たかしの啄木歌碑礼賛

啄木の歌碑並びにぶらり旅等を掲載いたします

「藤島のフジ」まつり

2011-05-30 | ぶらり旅
国指定天然記念物の岩手県一戸町小鳥谷の「藤島のフジ」まつりが5月29日開かれました。フジの種類は、ノダフジ(野田藤)で、紫色の花をつけます。フジのあるところは、かっては周囲三方に堀がめぐらされ、藤があたかも島のように見えた事から「藤島」と呼ぶようになったといわれています。まだ三分咲きぐらいでしたので、今度の日曜日あたりが見ごろになるでしょう。一戸町は盛岡から国道4号線を60kmほど北上したところです。















「藤島のフジ」のすぐ傍には、一戸町指定天然記念物「観音堂の藤」があります。













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啄木の盛岡中学時代の歌    ≪爾伎多麻(にぎたま)明治34年9月号≫

さびしげの裳裾(もすぞ)やながき秋のみ神か細きこゑを松の梢に 

啄木盛岡中学4年・16歳、友人と回覧雑誌「爾伎多麻」を発行、「翠江」名で30首(その18)

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石川啄木・若山牧水友情の歌碑

2011-05-28 | 啄木歌碑
下橋(しものはし)中学校の校門の前には、啄木の歌と、啄木が晩年もっとも心を許しあい、啄木の最後をみとったといわれる若山牧水の歌が並んでいます。この歌碑は、平成9年、啄木生誕111年{啄木の本名一(はじめ)}を記念して、啄木と牧水の友情の歌碑として建立されました。下橋中学は下の橋(しものはし)の下流100mほどのところです。






   
教室の窓より遁げて
ただ一人
かの城址に寝にゆきしかな

石川啄木
(一握の砂)



城跡の古石垣にゐもたれて曠
聞くともなき 
波の遠音かな

若山牧水
(朝の歌)



向かって左側が啄木の歌、右側が若山牧水の歌。二つの歌の間には「啄木が晩年最も心を許し合った友人若山牧水は、盛岡を三度 訪れており、啄木がこよなく愛し歌った不来方城で、啄木を偲びながら数百詠しております」と書かれています。

啄木のこの歌は雑誌「曠野」(明治43年11月号)、「スバル」(明治43年11月号)、「学生」(明治44年1月号)に発表され、一握の砂「煙一」に掲載。




下橋中学校の正門脇にある歌碑



歌碑は下の橋(しものはし)から100mほど下流です



  歌碑のすぐ近くの「かわら橋 」



遠くに見える岩手山



「詩歌の散歩道」の啄木歌碑

2011-05-25 | 啄木歌碑
盛岡市内を流れる中津川の河川敷には「詩歌の散歩道」が設けられております。盛岡市役所の裏にまわると中津川が流れており、市役所の裏の駐車場から階段で河川敷に降りると、「詩歌の散歩道」があります。この道には啄木の歌碑があり、平成5年11月に建てられたもので、中の橋と与の字橋の間になります。小さな歌碑なので雑草などに隠れ、見落とす人が多い。川水が増えると水の中に沈むのかも知れない。

   






中津川や
月に河鹿の啼く夜なり
涼風追ひぬ夢見る人と

啄木



この歌は、雑誌「明星」(明治38年7月号)に石川啄木・せつ子の名で発表されている。「夢見る人」とは、啄木は妻節子を思い、節子は啄木のことを思っていたのでしょうね。
この歌は啄木・せつ子の二人(共著、連名)の歌ですが、この歌碑では啄木単名になっています。









歌碑は大きな木の下あたりです





冬になると白鳥が訪れ歌碑を覗きこんで?いきます









富士見橋の啄木歌碑

2011-05-21 | 啄木歌碑

啄木の思い出の川は盛岡では啄木が通った高等小学校(現下橋中学)前を流れる中津川であり、渋民村では北上川だったのでしょう。中津川に沿ってはいくつかの啄木歌碑が建てられております。上流から見ていくと、まず富士見橋の歌碑です。富士見橋は上の橋(かみのはし)から上流に5分程歩くと到達します。富士見橋は昭和56年3月に建てられ、橋柱に啄木の歌が銅板ではめこまれており、橋の欄干は啄木自らがデザインした『小天地』の表紙のケシの花をモチーフにしている。啄木が「小天地」を発行した加賀野の家のすぐそばです。









岩手山秋はふもとの
三方の
野に満つる虫を何と聴くらむ

啄木
(一握の砂)



岩手山は盛岡のどこからでも見えますし、とても綺麗です。啄木は何所に立って岩手山を眺め、この歌を詠んだのでしょう。この歌は、啄木歌ノート「暇ナ時」(明治41年8月29日)にある歌で、雑誌「春潮」(明治41年10月号)で発表され、一握の砂「煙二」に掲載。








上の橋(かみのはし)から見た富士見橋




冬になると白鳥が飛来します

 
 







春を告げぬ岩手山

2011-05-18 | ぶらり盛岡
岩手山は別名巌鷲山(がんじゅさん)と呼ばれます。本来「いわわしやま」と呼ばれていたものが「岩手」の音読み「がんしゅ」と似ていることから、転訛したものだとも言われています。5月に入ると岩手山には雪解けの形が飛来する鷲の形に見えるため、これが山名の由来になったとも伝えられています。この鷲が出現すると、そろそろ田植えの準備をしようか、という話が出始めます。例年ですと、この鷲形を見ることができますが、今年は5月の半ばを過ぎても見ることができません。東日本大地震により、岩手山の温度分布も変わったのかも知れません。




2011.5.18 早朝






2011.5.9 岩手山と小岩井農場の一本桜



2011.4.18(ひと月前)




2009.5.8 雪解けの鷲形








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啄木の盛岡中学時代の歌   ≪爾伎多麻(にぎたま)明治34年9月号≫

紅ふくむみ袖やおもきらふたけのくろ髪おばしまの君 

啄木盛岡中学4年・16歳、友人と回覧雑誌「爾伎多麻」を発行、「翠江」名で30首(その17)

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