一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『破戒』 ……60年ぶりに映画化された島崎藤村の名作で石井杏奈を見る……

2022年07月18日 | 映画


映画『破戒』(2022年7月8日公開)を見たいと思った理由は、ただひとつ。
私の好きな女優「石井杏奈」が出演していたから。


原作は、言わずと知れた島崎藤村の名作「破戒」で、
1948年に木下恵介監督、


1962年に市川崑監督によって映画化されており、


今回が(60年ぶり)3回目の映画化となる。
主演は、間宮祥太朗。
石井杏奈の他、矢本悠馬、高橋和也、小林綾子、大東駿介、竹中直人、本田博太郎、田中要次、石橋蓮司、眞島秀和などが共演者として名を連ねている。
脚本は、『孤高のメス』(2011年)、『凪待ち』(2019年)の加藤正人と、
『突然炎のごとく』(1994年)、『銀のエンゼル』(2014年)の木田紀生で、
監督は、『発熱天使』(1999年)、『みみをすます』(2005年)の前田和男。


そもそも、なぜ、今、『破戒』なのか?
調べてみると、
1922年(大正11年)3月に結成された全国水平社(第二次世界大戦以前の日本の部落解放運動団体)が、2022年が全国水平社創立100周年にあたるので、
それを記念した映画を作ろうと「100周年記念映画製作委員会」が立ち上がり、
当初は、もう少し小さい規模のドキュメンタリー映画のようなものがイメージされていたらしいが、話が進むうちに、運動の一環としての啓蒙的な映画でなく、劇場映画として広く全国で公開できるものをということになり、原作をいくつか検討した結果、『破戒』に決まったとのこと。

せっかく『破戒』を見に行くのだからと、
原作である島崎藤村「破戒」を(高校時代以来、久しぶりに)新潮文庫で読み、


市川崑監督による『破戒』(1962年)を鑑賞した。(レビューはコチラから)


こうして、予習ばっちりで(石井杏奈に逢うべく)映画館に向かったのだった。



瀬川丑松(間宮祥太朗)は、
自分が被差別部落出身ということを隠して、地元を離れ、
ある小学校の教員として奉職する。


彼は、その出自を隠し通すよう、亡くなった父からの強い戒めを受けていた。
彼は生徒に慕われる良い教師だったが、
出自を隠していることに悩み、
また、差別の現状を体験することで心を乱しつつも、
下宿先の士族出身の女性・志保(石井杏奈)との恋に心を焦がしていた。


友人の同僚教師・銀之助(矢本悠馬)の支えはあったが、


学校では丑松の出自についての疑念も抱かれ始め、
丑松の立場は危ういものになっていく。
苦しみのなか丑松は、被差別部落出身の思想家・猪子蓮太郎(眞島秀和)に傾倒していく。
猪子宛に手紙を書いたところ、思いがけず猪子と対面する機会を得るが、
丑松は猪子にすら、自分の出自を告白することができなかった。


そんな中、猪子の演説会が開かれる。
丑松は、「人間はみな等しく尊厳をもつものだ」という猪子の言葉に強い感動を覚えるが、
猪子は演説後、政敵の放った暴漢に襲われる。


この事件がきっかけとなり、
丑松はある決意を胸に、教え子たちが待つ最後の教壇へ立とうとする……




映画を見た感想はというと、
文化映画、教育映画を手掛けてきた前田和男監督だけに、
やや堅苦しさのある映画ではあったが、
映像も美しく、内容的にも解り易く、
最後まで飽きずに興味を持って見ることができる作品であった。

……『破戒』を映画化したいと言われたときには、自分たちがやってきた仕事の延長線上にこの企画があると感じましたから、驚きもしなかったし、変な気負いもありませんでした。ただ映画にするなら現代に置き換えるとか、そんなこざかしいことはやめて、島崎藤村が書いた世界をそのままやった方がいいと思いました。(パンフレットのインタビューより)

前田和男監督はこう語っていたが、


舞台設定は(現代に置き換えられることなく)当時のままであったが、
内容的には現代の状況に考慮した内容になっており、
単なる部落問題だけでなく、
あらゆる差別問題に通じる普遍的なテーマとして扱われており感心させられた。
例えば、
1962年の市川崑監督作品では、
被差別部落出身の思想家・猪子蓮太郎(三國連太郎)が殺害された後、
猪子の妻(岸田今日子)が、丑松(市川雷蔵)に、
「部落民だとうわさするなら、させておきなさい」
「人間は皆平等だと憲法にもある。差別する方が間違っているんです」
「いつか、こういうことが問題にならぬ世の中がくると信じているんです」
「胸を張って生きなさい」
と、言葉を重ねるシーンがあり、


