たかしの啄木歌碑礼賛

啄木の歌碑並びにぶらり旅等を掲載いたします

盛岡の旧町名(日影門外小路)

2012-03-20 | ぶらり盛岡
(22)日影門外小路
内丸の西門にあたる日影御門は、現在の北日本銀行本店の前付近にあった。この日影御門の外,四ツ家町に至る一画を日影門外小路と称し、中下級の武士が住んでいた。現在の盛岡中央郵便局の前の通りにあたる。盛岡城下の草創期には、三戸から移って来た人々が住み三戸町と呼ばれていた時代もあった。








日影門緑地


日影門外小路(現在の中央郵便局前の通り)




日影門外小路の入口右角には、御稽古場(藩校)があり、明義堂(めいぎどう)を経て、慶応2(1866)年に作人館(さくじんかん)と改称され、文・武・医を教授、幕末から明治にかけて多くの人材を生む温床となった。作人館跡は明治5(1872)年の学制公布により仁王小学校となり、同9(1876)年の明治天皇巡幸のとき行幸があった。現在その一部が明治天皇の聖跡記念公園(日影門緑地)となっている。以前、仁王小学校は四ツ家にあるのになぜ仁王小学校というのかなと思ったこともありましたが、仁王から移転されたのですね。日影門外小路から大通りまでの道は当時はなかったが、昭和に入ってから菜園開発がおこなわれ映画館通りとして繁華街になったようです。
日影御門を出て西に向うと仁王惣門があり、この辺りで赤川堰を堀とする土塁が廻らされた外堀の西門に当たっていた。
外堀の土手の上には、鐘楼が立ち、「三戸町の時鐘」と呼ばれていた。現在は桜山神社前の鶴ケ池の側に移転し、市の文化財に指定されている。




三戸町の時鐘





日影門外小路の西の裏の濠ぞいには日影門裏小路ができ、現在も盛岡中央郵便局裏にはこの小路があり利用されている。




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啄木の盛岡中学時代の歌

  乱れちる落葉の中の秋の水、流れゆくへの野は濃むらさき。
 
岩手毎日新聞 明治34年12月21日  柿の落葉集 石川翠江 名で 10首(その5)


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