武井武雄をあいする会

童画家武井武雄が妖精ミトと遊んだ創作活動の原点である生家。取り壊し方針の撤回と保育園との併存・活用を岡谷市に求めています

シンポジウムの模様がLCV-TV121で放映されます

2013年05月06日 16時31分22秒 | シンポジウム
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金
武井武雄を愛する会が開催した生家シンポジウム

テーマ:武井武雄とその生家について

講師:藤森照信氏(東大名誉教授、工学院大学教授)
   降旗廣信氏(古民家再生建築家)
   吉澤政巳氏(信濃建築史研究室工学博士)

司会:小口基實氏(庭園史研究家)

収録:2013年3月20日(水・祝)カノラホール

放送日放送時間
2013年 5月 6日(月) 10:00~、14:00~、20:00~、21:30~ 
2013年 5月 7日(火)  8:00~、12:00~、18:30~、21:00~、23:30~ 
2013年 5月11日(土)18:30~
2013年 5月12日(日)15:00~



武井武雄をあいする会シンポジウム(5) 参加者からのご意見・ご質問

2013年04月28日 15時43分35秒 | シンポジウム
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金

参加者(男性)
 責めるわけではありませんが、武井家住宅は今日まで野ざらし状態だったわけですよね。それがいざ壊されるということになったら、いやそれは大変に貴重なものなんだと。今まで市の方に、保存について強く要請してきたような方はいらっしゃらなかったのでしょうか。


小口代表
 私だけです。
 私の祖父は武井武雄さんと友達で、武井武雄さんの童画というのはすごく身近にありました。でも、「すごい人だな」とあらためて知ったのは、大学生になって、岩波書店の哲学全集で鶴見俊輔さんが武井武雄さんのことを10ページぐらいにわたって書いているのを読んだ時です。あの鶴見俊輔さんがこんなに高く評価している人なんだと思いました。
 武井武雄さんの家は、平成20年5月に岡谷市に寄贈されるまでは個人のものでした。その後、西堀区に「武井武雄の生家を考える会」が設置され、生家を保存することと、西堀保育園の存続を求める答申書が西堀区に出されております。ところが、このあいだ、西堀区から岡谷市へ主屋の取り壊しに賛成するという要望書が提出されてしまいました。これは、大変だということで、このシンポジウムを開催することになったわけです。
 私は、生家は価値があるから保存しようという運動を20年以上ずっとやってきました。千葉大学の大河先生に「どうしても!」ってお願いして鑑定してもらったこともあります。護摩札を全部下ろして調べて、一番古いものは享保12年のものだということを突き止めたりもしました。でも、正直なところ、私は今回はあきらめていたんです。そうしたら、いろいろな人から電話がかかってきて、「おい、いよいよ壊されることになったようだぞ。小口さん、応援するからもう少し頑張ってみないかい。」と言われて、「武井武雄をあいする会」を立ち上げることにしました。
 私は、世界的な童画家である武井武雄さんの生家の取り壊しを、西堀区や岡谷市の一部の人たちだけで決めてしまって、本当に良いのかと疑問に思っています。毎朝応援の電話がかかってきます。岡谷で300年後まで名前が残る人物は、片倉兼太郎と武井武雄しかいません。奇跡的に残っている生家をいま壊してしまって本当にいいのでしょうか。どうか皆さん、一緒に考えていっていただければと思います。


生家をめぐる経過の詳細はこちら


吉澤先生
 「機が熟す」ってよく言うんです。今、私、千曲市の稲荷山の街並み保存にも関わっているのですが、これもずっと放って置かれてきました。20年ほど前に一度、国の建設省サイドから街並み保存について仕掛けたことがありました。しかし、なかなかうまくいかなかった。今回は、珍しく地元の人にも話に乗っていいただいて、妻籠とか、奈良井とか、同じような流れになりつつあります。物事にはタイミングというか、建物っていうのはずっと放って置かれても、魂があるというのか、不思議なんですけれども、方向が変わってしまうということがあります。私は地元ではないのでよくわからない部分もありますが、今まで放って置かれたというのは、機が熟していなかったということだろうと思います。ただ、この建物は、先ほど藤森先生が話されていたように、何か大きな生命力をもった建物であって、そうじゃなかったら300年も取り壊されずに残っているはずがない。ぜひ大事にしてほしいと思います。



