たかしの啄木歌碑礼賛

啄木の歌碑並びにぶらり旅等を掲載いたします

盛岡市内循環バス( でんでんむし号)

2011-02-26 | ぶらり盛岡
盛岡市内は市内循環バスを利用すると便利です。市内循環バスは盛岡駅前バスターミナル15番から右回り、16番から左回りが発車します。9時から18時までの間は10~15分間隔で運転されており、1周約40分です。なお、乗車券は1乗車100円、1日乗り放題のフリーきっぷ300円です。






主な停留所(右回り)

①盛岡駅→ ②材木町南口(右回りのみ)→ ③啄木新婚の家→ ④医大前→ ⑤上の橋(かみのはし)→
 → ⑥盛岡バスセンター(中三前)→ ⑦盛岡市役所前→ ⑧岩手公園→ ⑨川徳デパート前→ ⑩盛岡駅   (左回りはこの逆です)


①盛岡駅
 バスに乗り場のすぐ後ろに啄木歌碑があります





②材木町南口
  旭日橋から岩手山が見られます


 


材木町商店街は、季節を彩る盛岡名物「よ市」を中心に、城下町の風情と歴史伝統を活かしたした和風感のある町並みを実現し、御影石の歩道に宮沢賢治の世界をテーマにしたオブジェを配した「いーはと~ぶアベニュー・材木町」です。
商店街にある光原社は、昭和13年宮沢賢治の生前唯一の童話集[注文の多い料理店]を発刊、社名も賢治の手によって光原社と名づけられたようです。うるし工房製作の漆器各種、全国のやきもの、沖縄のガラス、和紙、岩手の漆器、松本の家具、ハンス・ウエグナーの家具、ホームスパンなどを扱う人気のお店です


 


③啄木新婚の家




④医大前
  裁判所の石割桜、岩手銀行本店の啄木歌碑、岩手医大循環器センター前の啄木歌碑が見られます

⑤上の橋(かみのはし)
  中津川におりて、遊歩道はいかがですか。啄木の歌碑なども見られます




⑥盛岡バスセンター(中三前)
 アーケード商店街 ”肴町通り” , 旧盛岡銀行、啄木・賢治青春記念館、中三デパートなど
 昼食時には、お蕎麦の直利庵、東家 等があります。”わんこそば” は何杯食べられるかな?









⑦盛岡市役所前
  市役所、県庁、県民会館などがあります
  桜山神社の参道には ”じゃじゃー麺” で人気の白龍があります


⑧岩手公園(盛岡城跡公園)
  市民の憩いの場です。啄木の歌碑など多くの碑が建っております


⑨川徳デパート前
  お土産はいかがですか。老舗のデパート川徳です。大通りに出ると冷麺で人気の“食道園” があります



岩手銀行本店敷地(旧盛岡中学跡)の啄木歌碑

2011-02-23 | 啄木歌碑
啄木は明治31年4月に盛岡中学に入学し、35年10月に退学しております。盛岡中学には当時、野村胡堂、金田一京助らが在籍しており啄木も文学に目覚めたのでしょうね。友人と回覧雑誌「爾伎多麻(にぎたま)」を発行したり、短歌グループ白羊会を結成し、「翠江」の号で「岩手日報」に「白羊会詠草」として歌を発表しています。
啄木が通っていた当時の盛岡中学は現在の岩手銀行本店の場所にあり、啄木歌碑は岩手銀行と盛岡地方裁判所の間の道路に沿った銀行の敷地内にあり、「盛岡中学濫觴の地」と銘記されております。「濫觴の地」 啄木もこの地から大きく育っていったのですね。盛岡を流れる母なる大河・北上川も、その源泉は盛岡から50kmほど北の岩手町にあり「弓弭の泉(ゆはずのいずみ)」といわれ、小さな湧き水ですが、それが大きくなって盛岡を通り宮城県の石巻までの250kmの距離流れる間にさらに大きくなっていきますよね。なお、この歌碑は昭和58年11月に建立されました。






盛岡の中学校の
露台の
欄干に最一度我を倚らしめ

石川啄木
(一握の砂)


  岩手県立盛岡中学校濫觴の地



(歌は金田一京助博士の自筆および活字体で併記されております。金田一京助書の啄木の歌碑はいくつかありますが、ここの歌の 自筆はなかなか読めないので活字体を併記しているのかな?)


