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おじぃの独り言

セミリタイアして第二の人生をエンジョイするおじぃの備忘録です。

2025会津若松の旅④喜多方駅探索から会津若松駅へ

2025-05-26 06:04:41 | 旅行

会津若松の旅、再び喜多方駅に向かい会津若松に戻ります。

喜多方はかつて会津藩の北にあったため、北方と呼ばれました。 明治八年、五つの村を合併して町制を施行した際、「北方」という名は、喜び多い町という意味の「喜多方」と改められました。 この地名の由来を受けて、明治三七年(一九〇四)一月二〇日、岩越鉄道(現在の磐越西線)が当地に開通した時、喜多方駅が開業しました。 そのことが駅入口脇の銘板に刻まれています。

駅前のメイン通りの県道210号喜多方停車場線、雨の日なので閑散としてます。

これが喜多方駅の切符売り場と改札です。コンクリートブロック造平屋建ての駅舎には、みどりの窓口、自動券売機のほか、簡易Suica改札機、待合室、自動販売機、トイレなどを置いています。このほか、テナントとして観光案内所(約30平方メートル)があります。

喜多方駅のホームは、単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを有する地上駅です。互いのホームは跨線橋で結んでいます。国鉄時代は1番線ホームの新潟側(現在の駐車場の部分)に切欠きの4番線があり、朝・晩に日中線の列車がここから発着していました。また、転車台や給水塔などの設備も駅西側の日中線沿いに存在していました。旧4番線ホームは現存しており、駅名標が残されているほか、一部の線路が保線基地に転用されています。

会津若松へ向けて磐越西線が新潟の新津から来ました。車両はGV-E400系の電気式気動車です

会津若松を向けて出発進行!

喜多方ー会津若松間の磐越西線はコトコトと単線を進みます。

そして2本の線路が見えてきたら、会津若松駅に近づいてきました。左側は郡山ー会津若松間の磐越西線です。

終点会津若松駅に到着です。郡山へ向かう磐越西線はここで乗り換えます。会津若松駅にはほかに只見線が乗り入れて新潟県魚沼市の小出駅までおります。磐越西線においては途中駅であるが、当駅から北東と北西へ線路が走っており、スイッチバック構造をしているほか、当駅から郡山方面のみが電化されています。そのため磐越西線は当駅で系統分離されています。南方向に只見線が分岐し、同線西若松駅を起終点とする会津鉄道会津線の列車も只見線経由で当駅まで乗り入れています。

続く、、、

 

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2025会津若松の旅③喜多方散策(2)大和川酒造店北方風土館

2025-05-23 06:05:56 | 旅行

四方を山々に囲まれた会津盆地の北西に位置する「喜多方市」。その会津盆地を形成する北の一辺を担っているのが、喜多方の酒の源「飯豊連峰」です。 秋の実りの時期に真っ白な雪化粧を始める飯豊山は、初夏までその雪を残し、雪解け水はゆっくり時間をかけて平地へと注いできます。喜多方市はその良質な伏流水を使った味噌・醤油・清酒の醸造業が盛んで、中でも清酒醸造蔵数は人口比で全国トップクラスという酒処でもあります。全国新酒鑑評会や福島県の鑑評会、さらには世界的なコンテストでも多数の受賞歴を誇る喜多方の酒は、地元だけでなく全国的にも頷ける美味しさです。

喜多方の酒蔵「大和川酒造店」は、江戸時代中期の寛政二年(1790)創業以来、九代にわたって酒を造り続けてきました。変わることのない清冽な飯豊山伏流水を仕込み水として使用し代々の杜氏の一途な心意気によって「弥右衛門酒」をはじめとした銘酒を生み出してまいりました。

「大和川酒造店北方風土館」を訪れました。

入ってすぐに入るのが「江戸蔵」、江戸時代に建てられた一番古い土蔵です。一階の天井には長い梁があり、大雪の降る会津喜多方の厳しい気候にも耐えることのできる作りが垣間見えます。

平成二年に新工場「飯豊蔵」に移転する前までは酒造りの作業場として使用していましたが、現在は昔の酒造りに使用したさまざまな道具(桶、酒舟、ビン等)を展示しており、当時の酒造りを思い起こすことができます。

