武井武雄をあいする会

童画家武井武雄が妖精ミトと遊んだ創作活動の原点である生家。取り壊し方針の撤回と保育園との併存・活用を岡谷市に求めています

武井武雄芸術の世界

2013年03月11日 23時03分15秒 | 武井武雄の世界
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金

 武井武雄の芸術は、大きく分けて童画・版画・刊本作品の三つの分野から成り立っている。
 その画風は独特であり、常に夢の極限を描き、見る人を幻想の世界にひたらせてくれる。
 作品の隅々にはユーモアがあふれ、子どもから大人まで、だれもが温かみや親しみをもてるのも大きな特色であり、武井芸術は世界美術史上に確固たる位置を占めている。
 【→ イルフ童画館常設展示のページへ】

【童画】
 この言葉は、武井武雄が大正13年に銀座で個展を開いたとき初めて使ったもので、氏の造語である。
 「児童画」が子どもの描いた絵であるのに対し、「童画」は、子どもにも大人にも夢をあたえる絵画で、童心が強調されたものである。また、童画は、主にペンテル絵の具によって精密に描かれ、人の心に大きなやすらぎと感動を与え、子どもたちをメルヘンの国へと誘い、大人たちには過ぎ去った日への郷愁と限りない幻想の世界へと誘惑する不思議な絵ともいわれている。
 かつて、児童文学が勃興した大正中期いらい「赤い鳥」「金の星」「お伽の世界」「子供之友」「コドモノクニ」「キンダーブック」「チャイルドブック」など数々の絵本や雑誌をとおして童画の世界が確立され普及してきたが、その中心的な担い手は武井武雄である。
 なお、武井武雄の代表作を載せた本「武井武雄作品集1」は、1975年「世界で最も美しい本」として、東ドイツ(当時)のライプチッヒにてグランプリ受賞の栄に輝いた。

【版画】
 武井武雄の版画には、日本の伝統的な木版画はもちろんのこと、西欧からの銅版画などに優れた作品があり、昭和13年の銅版絵本「地上の祭」は名作といわれている。また、郷土玩具を題材にした昭和5年の「おもちゃ絵諸国めぐり」、昭和19年の「武井武雄愛蔵こけし図譜」などの木版画集も代表作である。
 戦後まもない荒廃した日本で全国に先駆けて文化の灯をともすため、郷里岡谷に文化団体「双燈社(そうとうしゃ)」を結成して版画の指導・普及をはかり、現在の「版画の街 岡谷」とまで言われる基礎をつくり、今日の成人学校・社会教育に版画がとりあげられるようになったのも氏の影響によるものとされている。

【刊本作品】
 刊本作品は、「世に芸術もいろいろあるが、本という芸術もありうる」との信念から生まれたものであって、木版、孔版、石版、同版、陶版、瓦版などあらゆる手法、また、紙、布、寄せ木、セロファン、金属などさまざまな材料を使い、世界中の印刷様式をすべて使いこなし、詞文・原画・印刷・装幀・製本と何から何まで氏によって手がけ造られているので一冊一冊が造本芸術といわれている。
 かつて「文藝春秋」誌上で世界で最も価値のある珠玉のような豆本であると激賞され、限定約300部のため、多くの人々から”夢の豆本”として垂涎の的となっている。
 昭和10年の第1号いらい139冊が発刊され、ことに第31号「木魂の伝記」、第41号「ストロ王」、第108号「ナイルの葦」などは力作といわれている。なお、刊本作品を収納するための専用本箱20点も氏のデザインでつくられ、「本の住む城」とまでいわれる芸術品となっている。

西堀区編「にしぼり(区誌文集)」(平成9年)より


最新の画像もっと見る

コメントを投稿