風と僕の歩調

釣りが好きで、台所に立つ事が好きで、音楽が好きで、毎日の暮らしの中で感じたことを僕の言葉で綴ります

親父の容態がさ・・。

2020年09月21日 | 独り言

一か月近くご無沙汰していました。

いろいろありまして、いろいろ考えました。

 

その日、熱を纏った空気が漂う夕暮れ時、老人ホームから親父を救急車で運ぶとの連絡がありました。

得意先とのアポを取り止め搬送先の病院に辿り着いたのです。

診断は「慢性硬膜下血腫」

人生4回目の頭蓋骨に穴を空け血を抜く手術が即行われました。

脳梗塞ではなく硬膜下血腫は血を抜けば治るので、

安心して入院手続きとコロナ禍での面会の心得を聞き、日付が変わるころ病院を後にしたのです。

それから一か月、未だに意識が戻りません。

搬送された総合病院では、寝たきりの治療しない患者をそのまま入院することができない為、

受け入れ先の病院を見つけてもらい転院。

ソーシャルワーカーさんと高額医療制度、身体障碍者の申請の時期、老人ホームの解約等バタバタしまして、

会社を休むとその反動で仕事が大変なことになり、老体に鞭打って頑張ってきた次第です。

ある御仁がFacebookもブログも呟かないから「どうしたの?」と連絡いただき我に返りました。

疲れたよ・・・。

 

お医者さんから、カテーテル静脈点滴や胃瘻の説明を受けまして、改めて母親の時と一緒だなと思いました。

うちの両親は「ピンピンコロリ」ではなく、ゆっくり、ゆっくり命の灯が消えていくタイプなのかも知れません。

倒れる前の、たどたどしい父との会話を思い出すと、ほとんど記憶が薄れている様子でした。

命を全うするとは、

この世に生まれ、親から学び、人と出会い、感性を磨き、知識を得て、人格を形成し、

山あり谷ありの人生を歩んだ後、

命の灯と同じくして、すべての記憶も消えてしまうのかも知れません。

これはさ、沈思黙考するにとても切ない気持ちになります。

 

永六輔さんの名言の中に、

本人の記憶が無くなっても、残された人たちの心に残り、

そして残された人の記憶も無くなった時、「二度目の死」が訪れるとありました。

 

 

 

 

コメント (2)
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