的な評価が重視されるようになるだろうと思います。しかし、人よりも評価の高い仕事をしないと研究費につながらないという競争がある以上、いくら追試実験が論文になるとしても、余程の事情のない限り、なかなか人の仕事を追試しようとは思わないのではないでしょうか。ピアの評価を獲得するには、オリジナルな研究をする方が重要だと思うでしょうから。
 もちろん、理想の社会は、各研究者が伸び伸びと研究して、その成果を惜しみなく分かち合い、研究に必要なリソースは国家的サポートが自由に受けられるような社会主義的世界です。しかし、人間のエゴというものが、競争に勝ち、他人に対して自己の優位を示したいという欲求を追求しますから、結局は勝ち負けを判断する基準を研究者自身が欲することになると思います、Nature的なものはいずれにしても必要とされるだろうとは思いますが。
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