武井武雄をあいする会

童画家武井武雄が妖精ミトと遊んだ創作活動の原点である生家。取り壊し方針の撤回と保育園との併存・活用を岡谷市に求めています

岡谷市議会会議録より5(平成24年3月定例会)

2013年06月29日 18時51分51秒 | 岡谷市議会会議録
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金


岡谷市議会会議録

平成24年3月定例会
平成24年2月29日

◆2番(武井富美男議員) 2番 武井富美男です。
 次に、大きな2番、武井武雄邸についてであります。
 岡谷市が生んだ童画家武井武雄の生家は、平成20年5月に岡谷市に寄贈され、そのとき以来、岡谷市は寄贈された生家の土地利用方法等について、特別縁故者の要望を尊重し建物を取り壊し、武井武雄を何らかの形で顕彰していきたいとしておりました。
 そこで、(1)武井武雄の顕彰に対する具体的方針ということで、市は武井武雄邸が寄贈されて以降、武井武雄を何らかの形で顕彰していく旨の方針でいますが、来年度予算で示された詳細図面の作成のほか、具体的にどのような方針でいるのかお聞きします。
 次に、(2)地元及び市民の意見集約と対応です。
 武井武雄邸の保存、取り壊しについては、学者先生の中には保存を訴えている方もいますし、市民の中には賛否両論があります。市として地元の意見、市民の意見をどのように集約し、この調整を図っていくのかお聞きします。
 次に、(3)西堀保育園整備との関連性です。
 平成21年4月に西堀区は武井武雄生家土地に関する提言書をまとめて市に提出しています。その中で、西堀保育園を生家と有機的に結合させて新調することとうたっています。また、昨年行われたこれからの保育園を語ろう会の西堀保育園での話し合い時に、区及び保護者から早期現地建てかえ要望が出されていますが、市はこの武井武雄邸と西堀保育園の一体的整備についてどのように考えているのかお聞きします。
◎企画政策部長(小口明則君) おはようございます。
 武井富美男議員さんの御質問に順次御答弁申し上げます。
 続きまして、大きな2番の武井武雄邸についての(1)武井武雄の顕彰に対する具体的方針でありますが、武井武雄生家敷地につきましては、平成20年5月に東京家庭裁判所の審判があり、岡谷市、亡き武井三春氏の相続財産管理人及び特別縁故者の三者の契約により寄贈を受けております。寄贈に際しましては特別縁故者から、亡き武井三春氏の遺志を継ぎ、老朽化した建物を取り壊し、土地は武井武雄の功績を後世に残し、顕彰する利用をしていただきたいという要望が出されたことから、その要望を尊重し、土地につきましては童画のまちづくりに資する活用を図る方針としております。平成24年度では、こうした経過や方針に基づき、武井武雄の生誕地を顕彰していく一つの段階として、建物と敷地全体の詳細図を作成し記録保存するものでございます。武井武雄の顕彰につきましては、記録保存するための詳細図の作成のほか、地元からの要望もある保育園整備に敷地を活用する案を含め、検討を深めてまいります。
 次に、(2)地元及び市民の意見集約と対応でありますが、武井武雄生家敷地が市に寄贈されたことに伴い、西堀区に生家を考える会が発足し、その後平成21年4月16日に西堀区より提言書をいただきました。この提言の中で、生家建物の保存を要望するという意見と、西堀保育園を生家敷地及び現保育園敷地を機能的に連結し新築されたいという、大きくは2つの意見をいただいております。こうした西堀区からの提言に配慮し、また地元の皆様の御理解をいただけるよう、慎重に具体的な利用方法の検討を続けております。しかしながら、土蔵につきましては、老朽化による損傷が激しく危険な状態であり、管理に限界が来ているため解体してまいりたいと考えております。
 市といたしましては、寄贈を受けた経過から、土地につきましては、先ほど申し上げましたとおり童画のまちづくりに資する活用を図る方針であり、市民の皆様には周知されているものと考えておりますが、地元の皆様の中には特別な思いを持っている場所と考えておいでになる方もおり、西堀区では改めて生家について議論する検討会を発足させております。市も地元の皆様と同様に武井武雄を顕彰していく思いは変わりませんので、当面の方針について御理解をいただきながら調整を図ってまいりたいと考えております。
 私からは以上でございます。
◎健康福祉部長(原孝好君) おはようございます。
 私からは、大きな2番の武井武雄邸についての(3)西堀保育園整備との関連性についてお答えいたします。
 西堀保育園は建築後44年を経過しており、建物の老朽化が進んでおります。早急に整備が必要な保育園の一つであると認識しております。また、現在の保育園敷地も借地でありますし、約1,600平米と大変狭く、駐車場も1台も確保できない状況であります。平成21年の西堀区からの提言には、生家を保存されたいとの要望と、生家敷地と現保育園敷地を有効的に結合し新築されたいとの要望がありますが、両土地の間には市道があり敷地が分断されていること、また生家敷地の面積も約1,800平米であり、生家を保存しながら園舎と園庭を配置するには面積が狭く、課題も多い状況にあります。いずれにいたしましても、生家敷地は童画のまちづくりに資する方針であり、具体的な利用方法の検討を深めていくことになります。一方、現在保育園整備計画を作成している最中であります。生家敷地の検討状況なども踏まえながら、市が理想とする保育園の実現のため、現在地が適当か配置面まで踏み込みながら、どのような整備方法とするか保育園整備計画の中で具体的に検討してまいりたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。
 以上でございます。
◆2番(武井富美男議員) 次に、大きな2番、武井武雄邸についてでございます。
 (1)武井武雄の顕彰に対する具体的方針でございます。
 土地については童画のまちづくりに資する活用を図っていく、さらに顕彰については詳細図の作成のほか、地元からの要望のある保育園整備に敷地を活用する案を含め、検討を深めるとのことでございましたけれども、私は詳細図の作成につきましては、従来の市の方針からすれば非常に、いつになるかわかりませんですけれども、何らかの保存の基礎ができたと思っていまして、かなりの進歩であったと思っています。保育園整備に敷地の活用を検討ということにつきましては、新たな市側の意思がここで示されたわけでございますけれども、問題は取り壊しを本当にしてもよいのかという判断だと思いますけれども、私はこの屋敷が市に寄贈されたときに、既に土蔵はかなり朽ちており、現部材を使っての復元は残念ながら無理ではないかなと、また母屋もかなり厳しいものがあるなと思っておりました。また、長屋門につきましても、カヤぶきのころの写真が残っておりまして、原形に近い復元が可能ではないかなと思っております。
 そこで、(2)地元及び市民の意見集約と対応です。
 土蔵については老朽化による損傷も激しくて危険である、管理に限界があって壊したいということでございましたけれども、また市民には市の方針は周知はされているんだ、武井武雄を顕彰していく市の思いは変わらない、当面の方針について理解を得ながら、地元と市民の意見の調整を図っていきたいとのことでございました。地元の西堀区の年配の方は、昔から武井邸をお屋敷と呼びまして、畏敬の念を持って接してきております。また、武井邸はまちづくりから見たときにランドマーク的な存在でもございます。土蔵の中には養蚕の道具もございまして、蚕を飼っていたものと推測できます。近代化産業遺産群にも何か関係づけられるものではないかなと思っておりますけれども、これらの昔からの人にとっては、あの建物の取り壊しにつきましては、自分の人生の中でもって、ある部分がすっかりなくなってしまうということを言う方がおります。寄贈にあたっての特別縁故者の取り壊しの条件もございますけれども、市としてこの点をどのように考えているのかお聞きしたいと思っています。
◎企画政策部長(小口明則君) 今議員さんからもお話がございましたが、地元の皆様の中には、昔、あの敷地、それから建物に親しみ、特段の思いを込めてごらんになっておいでの方がおいでのことは十分理解をしているところでございます。そうした方々の思いと市の武井武雄の生誕地を顕彰していく取り組みの思いというものは方向は同じだろう、そんなふうに思っております。そうした中で、現状を勘案いたしまして、既得保存の詳細図の作成、それから危険な状態の土蔵の取り壊しを当面の方針とさせていただいておりますので、ぜひ御理解をいただきたいと思っております。
◆2番(武井富美男議員) 当面、詳細図の作成と危険な状態の土蔵の取り壊しをするとのことでございましたけれども、ぜひ地元とか市民の方のコンセンサスを得るようにしてほしいなと思っております。
 次に、(3)西堀保育園整備との関連性でございます。
 生家敷地との検討状況を踏まえて、配置面まで踏み込みながらどのような整備方法とするか、保育園整備計画の中で具体的に検討ということでございますけれども、私は地元では今の保育園を残してほしい、現地改築ということでございますけれども--という意見が多くて、また武井武雄の顕彰、保存もどうなるのかどうかわかりませんですけれども、この検討の帰趨を考えますと、武井武雄の顕彰と西堀保育園の整備は一体的に計画をせざるを得ないと思っております。平成21年4月に西堀区から市への提言書には、西堀保育園と生家との有機的結合をうたっておりまして、ラムラム保育園構想というものにも触れております。これら2つにつきましては、地元西堀区では武井武雄邸検討会が新たに設置をされておりますので、地元とよく相談して整備方針を出すようにしてほしいなと思っております。
 また、市では保育園整備計画検討委員会を最近設置をしたようでございますけれども、西堀保育園整備の検討についても、委員会に隣の武井武雄邸のことを説明していくのかどうかお聞きしたいと思っています。
◎健康福祉部長(原孝好君) 保育園の整備には、現地で建てかえが可能であればそれにこしたことはないと考えております。敷地規模や保育園の駐車場などを考慮しまして、また保育園が防災の拠点として機能していく状況でございますので、理想の保育園を実現するための適正な配置がどうなるべきか検討を深めていただくようになるというふうに考えてございます。西堀保育園を取り巻く現状等につきましても、委員会で論議に及ぶものと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
◆2番(武井富美男議員) ぜひ検討委員会のほうに西堀保育園の置かれた状況、武井武雄邸が横にあるということをよく説明をしてほしいなと思っております。

岡谷市議会会議録より4(平成22年12月定例会)

2013年06月29日 18時22分33秒 | 岡谷市議会会議録
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金


