「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

中江藤樹⑥「我心わたの如くやはらかに、水のごとくすくみ候へば、天下一の火打にあたり候而も火出で申さず候」

2020-07-17 11:18:14 | 【連載】道の学問、心の学問
「道の学問・心の学問」第九回(令和2年7月17日)

中江藤樹に学ぶ⑥

我心わたの如くやはらかに、水のごとくすくみ候へば、天下一の火打にあたり候而も火出で申さず候。         
 (中江藤樹『早藤子に答ふ』)

 藤樹は、弟子達の抱く様々な悩みに丁寧に答えている。早藤に対して藤樹は、「心法を修める学びが足りないので、心の病根の吟味が誤っています。」「良知が昏(くら)くなり易いのは、凡心の惑いを弁える事が徹底出来ていないからです。」「師に従い友に交わり講論して切磋琢磨するより他はありません。」と述べた後、三つの惑いについて教え諭している。

 早藤は、自分の心の病根を治す事が出来ないのは、①「文学の素養が足りない事」②「生業が悪い事」③「持って生まれた気質のせい」と述べていた。①について藤樹は、孔子以前の人々には文学の素養など無かったにも拘らず、立派な人が沢山居たし、後世では文学の素養が広い人でも心映えが凡夫に劣る者が多数居ました。文学の素養の多寡は心法を修めるのには関係ありません。③については、気質の偏りは「真楽(真の心の楽しみ)」の障りにはならず、悪い習慣のせいで惑いを弁える事が出来なくなっているのです。「習魔(悪い習慣の誘惑)」を降伏させる工夫が重要です。と、指摘している。

 今回紹介している言葉は、②に関する部分の言葉の一節である。②の全文を訳し紹介する。「生業が悪いからだと言うのは間違いです。仕事は境遇です。一切の境遇は例えば火打石の様なものです。自分の心が石の様に固くこわばって角が立っているから、火が出て胸を焦がしてしまうのです。自分の心が綿の様に柔らかに、水の様にしなやかであれば、天下一の火打ちの様な無理難題を吹きかけて来る人がいても、摩擦の火が生まれない様にする事が出来るはずです。境遇に順逆があってもその事とは関係ない事を良く体認して下さい。自分の置かれた境遇のせいにするのでは無く、ただ自分の心の有り様をとがめて、自反(自らの心に省みる事)の真水で邪火をお消しになるべきです。」

 自分の心が石の様に固くなっているから、周りとの摩擦が生じるのだ、綿の様に柔らかで、水の様にしなやかであるなら、火=摩擦は生じない、との訓えは、正に「自反慎独」の精髄とも言え様。柔道の「柔良く剛を制する」に繋がるものである。年を重ねて凝り固まった険しい表情の人に出会うと辟易させられる。私は、藤樹先生の訓えを心に刻んで、年を重ねれば重ねる程柔らかで寛容の心を持てる様になりたいと願っている。難しい事ではあるのだが。

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