一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

『80歳。いよいよこれから私の人生』(多良久美子) ……1日1日を楽しむ……

2024年08月13日 | 読書・音楽・美術・その他芸術


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結果的に、12万部のベストセラーとなった、
『87歳、古い団地で愉しむ ひとりの暮らし』(多良美智子/すばる舎)。
2022年6月に、
……老後の極意……
とのサブタイトルを付してレビューを書いたのだが、(コチラを参照)
この本は、(今でも)寝る前などに何度も読み返していて、
だらけた私を律してくれる貴重な一冊となっている。


本日紹介する『80歳。いよいよこれから私の人生』は、
多良美智子さんの8歳下の妹・多良久美子さんが著者。


【多良久美子】
昭和17年(1942年)長崎生まれ。8人きょうだいの末っ子。戦死した長兄以外はみな姉妹。2歳のときに被爆。翌年母を癌で亡くし、父と姉たちに育てられる。
高校生のときに父の会社が倒産し、進学を断念。24歳で結婚後、4歳で麻疹により最重度知的障がいとなった息子を育てる。娘は早逝。
80歳を前に、長く携わってきた社協の仕事を引退、「障がい児・者の親の会」は相談役に。「これからは私の時間!」と、これまで忙しい日々で細切れにしかできなかった趣味の織り物やピアノに、どっぷりつかる日々。料理やインテリアなど「家時間」を楽しむのが好き。
姉は、12万部のベストセラー『87歳、古い団地で愉しむ ひとりの暮らし』(すばる舎)の多良美智子さん。



昨年(2023年)12月に発売された本で、
刊行当時は(さすがに安易な二番煎じのような気がして)手に取らずにいた。
だが、先日、書店で何となく手に取ってみて、
冒頭の「はじめに」を読んでみた。








読んでみて、そんな(二番煎じ的な)軽い本ではないことが判った。
そこで、購入して、じっくり読んでみることにしたのだった。



昨年80歳を迎えた。


決して「安泰な老後」ではない。
現在55歳の息子は、4歳で麻疹(はしか)により最重度知的障がい者に。


娘は、癌により46歳で早逝。


85歳の夫はいつ介護が必要になってもおかしくないが、
頼れる子どもや孫はいない……
けれども、するべきことは全部やり終わった。
忙しい人生だったが、今やっと自分のしたいことに使える時間がたっぷりできた。


こんな大チャンスは、この年になったからこそ。
自分だって、いつ要介護になるかわからない。
1日1日を大いに楽しまなければ!
料理や手仕事、インテリアなど「家時間」を充実させて。
趣味の織り物もピアノも、この年だから出せる味がある。




流行には乗って、新しい便利なものはどんどん試す。
福祉サービスの知識があると、将来の不安が消える。
「明日の用事を考えて、前向きな気分で眠りにつく」のが、元気を保つ秘訣。
テレビの埃取りでも、どんな小さなことでもいい。
「もうこの年だから」を「この年だからこそ」に変える生き方に……




『87歳、古い団地で愉しむ ひとりの暮らし』(多良美智子)と同じく、
普通の人が書いた、普通感覚の「老後指南書」で、
最初から最後まで面白く、どの項目も示唆に富み、実践的で、とても役に立つ本であった。
『87歳、古い団地で愉しむ ひとりの暮らし』のレビューのときと同じく、
私が特に感銘を受け、共感した幾つかを紹介してみよう。



1日1日を乗り切るのに精一杯でしたから、あまり先のことは考えません。まずは今日を。あとは明日、明後日くらいまで。カレンダーも、せいぜい2カ月先までしか予定が入っていません。
(中略)
どうなるかわからない先のことを考えても、答えは出ません。不安が大きくなるばかり。
それよりも、今日・明日にできることを、「1カ月後(1週間後)まで元気でいよう」と、近い将来のことだけ考える。それが前向きに生きるコツかなと思います。
(48~49頁)

姉の多良美智子さんも同じようなことを仰っていたし、
エッセイスト・山本ふみこさんの「あさってより先は、見ない」という考えにも似る。
ひいては釈迦をはじめとする偉大なる先人たちの言葉にも通じている。(コチラを参照)