岡谷市議会会議録

平成22年12月定例会
平成22年12月13日

◆15番(横内東洋雄議員) 15番 横内東洋雄です。
 次に、大きな2番、武井武雄生家の保存と文化財的評価についてであります。
 武井武雄生家は、平成20年5月、東京家庭裁判所の審判により、特別縁故者より岡谷市に土地・建物ともに寄贈されたものですが、その建物の保存、取り壊しをめぐり、市側と有識者や地元関係者の間で見解が分かれ、物議を醸してきました。私は、過去2回、この問題を取り上げてまいりましたが、今回もあくまでも文化財保護の観点から質問し、保存を訴えてまいりたいと思います。
 まず、(1)生家敷地の現状と管理状況ですが、いまだ門を閉ざし、ひっそりとたたずむ生家は寂寥著しく、武井武雄先生も草葉の陰でさぞかし嘆いているように思えてなりません。市は現状をどのように見ているのか、また、寄贈以来、維持管理はどのように図ってこられたのかお伺いします。
 次に、(2)寄贈をめぐる客観的背景と市の方針であります。
 市は、当初より寄贈者である特別縁故者の意向に沿って、建物の取り壊し後、土地の有効活用を図るとしてきましたが、今もこの方針に変わりはないのか。また、寄贈から2年半もたっているが、その活用についてはどのような検討がなされてきたのかお伺いします。
 次に、(3)文化財的評価の再検討ですが、私は、過去の質問の中で再三文化財的評価の必要性を訴えてきましたが、いずれも納得のいく答弁ではございませんでした。その後の状況を踏まえ、教育委員会としての検討結果と見解をお聞きします。
◎教育長(岩下貞保君) 次に、大きな2番、武井武雄生家の保存と文化財的評価の(3)文化財的評価の再検討でございますが、武井武雄生家につきましては、これまでに文献による建物の経歴調査や2度の火災に遭遇したこと、後世に大きな増築改修工事が行われていることなどから、江戸時代中級武士の家として一定の評価をしておりますが、その後の建物を再評価するような新たな事柄はございませんので、よろしくお願いいたします。
◎経済部長(島田勇君) 大きな2番、武井武雄生家の保存と文化財的評価の、まず(1)生家屋敷の現状と管理状況についてお答えさせていただきます。
 武井武雄生家につきましては、寄贈以来、母屋、長屋門の補修等は行っておりません。土蔵につきましては、屋根の一部が破損していたため職員により補修をいたしてございます。建物、庭木の管理につきましては、定期的に建物内の換気を行い周辺の点検を行っております。庭木につきましては、道路等にはみ出している枝等の剪定、草刈り、アメシロの駆除・消毒を行っております。周辺には保育園、住宅がございますので、安全面には十分配慮し管理を行ってまいりたいと考えております。
 続きまして、(2)寄贈をめぐる客観的背景と市の方針でございます。
 武井武雄生家につきましては、平成20年5月14日に東京家庭裁判所の審判があり、寄贈契約を結ぶこととなりました。生家敷地につきましても、特例的に寄贈されることとなったのは、三春氏が大切に守ってきた童画文化を岡谷市が継承し、さらに童画のまちづくりを進めるために活用するという意思を示したことと、特別縁故者もそれを望んだためであると考えております。寄贈に当たりましては、特別縁故者の方からは「保存には多大な金額が必要となることから、永続的に武井武雄の童画文化を伝えるために、老朽化した生家建物は取り壊し活用していってほしい」との要望をいただいております。市といたしましては、その意向を踏まえ、老朽化の著しい生家建物につきましては基本的に取り壊す方向とし土地活用をしていきたいと相続財産管理人に対してお話ししてまいりました。以上のような経過で寄贈されたことを重視し、敷地の利用を含め慎重に検討してまいりたいと考えております。
◆15番(横内東洋雄議員) 次に、2番、武井武雄生家の保存と文化財的評価の質問に移ります。
 まず、生家敷地の現状と管理状況の関係ですが、敷地内の樹木や雑草などの手入れはなされているようですが、母屋や土蔵は寄贈から2年半もたっても放置されたままです。この生家は、武井武雄が後年童画家として確立したメルヘンの原点ともなっています。また、近くの墓には墓碑もあり、これらは武井武雄ゆかりの、欠くことのできない重要な観光スポットでもあります。岡谷市は、武井武雄の作品やネーミングを丸ごと使いまちづくりに生かしていながら、その生家を守り保存できないのか、再度お伺いします。
◎経済部長(島田勇君) 現在、岡谷市では、武井武雄の作品を利用し各種の事業を行っております。生家は、岡谷市に寄贈された経過、特別縁故者の要望を受けとめたものであり、その意思を尊重していく方向に変わりはありません。先ほども御答弁させていただきましたとおり、敷地の利用を含め慎重に検討を深めてまいりたいと考えております。
◆15番(横内東洋雄議員) 文化財的建物を保存することと記録を残すこととは、全く次元が異なる問題です。記録を残せば、どんな貴重な建造物でも壊してもよいなどという論法は通りません。
 次の寄贈をめぐる客観的背景と市の方針に触れながら、再度お聞きします。
 寄贈以来、市は、寄贈者の意思を理由に土地の有効利用を打ち出してきましたが、市内外の多くの有識者が首をかしげており、私は多くの生の声を聞いてきました。寄贈者が特別縁故者であり、生前の武井先生や地元とは全くかかわりなく単なる寄贈手続として要望書を市に提出したのではないか、それも、市に書かされたのではないかという声すらあります。寄贈に当たってのそのような画策は、行政にあるまじき所業と言わざるを得ません。寄贈者の要望も大事だが、その対象物の歴史的・文化的評価を一貫性と主体性を持って良識ある判断をすることこそ大事です。こうした多くの有識者の声を代弁して、再度市のお考えをお伺いします。
◎経済部長(島田勇君) この寄贈に当たりましては、東京家庭裁判所の審査を得て行っておりまして、市がそれを書かせたというような事実はございませんので、まずそのことについては申し述べさせていただきます。
 いずれにいたしましても、武井武雄生家は江戸時代に建てられたということでございますけれども、その後2度の火災に見舞われておりまして、昭和の時代には貸し家として使用されていた時期もありまして、改造工事など、後世の手が加えられながら現在に至っているものでございます。内外とも老朽化が進み、破損状態が著しい状態でございます。武井武雄の生家として何らかの形で記録ということは必要と存じますが、先ほども申しましたとおり、敷地の活用を含め検討してまいりたいと思っておりますので、よろしくお願いします。
◆15番(横内東洋雄議員) その答弁では、到底承服できるものではありません。
 ところで、大分前のことですが、風の便りで、東京板橋南常盤台の武井武雄宅が売り払われたといううわさを耳にしましたが、市の担当部署ではこのことを把握していたのか、また、その後の現地確認などされたのかを含めて、その辺について御説明願います。
◎経済部長(島田勇君) 東京都板橋区の武井武雄邸の取り壊し・売却につきましては、特別縁故者より連絡をいただきまして承知しております。市といたしましても、武井武雄の執筆活動の拠点として記録を残したいということで、取り壊し前に建物図面の作成ですとか写真撮影等の記録保存を行っております。その後の現地の様子につきましては確認しておりませんので、よろしくお願いします。
◆15番(横内東洋雄議員) 私は、過日上京した際、板橋区の武井邸跡に立ち寄るとともに、東京法務局板橋出張所に行き土地・建物の登記簿も確認してきました。ここにその登記簿です。これを見ると、建物、土地ともに平成20年12月18日付で売買により所有権移転され、建物は翌1月5日に取り壊しとなっています。私は、このことを知ったとき大きな憤りを感じました。岡谷市にもっともらしい要望を付して西堀生家を寄贈したわずか半年足らずの後、板橋区の武井邸を売却するとは、余りにも身勝手な振る舞いと言わざるを得ません。しかも、本人は、もっと暖かいところで暮らしたいと東伊豆の熱川のマンションに住んでいるとのことです。現在、武井武雄邸は跡形もなく更地となって、広い敷地にペンペン草が生い茂っていました。これがそのときの模様です。この駐車場です。市は、こうした事態をどう見ておられるのか、その感想をお聞きしたい。
◎経済部長(島田勇君) 東京都板橋区の武井武雄邸につきましては、特別縁故者の方が相続を受けたものでございまして、岡谷市がその活用について異議を唱えるものではないと考えております。特別縁故者の方も相当の検討を重ねた結果の御判断だというふうに推測をしているところでございます。
◆15番(横内東洋雄議員) ただいまの答弁では、特別縁故者が相当の検討を重ねた結果の判断とおっしゃいましたが、とんでもない、私は御近所のお宅でいろいろ話を伺ってきました。具体的な内容は差し控えますが、御本人は相当前からあきれるような打算的なことを平気で言っていたようで、決してよくは言っておりませんでした。市は、しきりに特別縁故者の提出した要望書に沿って方針を決めてきたと言い通してきましたが、こうした結果を照らし合わせると、社会通念にはほど遠く、寄贈者の意思には大いなる疑問を感じ、到底うなずけません。結果的に市の対応は甘かった、軽々であったと言わざるを得ませんが、これについて市のお考えを再度お伺いします。
◎経済部長(島田勇君) 先ほども御答弁させていただきましたけれども、東京都板橋区の武井武雄邸につきましては、特別縁故者の方が相続を受けたものでありまして、岡谷市がその異議を唱えるものではないというふうに考えております。
 また、武井武雄生家の寄贈につきましても、特別縁故者はもちろん、相続財産管理人や東京家庭裁判所に御理解をいただいたことでの結果であると考えております。こうした寄贈に携わった方々の思いを受けまして、市といたしまして方針を決めたものでありまして、決して軽々と判断したものではございません。岡谷市といたしましては、武井武雄の心を心とし受け継ぐことが大切であるというふうに考えておりまして、御寄贈いただきました土地また建物それから著作権等を今後のまちづくりの中で生かしてまいりたいというふうに考えておりますので、よろしくお願いいたします。
◆15番(横内東洋雄議員) 私は、そうした答弁を繰り返す市の姿勢に大きな疑問を感じます。
 そこで、市長にお伺いします。板橋区の武井邸がなくなった今、なおさら西堀生家は残さなくてはならないと強く感じるところですが、市長はこの状況を踏まえどのように感じておられるのか、率直な御所見をお伺いします。
◎市長(今井竜五君) 経済部長のほうから先ほどから答弁をさせていただいておりますけれども、敷地等の利用を含め慎重に考えてまいりたいと思っております。また、地元西堀区の方たちからもいろいろな御意見をいただいているところでございます。お屋敷と呼んであの地域を大切にしていた西堀区の方たちの気持ちも酌み取りながら、相談しながら進めてまいりたい、そういうふうに考えております。
◆15番(横内東洋雄議員) 市長の御所見、一応お聞きしたことといたします。
 次に、私は、寄贈者の申し出を都合よく判断の決め手としてきた市側の決定が、文化財保護をつかさどる教育委員会の対応を鈍らせることになったのではないかと考えますが、これについて教育委員会の見解をお伺いします。
◎生涯学習課長(小松厚君) 武井武雄生家の武士住宅としての調査を昭和58年に湖北の建築設計監理協会、また、昭和60年には千葉大学工学部の建築学科によりまして調査を行いまして、その結果として、建物の火災遭遇による損傷の痕跡、また、大きな改修・増築工事が行われていたことが明らかになっております。また、長期にわたりまして空き家となっておりまして、雨漏りなどの老朽化が激しいことは現地を観察することでも明らかでございます。東京家庭裁判所の審判の後、結ばれました寄贈の契約書も尊重する中で、教育委員会として総合的に対応を判断してまいったものでございますので、よろしくお願いいたします。
◆15番(横内東洋雄議員) 答弁を聞く限り、教育委員会の対応は市側と全く変わらない。本来教育委員会は、市長部局とは独立した執行機関でなくてはならないのに、それでは余りにも主体性がないと言わざるを得ません。
 また、生家の建物調査に触れましたので、その調査報告の関係で再度お聞きします。私は、前回の一般質問の際、武井武雄生家の文化財的価値について質問しましたが、このときの前教育部長の答弁には大きな矛盾、疑問を感じました。それは、平成2年3月に市の主な建造物の調査報告の冊子が出ており、その中では、「童画家武井武雄を記念する建造物だけでなく、中級武士の生活をしのばせる遺構として重要で、何らかの保存が望まれる」と報告されていますが、これと前教育部長の答弁とには余りにも隔たりがあります。その答弁は意図的なのか、余りにも認識不足と言わざるを得ません。改めて、教育委員会にこのことに対し答弁を求めます。
◎生涯学習課長(小松厚君) 武井武雄生家の文化財的価値につきましては、これまでにも答弁をさせていただきましたとおり、江戸時代の中級武士の家という部分の価値がどうであるかというふうに考えております。その中で、この建物が2度の火災に遭遇していること、大きな増改修等が加えられていることなど、そのまま江戸時代の建物として受け入れていくには保存状態がよくないものと認識しているところであります。
 御指摘のありました平成2年3月発行の「岡谷歴史の道文化財めぐり」の中で、「中級武士の生活をしのばせる遺構としても重要で、何らかの形での保存が望まれる」とある部分でございますが、これまでに制作した住宅の地図、また、建物の写真を保存してまいっているという状況でございます。
◆15番(横内東洋雄議員) その答弁では、保存という言葉を記録保存にすりかえ、こじつけたにすぎません。
 次に、文化財指定について文化財審議会への諮問をするかとの質問に対して、寄贈を受けた際の経過から見ると、教育委員会としては諮問対象にならないと考えると答弁されましたが、文化財の審査、評価は、寄贈の経過よりも対象物そのものの一貫性を持った公正な審査、検討ではないのか。その審査基準など、再度お聞きしたい。
◎生涯学習課長(小松厚君) 建物などの有形文化財指定の基準につきましては、市の区域内に存する有形文化財で国や県の指定を受けたものを除き、市にとって重要なものを指定することができるとなっておりまして、これまでも諮問された文化財につきましては、文化財保護審議会において十分な審議を行っていただいております。文化財に対して指定を行う場合、教育委員会は文化財保護審議会にあらかじめ諮問をいたしますが、寄贈を受けた際の経過の中に、既に建物が非常に危険な状態にあるほど老朽化が進んでいるとの認識があったことや、東京家庭裁判所の審判の後結ばれた寄贈契約書を尊重いたしまして、指定の諮問の対象にならないと判断をしたものでございます。
◆15番(横内東洋雄議員) 建物が幾ら老朽化しても、それを文化財に指定し、一定の改修を行い永久保存されている事例は幾らでもあります。老朽化については、調査報告で重要な建造物であることを認めながら、20年余にわたり放置してきた教育委員会にも責任の一端があることをこの際指摘しておきます。
 そこで、教育長さんにお聞きします。武井武雄生家を取り壊してしまえば、すべてが終わりです。文化財保護行政を守るためにも、今こそ教育委員会の主体性を発揮して行政の独走にブレーキをかけ、重要な歴史的建造物の保存に責任を果たすべきと考えるが、これについての教育長さんの偽らざる本音をお聞きします。
◎教育長(岩下貞保君) 江戸時代の中級武士住宅としての武井武雄生家の問題でありますけれども、ただいま課長が申し上げましたように私も考えておりまして、行政の独走というふうには考えておりません。住宅図面並びに写真の記録保存で責任が果たせるのかなというふうに考えておりますので、よろしくお願いします。
◆15番(横内東洋雄議員) 余りにもそっけない答弁ですので、再度お聞きします。教育長さんは、前回の私の「あなたの判断が岡谷市の文化財保護、いや、教育行政にまた一つ汚点を残す結果となったらどうするのか」との質問に対し、「あるいは汚点を残す結果になるやもしれない。迷うところもある」と答弁されました。私は、それがあなたの人間性から来る本心、実像だと感じました。しかし、きょうの答弁は余りにもまやかしであり、虚像です。あなたは実像と虚像を使い分けておられるのかお聞きします、お答えください。
◎教育長(岩下貞保君) 実像と虚像を使い分けるほど、私、人間ができておりませんので、何ともお答えのしようがないわけですけれども、2年前に、汚点を残さないかとの厳しいお言葉をいただいたわけです。その後も熟慮を重ねたわけですけれども、どうしてもこれだけ破損してしまっている江戸時代の武家住宅というふうに考えていったときに、本当にどうなのかと何度も何度も熟慮を重ねたその結果でございます。そんなことでお許しいただければと思います。
◆15番(横内東洋雄議員) 御答弁ありがとうございました。

