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快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -  今回の能登半島地震で思った事 何であんなに重たそうな瓦屋根が多いのか?

2024-01-08 17:59:56 | 火山 地震 津波 
 主旨はサブタイトルの通りです。
 被災地の映像を見ていると重たそうな瓦屋根がやたら多いのです。何故でしょう。わかりません。
 重たい瓦屋根ってどれだけ建物の耐震性を低下させるか、特に大きい地震が多発した時の疲労破壊(積分的破壊、疲労破壊)になりやすいか、と言う点で気になりました。
 無論、建物の造りがそれなりに強固なものならば繰り返しの大地震に対しても耐えられるのですが木造の場合、、相当な造りでない限りはそれをクリアするのはかなり難しいのではないかと思えます。
 そして仮に建物が倒壊した場合に、重たい瓦屋根の木造住宅よりは、軽量の金属屋根とかの木造住宅の方が遥かに中で下敷きになっている人の生存率の方が遥かに高いと考えています。
 理由は屋根が軽いと家具、特にタンスやテーブル、机、こたつなどでも被さって来た屋根や建材などをある程度は支え切れて人は圧迫度が低くて助かるケースが多いからです。
 最強は軽量屋根の平屋ですが、2階建てでも2階の家具や家電や本などをなるべく少なくして軽くしていればかなり生存率は高くなるはずです。
 私が仮に救助隊のメンバーで近くにある建物2棟が同様な倒壊をしていた場合、重たい瓦屋根の建物と軽量屋根の建物が有ったら、後者の軽量屋根の建物の中の人の救助を優先する事が多いでしょう。
 状況にもよりますが理由は後者の方が生存率が高いから、それと軽量屋根だとより簡単に屋根やその下の建材などを取り除いたり持ち上げられるからです。
 とても全体をカバーできないような限られた救助動員力の場合では、「トリアージの観点」で「助かる可能性の高い人達から助ける」、「とても無理そうならそれは後回しにする」と言う有線順位で行くしかありません。

追記 2024.1.9 12:10
 誤表現と誤植がありました。

 疲労破壊(積分的破壊、疲労破壊)有線順位で行くしかありません。 → 疲労破壊(積分的破壊、累積的破壊)
 有線順位で行くしかありません。 → 優先順位で行くしかありません。

に訂正です。
 悪しからず。

仕組みとアプローチ -  能登半島地震 やはりテントや寝袋などのキャンプ用品を確保できていた方が有利でした

2024-01-08 17:01:46 | 火山 地震 津波 
 去年大晦日に書いた記事、サブタイトル「キャンプ用品を侮るなかれ 災害対策に有効なものも多いので」の翌日に能登半島地震となり、そして電気やガスがダウンしたエリアが多くなり、避難所に行っても水不足でトイレなどで扉などを触った後の手洗いも不十分となって感染症拡大で発熱や腹痛などが発生しているようです。
 筆者自身もこの記事を書いた後のまさか翌日にこんな大地震になるとは思っていませんでした。
 被災地の画像や動画をネットで見ていると、自宅の庭、或いは周辺などにテントを張ってしのいでいる方達は殆ど確認できないのですが、その理由がわかりません。
 確かに津波や火災などの危険が有るエリアでは自宅やその周辺でテント生活するのは無理かも知れませんが、そうでもないエリアでは自宅のトイレを使えるケースが多いとか食糧備蓄を頻繁に取り出せるとかの利点が有って、避難所での様々な問題を回避できるはずです。
 あれだけ強い地震がここ数年内に多発していたエリアなのに、何でテントや薪ストーブやバーベキューコンロ、薪や木炭などを備蓄していなかったのか?はわかりません。
 水については飲料水(1人1日最低2Ⅼ)以外なら貯めておいた水道水とか貯めた雨水を自宅の庭などに確保しておけばある程度の用途に使えます。
 もし自宅が倒壊してそのキャンプ用品などが取り出せなかった、と言うケースが有ったとすれば、それは今後の防災対策として良き教訓になるかと思います。
 「津波で流されたり建物が倒壊したりするような場所にキャンプ用品や水を保管してはいけない。」

仕組みとアプローチ -  近年の大地震が尋常ではないと思う理由

2024-01-07 22:35:35 | 火山 地震 津波 
 新年早々、石川県能登地方で発生した大地震ですが、この地震で金沢城(現在は金沢城公園)の石垣が4か所で崩落し、金沢城公園と、隣接する兼六園を臨時閉園となりました。
 金沢城については次の通りです。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%B2%A2%E5%9F%8E

