風と僕の歩調

釣りが好きで、台所に立つ事が好きで、音楽が好きで、毎日の暮らしの中で感じたことを僕の言葉で綴ります

秋の気配を感じて「青りんごの思い出」

2021年09月14日 | 回想録

ここ、二、三日前から金木犀の香りを乗せた秋の風が頬を撫でます。

そしてこの金木犀を胸いっぱい吸い込むと、何故か小学校の運動会を思い出し青ミカンの香りもついてきます。

五感の中でも匂いは過去を鮮明に導いてくれるといいます。

香水とかね。俺は関係ないけどね。

春を告げる沈丁花も一つ。

新しい教科書と工作キッドの粘土が連動します。

もう50年以上前の事なのに。

 

匂いでいうともう一つほろ苦い記憶が想い返されました。

それは「青りんご」

確か小学校3年生だと思います。

ランドセルを家に置いてすぐ友達と近くの野山に遊びに出掛けたある日の事です。

遊び疲れた夕暮れ時、その山の中腹にあった「農林試験場」(当時僕らはそう呼んでいました)現【広島県立総合技術研究所農業技術センター果樹研究部】にたわわに実った果物を見つけ中に忍び込んだのです。

当時、自然の中で遊ぶ僕らは、柿やイチジク、アケビにビワとかが野山に実り自然のおやつに恵まれていました。

なんの果物に惹かれて忍び込んだのかは思い出せないのですが、

お腹を空かせた小学生は果物を物色していると、

「こらぁ~」と大人の人が現れいきなり捕まってしまったのです。

神妙な気持ちで施設の中に連行され、ここで待ちなさいと暫し大きな部屋の片隅に座らされました。

僕らは、「警察に連れていかれるのかな」とか

「学校とか親に連絡されるのかな」とか、

まだ9歳の脳みそで、人生終わった感ほど重い気持ちで暫し佇んでいたのです。

ドアが開き、さっきの大人ともう一人女性の職員さんが、

大きな皿に切ったリンゴを乗せて入ってきました。

「今度来るときは玄関から入りなさい」

「お腹すいたでしょ。これは青りんご、今新種改良してるんだよ」と差し出されたのです。

親と先生に叩きのめされる事を想像し、思考回路が止まっていた僕たちは、

楊枝に刺さった青りんごを涙と一緒に食べました。

食べ終わった後、施設内の見学、大きなビニール袋に青りんごの入ったお土産まで頂きました。

青りんごの飴やガムを食べると、

あの日の香りと、名前も顔も忘れてしまったあのお兄さんとお姉さんへの感謝の気持ちも蘇るのでした。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族の軌跡とこれから

2018年11月17日 | 回想録
まだ子供達が小さかったころ家族でハイキングよく行ったものです。
お弁当作って、高尾山や、奥武蔵とか、奥多摩とかね。
細い山道を一列になって歩く中、我が家族は暗黙のルールで点呼を取っていました。
先頭が、「いち!」と叫ぶと、順に「に~!」、「さん!」とね。
子供達は、我先に「いち~!」が言いたくて楽しみながら登って行ったのもです。
当時は「ごおっ!」までいました。

長女、長男が親と行動を共にすることも無くなり、
暫く下の子が元気よく「さん!」と付き合ってくれていました。

先日、とある山道を散歩中「いち!」と叫んだら「にっ!」と返ってきました。
でも、その後に続く声はもうありません。

そのうち「いち!」って言っても誰も返ってこない日が来るんだねと、しろくま君。

眼下に見渡す町並みを眺め、
冷たい風を感じ、押し寄せる寂しさに覆われました。

今を大切にしないとね。
二人はまた一歩ずつ登り始めました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老人ホームでのボランティアコンサート

2017年04月30日 | 回想録
随分ご無沙汰しておりました。
もう二週間前の事だけど、
仲間達の協力もあり、はにかんでた娘も楽しそうに両親の前で演奏してくれました。
押し入れから引っ張り出し弦を張替えギターを再開して2年。
42年共にした木曾スズキのギターも娘に抱えられ良い音色を奏でてくれました。
入居者の方々も喜んで頂き握手まで求められてね
本当に歌を始めて良かった!
これからの人生が豊かになりそうです。

ではアヴァロン君と木曽スズキ君の2ショット



次の目標はライブハウスで娘と共演すること。
まだまだ先になるけど夢叶いますように
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『帽子の思い出』 愛知万博にて