岡谷市議会会議録より3(平成21年6月定例会)

2013年06月29日 17時57分41秒 | 岡谷市議会会議録
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金


岡谷市議会会議録

平成21年6月定例会
平成21年6月19日

◆2番(武井富美男議員) おはようございます。2番 武井富美男です。
 次に、大きな4番、武井武雄生家敷地についてでございます。
 (1)西堀区の提言書への対応でございます。
 これは、今年4月16日に西堀区が武井武雄生家土地についての提言書を市に提出しました。その際、市長は、慎重に検討するとの趣旨の発言をされましたけれども、市は、従来の取り壊し方針を今後どのような方向で考えていくのかお聞きします。
 次に、(2)教育委員会の対応と建物の詳細調査の実施でございます。
 今回の西堀区の提言書を見て、市教育委員会は、文化遺産としての生家をどのようにすることが望ましいと考えているのか、また、詳細の建造物調査をする考えはないのかお聞きします。
 次に、(3)西堀保育園の建替えでございます。
 提言書の中に西堀保育園の建てかえのことが記されております。平成20年度に作成されました岡谷市保育園運営計画に保育園の適正配置のことが記されていますが、保育園と地域との結びつき、過去の地元区との経緯等と見ると、統廃合の困難な園もあると思います。西堀保育園についての統廃合の考え方は、現在どのように考えておられるのかお聞きします。
 次に、(4)あるき太郎花回廊であります。
 市では、著作権が寄贈されたことにより、岡谷市のまちづくりに武井武雄のキャラクターをたくさん使用されております。この4月に行われましたまちづくりウォーキング事業にもあるき太郎を使用されていますが、都合よく作品のみを利用し、生家に市民の視線が行くことを避けております。なぜ横河川とそんなに遠くない武井武雄の生家を周遊コースに入れなかったのかお聞きします。
◎経済部長(小泉光世君)次に、大きな4番の、武井武雄生家敷地についての(1)の西堀区の提言書への対応についてでありますが、武井武雄生家敷地が岡谷市に寄贈されたことに伴いまして、約1年間にわたる生家を考える会の真剣な御討議を受けた形で西堀区からの提言をいただきました。この提言の中で、生家建物の保存を要望するという御意見とともに、西堀保育園を生家と有機的に結合させて新築する、ほかに委員さんからのさまざまな御意見もいただいております。
 市といたしましては、寄贈契約に至る経過を尊重すべきと考えており、基本的に損傷の激しい建物は取り壊し、敷地は武井武雄生誕地として童画のまちづくりに生かしていくという方針を容易に変えることはできないと考えております。この基本的な方針を踏まえて、地元の皆さんの御理解をいただけるよう慎重に具体的な利用方法の検討を続けてまいりますが、その間につきましては、取り壊しを見合わせてまいりたいと考えております。
 以上でございます。
◎教育部長(松本哲郎君) 数点お答えをさせていただきます。
 まず、大きな4番、武井武雄生家敷地についての(2)教育委員会の対応と建物の詳細調査の実施についてでございます。
 武井武雄生家について、西堀区から提出されました提言書を拝見させていただきましたが、武井武雄の生家は保存するとともに、隣接する西堀保育園を生家と有機的に結合させた保育園として整備すべきという御意見と、その反面、寄贈契約また特別縁故者の要望は尊重すべきであり、とりあえず市の方針にこたえ、市の検証方法を見守るという御意見のほか、いろいろなさまざまな御意見をいただいております。
 武井武雄生家が江戸時代に建てられた中級武士の家という観点から、文化財的な価値を考えますとき、過去に2度の火災に見舞われたことや貸家をしていたころに大幅な増築工事や改修工事が加えられたことなど、そのまま江戸時代の建物として受け入れていくには保存状態はよくないものと認識をしております。
 昨年12月の定例議会でも一定の答弁をさせていただいておりますが、現在、市としましては、生家敷地等も含めまして寄贈を受けた際の経過を尊重すべきとしており、教育委員会といたしましても同様に考えておりますので、よろしくお願いいたします。
 また、建物の詳細調査につきましては、今後必要があれば行ってまいりたいと考えております。
 (3)西堀保育園の建替えでございます。
 昨年度策定をいたしました保育園運営計画の中で、保育サービスのニーズが多様化している現状を踏まえ、児童福祉の向上を図りながら、一方で児童数の減少に伴う保育園運営の効率化の観点から、保育園の適正配置を検討することとなっています。適正配置の方法といたしまして、統廃合も検討してまいりますが、統廃合の基準としましては、計画期間中に児童数の減少が著しい場合や施設の安全面から整備の必要があるものの、児童数や用地などの状況によって新たな整備が適当でない場合に、廃園または他の園との統合を行うため、保護者や地元関係の皆様方と協議を行うこととしております。したがいまして、西堀保育園につきましても、この計画を基本に今後慎重に検討してまいりたいと考えております。
◎福祉政策担当参事(小口啓子君) 大きな4番、武井武雄生家敷地についての(4)あるき太郎花回廊についてお答えさせていただきます。
 なぜ武井武雄生家を周遊コースに入れなかったのかについてでございますが、今回あるき太郎花回廊のコースの検討に当たりましては、横河川の桜の並木を中心に距離6㎞、所要時間2時間として詳細を検討いたしました。あるき太郎のキャラクターを利用させていただくことから、武井武雄生家を組み入れるかどうかも検討をしたところでございます。検討の結果、生家をコースに含めると、横河川から生家まで西堀新道を利用する場合、コースの距離が長くなり所要時間が延びてしまうこと、そして、特に西堀新道の交通量を考慮すると、多数の参加者が歩行することは危険であると判断し、通常のコースには入れないほうがよいという結論となったものでございます。
 しかし、今回の花回廊のコースには、参加者が自由に動ける設定にもなっておりました。見たいところ等の情報提供として、生家もウォーキングガイドのマップ上に表示をさせていただきました。
 以上でございます。
◆2番(武井富美男議員) 次に、大きな4番、武井武雄生家敷地についてでございます。
 西堀区は、約9カ月かけまして生家を考える会の答申を踏まえて、市に提言書を提出しておりますので、その重みをよく受けとめていただきたいと思っております。まず、西堀区の提言の重みを、市民総参加のまちづくりの観点から市はどのように受けとめられておられるのかお聞きします。
◎経済部長(小泉光世君) あの提言により、地元の皆さんのさまざまな思いを伝えていただいたというふうに考えております。その意味でも、慎重に検討することが大切であるというふうに考えておりますので、よろしくお願いしたいと思います。
◆2番(武井富美男議員) 市は、先ほどの答弁の中に、慎重に具体的な利用方法の検討を続けるけれども、その間は取り壊しを見合わせるとの答弁でございました。検討のきっかけとなるものは何かということと、またどのぐらいの期間検討されていくのか、概略で結構ですのでお願いします。
◎経済部長(小泉光世君) 先ほども申しましたとおり、あの提言の関係につきましては、慎重に検討するということでありまして、そういう意味でも期間は特に設けずに、財政状況とか、また生家を取り巻く状況等を十分に考慮しまして考えてまいりたいというふうに思っておりますので、よろしくお願いしたいと思います。
◆2番(武井富美男議員) 次に、教育委員会のほうにお聞きしますけれども、先ほど部長のほうの答弁の中に、西堀区の提言の内容は、私は2つだと思っていますけれども、もう少しあるようなことを言われましたけれども、その点だけ確認したいと思っています。
◎教育部長(松本哲郎君) 御答弁で申し上げましたとおり、さまざまな御意見ということで感じておりますけれども、内容として大別しますと、1点が生家の保存するとともに隣接する西堀保育園との有機的な結合という御意見と、もう一つ、市の対応について見守る中で検証方法を考えていく、検証方法を見守るという、大別すればその2つかなというふうに感じております。
◆2番(武井富美男議員) 今、検証方法を見守るという話は、これにつきましては、生家を考える会が出した話でございまして、区としては、そのようなことは意見としてはあったということは書いてあるかと思いますけれども、その点だけ間違いないようにしてもらいたいと思っていますけれども、どうでしょうか。
◎教育部長(松本哲郎君) その辺は、御指摘のとおり、区別して認識するようにいたします。
◆2番(武井富美男議員) 教育委員会は、かつて旧渡辺家住宅だとか、旧林家住宅を文化財指定し復元修復工事をしたときのように、なぜ元気を出して武井武雄家について執行機関としまして積極的に対応しようとしないのか、教育委員会としましては、あるべき姿とか理想像というものがあると思います。また、教育委員会発行の岡谷歴史の散歩道には、この建物の重要性と保存の必要性がうたわれていると思います。
 また、教育委員会は長屋門の前に標柱を立ててございまして、いわれまで書いてあるのであります。また、先般シルキーチャンネルでは、岡谷歴史散歩道としまして建物を映して、建物のいわれまで述べているのではないでしょうか。これを壊すことに賛同するのでしょうか。この点、教育委員会の見解をお聞きしたいと思っています。
◎教育部長(松本哲郎君) 教育委員会といたしましては、あくまでも市の方針に合わせていくということでございますが、いずれにしましても、武井武雄生家の大事な部分といいますか、提言にもございますように、非常に童画の父と言われた武井武雄の部分で童画美術館もございますし、文化を発祥するというようなことで市としましてはそういう取り組みをしておりますので、そんな部分を含めまして非常に武井武雄の顕彰という部分では非常に大事な部分だというふうに考えておりますが、いずれにしましても、市の考え方に沿っていくということでございますので、よろしくお願いします。
◆2番(武井富美男議員) 余りしつこく言うのもあれですけれども、先ほどの答弁の中に、2度の火災だとか貸家をしていたころに大幅な増築だとか工事が改修等がなされた、そのまま江戸時代の建物として受け入れていくのは保存状態よくないと言われていますけれども、私は、渡辺家住宅が建てかえしたときのことを少し知っていまして、あのときは渡辺家住宅も教員住宅として多分使っていたときがあったと思うんです。教員の先生が使っていたことがあった。そのためにかなり改築等、いじられておりましたけれども、実際は復元修復工事をしておりますので、それらを踏まえて武井武雄をどうするかについても検討してほしいと思っています。
 次に、西堀保育園建替えでございますけれども、現西堀保育園敷地は、武井武雄先生が児童の育成こそ僕の最大の念願と言いまして、子供の教育育成には熱い思いを持っておりまして、西堀区に寄贈したものでございます。西堀保育園は、昭和41年に建てられた木造平屋の老朽化した建物でございますので、早期に改築が必要と思われます。私は、現保育園ができた経緯、武井武雄先生の思いからしますと、統合して他の位置に建てかえるのは非情なことだと思いますし、西堀保育園は保育園運営計画をクリアしそうな気がしますので、ラムラム保育園など、西堀区の提言どおりに進められますように強く要望します。
 次に、あるき太郎花回廊でございますけれども、私の言いたいことは、もっと武井武雄先生を大事にしてほしいということでございます。都合よく作品は使うけれども、後のことは知らないという冷たい行政の姿勢が感じられます。市では、当日、長屋門をあけまして若干人が訪れたようでございますけれども、何人ぐらい来られたのかお聞きします。
◎福祉政策担当参事(小口啓子君) 当日、生家に見学においでいただいた方は9名ということでございます。
◆2番(武井富美男議員) 9人ということでございますけれども、市では、このことをどのようにPRしたかわかりませんけれども、このことを知らない人が多かったと思います。あるき太郎というならば作者の武井武雄先生の生家をここだぐらいはしっかり見せてほしかったと思っております。先ほど西堀新道の交通量を考慮すると危険だということもお話しされましたけれども、その危険という西堀新道は小井川小学校の通学路となっております。
 私は、武井武雄先生のあるき太郎を読みますと、あるき太郎は1人で旅に出て、あちこちでいろいろな交通手段を使ったり歩いたりしまして、最後は自分の家に戻ってくるというストーリーになっていますけれども、いつの日か、このあるき太郎という書物が改訂出版をされまして、最後のくだりが、1人旅を無事に終えて帰ってきたら、家が壊されてありませんでしたとならないよう強く要望するものでございます。市は、人が暮らした家というものをもっと温かい目で見てほしいと思っています。

