先日の5月1日で
すい臓+腎臓の移植手術をして
ちょうど12年の歳月が過ぎたことになる。
はたしてこのあいだ
ワタクシは何をなしたのだろうか
ということをつらつら考えていると
なんだか...
ため息しか出てこない。
強いてあげれば
最近、5匹の野良猫を
世話して看病して
飼い猫として送り出した。
その5匹の猫がそれぞれの家庭で
幸せになり
かつまた、その住人たちの
雰囲気を明るくし、幸せの増幅につながってくれればなと
切に願う。
そうなれば
私が12年前にやった手術の
少しは
やったかいがあったとはいえよう。
最近は
四六時中
「死ぬときは、心地よい眠りに誘われるように」
願い続けてる毎日である。
今から楽にあの世に行ける活動という意味の『終活』
というのがあれば、ぜひとりかかりたいが。
私が透析をしていたクリニックの
ベテラン看護師Kさんは
「ワタシはそういう方法(ベストな安楽死)を知ってるけど
教えないも~ん」
と言っていたが
今思えば、彼女の好きな信玄餅の詰め合わせでも持って行って
聞いておけばよかったと
つくづく後悔している。
もちろん
安易に死ぬわけじゃないが
そういう知識を抱いてるだけで
なにかこう心強いというのか
老後の日々のプレッシャーを緩和して生活できるような気がする。
さて。
今の暗いワタシの対極にいるのが
ディズニーランドやユニバーサルスタジオで
能天気に遊ぶ若者
いわゆるℤ世代だろうね。
彼らは
生れた時からインターネットがある。
彼らから見たら
62年の人生で
ただの一度もケータイおよびスマホを使ったことも所有したこともなく
ディズニーランド(ユニバーサルも)も行ったことのない人間なんぞ
信じられない!
人間じゃない!
と思ってるだろうな。
チャットGPTだと。
会社の業務の効率化で使うのは、
まあそういう技術革新だからしょうがないが
学生がレポートを書くのに是か非か議論している。
バカじゃなかろうか。
こんなの使ったら、学生が自分で考えるひつようがなくなり
すなわち勉強している意味がないじゃない。
レポートを書くという行為は
それを制作し仕上げる過程の中で
考え、反芻し、時には懊悩し
いわば、脳みそのシワを一本一本増やしせしめる効果を期待しているモノ。
まさに
脳を鍛えるためなのであって
レポート作品そのもので名声を上げようとか
そういうモノではないのである。
こういうものを使ってなぜ悪いなんて述べる
安直なアメリカの大学生に
日本の学生は見習わないでほしい。
でも
Z世代はチャラっぽいからな。
すぐとびつきそうだな。
『ドラえもん』の作者の藤子・F・不二雄氏だっけ。
私の愛読書の『21エモン』という隠れた名作の中で
ボタンポン星とか
ボタンチラリ星の住民が
「1+2=」の問題を解けずに悩んでいたが
やがては
世界、日本もそうなる運命なんだろか。
それにしても
藤子不二雄さんの先見の明はすごいですなあ。
ところで
チャットGPTで
官能小説書かせたら
どうなんだろう。
宇能鴻一郎の文章よりも
エロいんだろうか。
あ~すごいんです。
先っぽから汁が流れて...。
部屋の壁に逆立ちしながら
玉子アイスをガジガジ噛んでいた
小学生の私でした。ガクッ。
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