参加者(男性)
 今日いただいた資料を見ますと、イルフ童画館と生家とが二重投資であるという意見があると書かれていますが、岡谷市の財政的な話というのはどうなっているのでしょうか。


小口代表
 今、岡谷市は約90億円かけて新病院の建設をしています。生家をどのように活用するかにもよりますが、新病院の事業費の1パーセントあれば、保存・再生ができます。私は、市がその気になってくれれば、できない話ではないと思っています。


降幡先生
 今お金の話が出ました。再生工事というのは、今あるものが価値を生むために行うものです。歴史的なものの価値は金銭では計れない部分もありますが、例えば武井武雄さんの生家を5,000万円かけて再生すれば、倍の1億円以上の価値があるものとして蘇らせることができます。再生とはそういうものです。



参加者(女性)
 私は、今日、会員にさせていただきました。武井武雄をあいする会は、この後、どのような活動を展開されるのでしょうか。


小口代表
 生家の保存ということが目的ですが、具体的な活動内容は皆様からこれから募集したいと思っています。会誌の発行とか、命日の2月7日に墓参りをするとか、武井武雄さんのゆかりのある場所を訪れるなどということも考えています。



参加者(男性)
 上田市から来ました。私は上田城復元の審議委員にも加わらせていただいておりますが、上田城は文化庁に文化財として登録されておりますので、実はその区域の中は何も手が出せないんですね。武井武雄さんの生家というのは、文化財にはなっていないとお聞きしました。そうすれば、逆に、生家を活用する方法は、皆さんのパワーとアイデア次第で何でもできるぞと思いました。
 それから上田には、「たそがれ清兵衛」という映画で使われた丸山邸というのがあります。幕末から明治初期に地域のためにお金を出してくれた材木屋さんでして、その丸山邸の復元をしようとしました。そのお金をどうしようかという話になって、みんなのパワーが伝わらないと、国も県も市も動かないよということになって、私たちは復元の実行委員会を城下町活性化会という会から別に作りまして、費用の約3分の1を寄付で集めることができました。
 そこで質問なのですが、岡谷市は、武井武雄さんの生家の復元費用について、見積もったということはあるんでしょうか。


小口代表
 聞いたことがありません。


参加者(男性)
 行政の悪口を言うわけではありませんが、個人所有のものを寄付されても、やっぱりお荷物になってしまうから。これを残そうと思ったら、皆さんの熱意、パワーでお金集めをするということも大事だと思います。丸山邸の話をしますと、お金を集めて、いざ復元しようとしたら、火事になって焼けてしまいました。でも、焼け残った材木を使って復元しました。そうしたら、交通の便があまり良くないところなのですが、皆さん結構訪れてくださいます。
 先ほど、吉澤先生が言われた上田に1軒だけ残っている武士の家は、実は私の友人の家なのですが、文化財に指定されています。「文化財に指定されて、市からいくらもらっているだい。」って聞いたら、年間3,000円だそうです。市はいろいろやらなければいけないことがあるから、優先順位をつけてやっているんでしょうけど、市民の側も自ら動いていくことが必要だと思っています。武井さんの家は文化財に指定されていないそうですから、皆さんの熱意でいくらでも活かすことができます。上田からも応援をしていきたいと思います。



参加者(女性)
 私が、今日参加させていただいたのは、新聞に「今回の運動に最後の望みをかける」と書いてあったからです。絶対にこれは壊してはならないという決意をもって来ました。
 私は川岸の出身ですので、片倉兼太郎の銅像を造るときにも、こうしたことは私どもの代でやっておかないと未来永劫できないよねということで始めました。そうしたら思いのほか寄付が集まって、あのような立派な銅像ができました。それでもお金が余りましたので、余ったお金は今後のメンテナンスということで、全額岡谷市に寄付しました。
 正岡子規の子規庵というのが東京にありますが、正岡子規が亡くなった時の布団がそのまま敷いてあり、庭にはヘチマが植えられています。そこへ行ってみて、子規の偉大さを思い、そして34歳で亡くなったことを本当に悲しく思いました。武井武雄さんの絵はイルフ童画館に行けば見ることができますが、私にとっては、ガラスの中に入れられた美術品という感じで、東京に新しくできた美術館と何ら変わりません。しみじみとした体温を感じません。「あの時代に、あんなモダンなものを描いていたんだ彼は。」という感動は、やはり生家があってこそだと思うんですね。セザンヌにしても、ゴッホにしても、生まれ育った家を保存するだけでなくて、そこに絵の具をつけたパレットを置いて、それに観光客が感動しているわけです。
 岡谷の武井武雄ではなくて、世界中から注目されています。文化に理解がない岡谷市民が生家を壊してしまったと世界の人から言われないように、もし、寄付を募るのであれば、私も年金の中から寄付をいたします。全国に生家が壊されるということを知らしめて、保存するために寄付を集めるということが必要だと思います。今後の運動の方針というのをしっかり立てていただきたいし、お金が本当にどのくらいかかるのかということを示していただきたいと思います。