「差別はいつかなくなる」というメッセージを伝えていたが、
今回の前田和男監督作品では、
前作とは少し違ったメッセージとなっていた。
丑松(間宮祥太朗)が猪子蓮太郎(眞島秀和)を訪ね、
差別について意見を交わすシーンで、
「全ての人が教育を受けられるようになれば、部落差別はなくなるでしょう」
と丑松が言うと、
猪子は、
「差別というのは、人の心から感嘆に消えはしないような気がするんだよ。よしんば、部落差別がなくなったとしても、そのときは新しい差別が生まれているかもしれない」
と答え、新たな差別が生まれる可能性を語っている。


事実、現代では、
部落差別(同和問題)だけではなく、
男女差別、
ジェンダーへの偏見、差別
子どもに対してのいじめ、体罰、児童虐待、性的搾取、
高齢者に対しての職業差別、介護施設や家庭内での身体的虐待や心理的虐待、
障害者に対しての職業差別、職場での差別待遇、乗車拒否、入居拒否、サービス拒否、
HIV感染者、ハンセン病患者に対しての様々な場所での差別、プライバシーの侵害、
刑期を終えた人に対する偏見や差別、就職の差別、入居拒否、
ホームレスに対する嫌がらせ、暴行事件、
特定の国籍の人などに対する差別的な言動、ヘイトスピーチなど、
新たな偏見や差別が生まれ、
ネット上でも、差別的な言動、全人格を否定するような言葉が飛び交い、
自殺者を出すほどまでに深刻化している。
こうした状況を踏まえた上で制作された今回の『破戒』は、
令和の時代の若い人々の心にも響く作品になっており、
時代に適応した良質な作品になっていると思った。

前田和男監督作品『破戒』を見ていて、
丑松と志保の恋愛的要素が強くなっているのも特徴のひとつであると思った。


原作を読んだ感想を、前田和男監督は、

部落出身の丑松と、士族出身である志保とのロミオとジュリエットだと思いましたね。(同上)

と語り、
脚本を担当した加藤正人も、


原作が発表されたとき、丑松と志保の恋愛軸がちょっと弱いと言われたんです。だから今度は恋愛の部分を強めにしようと、丑松の恋敵として勝野文平を際立たせました。市川崑さんが監督した62年の映画『破戒』には文平は出てこないんですが、今回は彼の存在が必要と感じたんです。(同上)

と語っていたが、
勝野文平を恋敵に据え、恋愛的要素を強めることで、
2022年の『破戒』は若い人たちにも興味を持ってもらえるものになっているような気がした。



瀬川丑松を演じた間宮祥太朗。


瀬川丑松の役は、
1948年の木下恵介監督作品では池部良、
1962年の市川崑監督作品では市川雷蔵、
というように、その時代のスターが演じている。
撮影時にはまだそれほどでもなかったかもしれないが、
今やTVドラマでも映画でも主演作が増え、
間宮祥太朗は押しも押されもせぬ時代のスターとなっている。
主演していたTVドラマ「ナンバMG5」(2022年4月13日~6月22日、フジテレビ)で、
特服(とっぷく)姿のヤンキーを演じていて、私も大いに楽しませてもらったが、


丑松を演じた間宮祥太朗とのギャップが凄過ぎて、(笑)
ちょっと戸惑ったのであるが、
その静謐で真摯な演技に感心させられた。


丑松は生徒に対して「さん」づけで名前を読んでいたのが印象的だったのであるが、
そのことに関して、間宮祥太朗は、

監督と話し合う中で、大きく変わったのは、生徒に対して、丑松が敬語で話すことでした。生徒と教師、子どもと大人という間柄でも、垣根で隔てたようなつきあい方ではなく、人と人として真摯に対話するところが、丑松の魅力だと思ったので。生徒も団体ではなく、一人ひとりと向き合う姿をより伝えるために、敬語にした方がいいだろうと。(同上)

