「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

手島堵庵に学ぶ⑥「神明を尊び儒仏之教によりて直道を守る可き事」

2021-11-09 23:35:56 | 【連載】道の学問、心の学問
「道の学問・心の学問」第七十九回(令和3年11月9日)
手島堵庵に学ぶ⑥
「神明を尊び儒仏之教によりて直道を守る可き事」
   (手島堵庵『会友大旨』)

 会友大旨では、会の運営に関する用語とその意味を解説して、石門心学の在り方を定めている。会が発展して行く中で、堵庵は組織運営の枠組みを定め、会の均一性を維持した。その用語と解説の一部を紹介する。

「会輔(かいほ)」…曽子は学問を以て友を集い、友を以て仁の行いを輔(たす)けると言われている様に、我々も会友の助けがなければ、以前から沁み込んだ穢れを去り、本心を取り戻す事は出来ない。

「文書」…四書・近思録・小学・都鄙問答・斉家論

「会友」…常々、書物の中の言葉を読んで討論し、独りを慎んで事柄の真理を極めねばならない。常に先哲の道話を聞かなければ、飲食の養いを絶つのと同じで、心志が飢渇して意(こころばせ)が誠にならない。

「輔仁」…人々が努力して知った本心の道理が間違いない事を互いに正し合い、ひたすら本心に任せて、身勝手の私をやめ、親に孝行して仕え、上たる人に悌の道をつくす事をお互いに勧め合わねばならない。

「都講」…聖門の教えでは、朋友の間では貴賤親疎厚薄等少しも挟む事が無い事を貴ぶ。会を統括する都講の役職を定めるのは、道徳や学問が優れているから選任するのではない。障りが少ない人を選んでその任を委ねるのである。障りとは、主君や父母に許されない人、家業が忙しい人、其の人の代わりをしてくれる人が少ない人、朋友や知り合いが少ない人、似合わない人、これら五等の類で、差し支えある人は免除する。輔仁司や会友司もこれに準じる。衆皆和睦して私を存してはならない。此の三等の人は世に言う学頭では無い。学問を進める事の手助けをする為に便宜として定めるものである。

「思恩」…泰平の御高恩、主君先祖父母の御恩、故先生の御恩、水火なければ育まれない。食が無ければ飢える。衣なければ凍える。家が無ければ病になる。薬が無ければ斃れる。人が無ければ便りも来ない。其の余も推して知るべきである。悉くが他の大恩によって生かされているのであり、私の作為など無い。我意を持つべきでは無い。

「弁惑」…聖門には秘密は無い。

「会輔中守る可きの大事」
一、高札の表は勿論、世の法度を慎み守る事。
一、神明を尊んで儒教・仏教の教えによって正しい道を守るべき事。
一、主君の心父母の心に背いてはならない。
一、身の家業を大切に務める事。
一、驕吝(おごりむさぼる)してはならない。

最後に、「我が国の神々が、儒教の聖人として現れ、仏教の諸仏となって慈悲の恵みを施されたのである。誠に有難く尊ぶべき事である。人々はこの神慮を喜ぶべきである。上を敬い五倫和睦なる事を願ったならば、ご神慮にも叶うべきものである事よ。」と結んでいる。

 堵庵は石門心学の学びの在り方を「会輔」「会友」「輔仁」との言葉で定め、学ぶべきテキストも定めた。そして、会の運営の中心に立つ者を「都講」としたが、それは決して徳や学問が優れているからでは無く、障りが少なく任務に当る事が出来る人を選ぶのだと、門弟間に上下が生まれる事を避けた。そして、会輔中に守る可き五つの大事を定め、会友の戒めとした。この五大事は日常生活の戒めであり、容易い様で難しい生活実践項目であった。かくて、石門心学はこれらの「型」を守りながら各地へと教えと学びが伝播して行ったのである。


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