百醜千拙草

何とかやっています

抜け穴に嵌る

2016-05-13 | Weblog
税金を納めるのは国民の義務であり、税金をごまかすのは重罪だと我々は教わってきました。
社会に出て働き始めたころ、夏の休暇に過疎地の応援に行ってそこそこの臨時収入を得たことがありました。当時の部長から、必ず収入は申告するようにとお達しがあり、真面目に申告したら、かなりの額を源泉徴収されていたのにもかかわらず、さらに追加で徴収され、結局、臨時収入はほとんど税金に消えたことがありました。
そのときは税務署の人は、市民から公平に税金を集める助けをしているのだろう、とナイーブに考えていたのですが、後々、振り返って、どう見ても経費として計上できる部分も、認めてくれていなかったり、他の人の話を聞いたりして、ああ、税務署というのは、市民から金をで少しでも多く取ることを目標として動いている機関なのだと理解を改めました。

アメリカでは、(権力を持っている)国家をUncle Samと呼びますが、税金シーズンは明らかにUncle Samは個人の財産を狙う悪役として描かれることが多く、うまくUncle Samから合法的に逃れるためのコツなどを指南するサイトが多く見られるようになります。ここでは、納税者と徴税者は敵どうしです。

しかし、かといって、税金は国民生活の保護にも本来必要なもので、みんなが税金をごまかすようになれば、水も止まれば、下水も流れず、道路も通れなくなる、と様々な不便が出てきます。

税金をゴマかす人と、税金を不正に使う人、どちらもどちらですが、どちらに対しても私は寛容な気持ちになれません、というのは、そういった行いは正直で思いやりのある普通の人々をバカにする行為であると感じるからです。

いうまでもなく、理想の社会は善意のある人々がお互いを尊重し、思いやるような社会でしょう。その一方で、人間個人にとって、自分自身が一番大切であることは当然です。その個の尊重を社会のレベルに広げていく、個にとらわれている視点を他にも広げていく、すなわち他人を思い測れる想像力を育てていくことが、人間としての成長であり、それを社会的レベルで達成していくことが人類の目標であると私は思っております。

しかるに現在ではまだまだ、自分が一番大切だから他人を利用したり傷つけたりするのは仕方がない、という考えは世界の多くの所では常識でであり、むしろ自分のために他人を利用することは「かしこい」ことだとさえ考えるようなレベルの人々も大勢おります。和を尊ぶ日本ではそのような考え方は嫌われてきました。自分が大切だから他人も等しく大切である、と考えるのが、一段上の視点から見れば当然の考え方です。

税金をゴマかす企業、増税して、ハコモノを作って天下り税金を自分の資産に付け替える官僚組織、その手先になっているアベ政権、彼らがやっていることは、人々の不利益と引き換えに自分の利益を増大させることです。総じて精神レベルの高い日本人のことですから、「多く税金を納めるぐらい儲けさせていただいてありがとう、この税金を社会に役立ててください」という企業や、「税金納めていただいてありがとう、おかげてみんなが助かります」と考える役人も少なからず存在するとは思います。しかし、あいにく、中には「キレイごとばっかりでは生き残れっていけない、世の中、沈むヤツがいるから浮かぶヤツがいるのだ」と考えるような人々も多数おります。残念ながら、組織としては「悪貨は良貨を駆逐する」との例えの通り、結局、最も低いレベルが基準となっていってしまうのでしょう。

企業が生き残っていく上で、許される範囲で節税のテクニックを使うのは当然だと思います。しかし、明らかに日本で商売をしているのに資金を迂回して利益をゴマかし日本に払うべき税金を払わないというのは、正当なテクニックとは呼べないと思います。自らの利益のために社会に対する義務を積極的に回避しようとするようなセコい企業を私は応援したいとは思いません。自己の存続は何よりにも優先しますが、それはそのためには他人を犠牲にしたり社会に損を与える言い訳にはならないと思います。抜け穴に生きるものは抜け穴に嵌って死ぬことになるでしょう。

当分、私は、XXXXの服を買うこともないだろうしXXXXのビールも飲まないしXXXXの自動車を買うこともないと思います。
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