百醜千拙草

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Eurovision 2024

2024-05-14 | Weblog
先週はヨーロッパの国対抗音楽コンテストEurovisionがスウェーデン南部の港町Malmöで開催されました。縦ノリの音楽が主流のヨーロッパの最近の音楽が私はあまり好きではないですが、今年はちょっと注目していました。もちろんイスラエルの参加に関しての抗議が大きかったからです。最近のヨーロッパの若者の感性にはついていけない部分も多いですが、エントリー曲の中では、民謡の変則リズムとアラビア音階を効果的に使ったアルメニアのLADANIVA (Jako)や昔風の情緒的なバラード、フランスのSlimane(Mon Amour)などは楽しめました。

そして、イスラエルの歌手、Eden Golanは、土曜日のファイナルに残りました。バラードのその曲調は昔のセリーヌ ディオーンのような感じで悪くはありません。しかし、そもそもヨーロッパのコンテストなのに中東のイスラエルが参加することに以前から疑問が呈されてきていたのに加え、今回はガザでのイスラエルによるジェノサイドがあったため、Eurovisionへのイスラエルの参加に反対する声が高まっており、実際、コンテストの前にはMolmoで大規模なデモもあり、環境活動家のGreta Thunbergも抗議活動に現れました。

Golanは"Hurricane"というタイトルの歌を歌ったわけですが、そのオリジナルの曲名は"October rain" とつけられており、10/7のHamasの武力蜂起に関してのイスラエル側の心情を歌ったものと解釈される歌詞であったため、コンテストの主催者であるヨーロッパ放送協会(EBU)は、政治的中立でない楽曲の放送禁止というポリシーに抵触するとのことで、歌詞の一部とタイトルの変更を要求、応じてGolan側が政治的メッセージ性の薄い歌詞に変更しEBUが承認したという経緯があります。

しかしながら、イスラエルを代表してEurovisionコンテストに参加するというだけで、十分に政治的メッセージがあるわけで、演奏の間は会場からはブーイングの嵐。前年の優勝者のLoreenは、もしイスラエルが優勝したら、自分はトロフィーの授与を拒否する、と明言していましたから、Golanもさすがにイスラエルがヨーロッパ中から非難を受けているという自覚はあったようで、楽屋でのリハーサルではそれを見越して、ブーイングの中でも普通に歌えるようにスタッフがブーイングやヤジを飛ばす中で歌う練習をしたようです。

政治家でも活動家でもない20歳そこそこの一歌手が、イスラエルの極右政権によるジェノサイドのために、人々の反感を買い、フィナーレの晴れ舞台に拍手の代わりにブーイングに見舞われるというのは気の毒な気もします。しかし、家族と家を失い、瓦礫の中で空腹を抱えて眠っている間に空爆で吹き飛ばされて殺される子供の苦難とは比ぶべきもありません。

また、この歌手の立ち位置は、イスラエルの国旗を振り回すことを恥じる様子もなく、出場を辞退するでもなかったこと、そして何よりコンテストが終わってからのインタビューで、「わたしたちの国(イスラエル)が困難の中にあって、イスラエルを代表して演奏できたことを誇りに思う」との趣旨のコメントをしたこと、そもそもGolanという芸名はイスラエルがシリアのゴラン高原を侵略したことからつけたこと、から容易に想像できます。被害者を装い、正当な批判を「反ユダヤ主義」と逆ギレして反省しないイスラエル。この歌手にとってはイスラエルはテロリスト ハマス襲撃の「可哀想な被害者」であって、75年にわたってパレスティナ人の土地と財産と命を奪い続けてきた非道な抑圧者であり加害者であるという自覚はないようです。ブーイングの嵐にさらされたことを「反ユダヤ主義」で「ユダヤ人は差別被害者」だと喧伝するシオニストのプロパガンダをそのまま信じているような彼女とそのサポーター。20歳そこそこですから、容易に洗脳されもするでしょうし、歴史を深く洞察する機会にも能力にも欠けるのかもしれません。いずれにしても彼らとは理性的な議論にならないのが絶望的です。

ヨーロッパの国々の融和と協調を促す一環としてのEurovisionですが、この歴史あるコンテストに政治が絡んだことは何度かあります。ちょっと調べてみると、ちょうど50年前、スウェーデンのABBAがWaterlooを歌って優勝した時は、ポルトガルからの歌手の演奏がクーデターの開始の合図に使われました。その3年後にイスラエルが初めて優勝しましたが、イスラエルとアラブ世界とのコンフリクトのため、ヨルダンはEurovisionの放送を途中で中止しています。さらに2019年、イスラエルでの開催時にはアイスランドからのコンテスタントが投票時にパレスティナ国旗を掲げたために、罰金を課されるという事件が起きています。

音楽もその他の芸術も、そもそも人間性と人間らしさの追求の一部であります。人は、音楽、芸術や学問といった活動を通じて人間として成熟していく目的のために、この物質世界に生まれて時間を過ごし死んでいくのだと私は信じております。であるので、この世の中の不条理や悪に対しては、それを人間の成長する機会と捉えて、可能な限り、目を背けず、考え、行動し、戦っていくべきであると私は思っています。

罪ないい大勢の子供や人々から土地や財産や家を奪い、食料を奪い、飢えさせ、その頭上に爆弾の雨を降らせ、子供から体の一部や未来や命を奪い、生き延びた子供から家族を奪う、ただただ自らの欲望のために、悪魔の所業を繰り返すネタニヤフとシオニストとそれを支援するアメリカの行いは、それに反対する人々によって非難され倒されるために存在しております。力を持つ側が、その力を濫用して弱いものを蹂躙した上で、「弱肉強食」は自然の摂理、すべては自己責任だと強弁するのは、力に溺れ「人間的成熟」への努力を放棄した落ちこぼれの言い訳であると私は思っております。

今のわれわれにできることは、この地獄の現実から目を離さず、声をあげ続けるぐらいのことかもしれません。一人一人の声は山火事に注ぐ一滴の水のようなものに過ぎないでしょう。しかし、その一滴の水のような無力な善意の若人が世界中で連帯し、声を上げ続けた結果、世界は動き始めたように見えます。

先週はネタニヤフ政権にとって逆風が吹き始めたような出来事がありました。まず、国連総会はパレスチナの国連加盟権を拡大する決議を圧倒的多数で可決しました。米国とイスラエルは反対票を投じましたが、明らかに世界の大多数はパレスティナに対してイスラエルとアメリカが行う不正義に怒っております。
そして、アラブ首長国連邦(UAE)は、ネタニヤフが「ガザの民政にUAEの参加を打診したい」という発言を非難しました。いずれガザをイスラエルの完全なる支配下に置いてアラブ国家に統治させるというネタニヤフの傲慢極まりない計画を批判したものでしょう。そして、リビアは、国際司法裁判所においてイスラエルをジェノサイド(大量虐殺)であると非難してきた南アフリカ共和国と共闘するとの宣言を提出し、その 南アフリカは国際司法裁判所(ICJ)に対し、イスラエルに対する追加緊急措置(ラファからの撤退命令を含む)を命じるよう要請書を提出。

この先、イスラエルは、仮にネタニヤフの野望が成就したところで、イスラム圏のみならず、ヨーロッパ、アラブ、アフリカ、アジア、南米諸国から嫌われ、恨まれてより閉鎖的なカルト国家となり、ビクビクしながらユダヤ至上主義の妄想にすがって生きていくことになるのでしょう。そうなる前にイスラエルというマヤカシのカルト国家が解体され、あらゆる人種と宗教の権利が保証される近代の民主主義国家がパレスティナの地に創られることを望んでおります。
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