(13)八幡町(はちまんちょう)・片原(かたはら)
八幡町の町名は,八幡宮の社殿造営に伴い,宝暦8年(1758)年に社前の水田を埋め立て参道が造られ,鳥居町(門前町)として町割されたことに由来する。
片原は,八幡町に直交する片側だけの町並を片原町といったことに由来。同町は下厨川村の夕顔瀬片原と区別するため八幡片原町ともいった。
延宝7(1679)年8月に八幡宮の最初の御輿渡御が行われ,三日三夜の祭典があった。翌8年から流鏑馬(やぶさめ)を奉納するようになった。八幡宮例祭に城下23町から山車など練り物が出るようになったのは,宝永6(1709)年からである。8月1日から16日の祭礼中は隔日で市が立ち,他の町の市を禁じた。
八幡町は宝永の頃から茶屋など飲食店を中心とする歓楽街として発展。明治以後は,花柳界(かりゅうかい)として繁盛した。幡街(ばんがい)と呼ばれ,幡街芸者は芸事の修練でも本町の本街(ほんがい)芸者と互いに競い合った。
八幡宮
八幡町通り
八幡宮の流鏑馬(やぶさめ)
八幡宮例祭(山車)
八幡町までは駅から大通りを通り「中の橋」を渡り、バスセンター前の交差点を右折すると、すぐです。歩くと駅から30分ほどかかります。駅から出ているバス「でんでんむし号」の左回り、右まわりのどちらでも同じ時間ですので、バスセンターで下車ください。
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啄木の盛岡中学時代の歌
羊よぶ調みだれぬ野の中の古江のあたり桃の花散る
≪盛岡中学校校友会雑誌第3号 明治35年3月≫ 「白蘋」名で7首 (その3)
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