2015年08月09日 | 回想録
今日は、エアコンの効いた部屋で、高校野球を眺めつつ時間を気にせず新聞に目を通しました。
目に留まったのは読売新聞の【気流】のテーマが「帽子」

帽子は一生似合わない僕ですが、
遠い昔、帽子にまつわる思い出が浮かんできました。

それは11年前、なんかの景品で愛知万博のチケットが抽選で2枚当たり、パートの白クマ君と夏期講習の長男を残し、二人の娘と一泊二日の珍道中に出かけた時のことです。
当時、かたや原宿エンジョイ娘の高校二年生、もう一方は、公園のブランコ&滑り台を至福の時だと言いきる小学校1年生のワガママ娘2匹を引き連れて、はたしてこの旅は成立するのだろうか・・・と、一抹の不安を感じながら玄関を後にしたのです。

いきなり新幹線を降りると、次女の買ったばかりの帽子がないことに気がつきました。

旅行鞄と一緒に上の棚に帽子を投げ入れ、鞄だけ取って新幹線を下りてしまいました。
悪いのはお父さんです。
着いたばかりの名古屋駅のホームでクマゼミの鳴き声の音量で口撃を受けました。
滴る汗をぬぐいながら、忘れもの相談室で事情を説明し、手続きをし、それだけで疲れ果ててしまったのです。
旅行から帰ってきて二日後に帽子も帰ってきましが、帽子は別の旅を楽しんでいたのかもね

その後、出鼻をくじかれ信用を失墜したお父さんは、
「暑いよ~も~疲れた。これからどこ行くの~」と、ふた事目には暑い暑いと言う娘達に、
まるで、下僕か奴隷か、ジュースに、アイスに、カキ氷を走りまわっては調達しご機嫌をとっておりました。

でもね、時間が経つにつれ、母親のように次女の世話をする長女や、母親がいないと次に頼るのは父親、と生きるすべを知っているかのような次女の態度に、すっかりイキ投合しまして、三人組は愛知万博を同心に帰って楽しんできました。

あれから11回目の夏。

お互い仕事で忙しい長女とは会話も少なく、あんなに慕っていた次女も相変わらず上から目線です。


寂しいなあ・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小雨の降る裏路地の出来事

2013年11月09日 | 回想録
実は、会社が移転しましてあわただしい日々を送っていました。

遡る事引っ越す3日前の出来事でした。
最寄駅の池袋へ小雨降る中、静かな裏通りを歩いていると突然「ドサッ」と、大きな音がしたのです。
振り向くと、人がマンションの植え込みのブロックに手をついて前屈みに倒れていました。
見ると、60代のお酒に酔ったお爺さんが起き上がれずにいたのです。

「大丈夫ですか?」と、

声を掛けたものの途方に暮れていると、向かいの居酒屋から颯爽と長身のお兄さんが現れました。
そのお兄さんのお陰でお爺さんを抱きかかえブロックに座らせて事なきを得たのです。
それほど酔った風でもなく足腰が弱く起き上がれなかったとの事。
しばらく休んでお帰りになるとお話されました。


で、気になったのはこの居酒屋!
こんな所に居酒屋なんぞ無かったはず。

聞くところ10月23日にオープンしたそうな。

あのさ、17年間過ごしたこの界隈で引っ越す一週間前に開店されたのね。



とても気になるお店の佇まいに嗅覚センサーがランプを灯しました。

つづく

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遠い昔の『消火器の思い出』だよ・・・。

2012年09月16日 | 回想録
おはようございます

昨晩は、仕事で走り回って夜中に帰ってきたのに、早朝から防災訓練でした。
10分遅刻して指定避難場所に到着すると、各自治体の参加者が大勢お集まりになっていました。



消防車に 

 

救護活動、簡易トイレの設置、炊き出しに本格的です。



煙避難体験
ごまかされてけむに巻かれそうになったことはあるけどね。
本物の煙りに巻かれるのは始めてです。

そして消火訓練。



ふと、消火器を見ているうち遠い遠い苦い過去を思い出しました。

では、超脱線
消火器の思い出の始まりです

昔々、あるところに新婚さんが住んでおりました。
お休みの朝の事です。当時、若かったシロクマくんが台所で悲鳴をあげました。
寝ていた僕は、慌てて見に行くとガスレンジから天井近くまで火柱が上がっていたのです。

「火事だっ!」と思った僕は、アパートに備え付けの消火器を持ってきては、
有無も言わさず安全ピンを抜き火柱に向け消火剤を発射しました。
起きてから10秒!瞬時に火は鎮火したのです。

