「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

手の文化と足の文化

2006-07-05 14:11:07 | 良書紹介
サッカーのワールドカップが開催され、大詰めを迎えている。だが日本は予選で敗退を余儀なくされた。丁度今、清水馨八郎『手の文化と足の文化』(日本工業新聞社 昭和59年刊)を読んでいたので、農耕民族・即ち「手の文化」の日本人が、牧畜民族・即ち「足の文化」の欧米人に「足」を以て戦うサッカーで勝つのは至難の業である事を痛感した。

サッカーとは、集団で走り続けて相手のすきをついてゴールを決める戦いであり、遊牧民族の集団戦法がその原型である。サッカー好きの息子が解説するには、イタリアチームが、ロスタイムに少人数のディフェンスを残して、全員で一か八かの攻撃を仕掛けて見事に功を奏して勝利に結び付いたとの事である。そして、ベスト4の欧州勢の力は互角であり、最後は精神力の強いほうが勝つであろうとの事である。徹底して駆け抜け相手の隙を見つけて攻撃を集中させ勝利する、正に遊牧民族の戦闘性が発揮される戦いのやり方である。大陸を果てしなく移動し、食べるものが無くなれば近隣の集落を襲って略奪してきたのが遊牧民族である。

清水氏は言う。
「日本では泥棒、強盗はバカがやる一番損な仕事になっているが、ヨーロッパでは、優秀な人間がやる企業であるという大きな考え方の相違の原因の一つはここにある。イギリス皇室は先祖が海賊であったことを誇らしげに宣言しているほど、西洋世界では泥棒は生きるための正義なのである。農民といえども武器を必要とする戦士であったのだ。自由農民の墓から多数武器が発掘されていることからうなづける。」

いくら日本人の体格が大きくなって来たといっても、欧米人の体格には到底かなわない。遊牧民族として走り続け敵を打ち倒してきた民族と農耕民族として平和に暮らしてきた民族の間では最初から勝負がついているのだ。そう考えると、今の日本代表はかなり敢闘しているといえよう。

イギリスでは、同じフットボールと言っても上流階級のやるのは「ラグビー」であり、庶民階級のやるのが「サッカー」だという。上流階級は土地への執着があるので「手」を使用してつかみかつ走りぬく「ラグビー」の形が生まれたのかもしれない。

日本人の手の器用さは世界的にも定評で、連綿と続く「手の文化」の延長線上に今日のハイテク国家日本が創造されたのである。サッカーに負けたからとて悔やむ必要は無い、元々アメリカに生まれたベースボールに於て、日本人の神業的な「手の文化」が見事花開いてWBAでは世界一になったのだから。

掲載している写真は『手の文化 足の文化』の中に掲載されている、アメリカの教科書に載っていたという「日本人の生活の様子」。何と、畳の上で靴や下駄を履いて立っている。靴を脱ぐことや、畳の上に座るという観念がこの作者には解らなかったのだろう。
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