武井武雄をあいする会

童画家武井武雄が妖精ミトと遊んだ創作活動の原点である生家。取り壊し方針の撤回と保育園との併存・活用を岡谷市に求めています

武井武雄をあいする会シンポジウム(3) 降幡廣信先生の講演概要

2013年04月21日 09時56分52秒 | シンポジウム
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金

 

 ただ今ご紹介いただきました降幡廣信でございます。

 常識的には、使われていない古い建物を壊して、新しい建物を建ててまちづくりを進めることには意味があります。しかし、私は、武井武雄先生の生家には、常識を超えた価値があると思っています。理由は3つあります。

 一つには、この生家は、多くの子どもたちに夢を与えた童画家 武井武雄先生の生まれ育った家であるという点です。武井武雄先生が岡谷出身であるという証(あかし)であります。生家が無くなってしまうと、だんだんに先生の影が薄れていってしまう。童画館や記念碑では、生家の代わりにはなりません。

 二つめは、江戸中期の民家は、全国的にみても極めて貴重であるという点です。残っているものがかなり少なく、この時代の生活を知る重要な手がかりとなるものです。もし、この建物が取り壊されたとすると、歴史文化に対する岡谷市の認識への評価が一変する。私は、岡谷市は歴史文化を非常に大切にするところだと思っているわけでありますが、こうした評価が一変するということであります。この点については、後ほど吉澤先生が説明してくださると思います。

 三つ目に、童画の父といわれる武井武雄先生の生家と保育園は、共存させることが可能です。具体的には、武井武雄記念児童図書館を保育園に併設することを提案します。建て替えられる保育園の一部に、武井武雄先生の生家を残しながら、保育園の子どもやお父さんお母さんが一緒に使うことのできるような児童図書館として活用するということであります。

 私は、本日、この三つ目のテーマについて、中心にお話ししようと思っています。

臼杵市立臼杵図書館のホームページより>

 実は、私は、九州大分の臼杵(うすき)というまちで、古い建物を再生してこども図書館とし、新しい図書館と併設して活用するということをやったことがあります。 この建物は、大正7年(1918年)に臼杵出身の荘田平五郎という人から寄贈されたものでありますけれども、取り壊しが決まっていました。昭和30年に建てられた隣接する図書館が手狭になったため、この建物を取り壊して、図書館を増築するという計画が進められていたわけです。それをこども図書館として再生したんです。この建物は、今でこそこんなに立派ですけれど、10年ほど前は、それは哀れな、いつ壊されてもいいという、そんな姿をしておりました。屋根のヌキがゆがんで瓦が波打っていたり、壁もかなり傷んでいましたし、建物全体も少し傾いたりしていました。まさに哀れな建物でありました。市や市民の皆さんがこの建物を取り壊して、鉄筋コンクリートの建物を増築しようと考えたのも無理はないという状況でした。

 私は古い建物の再生を全国でやっており、臼杵でも何件か手掛けたことがありました。そのようなわけで、私に相談があり、いろいろ話し合って、こども図書館として再生し、活用することとなったわけであります。

 このこども図書館は、最近とても人気があります。「鉄筋コンクリートの建物よりも、温もりがあって、ほっとするよね」ということで、お父さんお母さんが子どもと一緒に本を読む、そんな図書館に変わっております。

 今、この建物はたいへんに立派ですけれども、かつてはそうではなかった。再生したからこんなに生き生きとしているわけです。鉄筋コンクリートの建物より、内側からにじみ出る「生きる力」が感じられるようになったという感想を言う人もいます。


降幡建築設計事務所名古屋分室のホームページより>

 こども図書館にするにあたり、1階の畳を敷いてあったところや土間であったところは、板ばりの床にしました。階段を上るところには、荘田平五郎という人が臼杵の皆さんのためにこの建物を寄付してくれたのだということが書かれており、部屋には荘田氏の精神である「仁(じん)・義(ぎ)・礼(れい)・智(ち)・信(しん)」の名前をつけてあります。

 2階には畳の部屋があり、畳の上にお父さんお母さんと子どもが座って、一緒に本を読めるようになっています。子どもによっては、寝そべって本を読むという光景も見られ、まさに家庭的な雰囲気の中で本が読めるようになっているわけです。

 こういう実例もあるものですから、私は、生家を、新しくできる保育園の付属施設として、その名も「武井武雄記念児童図書館」とすることを提案します。おそらく、全国を探してもこのような保育園はないと思いますので、実現できたら全国的にも注目されるでしょう。岡谷の歴史文化を残すということと同時に、未来を担う子どもたちの教育に相当の効果が期待できます。こうした考えは、全国から評価をいただけるのではないかと思っております。

 今は、あの建物は手を入れてありませんから、見るに哀れな面をもっております。しかし、これを再生しますと、むしろ弱い、惨めなような建物ほど逆転して、強い生命力を持って蘇ります。それが再生であります。生家には、それが可能だと考えております。期待をしております。

 私が民家の再生というのを始めたのは、今からちょうど30年前です。最初に手掛けたのが、松本市の草間さんの家です。初めて再生という言葉を使いました。それまでは、私は、人間でいえば、まだまだ回復の見込みのある病人を治療するような仕事をしていました。ところが、草間さんの家は、人間でいえば、もう血の通っていない、枕元にお坊さんが来てお経を唱えている、そんな状態になっている家でした。再生という言葉を私は、いったん死んだものを生まれ変わらせるという意味で使いました。再生をすると、多くの人が「どうしてこんな立派な建物を壊そうと思ったんだろうね。」と言います。

 今では、臼杵だけでなく、いろいろな場所で、古い建物を活かして個性的なまちづくりを進めています。300年の風雪に耐えた武井武雄先生の生家というのは、この岡谷市にしかありません。岡谷市の個性であり、まちづくりの核になりうるものであります。

 皆さん、どうかこれを残し、再生し、活用するという方向で考えていっていただければと思っています。
 以上で終わらせていただきます。どうもありがとうございました。


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