生家と保育園の併存が当会の願いです!

2013年06月27日 21時39分38秒 | 新聞記事
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金


武井武雄をあいする会は、武井武雄の生家を保存し活用することで、童画により子どもたちに夢を与えることのできる日本一ユニークな保育園の建設を求めています。
武井武雄の生家に文化財的な価値があることは、千葉大学名誉教授 大河先生はじめ多くの専門家が認めています。
また、岡谷市議会においても、武井武雄生家は旧渡辺家住宅(県宝)か、それ以上の文化財的な価値があるとして議論されています。



岡谷市議会会議録より2(平成20年12月定例会)

2013年06月21日 22時36分00秒 | 岡谷市議会会議録
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金


岡谷市議会会議録

平成20年12月定例会
平成20年12月10日
◆7番(横内正議員) 最後の大きな5番は、武井武雄生家問題について若干お聞きします。
 (1)として、保存要望への対応です。
 御承知のように、新聞紙上において何回かにわたって保存キャンペーンが行われています。先日は、地元区民を対象に見学会も行われたようですが、寄贈に当たっては経過もあるやにお聞きをしております。寄贈を受けた生家のあり方について市はどんな方針でいるのか、まず伺います。
 (2)として、有効利用の方途です。
 地元の西堀区としてはどんな意向なのか、市の受けとめをお聞きします。
 以上で、壇上での1回目の質問を終わります。
◎経済部長(小泉光世君) 大きな5番の武井武雄生家についての(1)の保存要望への対応についてでありますけれども、現在のところ、市に対しまして正式な保存要望はされておりません。しかし、生家建物を取り壊すことに対しまして各種の議論があることは認識しておりまして、西堀区では、武井武雄の生家を考える会が発足をして議論を進めているというお話をいただいております。
 このような状況の中、すぐに取り壊しを行うことは考えておりませんが、特別縁故者の方の思いが東京家庭裁判所の特例的な判断を導き、寄贈契約が成立したことで岡谷市に土地が託されたという経過があり、特別縁故者の要望である、危険な建物は取り壊して敷地は童画のまちづくりに役立つ活用をしていくという要望事項を最大限尊重していくことに変わりはありませんので、よろしくお願いいたします。
 次に、(2)の有効活用の方途についてでありますが、議会に生家敷地が寄贈されたことを御報告申し上げた後、西堀区生家を考える会には、経過を含めまして、市としての方針等をお伝えいたしました。その場では各会員からさまざまな御意見をいただいておりますが、考える会としての結論は今後正式にお伺いできるものと考えておりますので、よろしくお願いしたいと思います。
◆7番(横内正議員) 武井武雄の生家の問題に移ります。
 先ほどお聞きをしましたが、寄贈した特別縁故者の意向というものについて、もう少し詳しくお知らせ願います。
◎経済部長(小泉光世君) 相続手続の開始以来、生家敷地の今後につきまして、特別縁故者、相続財産管理人、市が、それぞれ個々に話し合いを伴い、最良の方法を探ってまいりました。特別縁故者は、三春氏が生家を大切に思う気持ちも、また反面、維持に苦慮していた現実も見ておりまして、生前から2人の間ではこの件が話題に上っていたとお聞きしておるところでございます。
 ちょうど、全国の自治体が財政危機から公共施設の廃止等を検討しているという話題が全国紙をにぎわしている時期でもありまして、それらを踏まえまして、特別縁故者の要望は、傷みの激しいあの建物は取り壊し、武井武雄生誕地にふさわしい、永続的に武井の童画文化を実感してもらう場所にしていってほしい、より多くの人たちが武井武雄という芸術家を感じることができ、特に、子供たちの笑い声が響きわたる場所にしてほしい、そのことによりまして、武井武雄が岡谷市民の心に長く生き続けることを願ったものであるというふうに考えております。特別縁故者は、今後生家敷地が相続や譲渡の対象とならず、だれにも過大な負担をかけず、安定的に武井武雄生誕地として残っていくことを願い、より現実的な選択をなさったものというふうに思っているところでございます。
◆7番(横内正議員) 以前経済建設委員会で視察をしましたが、20年間も空き家のまま放置されておりまして、老朽化や破損がひどいという印象を持ちました。貴重な建物とのことでありますが、文化財審議委員会での見解はどうなっておるんでしょうか。
◎教育部長(小林利男君) 武井武雄の生家に関しまして、いろいろな状況、情勢等につきましては、文化財保護審議委員会のほうには報告してございますし、当然、文化財保護審議会の委員さん全員が現地を何回も視察しております。その建物の価値につきましては、審議委員さんそれぞれ個々のさまざまな意見があったのは確かでございます。教育委員会としましても、保存とか、指定とか、そういった部分で正式に諮問しているわけではございませんので、文化財保護審議委員会としての統一した見解は出ていない状況でございます。
◆7番(横内正議員) なかなか微妙な問題だということでわかります。私は思うんですが、財政が許すならば、これは保存できるにこしたことはありません。しかし、改築に要する費用とか今後の維持管理費を考えますと、全面保存は極めて難しいと思っております。芸術家武井武雄の人と作品の検証、それから、さらに童画文化の発信というものは(「リーン」予鈴)イルフ童画館、これで満たされているのではないかというふうにも思っておりますが、その辺についてはどうお考えでしょうか。
◎経済部長(小泉光世君) 議員さんのおっしゃるとおり、童画のまちづくりを進める上で、イルフ童画館が童画文化の発信基地として最重要であるということに変わりはないというふうに考えております。童画文化に触れていただく大切な窓口として、多くの方に御利用をいただきたいというふうに思っております。
◆7番(横内正議員) (2)の有効利用の方途ということになりますが、あそこには、たしか隣接して西堀保育園があるわけですけれども、これも老朽化していると思うんですが、この建てかえ用地にすべきというような意見はないのでしょうか。
◎経済部長(小泉光世君) そういうような御意見もあるというふうに伺っているところでございますけれども、正式な要望等の形ではちょうだいしていないということでございますので、よろしくお願いしたいと思います。
◆7番(横内正議員) 武井武雄生誕の地にふさわしいというあり方を考えるならば、子供たちの歓声が日々響く、どういう名前が適当かどうか知りませんが(仮称)ラムラム保育園、こういったものでの活用というものは、これは大きく検討に値すると思っております。その中で、例えば、現在残されている長屋門はそのまま入り口としまして、あと内部の園の中身には童画の意匠をふんだんに取り入れるなど、また、生家の一部を何とか保育園の中に入れ込むとか、あるいは記録保存、模型みたいなものをつくるとか、そういうこともして、その中で生家の意義を最大限生かす、こういう利用方法が考えられると思っておるんですが、その辺についてはいかがですか。
◎経済部長(小泉光世君) 寄贈契約の中で、子供を含めまして、多くの人々に武井武雄の童画文化に触れられるよう、より有効に活用しというような規定がされておりまして、生家敷地の活用に当たりましては、武井武雄の童画文化をいかに生かしていくかというようなことが重要になってくるというふうに考えております。そのような観点から、活用に当たってのさまざまな検討を行ってまいりたいというふうに考えておりますので、よろしくお願いしたいと思います。
◆7番(横内正議員) 市の財政が極めて厳しい折、しかも、公共施設を統廃合せざるを得ないというような状況の中で、やはり、この問題は、地元の方々、あるいは保存要望をなさる方々の気持ちはわかるんですけれども、これは、やはり、全市的な視野から考えなければならないと思っております。例えば、市民見学会みたいなものを催して市民の理解を得ていく、そういう考えはありますか。
◎経済部長(小泉光世君) 現在、西堀区の生家を考える会において検討が行われているということであります。まずは、そのお考えをお伺いしてまいりたいというふうに考えております。全市民対象の市民見学会につきましては、特に現在そういうような市民要望をお伺いしておりませんので、今後また動向を見る中で考慮してまいりたいというふうに思っているところでございます。
◆7番(横内正議員) 私は常々思うんですが、今、産業遺産群のことが活発化しておるんですが、岡谷市には残さなければならなかった製糸の遺産はたくさんありました。例えば、諏訪倉庫、吉田館の繭蔵、それから信栄工業の建物、川岸支所等々いっぱいあったわけですが、それぞれ時代の中で壊されてしまったということがあります。ちょっとニヒルな言い方になりますが、方丈記の一節ではないですが、「ゆく川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結び久しくとどまりたるためしなしこの世にある人のすみかもまたかくのごとし」、こういう文があるわけなんですけれども、残せるものなら残しておきたかったということはよくわかるんです。今、古いものを壊してしまえば、もう二度と復元できないということもわかるんですが、私たちは現在生きている中で最良の方法を見つけていくと(「リ・リーン」終了)こういうことが必要だというふうに思っております。
 私見を述べまして、以上で私の一般質問終わります。ありがとうございました。