降幡先生
 今年の1月28日に、私は市長さんにお会いして、生家の保存をお願いしました。そうしたら、市長さんは、あそこは保育園を改築することに決まっているからと言われました。それで私は、両者を調和させるということで、児童図書館という案を提案させていただきました。ですが、私としては、あの建物は、武井武雄先生の生家だとして、あの場所に、あのままで保存するのが本式だと思っています。
 先ほど私は、5,000万円という話をしましたが、これは図書館にしたらいろいろ設備がかかるのでおおざっぱに5,000万円と言いました。ただ保存するだけであれば、もっと費用が安くなる可能性はあります。予算については、どのように活用するかによって、大きく変わってきます。ただ保存する場合、あるいは児童図書館にする場合、それぞれ活用方法がわかれば費用を見積もることができますので、それを皆さんにお示ししていくことは、この会を進めるに当たって必要なことだと考えています。


吉澤先生
 いい建物であることは間違いありません。先ほどのご意見にもありましたとおり、市民の熱意を示していくことも重要だと思います。壊してしまったら、のちのち後悔を残すということは歴然としていますので、そのことは承知してほしいなと、私からはそのことをお伝えしておきます。

武井武雄をあいする会シンポジウム(4) 吉澤政己先生の講演概要

2013年04月27日 22時24分57秒 | シンポジウム
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金



 吉澤です。よろしくお願いします。

 この建物の価値としては、武井武雄先生の生家だというのが決定的であって、これから私がお話しする信州の武家住宅としての位置づけというのは、いわば尾ひれの部分にあたる話になろうかと思います。

 木造の建物というのは、新築の時には柱に触ると冷たいですね。100年200年と経つと柱に温もりが出てきます。私たちは、この建物がどのくらい古いのかっていうのをざっと知りたいときには、触ったときのざらざら感と温もりで調べてある程度わかります。武井家は、享保12年のお札があるといいますから300年です。柱に触れば、温もりが感じられると思います。

 この間新聞に、ドイツで出版されるアンデルセン童話集の挿絵として武井武雄先生の童画が使われるという記事が出ていました。アンデルセンが育った家というのは、市が買い取って公共的なものとして保存をしています。やっぱりアンデルセンがそこで育ったという家があることで、世界中からそこを訪れる人に、文化的な感性を呼び覚ましてくれるわけです。

 信州の武家住宅は、今で言えば公務員宿舎であり、昔は相当残っていました。各藩に何百戸とあったわけで、合わせれば県内に何千戸とあったわけですが、現在残っているのはほんのわずかであります。各藩で2、3棟といったところでしょうか。
 例をあげますと、松代藩では重要文化財になっている旧横田家住宅、県の文化財になっている前島家住宅があります。上田藩では、中級武士の住宅が消防署の近くに茅葺き屋根で残っております。松本藩では、下級武士の住宅が2棟残っています。松本城の西堀の復原をやっていますが、松本には上級武士、中級武士の住宅はもうなくて、下級武士である徒士(かち)クラスの住宅として、高橋家橋倉家の2棟が残るのみであります。高遠藩では、眼科医でありました馬島家住宅が残っています。馬島家は、一時期は諏訪にいて、高遠藩に召しかかえられたという歴史をもっていまして、そのお宅は県の文化財になっています。それから、有名な伊沢修二先生の生家、これは下級武士であります。飯田藩にいきますと、柳田國男氏が養子になった柳田家というのが、これはもう取り壊されて、門と部材が残されています。それから、下級武士の住宅として福島家住宅が残っています。これは、武井家と同じ本棟造りであります。
 それで、高島藩はどうかということになりますと、お城の近くに志賀家住宅というのがありまして、これは諏訪市の文化財に指定されています。これは、ほぼ上級といえる格式の住宅であり、長屋門、主屋、土蔵、それから前栽(せんざい)と呼ばれる畑がセットで残っています。それから、お城の周りではありませんが、武井家住宅と渡辺家住宅が残っております。武井家はもともとは板葺き、渡辺家は茅葺きの建物です。
 信州の武家住宅で残っているのは、だいたいそのぐらいしかありません。

