たかしの啄木歌碑礼賛

啄木の歌碑並びにぶらり旅等を掲載いたします

家庭苑にある啄木歌碑

2011-06-30 | 啄木歌碑
盛岡市大館町の篠根さんが自宅の庭に建立した啄木歌碑です。篠根さんのお庭の歌碑は道路からは見られないので、篠根宅に伺ってお庭の歌碑を見せていただきました。昭和49年12月に建てられた歌碑です。







ふるさとの
山に向ひて言ふことなし
ふるさとの
山は ありがたきかな

啄木
(一握の砂)


この歌は明治43年歌ノート(明治43年8月28日)にあり、一握の砂「煙二」に掲載。



家庭の庭に建てられた啄木歌碑は他に、盛岡市梨木町のエスポアイトウのお庭にもありましたが、不在でしたので写真は撮りませんでした。歌碑は道路から見られます。

また、以前に市内の高松の池、加賀野のオームラ洋裁専門学校にあった啄木歌碑は撤去されて、現在はありません。










松園寺の啄木歌碑

2011-06-28 | 啄木歌碑
盛岡の松園寺には多くの歌碑が建っております。松園寺は国道4号盛岡バイパスの北山トンネルから岩泉方向に5km程進むと着きます。途中には岩手県立野球場、盛岡で一番大きな松園団地、山岸のカキツバタ群落があります。

 







長く長く忘れじ友に会ふごときよろこびをもて水の音聴く



この歌は、東京毎日新聞(明治43年3月10日)に発表、一握の砂「秋風のこころよさに」掲載されている。







山の子の山を思ふがごとくにもかなしき時は君を思へり



この歌は、文章世界(明治43年11月号)に発表、一握の砂「忘れがたき人人(二)」に掲載。 



                   


その他、次の歌碑が建っている

神無月岩手の山の初夏の眉にせまりし朝を思ひぬ

いのちなき砂のかなしさよさらさらと握れば指のあひだより落つ

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ

病みてあれば心も弱るらむさまざまの泣きたきことが胸にあつまる

人がみな同じ方角に向いて行くそれを横より見てゐる心

己が名をほのかに呼びて涙せし十四の春にかへる術なし

東海の子島の磯の白浜にわれ泣きぬれて蟹とたわむる

不来方のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心

砂山の砂に腹這ひ初恋のいたみを遠くおもひ出づる日

やわらかに柳あおめる北上の岸辺目に見ゆ泣けどごとくに

ゆゑもなく海が見たくて海に来ぬこころ傷みてたへがたき日に

たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず

中津川や月に河鹿の啼く夜なり涼風追ひて夢見る人と







先人記念館の啄木歌碑

2011-06-23 | 啄木歌碑
盛岡先人記念館には明治期以降に活躍した盛岡ゆかりの先人130人が紹介されております。特に新渡戸稲造、米内光政、金田一京助については記念室がある。金田一京助記念室の庭には京助の書による啄木の歌碑が建っております。この歌碑は、昭和29年4月に旧盛岡鉄道管理局盛岡工場に建立しましたが、昭和60年に同工場が廃止され、昭和62年に先人記念館に移されました。
 




ふるさと能山尓向ひて
言う事那し
ふるさとの山者あ里可多記可奈



啄木歌碑
金田一京助の書
昭和29年4月23日




この歌は、明治43年啄木歌ノート(8月28日)にあり、一握の砂「煙二」に掲載されている。








金田一京助記念室より





先人記念館には、盛岡駅2階の西口通路を出ると間もなく雫石川に架かる「杜の大橋」があり、その橋を進んで行くと短いトンネルがありますので、トンネルの手前を右折するとすぐです。記念館の中に入り、書類に記入すると、歌碑まで案内してくれます。なお、先人記念館の隣には県立美術館がある。





 
 

先人記念館入り口













大館バラまつり(秋田県)

2011-06-20 | ぶらり旅
秋田県大館市の「大館バラまつり」が石田ローズガーデンで開かれております。。石田ローズガーデンには、1種1本を基本としたサンプルガーデンとして、600種類700株の様々なバラが植栽されているようです。天気も良く、高速道路の1日1000円割引が終了の日ということもあり、多くの人が訪れていました。



























大館からの帰りは小坂町に寄り、小坂から高速に乗り盛岡まで帰ってきました。小坂町には、明治38年に建てられた「旧小坂鉱山事務所(国重要文化財)」また、明治43年に 小坂鉱山の厚生施設として建てられ、現在も公演が行われている日本最古(移築や復元してない)の芝居小屋「康楽館(国重要文化財)」等があり、小坂町の歴史を感じることが出来ます。


旧小坂鉱山事務所



康楽館










啄木であい道の歌碑(啄木家族の歌)

2011-06-19 | 啄木歌碑
啄木であい道には啄木の妻・節子、娘・京子、父・一禎、妹・光子、伯父・葛原対月の歌碑も建っております。




啄木であい道







夏潮や二人のゐなる舟なれば
五反帆なれど日の色そめて

石川節子








我が娘今日も一日外科室に
遊ぶと云ふが悲しき一つ

石川節子








ひぐるまは焔吐くなる我がうたに
ふと咲き出でし黄金花かな

石川節子











眞洞出る
流れに添ひし
白樺の
木立をつつむ
夏大日かな

石川節子











初秋やまさぬ一夜を髪を梳
かなしとききぬ歌やこほろぎ


節子(啄木の妻)








絵本読む事にあきて児等二人
土いじりすると庭にありゆく

石川京子(啄木の娘)










美しき星月夜なり今はなき
母のことなど思い出たり

石川京子










朝日影
流石に雲井に
輝きて
岩手の山の
峰のしら雪

石川一禎(啄木の父)










なだらかに
陽は暮ぬ
寂冥の闇に
己れを見出しかな

光子(啄木の妹)










花にやう
ふれし袂に
香をとめし
くれゆく春の
かたみとやせん

葛原対月(啄木の伯父)