快気分析

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仕組みとアプローチ -  日向灘地震と遠隔連動の大地震

2024-08-10 14:16:35 | 火山 地震 津波 
 一昨日発生した日向灘を震源とする地震についてです。
 まずこのエリアを震源とする地震の経緯から。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%90%91%E7%81%98%E5%9C%B0%E9%9C%87

日向灘地震(ひゅうがなだじしん)とは、日向灘を震央として起きる地震である。日向地震(ひゅうがじしん)とも呼称される。 この地域は沈み込み帯である南海トラフの西端に位置しており、M7程度の地震が十数年から数十年に一度程度の割合で発生しているが、M8以上の巨大地震が発生したという記録は確認されていない。日向灘周辺で発生する地震では、周辺の沿岸各地に地震の揺れによる被害のほか、震源域が浅い場合には、津波被害が生じることがある。

概要
宮崎県および大分県の沖合にあたる日向灘の海域では、過去より繰り返し大地震が発生する事が知られている。日本政府の地震調査研究推進本部 地震調査委員会の報告(2004年)によると、日向灘地震は規模により2つのタイプに分けられ、マグニチュード (M) 7.6前後のものと、M7.0 - 7.2程度のものが想定されている。いずれも陸側のプレート(ユーラシアプレート[1])とフィリピン海プレートの境界面で起こる低角逆断層(衝上断層)型のプレート間地震(海溝型地震)と推定され、震源域は具体的に特定できないものの深さは10 - 40km付近[2]。

九州東岸の宮崎県串間市付近から大分県佐伯市付近までは海岸線が北北東-南南西方向に伸び、その南東側の沖には南海トラフの海溝軸[3]がほぼ平行に伸びている。地震調査委員会の報告に用いられた評価領域は、先述の海岸線を北東に愛媛県宇和島市付近まで延長した線の付近を陸側の外縁とし、そこから海溝軸までの間の幅およそ100 - 150kmを領域としている。海溝軸に近い幅50km程度は領域から除かれている[4]。

今後日向灘地震が発生した場合、周辺の沿岸各地に地震の揺れによる被害のほか、震源域が浅い場合には津波による被害も生じることが予想されている。特に、九州では宮崎県や大分県、四国では愛媛県や高知県の太平洋側などで津波の被害が予想されている。

発生間隔
M7.6前後のものは約200年間隔で発生すると推定され、17世紀以降では1662年 (M7.6)と1968年 (M7.5)の2回が該当すると考えられており、2回とも津波を引き起こし人的被害を出している。また、M7.0 - 7.2程度のものは約20 - 27年間隔で発生すると推定され、1923年以降は1931年 (M7.1)、1941年 (M7.2)、1961年 (M7.0)、2024年 (M7.1)の4回、ないし1984年 (M7.1)を含めて5回(1984年の地震は従来プレート間地震とされていたが、プレート内地震であり日向灘地震に含まれないという指摘もある。)発生しており、いずれも人的被害を出している[5]。

2種類の地震を合わせると十数年から数十年に一度の割合で発生している。調査により判明している過去最大の地震は、1662年のM7.6と推定されている地震であり、日向灘の領域単独でM8以上となる巨大地震が発生した記録はないとされる[6]。しかし、震源域が東に隣接する南海地震などと同時発生してM8以上の連動型巨大地震となったことがあるという見方もある。例えば、東海・東南海・南海連動型地震と考えられていた1707年宝永地震は日向灘地震とも連動した可能性が指摘されている。そして、将来もそのような連動型巨大地震が発生する可能性があり、対策を取ろうとする動きがある。特に2011年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)以降、そのような動きが強くなっている[7]。

引用終了

 詳細はこのサイトでお確かめください。
 そしてこの地震の後に神奈川県西部を震源とするやや目立つ地震が有りました。

2024年8月9日 22時34分ごろ 神奈川県西部 2.3 1
2024年8月9日 20時06分ごろ 神奈川県西部 2.7 1
2024年8月9日 19時57分ごろ 神奈川県西部 5.3 5弱

 これって南海トラフと相模トラフがそもそも独立で関係ないのかもと言う前提で多くの専門家が「関係ない事象」と言う意見を展開しているケースが多いのですが、過去の遠隔連動傾向を見ると決して「関係ない事象」とは言い切れない面が有ります。
 他にも能登半島やその周辺でも大地震が発生しているのが過去の履歴から見て取れます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%90%91%E7%81%98%E5%9C%B0%E9%9C%87

(中略)

1498年7月9日(明応7年6月11日)
(中略)

1662年10月31日(寛文2年9月20日)
(中略)

1769年8月29日(明和6年7月28日)
(中略)

1899年(明治32年)11月25日
(中略)

1909年(明治42年)11月10日
(中略)

1923年(大正12年)7月13日
(中略)