築城主 佐久間盛政
築城年 天正8年(1580年)
主な改修者 前田利家・利長
主な城主 佐久間氏、前田氏
廃城年 明治4年(1871年)
遺構 長屋・門・櫓・土蔵・土塀
移築能舞台・石垣・堀
(中略)
金沢城(かなざわじょう)は、加賀国石川郡尾山(現・石川県金沢市丸の内)にある日本の城。江戸時代には加賀藩主前田氏の居城だった。城址は国の史跡に指定されており[1]、城址を含む一帯は金沢城公園(かなざわじょうこうえん)として整備されている。
(中略)
2024年(令和6年) - 1月1日に発生した令和6年能登半島地震の影響で、4か所の石垣が崩壊。[14]翌2日より安全確認が取れるまで当面の間、公園内と兼六園を臨時休園とし、開催中の夜間開園及びライトアップの中止を決定した。[15][16]

引用終了

 金沢城が強い地震に遭ったのは何も今回だけではないのですが、過去の大地震で石垣が崩落したかどうかと言う記録は今の所、ネットでは調べ切れていません。
 ただ今回が初めての石垣崩落だとしたら、1580年の築城以来、440年以上で初めてと言う事になります。
 そう言えば熊本地震の時には熊本城の石垣が崩落しました。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E6%9C%AC%E5%9F%8E

熊本城(くまもとじょう)は、熊本県熊本市中央区(肥後国飽田郡熊本[注釈 1])にあった安土桃山時代から江戸時代の日本の城。別名「銀杏城(ぎんなんじょう)」[1]。

加藤清正が中世城郭を取り込み改築した平山城で、加藤氏改易後は幕末まで熊本藩細川家の居城だった。
(中略)
熊本地震以降
2016年(平成28年)4月14日21時26分以降発生している最大震度7の熊本地震の前震と本震(4月16日1時25分発生)など、相次ぐ揺れで被災した[9]。

4月14日発生の地震では、石垣の一部が6箇所の崩落のほかに石垣石の落下が複数個所で確認、重要文化財の長塀が長さ100メートルにわたって倒壊[10]。天守・櫓の屋根瓦や鯱も落下[10] と報じた。

本震の4月16日未明の被害については、熊本城総合事務所は「余震のため状況確認ができていないが東十八間櫓と北十八間櫓が倒壊した模様」[11]。その櫓の一部が隣にある熊本大神宮境内建物の屋根を突き破った[12]。

2016年6月10日の熊本市議会で石垣の被害について報告があった。熊本城の全石垣約7万9000平方メートルのうち、50カ所の約2万3600平方メートル、517面で石垣の崩落、膨らみ、緩みがあった。そのうち、崩落は50カ所、229面におよんだ。建物は前震のあった4月14日の時点では重要文化財建造物10棟に被害が確認され、その内長塀は80メートルの倒壊、瓦・外壁落下など9棟であったが、本震のあった4月16日の時点で、倒壊2棟、一部倒壊3棟。他は屋根・壁破損など、重要文化財建造物での被害は13棟となった。 そのほかに、復元建造物の被害は20棟におよび、そのうち倒壊は5棟。他は建物下部の石垣崩壊や屋根・壁の破損などの被害が報告された[3]。石垣の大きな崩壊の原因の一つとして、石垣の上に樹齢50-100年の大木が立っていたことを環境建築研究者の岡田好勝は指摘している。樹木は地上の部分の方が根よりも重く、枝の広がりもあって、根は揺れによるモーメントを根回りの土壌に逃がそうとする作用が働き、その反作用で根が埋まっている周辺の石垣に相当な圧力をかけたため崩落を助長したとする主張である[13]。
(中略)
石垣
清正は特に石垣造りを得意とし、熊本城では、始め緩やかな勾配のものが上部に行くにしたがって垂直に近くなる「武者返し」と呼ばれる形状の石垣を多用している。熊本城で使用されている武者返しは慶長の役の際に朝鮮に築かれ、難攻不落と呼ばれた蔚山倭城(うるさんわじょう)に使用した築城技術を元にしたものである。上益城郡山都町にある通潤橋は、江戸時代末期にこの熊本城の武者返しの石垣をモデルに架けられた。江戸幕府の仮想敵であった薩摩藩に対する備えとして建造されているため、南側が非常に堅固(その分北側がかなり手薄)な構造になっている。この構造が西南戦争で薩摩軍の包囲戦をしのぐことができた要因の一つとなっている。熊本市役所前の石垣は、長さとしては日本最長である。
2016年の熊本地震の際には石垣の約3割が崩落する被害を受けたが、その際、崩落した石の側面から建設時に石工が祈念や地鎮のために描いたとみられる「人形(ひとがた)」と呼ばれる人物の線刻画が発見された[24]。

引用終了

 この内容からすると、加藤清正の頃にこの石垣が作られ、その後に何度か大地震に遭っても石垣は崩落しなかったのに、2016年の熊本地震で初めて崩落したと言うように見えます。
 これは地震だけでなく大木が有ったからとの説もあるようですが、過去にも同様に大木が有ったのに崩落しなかったのかどうか、と言うのが定かではない為、大木が要因とは断定しきれていないと言うところでしょうか。
 金沢城にしても熊本城にしても400年以上、大地震の時も崩落しなかった石垣が仮に初めて崩落した、と言う事だとすると、やはり近年からの地震の活発化が尋常ではないのかもしれない、と考えてしまいますがどうでしょう。

仕組みとアプローチ -  能登地方の地震被害が大きくなったもう一つの理由と考えられる事象

2024-01-07 11:04:47 | 火山 地震 津波 
 大きな被害となってしまった石川県能登地方の大地震ですが、原因についてはその震度が7で有った事や発生時刻が16時10分と言う夕食の準備時間の世帯が多かった事、津波を伴っていた事などが挙げられています。
 既に指摘されている要因以外に何か無いかと筆者なりに調べている内にわかって来た事が有ったので記事にしてみました。
 結論から書きますとそれは「地震の強大化パターンがこれまでに無かったものだから」と言う事です。
 2004年以降、能登地方は何度か強い地震にみまわれていて、今月1日の16時18分までの有感地震で震度5弱以上について抽出すると次の通りです。

                        Mj 最大震度
2024年1月1日 16時18分ごろ    石川県能登地方 6.1  5強
2024年1月1日 16時10分ごろ    石川県能登地方 7.6  7
2024年1月1日 16時06分ごろ    石川県能登地方 5.7  5強
2023年5月5日 21時58分ごろ    石川県能登地方 5.8  5強
2023年5月5日 14時42分ごろ    石川県能登地方 6.3  6強
2022年6月20日 10時31分ごろ 石川県能登地方 5.0  5強
2022年6月19日 15時08分ごろ 石川県能登地方 5.2  6弱
2021年9月16日 18時42分ごろ 石川県能登地方 5.2  5弱
2020年3月13日 2時18分ごろ    石川県能登地方 5.4  5強
2008年1月26日 4時33分ごろ    石川県能登地方 4.8  5弱
2007年3月28日 8時08分ごろ    石川県能登地方 4.9  5弱
2007年3月25日 18時11分ごろ 石川県能登地方 5.3  5弱

 このデータを見てわかったのは、「今度の元日に発生した震度7の地震はその前に震度5強の地震が発生しているにもかかわらず、それを上回る震度7の地震が、しかも当日に発生した」と言う独自の事象が有った事です。
 これ以外では震度5弱以上の地震が発生してもその後10カ月はそれより強い地震は発生していなかたのです。
 つまり「震度5弱の地震が発生してもそれより大きい地震、つまり震度6弱以上の地震は当分発生しないだろう」と言う感覚が有った人達ももしかしたら多かった、それで特に急いで対策したりもせず、いつも通りに夕食の支度を始めた、と言うケースも少なく無かったのかも知れません。
 実際はどうだったのでしょう。
 「地震の強大化のパターンが当地ではこれまでにないものに変化した」、と言う今回の事象は能登地方に限らず他のエリアでも今後の災害防止に役立てたいものです。

 

仕組みとアプローチ -  国内は大地震となってしまった年初

2024-01-04 13:28:44 | 火山 地震 津波 
 新年早々、国内は能登地方で大地震が発生し、その後に被災した能登地方に救援物資を運ぶために離陸しようとしていた海保の固定翼機とJALの旅客機が羽田空港の滑走路で航空機同士の衝突と言う大事故となってしまいました。
 地震の方についてですが、去年5月7日に書いた記事、サブタイトル「国内の大地震 果たして次はどこなのか? 不気味な空白域を考える」の中で筆者の個人的な見方に過ぎませんが「2018年の大阪府北部地震(東経135度37.3分)と2007年の能登半島地震(東経136度41.1分)の各震源域に挟まれた東経のエリア」と書きましたが、その東端よりさらに僅かに東で今回の大地震Mj7.6が発生した事になります。
 これで今後更にもっと東側に大地震の震源が広がって行くのか? それとも反対に西の方や南西の方に大地震の震源が広がって行くのか? それとも今回の地震多発は一服して鎮静化するのか? 果たしてどれなのでしょう。
 現状の技術ではそれはおそらく誰にもわからないと思います。
 備えあれば憂い無し。