ところがです。
消火器の中身が止まりません。説明を読もうとホースを離すと大暴れの蛇の如く、後から後から白い粉がものすごい勢いで吹き出して来るのです。
お陰様で6畳の台所全てが消火剤で真っ白。
安全ピンを抜くと全部出尽くすまで止まらないのを初めて知りました。


我に返り火元を見ると、『黒焦げの鯖の切り身』が真っ白にお化粧をされていました。

君が犯人だったのね

真っ白になった部屋で、ヒーローに成り損ねた僕は消火器を持ったままシロクマくんを見ると、なんとも言えない呆れ顔をされていました。

多分、そのままにしていても火は収まっていただろうと鯖の大きさを見て理解出来ました。

寝起きだったしさ・・・。

その後、掃除をするのに丸二日、粒子が細か過ぎるのか掃除機まで壊れてしまいました。

教訓

『消火器は安全ピンを外すと止まりません


脱線のまま おしまい。

『防災訓練』のタイトルも変えました

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

結婚式での『讃美歌』

2012年02月06日 | 回想録
結婚式でのお話です。

牧師さんが外国人特有のイントネーションで、
「それでは~、皆様ぁ~ごっ起立下さ~い。賛美歌を~歌いましょう~」と促しました。
みんなゴソゴソと起立します。

このシーン、賛美歌でいつも思う事なのですが、自分のキーが合わないと低音で歌えば良いのか、オクターブ上げた方が良いのか迷うのです。節によって上げたり下げたりいい加減に口先だけで自信なさげに口ずさみます。
それって自分だけではないと思うのですよ。

だいたいね。教会より社寺仏閣がお似合いの方々が前列を占めます。信者でもない限り、普段耳にすることもないだろうし、カラオケ行って「今日は、讃美歌でも入れちゃおうっかなっ!」って人もいないしね。
口パクやボソボソ声で歌うのが常なのです。

ところがね。

パイプオルガンの前奏の後、素晴らしい歌声が教会に響き渡りました
教会の計らいで合唱団が入って来たのかと思いきや、
なんと、
歌っていらっしゃったのは、後列の列席者、新郎新婦の友人達なのです。
二番からは綺麗にハモり始めました。

思わず、牧師さんも「ブラボー~」なのか、「ワンダホー~」なのか驚きの表情です

『クリスマスの約束』を思い出しました。

あとで分かったのですが、新郎新婦は学生時代、合唱団に所属していたとのこと。

まさに腹式呼吸の美声、思わぬサプライズに感激でした。
素敵でしたよっ!

でも君達、カラオケで『讃美歌』歌ってるでしょ


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二十数年前のコーヒーの香り 『けせらんぱさらん』

2011年12月30日 | 回想録
その、喫茶店は、二十数年前と変わらない佇まいでその場所にありました。
20代の頃よく仲間と通ったお店。
本物のコーヒーの味なんて知らないくせに、背伸びしてね。
口を付けて苦みを味わうと、
「大人の味だね・・・」と誰かが言ってました。
もう、立派な大人なのに・・・。


「けせらんぱさらん」


通っていた本当の理由は、友人が勤めていたからなのです。
マスターの元で修行を積んで、将来、喫茶店を持つというのが彼の夢でした。

その後、バブルがはじけて一杯400円のコーヒーだけでは商いが出来ない時代に突入しました。

昭和の時代の喫茶店は、入ると「カラン、カラーン」とカウベルのような音がしてね。
店のカウンターには、成り立ての大人から見ると、人生のすべてを教えてくれそうなダンディな髭のマスターが渋い表情でコーヒーを挽いていたものでした。
穏やかなゆっくりとした空間がそこにはあったのです。

やがて時代の流れが速くなり「喫茶店でのんびり」といった行為が見られなくなると、駅前にはドトールから始まり、スタバ、ベローチェと、コーヒー豆直輸入の会社が昔ながらの喫茶店とは、趣を変えてコーヒーを飲ませるようになったのです。

彼の夢も儚く消えました。

「けせらんぱさらん」のマスターと当時の話をしていると、
貴方の友達は今もこのお店に息づいてますよとおっしゃいました。

このお店の、「その場で作るチョコレートムース」は、彼が作ったのだそうです。
「新しいメニューのイメージを湧かせ、食材を決めて、味を調えるまで、何度も試行錯誤しながら、原価を計算して売値を決める」
「彼は一生懸命取り組んでました」との事。