啄木の中学時代の最後の歌は、『明星』に発表した、次の歌です。これを最後に中学を退学しました。なお、白蘋(はくひん)は啄木の盛岡中学時代の雅号で、啄木が育った宝徳寺の裏庭に白蘋の池があり、これに由来しているようです。


   「血に染めし歌をわが世のなごりにてさすらひここに野にさけぶ秋」   白蘋


次の写真の左側の建物が岩手銀行、その奥が岩手医大付属循環器センター、岩手銀行の道路をはさんだ右側の建物が盛岡地方裁判所で盛岡で最初に咲く石割桜があります。岩手銀行内の歌碑は銀行の敷地に入らず、岩手銀行と裁判所の間の道路の岩手銀行側歩道から見ることができます。






盛岡地方裁判所の石割桜
 盛岡地方裁判所の構内にある石割桜は、 巨大な花崗岩の岩の割れ目に、 樹齢が350~400年といわれるエドヒガンザクラが生育 しています。 ここは南部藩主の分家にあたる北家の庭園であったといわれ、 1923(大正12)年、国の天然記念物に指定され ました。






旧盛岡銀行本店本館(現岩手銀行中橋支店)
 旧盛岡銀行の建物は中の橋(なかのはし)のたもとにあり、現在岩手銀行中の橋支店として使用されております。この建物は国 指定有形文化財(建造物)で、東京駅丸の内口の赤煉瓦駅舎で有名な建築家辰野金吾が設計した建築としては,東北地方に残る 唯一の作品です。





盛岡の白鳥(高松の池)

2011-02-20 | ぶらり盛岡
高松の池ははスケート国体なども行われたことがありましたが、今は暖かくなり氷の厚さが薄くなり、氷上で遊んでいる姿は見られません。高松の池は春の桜、 夏のボート、 秋の紅葉、冬の白鳥など、 四季の行楽地となっておりますし、一周2km弱の周りはジョキングや散歩のコースになっております。池の周りには盛岡市立図書館、高校女子マラソンで活躍する盛岡女子高校、近くには岩手大学もありますのでクラブの学生達がよく走っている姿も見られます。高松の池は盛岡駅からは少し距離がありますのでバスで訪れるのがよいでしょう。盛岡駅の11番乗り場で松園営業所行きまたは松園バスターミナル行きバスのどちらかに乗車下さい。バスは「岩手大学前」→「NHK前」を過ぎ、次が「高松の池口」ですので、ここで下車ください。駅からは15分ほどで、バス停から池までは歩いて2分です。なお、池のそばには70台ほどの無料駐車場がありますが花見のときなどはすぐに満車になります。高松の池湖畔には以前啄木の歌碑「故郷の山に・・・・」がありましたが、建立者が引っ越される時に歌碑も一緒に引っ越されたようで現在はありません。引っ越されたどこかの町で見られるのでしょう。
今年の高松の池は気温が低いこともあり、氷がほぼ全面に張っており、白鳥は氷の張ってない数か所の場所を選んで生活しています。白鳥は宮城県の伊豆沼が飛来地として有名でしたが、暖かくなったのか、いつごろからか盛岡にも飛来するようになりました。最初のころは雫石川に飛来していましたが、現在は雫石川にはほとんど飛来せず北上川、中津川、高松の池の来ております。白鳥の数は高松の池が一番多く、どれぐらいでしょうか、300羽?ぐらいはいるように思います。













盛岡の白鳥(北上川)

2011-02-19 | ぶらり盛岡
盛岡駅前には北上川が流れているため、市中心部に行くには橋を渡って行くことになります。

○駅からまっすぐ進むと開運橋があり、進んで行くと大通りに入り、丸藤菓子店前の啄木歌碑が見られます。さらに進み、岩手公園脇を過ぎると、中津川に架かる中の橋に達し、季節により、遡上する鮭、白鳥を見ることができます。さらに進むと、七夕飾りで有名な肴町、中三デパートに行けます。

○駅から右方向に進むと不来方橋があり、菜園通りに達し、川徳デパート、啄木歌碑もある岩手公園に行けます。

○駅から左側に沿って進むと旭橋があり、"よ市"で有名な材木町通り、中央通りに通じ、啄木新婚の家に行けます。なお、旭橋の上流には夕顔瀬橋、舘坂橋があります。

白鳥がよく見られるのは開運橋、開運橋と旭橋の中ほどです。


開運橋と白鳥、橋の上から見た白鳥







開運橋と旭橋の間にある「啄木であい道」から見た白鳥





旭橋と白鳥


盛岡の白鳥(中津川)

2011-02-17 | ぶらり盛岡
盛岡では白鳥を町の中心部で見ることができます。NHK盛岡放送局・岩手大学工学部から歩いて3分の高松の池、市内の中心部を流れる中津川および北上川です。今回は中津川で見られる白鳥です。中津川は盛岡市役所の裏を流れており、市役所の上流には与の字橋、上の橋、富士見橋(歩道橋)、下流には中の橋、毘沙門橋(歩道橋)、下の橋、かわら橋(歩道橋)、御厩橋が100m~200m間隔にあります。白鳥は中の橋、富士見橋から毎日見られますので、多くの人が足を止めて白鳥を眺めています。なお、啄木の歌碑は中津川に沿って5ケ所に建立されております。


中の橋と橋の上から見た白鳥






富士見橋と白鳥



市役所と白鳥



上の橋と手前の鳩(白鳥は上の橋付近ではあまり見られません)