 武家住宅というのは、門塀、主屋、土蔵がセットなのですが、これは禄高による格式で大きさが決められていました。武井家は、長屋門がありますが、この長屋門だと格式が高くなりすぎてしまうんですよね。志賀家の長屋門よりも立派なぐらいの長屋門なので、あの門は、江戸時代後期から幕末ごろになって、武家とは違う庄屋というような意味合いで建てられたものかもしれません。そのような点では、主屋の方が明確に価値があるのかなと思います。

 上中級武士と下級武士の住宅の大きな違いは玄関です。下級武士の住宅には「式台」がありません。玄関を入ってから、座敷に上がるようになっています。これが、上中級武士になりますと、「式台」玄関になります。つまり、駕籠に乗ってきた武士が、外にある「式台」で降りてから玄関を入って、取次の間から座敷に入るという構造になっているわけです。武井家住宅については、だいぶ改造されていますが、これを丹念に復原していきますと、「式台」玄関になっており、中級武家の構えになっています。現在は改造されてしまっているのでわかりませんが、柱の痕跡などからみて、その辺がはっきり読み取れます。「式台」玄関は普段は使わないもので、お坊さんや上級の武士が来たときに使っていた特別なものです。家の人は、普段は「式台」玄関の横にある大戸(おおど)から土間に入っていました。

 農家でも「式台」のある家があります。これは、武家には格式によって決まりがあり、厳格に守られていたのですが、農家にはそのような決まりはありませんでした。これは、農家が自分のお金で建てなければならなかったのに対して、武家は、公務員宿舎ですから藩が建ててくれる、だから格式によってどういった住宅を建てるのかが決まっていたわけです。農家の「式台」は、多くは幕末から明治にかけて、養蚕などが盛んになって農家が豊かになってから、武家のお屋敷のまねをして付けたという場合が多いです。

 私からは以上です。

(注)「式台」の説明については、横浜市の本郷ふじやま公園内にある横浜市指定有形文化財である旧小岩井家主屋の写真等を使用させていただきました。

武井武雄をあいする会シンポジウム(3) 降幡廣信先生の講演概要

2013年04月21日 09時56分52秒 | シンポジウム
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金

 

 ただ今ご紹介いただきました降幡廣信でございます。

 常識的には、使われていない古い建物を壊して、新しい建物を建ててまちづくりを進めることには意味があります。しかし、私は、武井武雄先生の生家には、常識を超えた価値があると思っています。理由は3つあります。

 一つには、この生家は、多くの子どもたちに夢を与えた童画家 武井武雄先生の生まれ育った家であるという点です。武井武雄先生が岡谷出身であるという証(あかし)であります。生家が無くなってしまうと、だんだんに先生の影が薄れていってしまう。童画館や記念碑では、生家の代わりにはなりません。

 二つめは、江戸中期の民家は、全国的にみても極めて貴重であるという点です。残っているものがかなり少なく、この時代の生活を知る重要な手がかりとなるものです。もし、この建物が取り壊されたとすると、歴史文化に対する岡谷市の認識への評価が一変する。私は、岡谷市は歴史文化を非常に大切にするところだと思っているわけでありますが、こうした評価が一変するということであります。この点については、後ほど吉澤先生が説明してくださると思います。

 三つ目に、童画の父といわれる武井武雄先生の生家と保育園は、共存させることが可能です。具体的には、武井武雄記念児童図書館を保育園に併設することを提案します。建て替えられる保育園の一部に、武井武雄先生の生家を残しながら、保育園の子どもやお父さんお母さんが一緒に使うことのできるような児童図書館として活用するということであります。