平成20年12月11日
◆15番(横内東洋雄議員) 次に、2番、文化財保護と武井武雄生家の関係でお聞きします。
 なお、これについては、先番の一定の質疑、答弁がありましたが、6月議会の質疑からの流れがありますので、改めて通告に沿って質問してまいります。
 まず、武井武雄生家の保存であります。
 私は、6月議会でこの問題について質問しましたが、その直後より、地元での武井武雄の生家を考える会の立ち上げや、生家に関心を持つ関係者らの動きなどが見られました。その後、私が耳にした有識者の声のほとんどは、市はもっと慎重に対処すべきとの意見でありました。
 そこで、6月議会で示された市の寄贈者の意思を尊重しての取り壊しの基本的考え方は今も変わらないのか、お伺いします。
 (2)の教育委員会の主体的対応は、6月議会の一般質問の際投げかけておいた点であります。すなわち、文化財の視点から武井武雄生家をどう見るか、また、文化財審議会に諮問するのかどうかであり、このときの答弁はその両面での検討をしていきたいでありました。今回、その結果をお伺いします。
 また、教育委員会は今までに武井武雄生家を調査したことがあるのかどうか、お聞きします。
 さらに、類似する先例として東堀の旧渡辺家住宅がありますが、この文化財指定の経緯及び改修等について御説明いただきたいと思います。
 次に、(3)地元要望と関係者の動きについて伺います。
 10月初旬、地元西堀区より武井武雄生家周辺の環境整備を求める陳情がありましたが、これについての市の対応をお聞きしたい。また、身銭を切って新聞紙上での建物の文化財的価値を訴える地元関係者の動きも見逃せませんが、これについてもあわせて御答弁願います。
◎教育部長(小林利男君) 大きな2番の(2)の教育委員会の主体的対応についてお答えいたします。
 6月議会の際にも答弁させていただきましたが、武井武雄の生家というよりも、江戸時代に建てられた中級武士の家という部分で文化財的価値があるかどうかということだと思いますが、経過を見ますと、2度の火災に見舞われ、また貸し家として使用され、相当大きな増築工事、改修工事等も加えております。武井武雄の生家につきましては、文化財保護審議委員会で委員さん全員が視察されましたが、現状を見るにつけ、これは大変貴重な財産なのでぜひとも残して保存すべきではないかという意見の大勢はなかったような感触でございます。
 また、文化財保護審議会に諮問するかにつきましては、寄贈を受けた際の経過から見ますと、現在、教育委員会としては諮問対象にならないと考えております。
 また、教育委員会は武井武雄生家を調査をしたことがあるかという御質問でございます。岡谷市近世建造物につきましては、昭和58年に工区の建築設計監理協会等の皆さん方に依頼しまして、第1次の調査を実施し、また、昭和60年には千葉大学の工学部の建築学科の建築史研究室において依頼して第2次調査を実施し、その一環として武井家を調査しており、その報告書は平成2年3月末日に発刊されております。
 次に、旧渡辺家住宅の文化財指定の経緯と改修費についての御質問でございますが、昭和28年8月に当主渡辺昭氏から長地村に寄贈され、その後、長地村と岡谷市が合併という経過を経まして、一貫して東堀区が管理してまいりました。その後、地元から保存に向けた機運が盛り上がり、岡谷市に対しまして旧渡辺家住宅の保存対策に関する陳情があり、平成2年2月21日に岡谷市教育委員会は旧渡辺家住宅を岡谷市の有形文化財に指定するとともに、その保存管理事業に着手しました。外構工事を含めて事業費は約3,763万7,000円でございますが、なお、渡辺家住宅はその後、平成5年8月に長野県の文化財の県宝に指定されております。
◆15番(横内東洋雄議員) 次に、2番の文化財保護と武井武雄生家の関係でありますが、初回の御答弁いずれも理解しがたいので、再度、順次質問してまいりたいと思います。
 まず、(1)武井武雄生家の保存についてであります。
 まず、市が取り壊しの理由の一つに挙げている老朽化についてお聞きします。
 実は、武井武雄生家は、昭和47年に長屋門の屋根をかわらにふきかえた際、母屋の土間や柱なども点検し、一部改修されています。また、この生家は近年まで小井川小学校の教員住宅として使用されており、老朽度はそれほどではないというのが生家を知る人の意見です。市は何ゆえそれまでに建物を老朽化と決めつけ取り壊しを急ぐのか、その辺の考えを再度お聞きしたいと思います。
◎経済部長(小泉光世君) 生家建物の状況についてでございますけれども、教員住宅に使用していた時期もありますし、また、完全に空き家となっていた時期も少なからずあったものと認識しております。改修や増築などに対して、武井三春氏も困惑する状況であったことも事実のようであります。精密な調査を行ったわけではありませんが、明らかに壁や屋根のゆがみも顕著である状況であり、市の建築士を含めた目視による判断、これまで管理をされてきた特別縁故者の認識等から考え、傷みは急速に進んでいるものというふうに思っております。そのような状況から、多くの方に見ていただける状態まで改修するには非常に多額の改修費が必要となると予想しております。取り壊しを急いでいるということはありませんけれども、現状のままでいつまでも放置することは望ましいことではないというふうに考えております。
◆15番(横内東洋雄議員) 次に、市が取り壊しの理由として挙げているもう一つである寄贈者の意思についてお聞きします。
 生前の武井武雄先生自身は、「先祖から預かった家だから守っていかなくてはいけない」と言っておられたと近親者は証言しています。これを耳にしている長女三春氏がよしんば、維持改修に大きなお金がかかれば取り壊しても構わないと言ったとしても、これは本意ではないと私は思います。先生の亡き後、生家の修繕費の見積もりなどで、思いのほか大きな金がかかることを知った三春氏の市への気遣いに過ぎないのではないかと私は思います。それを市は都合よく寄贈者の意思を尊重していると言うのは、余りにも手前勝手過ぎるのではないか。私は、そんな点を武井武雄先生に成りかわって再度お尋ねします。
◎経済部長(小泉光世君) 三春氏が生存中には、お父様の意思を継いで、生家建物の取り壊しを許すことはなかったと思っております。三春氏は生前、維持管理に苦労していたものの、私が生きている間だけはこのままにしておくと話されていたようであります。ただ、特別縁故者は、三春氏が生家を大切に思う気持ちも、維持に苦慮していた現実も見ていることから、お二人の間ではさらにその先はどうするのかという話題の中で、結局はしかるべきところに寄贈せざるを得ないという認識で一致していたようでありまして、維持の大変な傷みの進む建物の取り壊しも含めて話し合われてきたようであります。このことは、特別縁故者の要望の中にも書かれております。
 本来、岡谷市には相続権はなく、通常であればすべての財産が特別縁故者に渡ったか国庫に帰属するところでありますが、縁故者の方の要望があり、岡谷市も童画のまちづくりを進めるために活用したいという意思を示したこともあって、東京家庭裁判所の審判を受けて、相続財産管理人より、特例的に岡谷市に寄贈されたものであります。寄贈にかかわったこれらの方々の意向については最大限尊重すべきものというふうに思っております。
◆15番(横内東洋雄議員) 御答弁、全く理解しかねます。
 次に、童画のまちづくりの視点から市長さんにお伺いします。
 市は、イルフ童画館の建設を機に、童画のまちづくりを標榜し、日本童画大賞も創設したほか、街路灯や公共施設の壁面に武井武雄の童画やデザインを用いるなど、十二分に武井武雄を活用して、文化の薫り高いまちづくりを目指しています。にもかかわらず、武井武雄関係の重要な観光スポットである生家を守らないのか、現存するものを取り壊すなどと軽々しく口にされるのか、全く理解に苦しみます。この視点での市長さんのお考えをお伺いします。
◎市長(今井竜五君) 岡谷市は、童画のまちづくりということで、武井武雄先生の作品を大切にし、市内のさまざまなところで使わさせていただいておりますし、岡谷市から日本童画大賞という発信もさせていただいているところでございます。しかし、そうしたことでございまして、童画のまちづくりということを実感をしていただく場所ということで、今後も生家敷地というものは考えてまいりたいと思っておりますし、故武井三春氏財産相続関係者の間で検討を重ねた上で最終的に寄贈契約を締結し、岡谷市にあの敷地が寄贈されたものでございます。寄贈を受けた後でそういった過程をすべて白紙にするということは大変難しいことだと思います。岡谷市は、最大限この経過を尊重すべき立場ではないかというふうに考えております。
◆15番(横内東洋雄議員) 市長さんの生家土地は武井生誕地として童画のまちづくりを実感できる場所としたいという考えも理解できなくもありませんが、若干疑問が残ります。
 そこで、再度市長さんにお伺いします。市長さんは、文化財保護という視点で、武井武雄生家をどうごらんになっているのか。文化財の保護行政は教育委員会がつかさどるものであり、市長が先走って結論めいたことを公言することは、教育行政をゆがめる結果になりはしないか。これについて再度、市長さんのお考えをお聞きします。
◎市長(今井竜五君) 先走っているわけではございません。質問の中で私は答弁をしているのでございまして、その中で特別縁故者の要望という形があり、岡谷市への寄贈を後押ししていただいたわけでございまして、その契約成立時にかかわる経過、その契約内容等につきましては正しく伝えなければいけないというふうに考えております。
◆15番(横内東洋雄議員) ありがとうございました。
 次に、(2)教育委員会の主体的対応について再度お聞きします。
 まず、この武井武雄生家の扱いについて、市側から話のあったのがいつの時点で、どのような合議であったのかお聞きします。
◎教育部長(小林利男君) いつの時点であったかという話ですが、当時は担当が経済部でございますが、平成19年5月に正式に庁内会議が開かれて、その際には、故武井三春氏が亡くなられて、そこの経過、また岡谷市への作品の寄贈とか、著作権の寄贈とか、そういった部分含めて当時、庁内会議が開かれたと思っております。
◆15番(横内東洋雄議員) その際、また改めて文化財としての見解の打診はあったかどうかお聞きします。
◎教育部長(小林利男君) その際の庁内会議の際の担当者の経過説明等を聞く中では、生家建物含めて検討課題としては今後対応していくという部分で、文化財を指定するとかいう部分の具体的な話についてはなかったように思っております。