そして次に見れるのが「大正蔵」、大正時代に建てられた蔵。現在は当社のさまざまな商品を展示しております。もともとは出来上がった酒を貯蔵するタンクが壁一面に並んでいました。蔵造りの特徴としてその断熱性が挙げられますが、実際にこの蔵に入ると外気を寄せ付けない暖かさを感じることができます。四季を通じて温度の変化があまりなく、夏は涼しく冬は暖かい造りとなっております。


「大正蔵」は酒を貯蔵するには絶好の環境であり、これも先人たちの残した知恵なのです。

「大和川酒造店」では、使用する酒造好適米は、早くから自社田や契約栽培農家で収穫された無農薬、減農薬無化学肥料の良質な米に切り替えました。自社の田んぼやそば畑を耕し、いのちを育む「農」の世界にも挑戦しております。

昭和四年に建てられた蔵の「昭和蔵」、平成2年より新工場に移ったため、今現在は各種イベントに使われるファーメントホールとして利用されています。主にコンサートや講演などに幅広く使われていますが、蔵の壁は音が良く反響するために、生音の楽器による演奏には好条件の構造であります。かつてはピアニストのCDのレコーディングなども行われておりました。文化的・社会的に広く使われており、一般の方にも貸し出しをしております。

又、ファーメントホールの2階には天空回廊のカフェがあります。喫茶でも楽しめれるところです。

見学コースを一通りご覧いただきましたら最後が、利き酒コーナーです。売店と併設している場所で、平成2年に造りの場所を飯豊蔵に移した際に、利き酒コーナー兼売店として改装いたしました。以前は「大正蔵」の下屋(げや)で、瓶詰作業場として活用していた場所となります。

ここでは10種類以上の「弥右衛門酒」を無料で試飲することができ、定番商品や季節限定の生酒、リキュールなどを味わって頂けます。

続く、、、

 

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2025会津若松の旅②喜多方散策(1)蔵の街 喜多方ふれあい通りの散策

2025-05-20 05:41:19 | 旅行

会津若松の旅、「喜多方ラーメン」を堪能した後、蔵の街「喜多方」を散策します。先ずは喜多方の中心の「ふれあい通り」を北上してみました。

「ふれあい通り」は2021年に「レトロ横丁商店街」という名称になったようで、商店街は「レトロを生かし、レトロを創る」がキーワードとなっています。現在のふれあい通りは、3つの商店街(仲町・中央通り・下南商工会)に分かれていますが、この3つが一緒になって、「ふれあい通り」を形成・運営しており、喜多方の中心商店街としてこれまで続いてきました。

喜多方は、日本一の蔵の町でも有名であり、そのメイン通りでもあるふれあい通りには、登録文化財でもある多くの蔵や建築物も存在していることから、現在の幅員を維持したままま、その地域特性を活かした街路事業が実施されています。

歩行者空間としてもフラットで快適な空間を目指した上に、歩道と車道の境界は段差をなくしてフルフラットとし、車止めについても可動の植栽枡(花壇)を地元でつくって用いることで、祭りやイベント時には自由に道路空間を活用できるような工夫してます。

続いて喜多方らしい「喜多方ラーメン神社」を伺いました。市内の中心にある「ふれあい通り」、蔵のまち観光案内所のすぐ近くにあります。

「喜多方ラーメン神社」は、喜多方ラーメンのコミュニティースペースです。正面の鳥居が目印で、建物は江戸時代の店蔵を改装しています。鳥居は大きな箸でできています。

そして神社に祀られている御神体には喜多方ラーメンが鎮座しており、さすがラーメン神社です。

続いて会津若松に本社を置くスーパーマーケット「リオン・ドール」、ここで喜多方でしか買えない吉の川酒造店の日本酒を購入。

そして更に「ふれあい通り」を北上して吉の川酒造店を訪れました。代々、少量でお酒を造る蔵として地元の人達に愛されており、販売数量の98%を地元喜多方市で販売しています。喜多方市に行かなければ手に入らない日本酒です。