1929年(昭和4年)5月22日
(中略)

1931年(昭和6年)11月2日
(中略)

1939年(昭和13年)3月20日
(中略)

1941年(昭和16年)11月19日
(中略)

1961年(昭和36年)2月27日
(中略)

1968年(昭和43年)4月1日
(中略)

1969年(昭和44年)4月21日
(中略)

1970年(昭和45年)7月26日
(中略)

1984年(昭和59年)8月7日

引用終了

日本の主な地震については

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%9C%B0%E9%9C%87%E5%B9%B4%E8%A1%A8#15%E4%B8%96%E7%B4%80

(中略)

1495年9月3日(9月12日)(明応4年8月15日) - 鎌倉大仏殿に津波が入り堂舎屋が破壊されたと記録されている(『鎌倉大日記』[76])。この記録が明応7年の明応地震の混同として扱われて、従前の「理科年表」には記載がなかったが、2023年版から記載。地層[注 10]や史料[77]の調査から、相模トラフを震源とする関東地震の可能性が示唆されている[78][79][80][注 11]。
1498年
6月30日(7月9日)(明応7年6月11日) 日向地震 ※ - M7 - 7.5、九州で屋舎倒れ山崩れの記録(『九州軍記』)。同日、畿内でも地震。南海道沖の地震との説もある[81]が、史料の無理な解釈が含まれ、『九州軍記』の記述を話半分に聞けば九州付近で起こったスラブ内地震であるという解釈も可能[82]。『九州軍記』は後の創作である可能性が高く日向灘の震源は否定されるとの見方がある[83]。
9月11日(9月20日)(明応7年8月25日) 明応地震(東海道沖の巨大地震) - M8.2 - 8.4、『林叟院創記』に溺死者2.6万人とあり、『内宮子良館記』には5千人余流死、伊勢、志摩では1万人溺死とある。伊勢・駿河などで津波により大きな被害、浜名湖が海と繋がる、鎌倉高徳院の大仏殿が押し流される記録※は明応4年。地質調査によればほぼ同時期に南海道沖が震源域となった可能性もあるが疑問。南海トラフ沖にある長さ約300kmの海底活断層による地震の可能性がある[84]。

(中略)

1659年4月21日(万治2年2月30日) 会津で地震 - M6+3⁄4 - 7.0、死者あり。
1662年
6月16日(寛文2年5月1日)
10時ごろ 寛文近江・若狭地震(寛文地震) - 小浜で城の櫓・多門・石垣・蔵の破壊。三方断層の活動と考えられる。熊川宿の被害も大きく、熊川断層も活動した可能性が高い[99]。
12時ごろ 畿内・丹後・東海西部地震、寛文の琵琶湖西岸地震、近江・山城地震 - M7+1⁄4 - 7.6、上の地震に引き続いて花折断層が活動したと考えられる[99]。死者は倉川榎村で300余、京都で200余など。京都の大仏殿が小破。
10月31日(寛文2年9月20日) 外所地震(日向・大隅地震) - M7+1⁄2 - 7+3⁄4又はM7.2 - 7.5[100]、死者あり。
1664年(尚質王17年) 琉球鳥島で地震、死者があり、海底火山の噴火、津波があった[101]。
1666年2月1日(寛文5年12月27日) 越後高田地震 - M6+3⁄4前後、死者1,400 - 1,500人。

(中略)

1762年10月31日(宝暦12年9月15日) 佐渡沖地震 - M7.0程度、死者あり。液状化現象、津波による家屋流出など。
1763年
1月29日(宝暦12年12月16日) 宝暦八戸沖地震 - M7.4 - 7.9、津波あり。三陸沖北部の固有地震[103]。
3月11日(宝暦13年1月27日) 八戸東方沖で地震 - M7.3、津波あり。宝暦八戸沖地震の最大余震[103]。
3月15日(宝暦13年2月1日) 青森県東方沖で地震 - M7.0。宝暦八戸沖地震の余震[103]。
1766年3月8日(明和3年1月28日) 津軽地震 - M6.9あるいはM7+1⁄4±1⁄4、弘前城損壊など。死者約1,500人。津波が千葉県の銚子に届いたとの記録あり。
1769年8月28日(明和6年7月28日) 日向・豊後・肥後で地震 - M7+3⁄4±1⁄4、M7.2[100]又はM7.4[107]、大分城で被害多く、熊本領内でも被害あり。津波あり。
1771年4月24日(明和8年3月10日) 八重山地震(明和の大津波) - M7.4 - 8.0(Mt8.5, Mw8.7[120])、死者約12,000人。津波の最大遡上高85m※(日本記録『大波之時各村之形行書』)とされるが疑わしい。安房まで津波の到達と記録あり。
1772年6月3日(明和9年5月3日) 陸前・陸中で地震 - M6.8 - 7.4、花巻城で所々破損、江戸でも有感。死者12人。やや深い地震の可能性あり。
1780年7月30日(安永9年6月19日) 庄内地方で地震 - M6.5 - 7.4、酒田で土蔵、家が潰れ、死者2人。
1782年8月23日(天明2年7月15日) 天明小田原地震 - M7.0、住宅約800破損、小田原城損壊など。
1786年3月22日 - 3月23日箱根山で2日間で100回以上の群発地震(有史以来の初記録)[121]。
1789年5月11日(寛政元年4月17日) 阿波で地震 - M7.0±0.1、土佐室津に津波。