◆15番(横内東洋雄議員) 次に、調査の関係ですが、その調査は市内の建造物を対象に行われたもので、武井武雄生家の調査原図の写しはこれでございます。これらをもとに、平成2年3月に調査報告書としてまとめられたのがこの冊子であります。この中に武井武雄生家については、童画家、武井武雄氏を記念する建造物としてだけでなく、中級武士の生活をしのばせる遺構として重要で、何らかの保存が望まれると報告されています。一方、渡辺家住宅については、幕末ころに建設されたと推定される下級武士の住宅の遺構として貴重であると記されています。この両住宅の調査結果を比較すると、明らかに重要度と保存の必要性は武井武雄生家のほうが高い。にもかかわらず、この本の出る直前の平成2年2月21日、教育委員会は、岡谷市文化財審議会の議を経て、旧渡辺家住宅を岡谷市文化財に指定しています。この辺の背景について再度お伺いします。
◎教育部長(小林利男君) 先ほど、昭和60年に千葉大学の建築学科の皆さんの協力を得て、第2次の調査をしましたことはお答えいたしました。当時、約50数カ所を市内全体で調査したわけでございます。その際に旧渡辺家と武井家住宅、どちらが重要であるかというのは非常に比較するのは難しいというふうに考えておりますし、当時の状況では、旧渡辺家住宅につきましては、文化財指定するときの条件とか環境が整ったものでございまして、当時の20数年前の武井家住宅につきましては、まだ個人的な私有財産であり、また不在ということもございましたので、調査はしたものの、岡谷市文化財指定候補としての動きはなかったということでございます。
◆15番(横内東洋雄議員) 調査報告書の関係で再度お伺いします。この報告書は、初版から1年半ほどたった平成3年10月に3刷り増刷されています。ところが増刷の中を見ますと、旧渡辺家住宅の報告の一部が書きかえられています。その部分は、先ほど説明した「幕末ころに建設されたと推定される下級武士の住宅の遺構として貴重である」という部分です。かわりに部屋の間取りなどが記されております。これを意図的な改ざんとは申しませんが、通常、報告書を書きかえるなどということはあり得ないことであります。非常に不快に思います。この後、平成5年8月に長野県文化財県宝に指定されていますが、これに関係しているのか、いずれにしても、この報告書の書きかえの経過を再度お伺いします。
◎教育部長(小林利男君) 報告書の内容を改ざんという言葉をいただきましたが、これは当然、時系列的な経過がございます。旧渡辺家住宅は平成2年2月に市の指定文化財に指定されまして、平成2年4月には修復復元工事が開始されたわけでございます。それで、約1年ちょっとかかりまして、平成3年9月30日に竣工したわけでございますが、その解体作業中に、天保11年のほうの改造を物語るような墨書とか、それから座敷での壁の下張りのほうから本住宅の改造計画の絵図が発見されたことになっております。当然、千葉大学のほうではそういった部分は当時調査できませんでしたので、そういった新発見ができたために、増刷する際には、その記載内容について若干記述し直す方向が生じたものですから、当時の新刊発行のときから在庫も余りありませんでしたので、平成3年のときに改訂版として増刷したものでございますので、これは解体作業中にそういった新事実が見つかったということも踏まえて改訂したものでございます。したがいまして、意図的に、また部分的に書きかえということではございませんので、よろしくお願いします。
◆15番(横内東洋雄議員) 御答弁、一応了としておきます。
 次に移ります。
 武井武雄生家の建立は元禄12年、1699年と言われます。一方、保存会が発行した本によると、旧渡辺家住宅は18世紀中ごろとされ、武井武雄生家のほうが50年くらい古い建物ということになります。しかも、武井家のほうが役名、禄高も高いこともあり、長屋門つきの武家屋敷で住宅規模も大きいわけです。また、文化財として見ても、門と母屋と土蔵の三点セットの武家屋敷の保存例は県内でも極めて少なく貴重と言われております。したがって、私は、旧渡辺家住宅の文化財指定の先例があれば、当然、武井武雄生家が文化財に指定されてもおかしくないと思いますが、この点について教育委員会に再度お伺いします。
◎教育部長(小林利男君) 旧渡辺家住宅と比較して武井武雄生家の部分について保存価値が高いという御意見でございますが、武井家住宅につきましては、元禄の1688年ころ、一度火災で焼失したということで言われております。現在では長屋門と母屋と土蔵、3つから成っているのは事実でございます。江戸時代の中級武士という部分では言われております。それに対しまして、旧渡辺家もカヤぶきで寄せ棟づくりということで、江戸時代の数少ない散居武士の家としても貴重とされております。平成2年に岡谷市の文化財として指定され、また平成5年には長野県宝に指定されました。現在、岡谷市が武井家の生家、敷地等も含めまして寄贈を受けた際の経過もございますので、教育委員会としては、先走って岡谷市の文化財に指定諮問という部分にはちょっと対象としにくいのではないかというふうに考えております。
◆15番(横内東洋雄議員) 10月の文化財審議会で武井武雄生家について話が出たように聞きますが、どのような意見が出されたのかお聞きします。
◎教育部長(小林利男君) 10月に第2回目の文化財審議会が開催されたのは事実でございます。先ほど冒頭で答弁しましたように、委員さんからはそれぞれ個々のさまざまな意見があったということで、これほどの財産は大変貴重だからぜひとも残せという部分の意見は非常に少なかったような感じもしております。文化財審議会として統一した見解が出ていないのが現実でございます。
◆15番(横内東洋雄議員) 岡谷市文化財条例の第42条に、文化財審議会に学識経験のある臨時委員を置くことができるとあります。武井武雄生家の審議に当たり、臨時委員を置く考えはないかお伺いします。
◎教育部長(小林利男君) 岡谷市の文化財保護条例の先ほど申しました第42条には、特定の事項について調査する必要があるときは臨時委員を置くことができるという規定でございます。文化財への諮問の際にそのようなことの必要があれば、臨時調査委員をお願いするケースも今後は出てくると思われますが、今回は諮問をしておりませんので、考えておりません。
◆15番(横内東洋雄議員) お考えはわかりました。
 次に、教育委員会は、市長部局とは独立した執行機関です。特に文化財保護行政等については、一貫性と主体性を持って、公正な良識ある判断と対応を処することが必要かと思いますが、そこで、岩下教育長さんに武井武雄生家についての所見をお伺いしたい。教育長さんは、就任前は博物館長であり、文化財についてはより高い見識をお持ちのことと思いますのでよろしくお願いします。
◎教育長(岩下貞保君) 文化財保護審議会委員さんお一人お一人の思いとか、それから岡谷市が寄贈を受けた経緯、こういったことに思いをめぐらせますとき、私自身も教育部長がお答えしたとおりでありますので、どうぞよろしく御理解いただきたい、そんなふうに思います。
◆15番(横内東洋雄議員) ただいまの答弁、教育長さんの常識と組織のはざまに立った苦しい答弁であることは十分察することができます。しかし、あなたの判断が、岡谷市の文化財保護、いや、教育行政にまた一つ汚点を残す結果となったらどうしますか。再度お伺いします。
◎教育長(岩下貞保君) あるいは汚点を残す結果になるやもしれません。私自身も実際に見させていただきまして、そうした中でいろいろ迷うところもありますけれども、先ほど申し上げましたように、寄贈の経緯、それから審議委員さんお一人お一人の迷いだとか思いだとか、そういうものを思うにつけても、私自身も迷いつつ先ほどのように申し上げました。よろしく御理解ください。
◆15番(横内東洋雄議員) ありがとうございました。
 次に、(3)地元要望と関係者の動きに関連してお伺いします。
 市は、理由づけはともかく、当初より取り壊しの方針を決めていますが、一体建物を取り壊してその跡地をどうするのか、そのお考えをお聞きしたい。常識的に考えて、そこまで考えて方針を出すのが行政の責任であり、市民への説明責任というものではないかと私は考えるわけですが、跡地の活用をどう考えておられるのかお伺いします。
◎経済部長(小泉光世君) 先ほどお答えしましたとおり、生家敷地の活用は寄贈契約に基づくものであります。契約内容に基づく方針を表明することは、契約に対する信義誠実にかなうものだというふうに考えております。
 基本的な活用方針としましては、子供たちを初め、より多くの人たちが武井武雄という芸術家を身近に感ずることができ、童画文化を実感していただける場所にしていくということになるかと思っております。具体的な活用方針につきましては、地元西堀区等の御意見も伺いながら今後、慎重に決めていくものというふうに考えておりますので、よろしくお願いします。
◆15番(横内東洋雄議員) ここで、武井武雄生家の保存を前提とした具体的な活用方法について提案をしておきたいと思います。土蔵の中には、平野村村長を務めた慶一郎氏時代の生活民具や新聞等の資料がおびただしく所蔵されているとのことであります。また、武井武雄は疎開で3年半ほど生家に住み、その間の生活絵日記をつづり、後年、「戦中・戦後気侭画帳」と題した本にしています。これらの生活民具の展示と武井武雄の疎開生活の(「リーン」予鈴)パネル展示などをあわせると、ユニークな武井武雄記念資料館となると思います。これについて市のお考えをお伺いしたいと思います。
◎経済部長(小泉光世君) 現在の建物を再利用するには、建物の根本的な改修が必要となりまして、多額な投資が必要というふうに予想しております。武井武雄作品の展示を中心とするイルフ童画館は、童画文化の発信基地として、童画のまちづくりの中心になるものと考えております。イルフ童画館には作品を制作していた机なども展示しており、この上、資料館、美術館等を設けることは二重投資になってしまいますし、慶一郎氏の民具と童画文化との関連性も含め、位置づけとして難しいものになるというふうに思っておりますので、よろしくお願いします。
◆15番(横内東洋雄議員) どうも武井武雄生家の議論は水かけ論の繰り返しのようで、かみ合いません。しかし、どんな歴史的遺産でも取り壊してしまえば終わりです。くれぐれも後々、後顧の憂いを残さぬよう慎重な検討を強く要望しておきます。