と語っていたが、
こういうところにも彼の真面目さが表れていると思った。


市川崑版『破戒』では、
丑松が出自を明らかにする時に生徒たちに土下座するというシーンがあり、




そのことに対する違和感をレビューに書いたのだが、
今回の『破戒』では、土下座はせず、
床に崩れ落ちて、涙を流すというシーンになっている。
追い込まれて仕方なく生徒に謝罪して学校を去っていくというのではなく、
自ら決意し、覚悟を決めるという強い意志を示すシーンになっている。
「ずっと君たちと一緒に勉強したいのになぜできないんだ」
という悔しさの涙という描き方になっているのだ。
絶対に教育の現場からは逃げないというメッセージが伝わってきたし、


ラストも、
原作ではアメリカのテキサスへ行くという(逃げ出すような)イメージであったが、
東京へ行って(これは市川崑版も同じ)、目標に向かって新たに人生の再スタートを切る、希望に向かって進んでいく……というものになっていた。
間宮祥太朗の持つ爽やかさが、この丑松のイメージにぴったりであったし、
よく演じ切ったと思った。





志保を演じた石井杏奈。


前田和男監督は、志保の役柄について、

脚本の段階では、志保は雑誌「明星」とか、詩や小説を何でも読んでいる文学少女だったんです。でも脚本の加藤さんにお願いして、彼女は文学の中でもとくに与謝野晶子に傾倒していることにしてもらいました。与謝野晶子一本で押すことで、今回の志保のキャラクターが明確になると思ったんです。志保を演じる石井杏奈さんにも衣装合わせの時、「志保はどんな女性でしょう?」と聞かれたので、「与謝野晶子を勉強してみてください。与謝野晶子は自分の気持ちに正直に生きた女性で、これが正しいと決めたら、決してためらわない。とことんそこへ向き合う。一言で言うと、“根性ある女”です。そんな志保でいてください」とお願いしました。与謝野晶子という一つのひな型があったから、石井杏奈さんは役作りをやりやすかったと思いますね。(同上)

と語っていたが、
今回の『破戒』の志保は、
原作や市川崑版よりももっと知性的で、自分の意思をしっかり持った女性のイメージで、
今風な現代女性を演じることの多かった石井杏奈の新たな魅力を引き出しており、
これまであまり見たことのない石井杏奈を発見できたような歓びがあった。




市川崑版では、
好色な住職(中村鴈治郎)が志保(藤村志保)をてごめにしようとするシーンがあったが、




今回の『破戒』では、言葉で伝えられるだけで、実際のシーンはなく、
その辺りにも前田和男監督らしさが表れていると思った。
私としても竹中直人と石井杏奈のそんなシーンは見たくなかった。(笑)



銀之助を演じた矢本悠馬。


原作を読み、二つの『破戒』を見て、
銀之助というキャラクターの持つ重要性に気づかされた。
銀之助という人物は、一般日本人の代表のようなキャラクターで、
傍観者という差別者であり、無意識の差別者である。
丑松から素性を打ち明けられ、そのときに初めて自分が差別者であることに気づく。
銀之助の素晴らしいところは、
丑松から打ち明けられ、その場で部落差別に対する考えを改めること。
常に考えが柔軟で、親しみやすい銀之助は、
丑松の最大の味方であり、心の支えであった。
市川崑版では長門裕之が演じていたが、
今回の作品では矢本悠馬が思った以上に好演しており、感心させられた。


ラストシーンで、2人を認めて、背中を押してくれる銀之助が恰好いいなあ!と思いました。(同上)

と、石井杏奈が語っていたが、
本作の陰の主人公は銀之助であったかもしれない。

僕がいちばん伝えたいのは、これからの2人がしんどいぞってことです。2人が、みなさんの暮らす街を訪れたとき、銀之助と同じように、柔軟な心で受け容れてあげて下さい。(同上)

とは、矢本悠馬の弁。



その他、
被差別部落出身の思想家・猪子蓮太郎を演じた眞島秀和、


尋常小学校の正教員・風間敬之進を演じた高橋和也、


蓮華寺の住職・丸山法明を演じた竹中直人、


蓮華寺の住職の妻・丸山千代を演じた小林綾子、


衆議院議員の高柳利三郎を演じた大東駿介、


尋常小学校の校長小林貫太郎を演じた本田博太郎などが、
確かな演技で若い3人を支え、作品の質を高めていた。



石井杏奈が出演しているということで本作『破戒』の鑑賞を決め、
原作を再読し、市川崑監督作品の『破戒』も見たりしたこの1週間は、
なんだか“文学の旅”とも言うべき楽しい小旅行をしているような気分であった。
石井杏奈に感謝。

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