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「姑の遺品整理は、迷惑です」垣谷美雨

2019年06月11日 20時27分51秒 | 読書(小説/日本)
「姑の遺品整理は、迷惑です」垣谷美雨

独り暮らしの姑が亡くなり、その遺品整理をすることになった嫁の望登子。
断捨離のできない姑のマンションは、無駄なものにあふれていた。
これって2か月で片づくの?

P138
「(前略)あれから思ったんだけど、親っていうのは、死んで初めてどんな人間だったかがわかるね」
(中略)
「親とはありがたいものだけど罪なものね」
「そうよ。私の人生に多大な影響を及ぼしたわ。本当に迷惑な存在よ」
(中略)
「親になるって、実はすごく難しいことだと思うようになったの」
(中略)
「親になるというのは誰にとっても初めての経験でしょう。だから、うまくやれる方が奇跡だと思わない?」
「そういえば、そうかも」
「子供たちに、もっとこうしてやればよかった、ああしてやれていればって思うことがいっぱいあるもの」

【感想】
「(前略)親っていうのは、死んで初めてどんな人間だったかがわかるね」
・・・とあるが、死ななくても分かる。
人は「こうありたい」「このように思われたい」という自己演出がある。
(意識、無意識を別にして)
認知症になると、そのバリアがなくなる。
素の部分、演出されない「芯」がダイレクトに表出する。
「あぁ、こんな人間だったのか・・・」、と。
(あるいは、「やっぱりな・・・」、とか)
そしてさらに進行すると、「芯」も溶けてくる。
「炉心溶融」、だ。
人間メルトダウンは、素人の対処が困難・・・。
(元気なときの自分が見たら、不本意で情けなく思うでしょうね、でも看る方も情けなくも不本意だ)

【追加】
あと、介護が疲れるのは、人間関係の距離が崩れるから。
本来、1人1人楽で、居心地の良い距離、ってのがある。
仕事をして疲れるのは、これも一因と思う。
様々な距離感の人を相手にする必要があるから。
人は自分の距離で接することができないと疲れる。
(その反動で独りになりたくなる・・・その繰り返しだ)

【おまけ】
今年から、不要な物を捨てていっている。
粗大ゴミの日は月に2回ある。(大型+小型)
その日に、不要な物を捨てていっているが、出てくる出てくる。
いっこうに片づかない。
なぜこんな物を残しておくの?
何に使うつもりでとってあるの?
昭和一ケタ、って、皆さんこうなの?

【誤植】
P130
誤「パーリー?今パーリーっておっしゃいましたか?」
      ↓
正「パーティ?今パーティっておっしゃいましたか?」

【参考】
断捨離を意識するあまり、勝手に同居する家族の所有物を捨ててしまう、売却してしまうことでトラブルになる例も多々有り、妻が夫の貴重なコレクションを同意無しに捨てる、子供が大切にしていた思い出の品を親が勝手に捨てるなどで、離婚問題に発展することもあるが、断捨離とは自分と自分の所有物に行うものであり「家族を含めて他人のものを勝手に捨てるのは断捨離ではない」と、提唱者であるやましたひでこ自身も発言している。by Wikipedia

【ネット上の紹介】
独り暮らしの姑が亡くなり、住んでいたマンションを処分することになった。業者に頼むと高くつくからと、嫁である望登子はなんとか自分で遺品整理をしようとするが、あまりの物の多さに立ちすくむばかり。「安物買いの銭失い」だった姑を恨めしく思いながら、仕方なく片づけを始める。夫も手伝うようになったが、さすが親子、彼も捨てられないタイプで、望登子の負担は増えるばかりである―。誰もが直面する問題をユーモラスに描いた長編小説。