麹と昔ながらの「こしき」を使った手作りのお酒です。全国新酒鑑評会や南部杜氏協会の鑑評会で金賞を受賞しています。

そして「ふれあい通り」を外れて、喜多方市役所の近くにある「坂内食道」を訪れました。「坂内食堂」も 喜多方ラーメンの御三家の一つとして、雑誌やTV等で絶えず取り上げられています。さすがに人気店で雨のなかでも行列ができていました。

のれん分けの形で、喜多方ラーメンのチェーン店「喜多方ラーメン坂内」を全国でフランチャイズ展開する株式会社麺食(本社:東京都)が発足し、ご当地ラーメンの喜多方ラーメンが全国に広まることとなったが、その基となった店舗としても知られてます。

再び市役所通りを通りふれあい通りに戻り、喜多方駅へ戻ります。交差点には「喜多方蔵座敷美術館」あります。

極太麺の喜多方ラーメンで有名なお店「なまえ」、ここのラーメンも頂きたかった。喜多方市内にはこのようなラーメン店が約120軒ほどあり、対人口比率では日本一の様です。

続く、、、

 

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2025会津若松の旅①いざ喜多方へ、喜多方ラーメン源来軒

2025-05-17 06:33:20 | 旅行

日本の旅シリーズ、今回はたままたま機会があり、「会津若松」を訪れてみました。

「会津若松市」は福島県の西部に位置し、険しい山々に囲まれた盆地で、年間や昼夜で寒暖差が激しい豪雪地帯としても有名です。「会津若松」の美しい雪景色は、桜や紅葉の季節に広がる絶景にも負けない魅力を持つ。古くから日本海側、東北地方の交通要衝として城を中心とした街が形成され、栄えてきた。そのため、様々な文化が生まれ発展し、今でもその伝統文化と歴史的建造物は脈々と受け継がれています。

東京から「会津若松」を訪れるなら、まずは「郡山」まで新幹線で向かい、そこから在来線や高速バスを利用します。どのルートでも、2時間30分から3時間ほどの所要時間になります。

今回はまず「会津若松」まで行き、更に北の「喜多方」へ行って来ました。福島県の北西部、会津盆地の北に位置する「喜多方市」。喜多方ラーメン発祥の街、そして酒蔵や味噌蔵などの蔵が多く立ち並ぶことから、蔵の街としても知られています。

郡山から磐越西線に乗り「会津若松」を目指します。車両はE721系で郡山駅 - 会津若松駅間で運用されています。

磐越西線は、福島県郡山市の郡山駅から福島県会津若松市の「会津若松」を経由して新潟県新潟市秋葉区の新津駅までを結んでいます。歴史は古く当初、郡山駅 - 喜多方駅間は民間資本の岩越鉄道によって路線開設がなされた。会津若松駅 - 新津駅間には「森と水とロマンの鉄道」という愛称が付けられています。

途中、猪苗代駅などに停車します。磐越西線は猪苗代湖に沿って走り「会津若松」に入ります。

「会津若松」から新潟の新津駅までは、GV-E400系の電気式気動車の車両になります。喜多方までは約20分の旅です。

そして喜多方ラーメンで有名な「喜多方」に到着。「喜多方」は酒どころでもあります。

福島県会津地方北部に位置する「喜多方市」。福島県の中では最西端にある市です。日本三大らーめんのひとつとされる「喜多方らーめん」発祥の地ですが、「蔵のまち喜多方」としても有名で、「喜多方」は本来、蔵のまちなのです。その蔵で作られたのが主にお酒や味噌、醤油などで、昔から醸造業が盛んに行われていました。そして今でも酒造業は、国内外数々の賞を受賞するなどして、酒造りが盛り上がりを見せています。

喜多方の駅舎は昭和33(1958)年6月改築。平成17(2005)年7月ごろにレンガ蔵を模してリニューアルされました。

そして先ずは日本三大ラーメン「喜多方ラーメン」の生みの親、潘欽星氏がかまえた店舗「源来軒」を訪れました。喜多方ラーメン発祥の店で、創業大正13年、2024年で創業100周年を迎える喜多方ラーメンの老舗です。