(中略)

1896年(明治29年)
1月9日 茨城県沖で地震 - M7.3[148]。
6月15日 明治三陸地震(三陸沖地震) - M8.2 - 8.5(Ms7.2 - 7.9, Mw8.5, Mt8.6)、津波地震、死者・行方不明者2万1959人。
6月16日 三陸沖で地震 - M7.5 の地震が2回発生。明治三陸地震の最大余震[103]。
8月31日 陸羽地震 - M7.2、一部地域で震度7相当と推定[145][149]。死者209人。
1897年(明治30年)
2月20日 宮城県沖地震(仙台沖地震[150]) - M7.4、地割れや液状化、家屋に被害。
8月5日 三陸沖で地震 - M7.7(Mw7.8)、宮城県や岩手県で津波により浸水被害。
1898年(明治31年)
4月23日 宮城県沖で地震 - M7.2、北海道から近畿にかけて有感、岩手県と宮城県の県境付近で被害。
9月1日 石垣島東方沖(多良間島沖)で地震 - M7.0。
1899年(明治32年)
3月7日 紀伊大和地震 - M7.0またはM6.9[107]、木ノ本・尾鷲で死者7名、三重県を中心に近畿地方南部で被害。深さ40 - 50kmのフィリピン海プレート内の地震[151]。
11月25日 日向灘で地震 - 3時34分にM7.1、3時55分にM6.9。
1900年(明治33年)5月12日 宮城県北部で地震 - M7.0、死傷者17人、家屋などに被害。
20世紀前半

日本周辺で発生したマグニチュード5.5以上の地震(1900 - 2016)
上記の地図の範囲とほぼ同じ東経119度から東経150度、北緯20度から北緯46度の矩形の範囲で1900年から2016年末までに起こった地震は、USGSの地震カタログによると[152]、M8.0以上が14回、M7.0 - 7.9が163回であった。
注:2003年9月17日に気象庁マグニチュードの算出方法が改訂され、これに伴い1924年以降に発生したほとんどの地震のマグニチュードも改訂された(一部は先行して2001年4月23日に改訂)。このため、マグニチュードが改訂された地震については改訂前の値を括弧書きで併記している(例:2001年3月24日 芸予地震 - Mj6.7(旧Mj6.4))。

(中略)

1900年代
1901年(明治34年)8月9日 - 10日 青森県東方沖で地震 - 8月9日にM7.2、8月10日にM7.4。死者18人。
1902年(明治35年)1月30日 青森県三八上北地方で地震 - M7.0、死者1人。
1905年(明治38年)
6月2日 芸予地震 - M7.2、死者11人。
7月7日 福島県沖で地震 - M7.1[153]。
1909年(明治42年)
3月13日 千葉県房総半島沖で地震 - 8時19分にM6.5、23時29分にM7.5。
8月14日 姉川地震(江濃地震) - M6.8、死者41人。
8月29日 沖縄本島付近で地震 - M6.2、死者2人。
11月10日 宮崎県西部で地震 - M7.6。
1910年代
1911年(明治44年)6月15日 喜界島地震 - M8.0(Mb8.1)、死者12人。
1913年(大正2年)2月20日 日高沖で地震 - M6.9(Ms7.0)

(中略)

1923年(大正12年)
6月2日 茨城県沖で地震 - Mj7.1[3]、千葉県銚子市で最大震度4。
7月13日 九州地方南東沖で地震 20時13分 - Mj7.3[3] 深さ44km[3]。宮崎県宮崎市と鹿児島県鹿児島市で最大震度4。
9月1日
11時58分ごろ 関東地震(大正関東地震、関東大震災) - M7.9(Ms8.2, Mt8.0, Mw 7.9 - 8.0[156], Mw8.2[110])、関東地方南部と山梨県で最大震度6。神奈川県と千葉県南部のそれぞれ一部で震度7相当と推定[157]。死者・行方不明者10万5385人(1925年の調査では14万2800人)[158](日本災害史上最悪)。本震3分後にM7.2、4.5分後にM7.3の地震が起こって地震動は10分以上続いて[159]いる。
12時3分ごろ 相模湾で地震 - Mj7.3[3]、埼玉県熊谷市と山梨県甲府市で最大震度5、大正関東地震の余震。
9月2日 千葉県南東沖で地震 - Mj7.3[3](Mw7.8[160])、山梨県甲府市で最大震度5、大正関東地震の余震。
1924年(大正13年)
1月15日 丹沢地震 - Mj7.3、死者19人。山梨県甲府市で最大震度6。大正関東地震の余震と見られている。