先のことを思いわずらわなくなったのは、「良いことも悪いことも永遠には続かない」と体験的に知ったからです。
どん底に落ちても、必ず上がるときがやってきます。どんなに大変で「出口が見えない」というときも、必ず終わりがきます。何らかの解決策が見つかるものです。
一方で、良いときがあっても、これまた永遠に続くことはありません。必ず終わりがあり、落ちるときがやってきます。
良いときもあれば、悪いときもある。そのくり返しだと気づきました。

だからこそ、良いときはそれを十分楽しんでおこうと考えるようになりました。

(中略)
今現在も、心配しようと思えばいくらでも心配できる状況です。なにしろ80代の老夫婦と障がい者の息子という、危なっかしい家族ですから。
けれども、せっかくやってきた、自分の時間をたっぷり持てるチャンス。今をめいっぱい楽しみ、大変な状況に転じたら、またそこでがんばればいいのです。
(50~51頁)

何事にも一喜一憂せずに、しっかり前を向いて歩かれていることが解る。


年をとり、夫婦共々食が細くなってきたので、食べるものも作るものもシンプルにしていきたいと思っています。
料理研究家の土井善晴さんの著書『一汁一菜でよいという提案』(グラフィック社)を読み、私の思いとぴったり重なりました。簡素でシンプル、そして何よりも縛りがない自由な食。でも、ちゃんと栄養は足りています。土井さんの提案に、私なりの一汁一菜を考えています
(90頁)

朝食は、毎日同じパターンで、パン+卵+ヨーグルト+果物が基本で、食パンはホームベーカリーで焼いているとのこと。


昼食は、麺類や丼、おにぎりが多いそうだ。


夕食は、「一汁一菜」で、お酒を飲むので、ご飯は食べないとのこと。
(お姉さんの美智子さんとよく似ている)
土井善晴さんの本は私も愛読し、「一汁一菜」という考えに共感している。



年齢のことはあまり考えません。日々、明日があるだけです。物忘れや腰が痛くなることはありますが、それは当たり前のこと。苦にはしません。(113頁)


発酵食品は体の調子を整えてくれるものです。腸に効果があるとされています。
味噌をはじめ、納豆やヨーグルトも手作りしています。難しそうに聞こえますが、実はとても簡単。納豆は茹で大豆に市販の納豆を、ヨーグルトは牛乳に市販のヨーグルトを混ぜるだけ。炊飯器等で40℃ほどの低温にかけることで、菌が働き、発酵が進みます。どれもおいしく、楽しみながら続けています。
(120頁)

私も発酵食品をなるべく摂るようにしている。
NHK Eテレ「小雪と発酵おばあちゃん」もよく観ている。


元気でいるうちは、「明日の仕事」をつくることだな、と思っています。
夜寝るとき、「今日も1日元気だった。ありがとうございます」と感謝する人は多いようですが、私はさらに「明日は〇〇がしたいので、明日もどうぞ元気にしてください」というお願いを付け加えます。

(中略)
大きなことでなくて、小さな用事でいいのです。明日やることがあると思うだけで、前向きな気分で眠りにつくことができます。(124~125頁)

スーパーボランティアの尾畠春夫さんは、
家にいることは稀で、毎日出掛けるようにしていて、
「今日、用がある」っていう「キョウヨウ」、
「今日、行くところがある」っていう意味の「キョウイク」を実践していた。
教養と教育をかけた言葉だが、
高齢者こそ、このキョウヨウとキョウイクが必要なのだ。(コチラを参照)


高齢者になって、これからは助けてもらうことが多くなるけれど、少しでも助ける側に回りたいと思います。
(中略)
今までの人生を振り返ると、50歳くらいまでは向かい風でした。でも、それ以降は、追い風になってくる。どんなに大変なことがあっても、今までしてきた経験や勉強がエネルギーになり、乗り越えることができました。
70歳からは、そのエネルギーを誰かのために使いたいと思いようになりました。
(133~134頁)

