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快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -   明後日17日は満月 目立つ地震はどうなるのか

2019-06-15 21:33:33 | 地震 津波
 今月12日に記事にした「6月に入って世界で発生したMw6以上の地震はたったの1回」だった地震空白期の件はチリで発生したMw6.4の地震で終了となりました。

 EMSCでのデータは次の通りです。

引用開始(一部抜粋)

https://www.emsc-csem.org/Earthquake/?filter=yes

2019-06-14 00:19:11.4 30.05 S 71.97 W 10  6.4  OFFSHORE COQUIMBO, CHILE

引用終了

 国内では今月4日に発生した鳥島近海での地震Mj6.1(Mw6.4)以降、Mw5以上の地震は有りませんでした。
 明日17日は満月。
 既に小さく、しかも次第に小さくなる満月なのであまり大きな地震トリガーにはならないのが通常ですが、明日以降は雨天曇天から晴れ間の見える地域が国内では増え、それが数日続くエリアが多いようです。
 なので以前にも書いた「雨天曇天一過の地震晴れ」の傾向から考えると、月齢と合わせればある程度の地震トリガーにはなるかと考えています。
 ただ発震になるには地殻やプレート、その境界などのストレスがどれだけ発散されるギリギリ前かと言う事が大きな要素なので果たして目立つ地震になるのかどうかと言うのは断言できるまでには至りません。


仕組みとアプローチ -  本能寺の変 古文書に書かれている事の不可解な点

2019-06-15 19:30:21 | 明智光秀
 本能寺の変については通説と異なるシナリオを想定すると、かえってその方が辻褄が合って来る事が多い事はこれまでの記事で書いて来ました。
 実は更に古文書に有る記載内容で不可解な点があると思ったので今回記事にしました。
 それは信長公記に書かれている事で、本能寺に襲撃部隊が討ち入る直前、信長が森蘭丸に周囲の状況を確認させたときの蘭丸からの報告が、「明智の軍勢と見受けられる」と言う旨の内容だったと言う事です。
 個人的な見方に過ぎないのかも知れませんが、ここが実は奇妙だと思うのです。
 森蘭丸が当時の状況で寺の外に出て襲撃部隊に「あなたはどこの部隊の方ですか?」と聞いたはずはなく、仮に聞いたならばその場で斬られていたはずで信長の所に戻れたはずはありません。
 そうすると森蘭丸は遠目で明智勢の旗や武具などから明智勢と判断しただけなのだろうと考えられます。
 光秀のような知略家が信長を討つつもりなら、何で自分の素性を晒すようなリスクを背負いこむのでしょう。
 例えばですが、滅亡させられた武田氏の残党やその他、信長に主君を打たれた者、崖っぷちに追い込まれていた勢力など、いくらでも信長を襲撃しようとした者は多かったと思えるのでそれらに偽装すればより安全であり、世間も武田の残党が襲撃したのだろう、となったはずです。
 当時において本能寺にいた信長の家来らはたかだか数十から百数十名程度であり、そんな人数相手なら数百名とかの偽装部隊に信長を襲撃させれば良いのではないでしょうか。
 これに対して「明智光秀自身が自らを隠してまで信長を襲撃するのは流石に卑怯に見えてしまうからそれは避けたいと思ったのではないか?」と考えられなくもないですが、それは必要ないはずです。
 信長と言う主君を襲撃した重臣と言うレッテルを貼られるのを光秀がわかっていたのなら、別に敢て明智勢である事がわからない姿で信長を襲撃して仮に最悪のケースで正体がバレたとしても卑怯者、逆臣で元々なのではないでしょうか。
 主君を襲撃する事と自分が誰かわからないようにする事では同格です。
 主君を討つのなら汚い方法でもかまわないはずではないでしょうか。
 そして信長公記に書かれている事が何を意味するのか?と言うと、それは明智光秀でない他の何者かが明智勢の姿や旗を装って最初に信長を襲撃し、それで世間は明智勢が襲撃したように見せてしまう事に成功した、と言う事ではないでしょうか。
 そしてその時点で明智勢は残る選択肢は「信長に追い出された足利義昭を再度擁立して室町幕府の再興の為に反織田で戦うしかない」となり織田信忠の襲撃を伊勢貞興らが主力となって実行します。
 では最初に信長を襲撃したのは誰か?
 これまでの記事で書いてきた事の通りだとすると、一つのケースは斎藤利三らと光秀以外の旧室町幕府奉公衆、もう一つのケースは高山右近、中川清秀らのキリシタン武将勢力あたりだろうと考えていますが、最近考えるようになったのはこれらの混成部隊も可能性として有ったかも知れません。
 更に当時の情勢では信長に崖っぷちまで追い込まれていた反織田勢力は多かったのでこれら混成部隊だった可能性もゼロではないかも知れません。
 いずれにしても信長襲撃明智勢がしたと世間が見てしまう事実が一度発生してしまえば、例え明智光秀が信長を襲撃するつもりが無かったとしても、当時それまで信長の警護隊長の役割をして来た光秀にはもう反織田で戦う、と言う選択肢しか残っていなかったはずです。