岡谷市議会会議録より1(平成20年6月定例会以前)

2013年06月21日 22時31分58秒 | 岡谷市議会会議録
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金


岡谷市議会会議録

平成2年6月定例会
平成2年6月7日

◆20番(宮崎福二君) あと武井武雄美術館でございますけれども、武井武雄先生の生家が非常に御立派で門構えもすばらしいと、この間写真をいただきました。あの由緒ある建物を保存することを考える中でぜひあの地へつくったらどうかと私としては考えますし、地元の西堀区等でもそのような意向があるようでございますので、そのようなお考えはどうかということをもう1回お尋ねしたいと思います。

◎教育長(八幡栄一君) 武井武雄先生のお宅は門構えでありまして、しかも非常に古いお宅でございますが、先日千葉大学の大川教授に内部にわたって調べていただきました。
 文化財として保護するのには問題があるということでございます。非常に改造が多いということでございます。さらにあの土地へ美術館に類したものということでありますが、あれは御遺族の土地でございますので、私どもが今さらどうこうということは申し上げられないのですが、将来考えていく上で1つの候補地にはなろうと思っています。以上です。


平成8年9月定例会
平成8年9月11日

◆18番(三井正二議員) 18番 三井正二です。通告順に従いまして質問をさせていただきます。
 続いて6番目であります。故武井武雄宅の、いわゆる生家の保存についてであります。
 長い間議論されてまいりましたけれども、中央町再開発の第2街区に、アミューズメント施設の一角に、観光文化施設として武井武雄氏の、一応仮称として日本童画館が決まりました。具体的には平成10年の春オープンを目指してこれから着工していくことになっていくわけでありますけれども、当然完成をすれば、大勢の皆さん方がその童画を見に来るというふうに思います。しかし、より以上、やはりそうした童画に対する関心、夢などを持ってもらうためにも、郷土から生まれた童画家の武井武雄というものをよく知ってもらうために、やはり生家というものが現在ある以上、それをひとつ保存をして、できる限り岡谷を訪れた皆さん方に知ってもらう、こういうことも大変私は大事なことではないだろうか。そうしたつながりを持ちながら、本当に深く知っていただくということが、これからより以上、そういう童画館をつくったにしても関心を持ってもらうことになるんではないだろうかというふうに思っているわけであります。そういう点で、市として、現在ある武井武雄宅を保存をして、できる限り一般の皆さんにそうしたものを見てもらう。こういうことをやっていってもらえるようなお考えはないのかどうか。この1点をお聞かせをいただきたいと思います。

◎市長(林新一郎君) 三井議員さんの御質問にお答えします。
 武井武雄の生家の保存についてでございます。
 童画館の建設に当たって、武井先生の御遺族である武井美春(注 正しくは「三春」。以下同じ。)さんと、どのような館にしていくかについて御相談させていただいておりますが、生家の保存についての話をした経過はございません。生家の保存については、市として保存することは難しいお話であると考えますが、地元の皆さん、また御遺族の武井美春さんの御意向もお聞きしながら、機会をとらえ、お話をさせていただければありがたいと考えております。

◆18番(三井正二議員) それから、武井武雄宅の保存についてですけれども、これは少し、何か聞いておりますと積極性がちょっと感じられない。何か話し合って、向こうがいいと言えばやってやるけれどもというような感じですけれども、市として、少なくとも第2街区に童画館を、そういうものをつくるということになった場合に、恐らくやはり来た人たちも、武井武雄というものはどういう人かということを聞きたいと思いますよ。その場合に生家が実際にそこにあるといったときに、ああいう生家を訪れたときに、一体何というところだ、こういうことにもなりかねないので、それは相手が絶対だめだということならば、これは別ですけれども、ある面では保存の仕方とかいろいろと、これは今後の運営については十分考えていかなければならんわけですが、本当にやる意思があるのかどうか。そういうことについて、もう一度ちょっとお聞かせください。

◎市長(林新一郎君) 故武井武雄の生家に関してでございますが、これは現在相続人であります武井美春さんの個人の財産になっておるわけでございます。市としては、武井美春さんと、この生家のことに関してはまだ何もお話をしてございません。したがいまして、この席ではこれ以上進まないと思いますので、御理解いただきたいと思います。

◆18番(三井正二議員) ちょっと申しわけございません。市長が言われたの、ちょっと私の質問と違うものですから、もう一度ちょっと精査してお答えいただけたらなと思いますが。相手の考え方ではなく、市の考え方を聞いているわけですから。

◎市長(林新一郎君) これは先ほどから申し上げておりますように、武井美春さん個人の資産、財産でございます。武井美春さんの御意向をこれからお伺いして、市としての対応が出てくるのではないかと思っております。現時点では申し上げられないということでございます。

◆18番(三井正二議員) 三井正二です。
 ちょっと時間がございませんので、以上で終わりますけれども、ただ1点、今、市長答弁の中で、私は美春さんとの関係はそこに当然出てくるわけですけれども、市として今日、そういう童画館をつくるに当たって、そういう熱意を持って交渉してみる意思があるのかどうか。これを問うているわけですから、相手がそれはいかんと言えば、それはやむを得ないと思いますけれども、市の考え方を少し、本当に前向きでやるのか、やらないのかということをちょっと問いただしたわけですから、もう一度お願いいたします。

◎市長(林新一郎君) 武井武雄の生家に関しましては、地元西堀区でも水面下の動きがあるやに聞いておるわけでございます。そのような状況の中で、現時点では何も岡谷市として明確なことを申し上げられないという状況でございます。


平成19年6月定例会
平成19年6月12日

◆2番(武井富美男議員) 2番 武井富美男でございます。
  岡谷市の生んだ童画家武井武雄先生の作品は、御承知のとおり、その多くがイルフ童画館に納められまして、展示をされております。そのメルヘンチックな作品は多くの人を魅了し、市民のほか、内外の多くの方々に見ていただいているところでございます。また、武井武雄先生の作品は、ハード、ソフト両面にわたりましてまちづくりに生かされておりまして、岡谷市は特色あるまちづくりとしまして童画のまちづくりを推進しているところでございます。
 さて、昨年5月、武井武雄先生の長女の方が亡くなられましたけれども、武井武雄先生の作品を中心とした童画のまちづくりを推進している岡谷市にとって貴重な作品、また西堀の生家の行方が心配になるところでございます。現在、市として先生の作品、生家等についてどのように市は考え、どのように対応しているか、お聞きします。
 次に、(2)相続財産の整理の時期であります。
 民法の特別縁故者となるかもしれない人がいるようでございますけれども、その人への財産分与及び相続財産の国庫への帰属の可能性も含めまして、最終的にいつごろ財産の整理がなされる見込みでしょうか。

◎経済部長(小泉光世君) 大きな3番の武井武雄の作品、生家等についての(1)の市としての考え、対応についてでありますが、岡谷市としまして、童画のまちづくりを進め、イルフ童画館を運営していく上で、武井武雄の作品及び著作権については今まで同様の使用ができる状況にしてまいりたいと考えており、三春氏が亡くなられた後、昨年末に東京家庭裁判所が相続財産管理人を選任し、現在は相続財産管理人のもとに管理されております。作品についてでありますが、岡谷市の童画のまちづくりに対する考えを相続財産管理人に御理解いただき、ほとんどの作品を当分の間、市に寄託をいただくこととなり、イルフ童画館において適切に管理をしているところであります。また、著作権の使用についても、従来と同様の取り扱いを認めていただいているところであります。
 いずれにしましても、作品の所有者や著作権がどうなるのか、西堀の生家など、その他の財産はどうなるのかは基本的に個人の相続財産であり、最終的には東京家庭裁判所の判断となります。今後とも、童画のまちづくりに支障がないよう対応してまいりたいと考えております。
 次に、(2)の相続財産の整理の時期でありますが、法的相続人の明らかでない場合は民法の規定により相続財産は法人化され、相続財産管理人のもとに管理されます。一定の期間、債権者、相続人の捜索がなされ、清算後、残った財産が特別縁故者の申請により分与され、残余財産は国庫に帰属することとなっております。武井三春氏の場合は法定相続人が明らかでなく、民法上の規定により相続財産は財産管理人のもとに管理されております。現在は相続人捜索の公告に入った段階にあると聞いております。この期間は6カ月以上とされており、ここで相続人がいないことが確認された後、特別縁故者が3カ月以内に申し立てを行うことになっております。これらの手続の期間から考え、最終的に財産の整理がなされるのは少なくとも9カ月以上先になるというふうに考えておりますので、よろしくお願いしたいと思います。

◆2番(武井富美男議員) この問題は基本的に個人の財産に関するものでございますけれども、相続財産管理人も官報でもって公告されておりまして、公にされております。御答弁のとおり、最終的には家庭裁判所の判断を待つしかありませんが、市として財産管理人に申し出できることは、積極的に対応してほしいと思います。
 なお、私は、財産管理人とよく連絡をとりながら、作品を何とか市のものになるように努力をしてほしいと思いますし、また地元西堀の生家の行方がどうなるのか、西堀の生家が国有財産となりまして、即競売に付されたのでは心配でございます。そこで、1点お聞きします。時期を見て、また必要に応じまして、地元西堀区にも説明をしてほしいと思いますが、いかがでしょうか、お聞きします。

◎経済部長(小泉光世君) 現状は相続人を捜しているところでありまして、また個人の財産の相続にかかわる問題のために慎重な対応が必要であるというふうに思われますが、地元区等に説明する必要が生じた場合には、適切な時期に対応を検討してまいりたいというふうに考えておりますので、よろしくお願いしたいと思います。

◆2番(武井富美男議員) よくわかりました。ある時期が来ましたら、ぜひよろしくお願いいたします。
 それから、もう1点お願いします。現在、市に寄託されている作品はどのくらいあって、これを財産管理人の許可を得まして早期に展示できないものかどうか、お伺いします。

◎経済部長(小泉光世君) 現在、市に寄託されております作品は、原画、版画類、約2,000点のほか、刊本作品、アルバム、制作資料、書籍類などがあります。お預かりした作品や、その資料は、現在イルフ童画館におきまして分類、整理を進めているところであります。現在、行っておりますその分類、整理に見通しがついた段階で、なるべく早期に展示をしたいというふうに考えておりますが、非常に多くの、また貴重な作品等でありますので、イルフ童画館のPRにつながるような効果的な展示の方法と、そのタイミングを考えてまいりたいというふうに考えておりますので、よろしくお願いしたいと思います。


