今はまだまだ人生を語らず

温故知古、古きを訪ねて古きを知る

1990年

2020-08-23 10:04:34 | サラリーマンつぶやき
ツイッターでこんなのを見ました。

日本って90年くらいまでは義務教育とか、ほとんどの要素が世界トップクラスだったんだよ。貧困率や格差も低かった。今見ると殆どが先進国ダントツ最下位で世界的にも下から数えた方が早い。しかも多くはここ十年以内に見る影もなくなってる。誰が一番悪いかは明白だろ?


昨日、友と1990年の東京ドーム公演のブートを買いに西新宿に行ったんですが、そんなに1990年までの時代ってしあわせだったかな、私の人生は。

別に日本が先進国から外れても、経済的に廃れても自分は今の方がしあわせだと感じています。私が教育を受けていた昭和という時代は、土地と不動産を持っているものが頂点に君臨し、個人が努力をしても性別や年齢(年功序列)の壁が相当ありました。計算ドリル、漢字練習帳、校庭で整列、行進、結構苦痛でしたし、個人個人の個性や能力を犠牲にして集団や組織を構成するということが徹底されていました。

やりたいこと、やりたかったことを沢山諦め、社会の歯車になる。よく留学生に言われたには、極めて優秀な学生が、サラリーマンになって家電作るんだから、そりゃあ世界中で売れるよ!っていうことでした。

きっと、個人個人がしあわせを追求し、個性を活かすという社会を作るよりも、社会の歯車を大量生産する方が国の経済にとっては良かった時代なんでしょうね。1990年までは。で、そういう世界じゃなくなったので今は日本が落ちぶれただけなんだって思います。初めて海外に行った1990年前後、あの日本の繁栄はハリボテだって感じました。

あの1990年までの成功体験をまた再現しようとしている私を含めた40代、50代以上は本当にしょうもないなあ、もう口出ししない方がいいんじゃないかって思うわけです。


ポールの昔の辣腕マネージャーを見ながらそんなことを考えました。私はこれからも「生きる力」が必要なんだって思いますよ。支援前提、助けてもらって当然じゃなくて「自分で何とかしていく」っていうこと。

お金で布団の上げ下げから食事まで全部やってもらっていた豪華客船のお客様とは正反対な生き方の方が結局はしあわせに生き残れるんじゃないかと


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