一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

若き頃の憧れのお姉さん・見城美枝子さん ……世界を飛び回る姿に魅せられる……

2024年08月09日 | 私の好きな〇〇


新しいカテゴリー「私の好きな〇〇」の第5回は、
私の好きな女子アナ(元TBSアナウンサー)、見城美枝子さん。


今から約半世紀前(正確には49年前)、
「おはよう720」(1975年/ TBS系)という朝のTV番組で、


司会をしている見城美枝子さんを見て、(いつもの如く)一目惚れした。(笑)


番組の看板コーナーと言える存在だったのが、
車でユーラシア大陸を横断する「リスボン-東京70,000 km」というのがキャッチコピーの
「キャラバンII」という企画であった。




テーマ曲は、ダニエル・ブーンの「ビューティフル・サンデー」で、
後に司会の田中星児によって日本語でカヴァーされ、大ヒットした。
この「キャラバンII」で世界を飛び回り、大活躍する見城美枝子さんに強烈に憧れた。


当時、見城美枝子さんは何枚ものレコードも出され、




「さよならの夏」のジャケットでは水着も披露されたので、


見城美枝子さんのファンだった私はクラクラし、卒倒しそうになった。(コラコラ)


かように思い出話を語っても、若い人には知らない人も多いと思うので、
見城美枝子さんについて、このブログに、一度きちんと書いておこうと思った。
事実、若い頃の見城美枝子さんについて検索しても、
写真や資料が(約半世紀も前のことということもあってか、意外に)出てこないのだ。
時代が、パーソナル・コンピュータが「パソコン」と呼ばれるようになる前の黎明期で、
一般にまだ普及していなかったことが大きな要因であったかもしれない。









【見城美枝子】(けんじょう・みえこ)
アナウンサー、エッセイスト、ジャーナリスト、青森大学名誉教授。
愛称は「ケンケン」。
1946年1月26日生まれ。群馬県館林市出身。
1968年、早稲田大学教育学部英語英文科卒業、TBSへアナウンサー13期生として入社。


1973年、TBSを退社、フリーとなる。
1975年~1980年、「おはよう720」「おはよう700」の司会を務め、同局の五木田武信らと「キャラバンII」の海外ロケも多くこなす。
1981年、24時間テレビ「愛は地球を救う」で徳光和夫とともに総合司会を務める。


1993年、早稲田大学大学院理工学研究科入学。
1995年、早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。
1995年、第17回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から無所属で立候補するも落選。


1999年、早稲田大学大学院理工学研究科博士課程入学。
2005年、早稲田大学大学院理工学研究科博士課程単位取得満期退学。


現在は何をされているかというと……

《主な現職》
・サイバー大学客員教授
・新島学園短期大学客員教授
・神奈川工科大学外部評価委員
・財団法人ゆうちょ財団理事
・一般社団法人JAバンクアグリ・エコサポート基金理
・一般社団法人農林水産業みらい財団理事
・全国農業会議所学識経験会員
・公益財団法人東京動物園協会理事
・公益財団法人リバーフロント研究所理事
・財団法人給水工事技術振興財団評議員
・NPO法人ふるさと回帰支援センター・前理事長・現顧問
・東京都現代美術館運営諮問委員会委員
・社団法人公共建築協会公共建築賞審査委員会委員
・毎日新聞社農業記録賞審査委員
・ぐんま・街・人・建築顕彰会審査員長
・館林市ふるさと大使
・公益財団法人エイズ予防財団助成金交付選考委員
・日本芸術文化振興会委員
・全国信用協同組合連合会しんくみブランド表彰選考委員
・福島県しゃくなげ大使
・渋谷区立臨川小学校学校評議員会委員長
・早稲田大学年次稲門会43年会長
・日本建築学会会員
・日本ペンクラブ会員
・青森大学名誉教授


と、書ききれないほどの肩書を持たれている凄い方なのである。



「おはよう720」「おはよう700」が放送されている当時も、その後も、
多くの本を出されたので、私は買って読み、
断捨離を終えた今も、見城美枝子さんの著書は残してある。(写真は蔵書の一部)


今、ネットで見城美枝子さんの若い頃の写真を検索しても(驚くほど)出てこないので、
これらの著書に収められた見城美枝子さんの写真は実に貴重なのである。










特に、『ケンケンの出逢いの旅』という本には、


私の故郷の佐世保にある黒島を訪ねた紀行も収められており、
私は帰郷した折に、この本を携えて黒島を巡ったりしたこともあり、愛着がある。




サイン本も持っている。


美しい字だ。(好きな女性は美しい字の人であって欲しいという願望が私にはある)


結婚されてからは、
雑誌の表紙を飾ったり、






TVCMに出演されたりしていたので、
ずっと活躍を見守っていた。







私は一度だけだが、東京の大学生時代に、
実際に生(ナマ)の見城美枝子さんを見たことがある。
当時、「ぴあ」という雑誌で、某大学の学園祭で見城さんの講演会があることを知り、
最前列で聴講したことがあるのだ。
コーデュロイの(ダークブラウンの)ジャケットを着た見城美枝子さんの、
なんと格好良く、美しかったことか!
今でも鮮烈な記憶として残っている。


その見城美枝子さんも、1946年1月26日生まれなので、現在78歳。(2024年8月現在)
後期高齢者になられて以降も、各方面で活躍されているのは嬉しい限り。
憧れのお姉さん・見城美枝子さんは未だ健在なのである。

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