快気分析

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仕組みとアプローチ -  家康ら一行が安土城に招かれて移動する段階で最初から伊賀衆に護衛を頼んでいた、と考えられる理由

2020-10-26 17:52:38 | 明智光秀
 1582年、本能寺の変が発生し、家康ら一行は三河へ急遽帰還する事となります。
 そして家康ら一行は無事に三河に辿りつくのですが、この時の伊賀越えに際しては伊賀衆(伊賀忍者ら)が家康らを護衛、案内したので無事に帰還できたと言うのが通説です。
 確かにその逃避行のルートもまた伊賀衆の勢力圏である伊賀なのでした。
 これについては本能寺の変が発生してから、急遽、家康らが伊賀衆に護衛と道案内を頼んだとする見方も有るようですが、考えて見るとそれは普通有り得ないと考えています。
 信長に接待を受けている以上、家康も信長の配下に見えるので有り、ならば「伊賀衆の残党が本能の変の直後に簡単に家康の所に現れ、そして護衛や道案内を自ら買って出る」、などと言う事など有り得るでしょうか? それは普通は有り得ないと思えます。
 当時の状況は既に家康が伊賀衆の残党を匿い、そしてうまく利用して信頼関係が出来つつ有ったはずと思え、家康とその重臣ら一行が信長の不可解な招きに応じて安土や京都、堺に行った際には、既に伊賀衆らが商人や僧、その他などに偽装して家康ら一行の護衛をしていたものと考えられます。
 なので本能寺の変が発生したその直後には伊賀衆が護衛と道案内をスムーズに実行出来た、と言う事なのではないでしょうか。
 


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