(中略)

1928年(昭和3年)5月27日 岩手県沖で地震 - Mj7.0、青森県青森市、岩手県宮古市・盛岡市で最大震度4。
1930年代
1930年(昭和5年)
2月13日 - 5月31日 伊東群発地震 - 最大Mj5.9。
10月17日 大聖寺地震 - Mj6.3、富山県高岡市で最大震度5。死者1人。
11月26日 北伊豆地震 - Mj7.3、静岡県三島市で最大震度6。震源断層付近などで最大震度7相当と推定[145]。死者272人。丹那断層の活動とされる。

(中略)

1938年(昭和13年)
5月23日 茨城県沖で地震 - Mj7.0(Mw7.7)、茨城県水戸市・石岡市、福島県福島市・いわき市・猪苗代町で最大震度5。
5月29日 屈斜路路震 - Mj6.1、北海道・屈斜路湖付近で地震、北海道釧路市・根室市で最大震度3。死者1人。
6月10日 宮古島北西沖で地震 - Mj7.2、沖縄県宮古島で最大震度4。宮古島で2m前後の津波。
11月5日 - 7日 福島県東方沖地震(塩屋埼沖地震、塩屋崎沖地震) - 11月5日17時43分にMj7.5(Mw7.8)、同日19時50分にMj7.3(Mw7.7)、11月6日にMj7.4(Mw7.7)、11月7日にMj6.9(Mw7.6)。Mj7.5の地震で福島県、茨城県、宮城県で最大震度5、福島県で死者1人、東北から関東に津波。
1939年(昭和14年)
3月20日 日向灘で地震 - Mj6.5、高知県、熊本県、大分県、宮崎県で最大震度4。死者1人。
5月1日 男鹿地震 - Mj6.8、秋田県秋田市と鷹巣通報所で最大震度5。死者27人。
1940年代
1940年(昭和15年)
8月2日 積丹半島沖地震(神威岬沖地震) - Mj7.5(Mw7.7)、北海道羽幌町で最大震度4。死者10人。
8月14日 隠岐島近海で地震 - Mj6.6(Mw7.0)、境港市東本町で最大震度4。韓国でも有感。
1941年(昭和16年)
7月15日 長野地震 - Mj6.1、長野県長野市で最大震度6。死者5人。
11月19日 日向灘で地震 - Mj7.2、熊本県と宮崎県で最大震度5。九州東岸、四国沿岸で津波1m。死者2人。
1943年(昭和18年)
6月13日 青森県東方沖で地震 - Mj7.1、北海道苫小牧市・浦河町、青森県青森市、八戸市で最大震度4。
9月10日 鳥取地震 - Mj7.2(Mw7.0)、鳥取県鳥取市で最大震度6。推定では鳥取平野を中心に震度7相当[145]。死者1,083人。
10月13日 長野県北部で地震 - Mj5.9、新潟県高田市と長野県長野市で最大震度4。死者1人。
1944年(昭和19年)12月7日 東南海地震(昭和東南海地震) - 三重県沖、Mj7.9(Mw8.2)、静岡県御前崎市、三重県津市で最大震度6。静岡県袋井市付近、愛知県西尾市の旧矢作川流域で震度7相当と推定[163]。死者・行方不明者1,223人、伊豆から紀伊にかけて津波。
1945年(昭和20年)
1月13日 三河地震 - Mj6.8(Mw6.6)、三重県津市で最大震度5。愛知県の一部で最大震度7相当と推定[145][164]。死者・行方不明者2,306人、津波あり。
2月10日 青森県東方沖で地震 - Mj7.1、青森県八戸市で最大震度5。死者2人。
1946年(昭和21年)12月21日
4時19分ごろ 南海地震(昭和南海地震) - 和歌山県沖 - 四国沖、Mj8.0(Mw8.4[165])、中部地方から九州地方にかけて最大震度5。死者・行方不明者1,443人、房総から九州にかけて津波。
19時18分ごろ 択捉島南東沖で地震 - Mj7.1、北海道浦河町潮見、釧路市、根室市で最大震度2。

引用終了

 関東大震災だけでなく北伊豆地震など相模トラフ関連の周辺エリアや能登地方とその周辺エリアに該当する大地震も前後してほぼ連動して発生しているのが気になります。
 「歴史は二度繰り返す」のかどうかはあくまで確率論に過ぎないので今後どうなるのかはわかりませんが、遠隔連動の発生確率については「備えあれば憂い無し」のスタンスで臨むところかと思っています。


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