思わず、彼の生み出したメニューを注文しました。



表面は、溶きチョコレートの膜で覆われ、ムースはビターな大人の味です。
なぜか、当時の彼の顔が浮かんできました。
おまえ、こんな凄いの作ったんだ。


最近、会ってないけど正月には会えるかな




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『柿』の思い出

2011年12月14日 | 回想録
柿の美味しい季節になりまた。軒先では、鳥達の餌になっていますが果物屋さんには見事な柿が今でも並んでいます。
でもね、昔は買うのでなく、もいで食べる果物でした。他にもイチジクとか、ザクロとか、ビワとかね。自然の中、季節と共に豊かに実っていたのです。
広島に住んでた家にはさくらんぼの成る桜の木もありました。話しは脱線するけどさくらんぼを食べるのに二度ほど木から落ちた記憶があります。
危険なおやつの時間だった訳です。

話は戻りますが、久しぶりに早く帰れた本日、中学生の頃の思い出を語ります。
聞いてやってくださいな。

秋の夕焼けに染まった帰り道、友達のTと、軒先や道端になっている柿をおやつ代わりによく食べていました。
しかし、なっている柿すべてが甘い訳ではありません。そこには、とてもとても危険な、そして恐怖のロシアンルーレットのような掟があったのです。つまり、校門を出て柿の実を見つけるたびに公平性を保つ為、順番に毒味をするのです。
渋柿だと正直に口から吐き出してアピールする訳です。
甘い柿に出くわすと、満面の笑顔でピースサインを送り、やっとおやつにありつくのです。その後、犬のマーキングのように記憶しておくわけョ。
まさにフロンティア精神、「柿の実調査」実行部隊なのでした。

ある日の帰り道、その柿の木は、武蔵野線の脇に大きな実をたわわに実らせておりました。形も過去の経験から渋くはなさそう!順番は僕の番でした。

ジャンプして小枝をつかみ色付いた一つをもぎ取ります。見守るTもそいつは旨そうだな~と呟きました。
僕は、学ランの袖で拭きながら、笑顔でがぶりとやりました。
すると、想像していた甘い感覚とは違い、今まで経験した事のない位の強烈な渋みが口いっぱいに広がり舌が麻痺していきました。

その間約一秒、僕は思わずTに背を向け背中を丸めこの地獄の痛みと渋みに耐えたのです。

「オイ、どうなんだょ」と聞いてくるT。

まだ気がついていないようです。
まるで閻魔様に舌を抜かれるほど地獄級の渋みに襲われているのです。
閻魔様に抜かれた舌・・・。
僕は吐き出すのを我慢して、振り向きざま
「今までで超最高」笑顔で叫びました!

Tがもぎ取ってがぶり付くまでの時間がとても長く感じました。
口から吐き出した量は彼のほうが多かったようです。

麻痺した口調で、「だましたな~」に答えて、
「超最高に渋かったって言おうと思ったんだけど舌が麻痺しててさっ~」と言い訳しました。

二人は、しびれの効いた口で罵り合いながら長い影を引いて仲良く帰りました。

追伸:
次の日から二人は一人ずつ「渋柿の木閻魔様」へ仲間を連れていき人身御供としましたとさ

おしまい

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寒い夜更けの独り言

2011年01月28日 | 回想録
昨日、休みの日にギターをいじってみました。
ピックを入れた小物入れを取り出そうと、本棚の下の引き出しを覗いたところ、
忘れ去られていた昔の譜面や、大学ノートになぐり書きした詩の数々が出土しました。

懐かしいな・・・。と、同時に恥ずかしさがこみ上げてきたよ。


中にはエントリーして生き残ってバンドで練習してステージで歌った曲もありました。
アマチュアでもさ、段階があるのよ。
メンバーに認めてもらう為の厳しい審査。
スタジオでみんなの顔色伺いながら披露したのを思い出しました。


あとね、友人、知人の結婚式で歌を作ってピアノで弾いた曲も。
歯が浮きそうな詩です。

でもね、どうしても作れず間に合いそうになくなると、
新郎に出席者聞いてさ、
おお・・かぶってないぞ・・・。と思いきや、前に誰かのために作った持ち歌を練習し始めます。

そして当日、

「本日は、おめでとうございます」
「今日は、君たちの為にこの歌を作りました♪」って使い回ししたりね。

これから、恥ずかしいけどいくつか紹介してみようかな・・・



今日は、とりとめもない独り言。
今晩ここ関東地方もぐっと冷え込みそうです
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする