風と僕の歩調

釣りが好きで、台所に立つ事が好きで、音楽が好きで、毎日の暮らしの中で感じたことを僕の言葉で綴ります

広島県豊田郡安芸津町 №2

2010年01月12日 | 回想録
GENKIさんからのトラックバックより
このブログを通じて、僕の故郷の方と出会いました。

8年前、福岡まで祖母のお葬式に出た後、育った広島の地を訪ねました。
計画を立てた旅ではく、思いもよらない不思議な経過を残しておこうと記憶をたどりながら当時綴ったものです。


昨日よりの続きです。


ホームに降り立ったのは、三人だけだった。改札を抜け駅舎を見渡す。
驚いたことに何一つ変わっていない。待合室の木の長椅子も、駅前広場からの町並みも、まるでタイムスリップしたかの様に、ぼくを迎えてくれた。

「裏行って来るけー、見とって!」

売店のおばちゃんが、一人しかいない駅員さんに声を掛けながら、好奇なまなざしでぼくを見る。人口一万にも満たないこの町では町民でないことがすぐ解るのだろう。
感動でもない、寂しさでもない、懐かしいという言葉では言い表せない不思議な感覚が沸き上がってくる。一期一会、この時を一秒でも逃すまい。
今朝、父には「ちょっと寄ってから帰るから」って別れたが、ここに泊まろう、そう決めて駅を後にした。

駅前広場を右に曲がると三津商店街だ。何だか記憶より狭い道を辿る。
ここは、覚えたばかりの自転車で転んで車に引かれそうになったところだ。
ガードをくぐり海側へ出る。ここに映画館があったのに今はない。「ガメラ対ギャオス」・「巨人の星」など、上映されると町中の小学生が集まってきたかのようにすごい熱気だった。

小学校4年生までの十年間が、歩く毎に、角を曲がる毎にフラッシュバックしてくる。国道185号線の角に町に二軒しかない喫茶店の一軒「T」。ここは碁会所になっていて父の仲間が集まっているはずだ。父が「寄って行きなさい」と言っていたが、通り過ぎる。寄れば「突然どうしたん!懐かしいのう」と歓迎されるだろう。しかし、通り過ぎた。
さっきから、気になっていたがこの町には活気がない。商店街も閉ざされたシャッターが目立つし、一軒しかないパチンコ屋も人がいない。心を被っている今の気持ちを、あえて言葉にすれば(憂い)なのかもしれない。誰にも束縛されることなく、自分だけの意思で過ごしたい、普段の生活では味わえない孤独感を体験するのもいいだろう。
素泊まり四千円の、「吉田旅館」に荷物を置き、夕方まで散策を決めた。酒屋でチーカマと、サンドイッチ、缶ビール買い、まずは海へ向かう。さっきから、いや、駅を降りた時からだろう潮の香りが心地よい。路地いっぱいにチョークで絵が書いてある私道ともつかぬ道を抜けると、牡蠣割りの作業場にぶつかった。
長屋の中でおばさん達が作業している。
この先に防波堤が見えるがどうして行けばいいのだろう。

「今、ええ男通ったけー」

後ろからどっと笑い声がする。振りかえると窓からおばさん達の顔だけが出ている。目が合うとひゃーと奇声と共に引っ込む。

「こっち見とったよー、恥ずかしいけーのー」

恥ずかしいのはこっちの方だ。恐る恐る聞いてみる。

「あっちの防波堤の方に行きたいんですが・・」
「あんたええ男じゃけーここ通ってええよ」

またどっと笑い声。この町に活気がないと思っていたが、少しだけ安心する。
「どうもありがとう」
まだ、何か言っていたが本場の広島弁は理解出来なかった。
そう言えば、二十歳の時、十年ぶりに訪れた時もそんなことがあった。黄色いカバーのランドセル背負った男の子が、
「ワシ、一回いんでから行くけーのー」
と、大声張り上げていた。
「ぼく、一度お家帰ってから遊びに行くからさー」
東京の子だとこうだろう。小学校一年生が、菅原文太ばりの迫力だったのを思い出した。もしかしなくても、ぼくもそんな子だったんだろう。小五から東京のど真ん中、文京区に転校した時は、方言とイントネーションでよく笑われたものだ。

長く延びた防波堤の先端まで行くと、待ってましたとばかり缶ビールのタブを引き抜いた。

五臓六腑に染み渡るとはこのことだろう。本当だったら、広島駅でお好み焼きといっしょだったが、波のない寝そべった瀬戸内海を眺めながらのチーカマは、格別のご馳走である。
紅葉で彩られた低い山並みと秋晴れの空、上空では鳶が輪を書き鳴いている。コントラストが美しい。なんて良い所なんだろう、ここでぼくは育ったんだと改めて思う。子供達を連れて来たかった。
お父さんは、ここで生活してたんだよ!すごいだろう、って。


                                つづく
コメント
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