私も70歳になったので、貯めたエネルギーを自分のためだけではなく、誰かのために使いたいと思う。


8歳上の美智子姉とは仲がいいけれど、愚痴を言い合ったりはしません。お互いの持ち場でがんばっていると思うと、それが励みになります。
美智子姉の本を読んで、初めて知ったこともたくさんありました。「こんなに自己管理をしていたんだな」とか「私もピアスを開けてみようかな」とか、一読者として参考になったこともありました。
(177頁)

(姉妹の)どちらの本も読んでいるので、
たしかに相違点はあるものの、
姉妹に(驚くほど)共通点があるのに気がついた。
二人共、前向きで、明るく、希望に満ちている。


なんといっても、社協(社会福祉協議会)という頼れる存在があります。何かあったら社協に飛び込めばいい。これが私の大きな安心材料になっています。

それぞれの地域に、社協があります。役所ではありません。営利を目的としない、民間組織です。
高齢者や障がい者、生活困窮者の見守り活動や生活支援などを行っています。他にも成年後見制度の相談や利用支援なども。困ったことを相談すると、「〇〇に行ってみるといい」「〇〇の制度を使うといい」など、次の行動につながるアドバイスをくれます。いわば、現代の駆け込み寺です。

(中略)
ひとり暮らしや身寄りがない、老後が不安という人も、社協がちゃんと支援してくれるから大丈夫です。そうした家を回るのが、私がしてきたライフサポーターの仕事でした。
遠慮せず、どんどん相談するのが大切です。自分ひとりで抱えようと思ったら病気になります。
(192頁から196頁)

社協という言葉は知ってはいたものの、その中身は知らなかった。
とても参考になった。


終活済みなので、お金の心配はしていません。
一番気になるのは、病気になったときのお金ですが、高額療養費制度があるのでそれほどかからないと思っています。夫は、「大きな病気になっても治療は受けない。自然に任せたい」と言っています。私も延命治療は受けません。癌になったら、緩和治療をお願いするつもりです。

(中略)
私が死んだら、お葬式も戒名もいりません。息子のお金は、余ったら後見人さんに国に返上してもらいます。(204~205頁)

『孟司と誠の 健康生活委員会』(文藝春秋)という、
養老孟司と近藤誠の対談本のレビューを書いたとき、
養老孟司の次のような言葉を紹介した。

九十歳で死にたくないと喚く人が多い、とホスピスの医者が嘆いていた(笑)。ということは、その人は九十になってもまだ生きてやりたいことがあるんでしょ。どうして今までやってこなかったんですか、と。その人は生きそびれているんでしょう。成熟するとは、適当な時期に適当なことを済ませることだから。

ただ単に「死にたくない」と喚くのは、赤ん坊と同じだ。
あらかじめある年齢を超えたら、「もう十分に生きた」と満足する心づもりをしておくのも、
大人としての務めのように思える。
良寛の言葉に、

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候


というのがある。
1828年の冬、良寛が71歳の時、
住んでいた新潟の三条に1500人以上の死者が出る大地震が起こり、
(幸いにして、良寛自身には被害はなかったのだが)
子供を亡くした山田杜皐に送った見舞い状にこの一文がある。
ちょっと酷い言葉のようにも思えるが、
「災難に逢うときは災難に遭い、死ぬときには死ぬしかない。私たちがどんなに手を尽くしてもそれは変えられません。だとしたら、それらを受け入れて生きるしかない」
という意味の言葉であり、
「人として生まれたからには生老病死からは逃れることはできず、あるがままを受け入れ、その時自分ができることを一生懸命やるしかない」
という仏教の教えを語ることで励ました、心のこもった言葉なのだ。
私は、
「死ぬ時節には死ぬがよく候」
という良寛の言葉が好きなので、
死ぬべきときがきたならば、ジタバタせずに死んでいきたいと思う。
もちろん、墓も戒名もいらない。



『80歳。いよいよこれから私の人生』には、
巻末に、姉妹対談も収録されていて、
二人の会話に心が和まされる。


これからは、
『87歳、古い団地で愉しむ ひとりの暮らし』
『80歳。いよいよこれから私の人生』
の2冊を枕元に置いて寝ることにしよう。


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