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平成27年2月22日(日)、長野県民俗の会第193回例会が「民家を学ぶ」というテーマで開催され、「武井武雄をあいする会」の会員3名も参加してきました。
武井武雄生家は、本棟(ほんむね)造りです。元禄11年(1698年)春に火災に遭い、その年か、翌年に建築されました。
本棟造りは、長野県の中信から南信地方にかけて見られる大型屋根の切り妻造り妻入りの住居です。特に、松本平においては旧庄屋階層の住居として家格と富の象徴であったとされています。
江戸時代中期頃から建てられ始め、初期の本棟造りでは屋根勾配が緩く棟高も低かったものが、明治期になると養蚕業等で財をなし棟高で規模が大きな本棟造りの家が建てられるようになりました。
武井武雄生家は、屋根の勾配が緩く棟高も低いので、初期の本棟造りの特徴を良く表していると言えます。
当日は、午前10時に松本市内田の重要文化財 馬場家住宅に集合し、松本市立博物館の小原稔学芸員の案内で屋敷内を見学しました。
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豪壮な構えをもつ長屋門。屋根には「しゃちほこ」があります。
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馬場家住宅は、平成8年に国の重要文化財に指定されています。
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座敷の床の間には、「武田家24将」の掛け軸があります。馬場家のご先祖は、武田信玄の家臣 馬場美濃守信春の縁者だといわれ、天正10年(1582年)頃、武田氏の滅亡を機に内田(現在の松本市内田)のこの地を開発して定住しました。武井家の先祖も武田晴信(信玄)に仕え、武田家の滅亡とともに西堀村(現在の岡谷市西堀)に定住したといわれています。
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小座敷には、武井咲さんの色紙がありました。フジテレビのドラマ「すべてがFになる」の撮影で訪れた時のものです。「武井」の縁で武井武雄生家にもぜひ来てほしいと思います。
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屋敷の北西にある「お祝殿」。内田を含む東山一帯は東五千石と呼ばれ、諏訪高島藩の領地であり、諏訪地方の影響を強く受けています。
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次に、旧開智学校近くの高橋家住宅を見学しました。高橋家住宅は、御徒士町(おかちまち)にある武家住宅です。住宅は藩の所有であり、修理も藩費によってなされました。家格や役職によって、家の広さや間取りなどが厳密に定められていたということです。廃藩とともに居住していた藩士に払い下げられ、個人の所有となりました。現在、松本市の旧城下町には、高橋家と橋倉家の2棟が残っています。
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住宅内には御成敗式目などが展示されています。藩士の子弟は、藩校である崇教館で学びました。
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午後は、窪田空穂の生家で多田井幸視氏による「民家建築と本棟造り」の講演を聴講しました。
多田井氏は、群馬県の旧関根家住宅の軒下に松本の七夕人形が飾られているのを見て強く違和感を覚えたことを紹介し、地域が生み出した伝統文化はその地域できちんと継承していかなければならないと強調されました。また、住宅建築は村の中におけるその家の地位や富を象徴するものであり、本棟造りの家を建てることが本懐とされていたこの地域の精神性についても説明がありました。
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松本市は、「松本はマチ全体が屋根のない博物館!」として「松本まるごと博物館(まるはく)」を行っています。古い街並みや歴史的建造物を大切にしたまちおこしは、岡谷市でもぜひ行ってほしいと思います。
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武井武雄生家は、中級武士である御中小姓としては、門構えが立派で、住宅も大きいことが指摘されています。武井家は馬場家同様、武田家の家臣で、諏訪家譜代の家臣ではありません。藩譜私集には、寛保2年(1742年)に当主である武井長五郎(武富・武萬)が病気となり、同姓のうちから西堀村百姓三右衛門のせがれ郷右衛門を養子にして家督を継がせたと記載されています。武井三右衛門は西堀村において庄屋格で屋敷も立派なものが許されており、郷右衛門は藩士として出仕してからもそこに居住していたと考えられます。つまり、武井武雄生家は、もともと武家住宅として建てられたものではないのだと推測されます。高島城下の武家屋敷とは異なり、修繕費用などは自己負担だったのではないでしょうか。武井家は、一度も城下町に居を移すことなく、在郷の藩士として西堀村に居住し続けました。