屋台から始まった喜多方ラーメンですが、今では日本三大ラーメンと呼ばれるまでに全国のファンから親しまれるラーメンの基礎を作られたお店です。

メニューは至ってシンプルです。

ネギラーメンを頂きました。

「源来軒」のラーメンは出汁の旨みがしっかりとしたあっさり醤油スープ。国産黒豚・鶏・煮干し・日高昆布・野菜などで取った醤油ベースのスープは、素材にこだわり、優しい仕上がりに。


喜多方ラーメンならではの中太縮れ麺もとても美味しくいただけます。「源来軒」おすすめのネギラーメンは、自家製ラー油で味付けされたネギがたっぷりと乗っていてあっさりスープと相性抜群です。

続く、、、

 

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2025日本の旅 熊本阿蘇の旅㉗熊本地震から復興のシンボル「熊本城」

2025-05-05 04:51:19 | 旅行

熊本阿蘇の旅、最後は熊本市内に入り「熊本城」を訪れました。

大天守と小天守が並び建つ、熊本城。明治10(1877)年に西南戦争開戦直前の火災により大小天守ともに焼失しましたが、昭和35(1960)年、鉄筋鉄骨コンクリート造りで再建されました。平成28年熊本地震では、最上階の瓦や鯱瓦の落下、地下室石垣の崩落などの被害がありましたが、震災復興のシンボルとして最優先で復旧作業が進められ、令和3年(2021)3月に完全復旧しました。

大天守は外観3重、内部は地上6階地下1階建て。最上階からは、熊本市内や遠く阿蘇の山並みを見渡すことができます。

熊本地震の際に、多くの石垣が崩落したほか宇土櫓などの文化財建造物、大小天守などの復元建築が被災し、修復が進められています。今後さらに櫓、門、土塀が木造復元される予定です。

本丸御殿の床下には闇り通路(くらがりつうろ)と呼んでいる石垣でできた地下通路があります。地下通路は、日本全国の御殿建築のなかでも異例のもので、御殿への正式な入口も地下にあります。熊本城の防衛を知る見どころのひとつでもあります。

熊本城の天守閣の特徴は、四面に配した千鳥破風(ちどりはふ)と最上階の南北につくられた唐破風(からはふ)と呼ばれる建築様式です。「御鉄砲御間」や「御具足之御間」、「御矢之御間」など戦いの道具にちなんだ部屋名がつけられており、江戸時代には武具などが納められていました。小天守の石垣の上には忍び返し(しのびがえし)と呼ばれる敵の侵入を防ぐ鉄串が設置されるなど、細かなところに戦に備えた仕掛けがありました。それらを探して見るのも、熊本城の楽しみ方のひとつです。

加藤清正のお手植えと伝わるイチョウは、明治10年(1877年)の火災により、天守や本丸御殿などとともに焼失しました。その後イチョウの根元から新芽が出て成長し、現在は大イチョウとして親しまれています。

天守閣の1階部は耐震化を施されています。

大天守は外観3重、内部は地上6階地下1階建て。最上階からは、熊本市内や遠く阿蘇の山並みを見渡すことができます。

天守閣から見た東方面、天守閣前広場と遠くには今まで訪れてきた阿蘇の山並みが見えます。

南方面は、「白川」や「加勢川」、「緑川」が流れており広大な熊本平野になります。

西方面には、二の丸広場と国指定重要文化財の宇土櫓(うとやぐら)、その先には金剛山が見えます。

天守閣西側の曲輪(くるわ)は、かつて加藤平左衛門(かとうへいざえもん)が預かったことから、平左衛門丸と呼ばれています。この曲輪には大天守、小天守と並んで「第三の天守」とも呼ばれる国指定重要文化財の宇土櫓(うとやぐら)が江戸時代から現存しています。

日本の旅熊本阿蘇の旅はここ「熊本城」で完結です。神話の世界の高千穂から始まり誇大なカルデラ阿蘇の大自然と熊本の地元食材を堪能できた旅でした。熊本地震から大きな被害を受けても必死に復興に取り組みようやく日常に戻ってきており、地元の人たちの生きる力強さを感じる旅でもありました。ありがとうございます。

 

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