盛岡の中心部を北上川・中津川・雫石川が流れているため、多くの橋が架けられております。このうち中津川に架かる上の橋(かみのはし)、中の橋(なかのはし)、下の橋(しものはし)は中津川三橋として有名です。上の橋は、慶長14年(1609年)、中の橋と下の橋は、慶長16年(1612年)に架けられ、このうち、上の橋と下の橋の欄干には青銅製の擬宝珠が取り付けられております。中津川三橋は洪水によってたびたび流され、擬宝珠も流されましたが、由緒ある擬宝珠のため慶長年号を刻んで幾度か補充されているようで、現存する擬宝珠のうち慶長期のものは、上の橋銘5個、下の橋銘9個が残されておるようです。
中津川
中津川は上流から、次の橋が架かっています。
水道橋→浅岸橋→山賀橋→中津川橋(歩道橋)→文化橋→東大橋→富士見橋→上の橋→与の字橋→中の橋→毘沙門橋(歩道橋)→下の橋→かわら橋(歩道橋)→御厩橋、この後、北上川に合流し、新しい北上川となって明治橋へと流れていきます。
水道橋
水道橋の50mほど下流で米内川が中津川に合流してます。水道橋の1kmほど上流には綱取ダムがあり、米内川の上流には東北電力の米内発電所、盛岡の水道の米内貯水池があります。(写真の手前の川が米内川)
山賀橋
山賀橋は現在道路拡張工事のため、取り壊し中で、すぐ傍に仮の歩道橋を渡しています。
中津川橋(なかつがわ橋)≪歩道橋≫
富士見橋≪歩道橋≫
上の橋
与の字橋
以前あった橋が洪水で流されてしまい、紺屋町消防団「よ組」がかけ直したことから「与の字橋」と言われるようです。
中の橋
毘沙門橋(びしゃもんばし)≪歩道橋≫
下の橋
川原橋(かわらばし)≪歩道橋≫
御厩橋(おんまやばし)
御厩橋は中津川の最後の橋で、橋の下流500mほどで北上に合流し、新しい北上川になります。写真の大きな建物は盛岡駅前の三つのマンションです。
中津川
中津川は上流から、次の橋が架かっています。
水道橋→浅岸橋→山賀橋→中津川橋(歩道橋)→文化橋→東大橋→富士見橋→上の橋→与の字橋→中の橋→毘沙門橋(歩道橋)→下の橋→かわら橋(歩道橋)→御厩橋、この後、北上川に合流し、新しい北上川となって明治橋へと流れていきます。
水道橋
水道橋の50mほど下流で米内川が中津川に合流してます。水道橋の1kmほど上流には綱取ダムがあり、米内川の上流には東北電力の米内発電所、盛岡の水道の米内貯水池があります。(写真の手前の川が米内川)
山賀橋
山賀橋は現在道路拡張工事のため、取り壊し中で、すぐ傍に仮の歩道橋を渡しています。
中津川橋(なかつがわ橋)≪歩道橋≫
富士見橋≪歩道橋≫
上の橋
与の字橋
以前あった橋が洪水で流されてしまい、紺屋町消防団「よ組」がかけ直したことから「与の字橋」と言われるようです。
中の橋
毘沙門橋(びしゃもんばし)≪歩道橋≫
下の橋
川原橋(かわらばし)≪歩道橋≫
御厩橋(おんまやばし)
御厩橋は中津川の最後の橋で、橋の下流500mほどで北上に合流し、新しい北上川になります。写真の大きな建物は盛岡駅前の三つのマンションです。
手前が中津川で、奥が北上川
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啄木の盛岡中学時代の歌 ≪爾伎多麻(にぎたま)明治34年9月号≫
を枕よこよひの夢はかたらざれなうらみうれたみさてはうれしの
啄木盛岡中学4年・16歳、友人と回覧雑誌「爾伎多麻」を発行、「翠江」名で30首(その5)
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啄木の盛岡中学時代の歌 ≪爾伎多麻(にぎたま)明治34年9月号≫
を枕よこよひの夢はかたらざれなうらみうれたみさてはうれしの
啄木盛岡中学4年・16歳、友人と回覧雑誌「爾伎多麻」を発行、「翠江」名で30首(その5)
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