 私は、本日、この三つ目のテーマについて、中心にお話ししようと思っています。

臼杵市立臼杵図書館のホームページより>

 実は、私は、九州大分の臼杵(うすき)というまちで、古い建物を再生してこども図書館とし、新しい図書館と併設して活用するということをやったことがあります。 この建物は、大正7年(1918年)に臼杵出身の荘田平五郎という人から寄贈されたものでありますけれども、取り壊しが決まっていました。昭和30年に建てられた隣接する図書館が手狭になったため、この建物を取り壊して、図書館を増築するという計画が進められていたわけです。それをこども図書館として再生したんです。この建物は、今でこそこんなに立派ですけれど、10年ほど前は、それは哀れな、いつ壊されてもいいという、そんな姿をしておりました。屋根のヌキがゆがんで瓦が波打っていたり、壁もかなり傷んでいましたし、建物全体も少し傾いたりしていました。まさに哀れな建物でありました。市や市民の皆さんがこの建物を取り壊して、鉄筋コンクリートの建物を増築しようと考えたのも無理はないという状況でした。

 私は古い建物の再生を全国でやっており、臼杵でも何件か手掛けたことがありました。そのようなわけで、私に相談があり、いろいろ話し合って、こども図書館として再生し、活用することとなったわけであります。

 このこども図書館は、最近とても人気があります。「鉄筋コンクリートの建物よりも、温もりがあって、ほっとするよね」ということで、お父さんお母さんが子どもと一緒に本を読む、そんな図書館に変わっております。

 今、この建物はたいへんに立派ですけれども、かつてはそうではなかった。再生したからこんなに生き生きとしているわけです。鉄筋コンクリートの建物より、内側からにじみ出る「生きる力」が感じられるようになったという感想を言う人もいます。


降幡建築設計事務所名古屋分室のホームページより>

 こども図書館にするにあたり、1階の畳を敷いてあったところや土間であったところは、板ばりの床にしました。階段を上るところには、荘田平五郎という人が臼杵の皆さんのためにこの建物を寄付してくれたのだということが書かれており、部屋には荘田氏の精神である「仁(じん)・義(ぎ)・礼(れい)・智(ち)・信(しん)」の名前をつけてあります。

 2階には畳の部屋があり、畳の上にお父さんお母さんと子どもが座って、一緒に本を読めるようになっています。子どもによっては、寝そべって本を読むという光景も見られ、まさに家庭的な雰囲気の中で本が読めるようになっているわけです。

 こういう実例もあるものですから、私は、生家を、新しくできる保育園の付属施設として、その名も「武井武雄記念児童図書館」とすることを提案します。おそらく、全国を探してもこのような保育園はないと思いますので、実現できたら全国的にも注目されるでしょう。岡谷の歴史文化を残すということと同時に、未来を担う子どもたちの教育に相当の効果が期待できます。こうした考えは、全国から評価をいただけるのではないかと思っております。

 今は、あの建物は手を入れてありませんから、見るに哀れな面をもっております。しかし、これを再生しますと、むしろ弱い、惨めなような建物ほど逆転して、強い生命力を持って蘇ります。それが再生であります。生家には、それが可能だと考えております。期待をしております。

 私が民家の再生というのを始めたのは、今からちょうど30年前です。最初に手掛けたのが、松本市の草間さんの家です。初めて再生という言葉を使いました。それまでは、私は、人間でいえば、まだまだ回復の見込みのある病人を治療するような仕事をしていました。ところが、草間さんの家は、人間でいえば、もう血の通っていない、枕元にお坊さんが来てお経を唱えている、そんな状態になっている家でした。再生という言葉を私は、いったん死んだものを生まれ変わらせるという意味で使いました。再生をすると、多くの人が「どうしてこんな立派な建物を壊そうと思ったんだろうね。」と言います。

 今では、臼杵だけでなく、いろいろな場所で、古い建物を活かして個性的なまちづくりを進めています。300年の風雪に耐えた武井武雄先生の生家というのは、この岡谷市にしかありません。岡谷市の個性であり、まちづくりの核になりうるものであります。

 皆さん、どうかこれを残し、再生し、活用するという方向で考えていっていただければと思っています。
 以上で終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

