峠を越えてもまだ先がある

谷 和也 シニアの挑戦 ゆっくりマイペースで

韓国の文化遺産巡り

2012年03月07日 | お出かけ

☆☆初日☆☆

≪仏国寺・石窟庵≫【世界文化遺産】


 慶州・吐含山(トハムサン)の東側にある統一新羅時代の建造物。山の斜面の石窟庵(ソックラム)には、優雅な姿をした石仏・釈迦如来座像が安置されている。
 その西約7㌔離れたところに仏国寺(ブルククサ)が広がっている。石組みの壁に守られた寺院で、正面の階段は単なる石段ではなく、仏教空間への「橋」である(メーン写真) 。


  左側の建物に石仏      仏国寺 屋根の風景
 
 ☆釜山空港に到着後すぐ慶州までバスで北へ移動した。スイスイと進む。高速道路から見える低い山は、時期的に木が枯れていて、ミドリならぬ色あせた茶色っぽい感じ。黒いビニールハウスの一帯が広がっており、そこでは輸出用の「花の栽培」が盛ん。韓国ではスギの木がほとんど育たず、花粉症の心配はない。黄砂の量は日本以上だそう。

 ☆車中で韓国の地図をもらった。吐含山は高さ700㍍ほど。高地に寺を建てるのは、四国88カ所の多くの寺と似ている。日本と同じ時差。時計の針を調整しなくていい。だが、経度が西に位置しているせいか、日の暮れるのが遅い。午後6時過ぎても明るいのだ。ゆっくりと観光地にいた。

☆☆2日目☆☆

≪海印寺≫【世界文化遺産】

 海印寺(ヘインサ)は802年の創建。伽梛山の山中にある。海印は「海に映る」物を指す。万物の真理はその静かで水面のような煩悩を消し去った心で悟る、ということで命名されたとか。13世紀に仏教の聖典「八萬大蔵経」という現存する最古の木版が完成し、収められている。膨大な量。護国仏教の大事業だった。風通しを考慮した巧みな造りで保存されてきた。

 ☆「般若心経」を半紙に印刷したものが売られていた。字体はそれほど美しくはないが“古さ”を感じさせる。訪れた記念に購入。☆寺の内部は、写真撮影が禁止。その代わり、敷地を出たところに大きなパネルを2枚掲げており、これをバックに記念写真を「どうぞ」。なかなか親切だ。わがツアー・グループもほとんどがパチリ、パチリ。

 ≪安東河回村≫【世界文化遺産】=2010年8月に登録
(アンドンハフェマウル)。朝鮮初期の1392年から入郷が始まり「S」字形の川に囲まれた落ち着いた古い村。瓦屋根の貴族(両班=ヤンパン)の住居と、周囲の藁ぶきの庶民の家が円形・対照的にかたまり、それぞれが川に向いて建てられている。空き家もあるが、今も二百数十人が住む。仮面劇などの伝統文化も伝承されている。

   
 
 ☆村で暮らすのは「柳」姓の人たち。同姓村である。歌手で俳優の韓流スター、リュ・シウォンの実家がある。その家の右側の壁にこぶしが1つ入る穴。村の貧しい人が食糧に困った時、自由に穴からお米が取り出せる。ただし、あまりたくさん握ると手が抜き出せず、ひとつかみだけ。


≪嶋漂三峰(トダムサンポン)・石門≫
 韓国の桂林と言われる、丹陽の景観。水面に浮かぶ3つの岩が広場から望める。
「子供のない夫婦。子を生ませた妾がのさばって、妻はそっぽを向く。不和になり、神が罰として岩にしてまった」-3つの岩にまつわるお話。広場から手すりをつかんで急こう配の山を上る。山の斜面に窓のような空間がぽっかり空き、そこから下方の景色が見える。“神の(行き来した)門”と呼ばれている。

 

☆☆3日目☆☆

≪水原華城≫(スウォンファソン)【世界文化遺産】
 
 18世紀後半、朝鮮王朝第22代の王・正祖が、非業の死を遂げた父の墓をこの水原の地に移し、漢陽(現在のソウル)の南の方を守る要塞にした。正祖とは時代劇ドラマの「イ・サン」である。全長5.8㌔の城壁に囲まれたまち。築城当時のレンガづくりの城閣は、ほぼ原形の姿で残っている。

 
 
  ☆観光する人たちは、城の内側から城郭を見ているかたちになる。外からの敵を防御する工夫が施され、城の中から矢を射る四角い窓(空間)も、近くや遠くの敵が狙えるよう異なった角度がつけられている。

≪昌徳宮≫(チャンドックン)【世界文化遺産】

 14~20世紀の朝鮮王朝のいくつかの宮殿の中で最も保存状態が優れており、唯一世界文化遺産に指定された。広さ約4万3000平方㍍。テレビドラマのロケ地にもなったそう。入り口は堂々とした二重屋根のある「敦化門」。一番北の位置に「大造殿」。字のごとく偉大なものがつくられる。子づくりのための“寝殿”である。
☆錦川橋という最古の石橋の欄干に「ヘテ」という石の彫刻が飾られている。ライオンにもトラにもにも似た想像上の動物で、狛犬のような役目を果たしているらしい。

 

≪宗廟≫(ジョンミョ/チョンミョ) 【世界文化遺産】

  歴代の朝鮮時代(1392~1910年)の王と王妃が祭られている。ずらり並んだ扉の奥にあるのは位牌(神位)だけの霊廟。時とともに追加されたり、別の場所に移されたりしながら現在まで存続。ハングル文字をつくったことで有名な大王世宗の霊も。正廟に入れなかった霊は、そっくりな形の別棟・永寧殿に入っている。毎年5月1日に一般公開される。

 


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