武井武雄をあいする会シンポジウム(2) 藤森照信先生の講演概要

2013年04月02日 23時05分53秒 | シンポジウム
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金



 藤森でございます。

 武井武雄さんの生家の歴史的な価値や建築的な価値というのは、他のお二人の先生が後ほど話してくださると思いますので、私は、なぜ岡谷の人たちはこの建物を残す必要があるかについてお話をします。

 それは、人間には古いものが必要だからです。古いものを見たときにしみじみとする感情、これは人間だけが持っている感情です。動物は古いものを見ても、しみじみしたり、懐かしんだりなんかしません。古いものを見たときにしみじみとする感情、古いものを懐かしむ気持ちというのは、自分が生まれた時から連続して生きてきたことを確認して、アイデンティティー(自己同一性)を保つために必要なことで、他の動物には無い、最も人間的な感情なのです。

 岡谷市が武井武雄さんを大事にしているというのは良く知っています。街の中の看板やなんか、至る所に武井武雄さんの作品が使われています。だけど、実は、武井武雄さんの作品というのは全国にあって、岡谷にわざわざ来なくても見ることができます。ところが、武井さんの生家、これは武井さんが岡谷で生まれ育ったという物証ですけれど、これは岡谷市にしか無いんです。生家を残すってことは、岡谷に生まれた子どもたちが岡谷を誇ることができるものを残すことでもあるんです。

 武井武雄さんの生家というのは、大人にとってはしみじみとした懐かしさ、子どもにとっては岡谷の誇りを保証するという意味で、岡谷にとって無くてはならないものです。ぜひ、生家は残してほしいと言っておきたいと思います。

武井武雄をあいする会シンポジウム(1)

2013年03月20日 23時52分06秒 | シンポジウム
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金

 3月20日(水・祝)岡谷市カノラホールで武井武雄をあいする会シンポジウム「武井武雄とその生家」を開催したところ、140名を超える市民の皆様にご参加いただきました。



 藤森照信氏(東京大学名誉教授・工学院大学教授)、降幡廣信氏(古民家再生建築家・元信大講師)、吉澤政己氏(工学博士・信濃建築史研究室・元長野県文化財保護審議会委員)を講師・パネラーに、小口基實代表の司会により、武井武雄生家の価値について、専門的見地から意見交換を行いました。

 シンポジウムの詳細については、後日あらためて掲載しますが、出席した市民の皆様からは、「これほど価値のある物が、なぜ今まで野ざらし同然に放って置かれたのか。」「市民の側でも全国から寄付を募るなどして、積極的に動いていく必要がある。」などの意見が出されました。

 シンポジウムを閉会するに当たり、参考までに、取り壊しに対する賛否を拍手により確認したところ、取り壊しに賛成する出席者は皆無でした。

 これを機に、生家を残し活用していくことに対する賛同者の輪を広げ、童画家 武井武雄の生誕地にふさわしいまちづくりについて、みんなで考えてまいります。


シンポジウムが開催されます

2013年03月16日 16時42分17秒 | シンポジウム
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金

 武井武雄をあいする会シンポジウム
「武井武雄とその生家について」が平成25年3月20日(水)岡谷市カノラホールで開催されます。

 岡谷市が生んだ童画家 武井武雄の生家が取り壊されようとしています。
 生家は、病弱だった武井武雄が幼い日に「妖精ミト」と遊んだ創作活動の原点となる場所です。
 武井武雄がいつまでも純粋な子どもの心を失わずに、大人も子どもも楽しめる作品を創り続けることができたのは、この生家が育んだ空想(メルヘン)の世界があったからなのです。

 私たちは、古いものを時代遅れのものとして捨て去ってきました。しかし、その結果、長い年月をかけて形成されてきた個性的な歴史・文化・景観は次第に忘れ去られ、ふるさとの特色は失われていきます。
 ふるさとに誇りをもち、ふるさとを愛する未来の子どもたちのために、残していかなければならないものがあるはずです。武井武雄の生家は、ふるさとの歴史・文化・景観を象徴する貴重な遺産であると考えます。

 何を未来に残すべきなのか、それをみんなで真剣に考えていきましょう。

 事前申込不要です。



長野日報記事

 平成25年(2013年)1月16日付け
 
 平成25年(2013年)3月6日付け