平成19年12月定例会
平成19年12月13日

◆2番(武井富美男議員) 2番 武井富美男でございます。
 次に、大きな3番、武井武雄作品、生家等についてでございます。
 この件につきましては、ことしの6月の議会に一般質問をいたしましたが、その続きとなるものでございます。私は、岡谷市が生んだ童画家、武井武雄先生の作品を中心とした童画のまちづくりを推進する立場から質問させていただくものでございます。
 (1)としまして、著作権や生家についての市の考え方と今後の見通しでございます。
 これは、過日、経済建設委員協議会にも報告がされ、また、新聞報道もされておりますけれども、作品、資料等は特別縁故のあった方から今年9月に東京家庭裁判所の許可を得て岡谷市に寄贈されましたが、著作権だとか自分の生家、土地・建物でございますけれども-につきましては、どうなるのでしょうか。市は、その必要性をどのように考えているのかお聞きします。
 次に、(2)相続財産の処分の最終的な時期でございます。
 これは、東京家庭裁判所による最終的な決定はいつごろになるのかということでございます。
 次は、(3)寄贈作品の一般公開の時期についてお聞きします。

◎経済部長(小泉光世君)  次に、大きな3番の武井武雄作品、生家等についての(1)の著作権や生家についての市の考え方と今後の見通し、それと、(2)の相続財産の処分の最終的な時期についてでありますが、まず、武井武雄作品の著作権や生家、敷地につきましても、寄贈いただきました作品と同様、武井武雄氏がつくり上げた童画文化を後世に伝え、岡谷市の童画のまちづくりを進める上で重要な財産であると考えております。また、武井三春氏と特別に縁故のあった方からは、なくなった三春氏の遺志であるので、作品や製品、制作資料、著作権、西堀の生家、敷地については、武井武雄の童画文化を守り、童画のまちづくりを進めていくため、岡谷市に無償で受け取ってほしいというお話をいただいていることもあり、相続財産管理人に対しまして本年8月にこれらを無償譲渡していただくようお願いをいたしました。その結果、作品資料につきましては、本年9月岡谷市に無償譲渡をいただいたところでございます。著作権、西堀の生家、敷地につきましても、作品、資料と同様、無償譲渡を受けられるよう、現在、話し合いを進めているところであります。
 次に、今後の見通し及び財産処分の最終的な時期についてでありますが、現在、本年12月下旬までの間、相続人捜索の公告が行われております。その後に、特別縁故者が3カ月以内に相続財産の分与を申し立てることとなっております。申し立ての後、債権者への支払いが行われ、残った財産について東京家庭裁判所の判断により、その一部または全部が特別縁故者に分与され、さらに残った財産は国庫帰属となるものでありますが、これらの最終的な手続にどのぐらいの期間を要するかは法的に定められておらず、具体的にはわかりませんので、よろしくお願いいたします。岡谷市に無償譲渡をいただけるかどうか、また、その時期はあくまでも東京家庭裁判所の意向によることとなり、岡谷市は相続財産管理人等との話し合いを続けながら、その判断を待つものであります。
 次に、(3)の寄贈作品の一般公開の時期についてでありますが、今回寄贈を受けたものは、絵本原画、タブロー画、版画などの作品はもちろんですが、制作ノート、写真、日記など、武井を知る貴重な資料も数多く含まれており、現在、作品を初め資料等の整理を童画館にて進めていただいているところであります。公開の時期ですが、来年度童画館が開館10周年を迎えることもありますので、この1年間を武井の誕生から晩年にかけての生涯を5期に分け紹介していく展示を童画館において計画しており、その中で未公開作品や資料等を随時公開していく予定であります。
 また、制作ノート、写真、日記などの武井に関する貴重な資料等は、展示にあわせ一般公開を行いながら、今後、総合的な武井の研究に役立ててまいりたいと考えております。

◆2番(武井富美男議員) 
 著作権だとか生家についての市の考え方は、作品と同様、岡谷市の童画のまちづくりを進める上で重要な財産であると考えているとのことでございまして、無償譲渡を受けられるよう、現在、相続財産管理人と話し合いがされているとのことでありまして、ぜひ今後のさらなる努力に期待するものでございます。
 また、寄贈作品の一般公開の時期も来年度ということでございますので、ぜひ早期に公開をお願いしたいとお思います。
 ここでもって1点お聞きしたいんですけれども、仮に生家の土地、建物が市に寄贈された場合、武井武雄先生の童画文化を守り童画のまちづくりを進めていく上でも、生家の保存をすべきと考えますけれども、いかがでしょうか。

◎経済部長(小泉光世君) 仮に土地、建物が岡谷市に寄贈された場合ですけれども、建物につきましては、議員さんたちにも見ていただいておりますけれども、老朽化がひどくて現状のままで保存することは相当に困難ではないかというふうに思っておりますので、よろしくお願いしたいと思います。

◆2番(武井富美男議員) どうもありがとうございました。
 建物の老朽化がひどくて、また現状のままで保存することは相当に困難であるのではないかということでございますけれども、地元の西堀区だとか武井武雄ファンの意向も踏まえまして、ロマンあふれる作品を残しました武井武雄先生の生家の保存につきまして、ぜひ前向きに取り組んでいただきたいと要望いたします。



平成20年6月定例会
平成20年6月16日

◆15番(横内東洋雄議員) 次に、2番の武井武雄の生家の有効活用についてお伺いします。
 (1)の生家の岡谷市への寄贈でありますが、昨年9月、武井家で所蔵されていた大量の作品群が、長女の特別縁故者より岡谷市に一括寄贈されて以来、引き続き、生家の法的裁定、帰属が注目されていました。これについて漏れ聞くところによると、先月中旬裁判所の決定が下ったということですが、その辺の経過、状況についてお伺いします。
 次に、(2)成長期資料の生かし方ですが、現在、イルフ童画館開館10周年記念展で展示公開されている、生家の蔵から発見されたという武井武雄の幼少・青年期の絵画や自筆資料は、極めて貴重な資料だと思いますが、今後どのように扱っていくのかお伺いしたい。

◎経済部長(小泉光世君) 次に、大きな2番の武井武雄の生家の有効活用いついての(1)の生家の岡谷市への寄贈についてでありますが、武井武雄生家敷地につきましては、本年5月14日に東京家庭裁判所の審判があり、寄贈契約を結ぶこととなりました。今回生家敷地につきましても、特例的に寄贈されることとなったのは、三春氏が大切に守ってきた童画文化を、岡谷市が継承し、さらに童画のまちづくりを進めるために活用するという意思を示したことと、特別縁故者もそれを望んだためであると考えております。
 次に、(2)の成長期資料の生かし方でございますが、武井武雄の幼少期の作品につきましては、今回多くの寄贈を受けたことによる新収蔵作品の公開と、開館10周年記念として武井武雄の生涯を振り返る意味で公開しているものであります。展示後は収蔵庫において保管し管理するとともに、その他の資料とあわせて武井武雄の幼少期の様子を知る上で貴重な資料となると考えておりますので、今後とも、作品・資料等の整理、調査を進めてまいりたいと考えております。
 今後につきましては、今年度開催する武井武雄の生涯、新収蔵作品展の結果等を検証し、来年度以降も、折に触れ展示公開を進めてみたいと考えております。具体的な内容につきましては、指定管理者である岡谷市振興公社と協議してまいりたいと考えております。

◆15番(横内東洋雄議員) わかりました。3社とも円滑な操業が開始されるよう、側面的協力をなお要望しておきます。
 次に、2番の武井武雄の生家の関係に移ります。
 生家の岡谷市への寄贈は、最もふさわしい帰結だと思います。その生家の今後の扱いは、答弁では基本的に取り壊す方向とのことですが、それは余りにも短絡的は判断と言わざるを得ません。それと、市は特別縁故者の意向を踏まえてとおっしゃっていますが、特別縁故者と武井武雄の直接的接点は何もないわけでして、その言葉をうのみにし、これ幸いにその意思を踏まえ取り壊しというのはいかがなものか。そこで、保存を仮定し、再度お伺いします。老朽化した建物の改修及び垣根など防護さくの補修などにはどのくらいの費用がかかるのかお伺いしたい。

◎経済部長(小泉光世君) 今回の寄贈に当たりまして、特別縁故者のほうから、保存には多大な金額が必要となることから、維持できなくなる状況にならぬように、岡谷市として無理なく永続的に武井武雄の童画文化を伝えるために、老朽化した生家建物は取り壊し、活用していってほしいとの要望をいただいております。また、その意向を踏まえまして、老朽化の著しい生家建物につきましては、基本的に取り壊す方向として土地活用をしていきたいというふうに、相続財産管理人に対しましてお話をしてまいりました。
 以上のような経過の中で、寄贈されましたことを重視し、あの建物の記録や調査等に配慮した上で、検討を行ってまいりたいというふうに考えておるということでございまして、そういう中で、改修等につきましては、一般住宅の改修とは違うものと考えておりますので、どの程度専門的に調査し、どの程度に改修するのかで金額は大きく違ってくるものと思われます。保存を仮定した改修等につきましては、現在のところ考えておりません。したがいまして、正確な費用については不明でございますので、よろしくお願いします。

◆15番(横内東洋雄議員) これからでも、ぜひ見積もってほしいと思います。
 そこで、参考に教育委員会にお伺いします。文化財の視点から、武井武雄生家をどのように見られ、考えておられるのか。また、市文化財審議会に諮問することになりそうかどうかお伺いします。

◎教育部長(小林利男君) 武井武雄の生家ということよりも、江戸時代に建てられました中級武士の家ということで、そういった部分で文化財的な価値があるかどうかという部分だと思っております。経過を見ますと、過去に2度火災に見舞われましたし、また、一部民間の人に貸家をして、相当大幅な増築工事、改修工事等も加えておりますので、仮に正式に市という部分になりましても、そういった状況も含めまして、また、文化財審議委員会に諮問するかどうかも含めまして、検討していきたいと思っています。
 以上です。

◆15番(横内東洋雄議員) 本音で答えづらい今のお立場も若干理解できますので、一応了としておきます。
 引き続き、経済部サイドで質問を続けます。
 生家の取り扱いについて、地元西堀区の意向はどうか。このことで西堀区側と話し合ったことはございますか。

◎経済部長(小泉光世君) 地元であります西堀区長さんからは、生家敷地が寄贈される見通しとなった場合には、区として意見交換を行ってまいりたいというお話をいただいておるところでございます。現段階ではそれ以上の具体的なお話はしておりませんので、よろしくお願いします。

◆15番(横内東洋雄議員) 私は、武井武雄を岡谷市が後世に語り継ぐためにも、独特のメルヘンが醸成された生家は、多少費用がかかっても最小限の補修をし、保存すべきと考えます。また、維持管理は西堀区にお願いしていくというのが最もベターであると思います。西堀区のシンボルの一つにもなろうかと思うからであります。この辺について再度お伺いします。

◎経済部長(小泉光世君) 今回の寄贈には、この寄贈契約に合意していくまでの経過がありまして、それを最大限尊重していくべきであるというふうに考えておりますし、安全性の面からも、最小限の補修で維持していくのは難しいと考えております。また、具体的なお話をしていない現段階で、西堀区さんに対しまして維持管理をというお話をする状況ではないというふうに思っておりますので、よろしくお願いしたいと思います。

◆15番(横内東洋雄議員) どうも水かけ論のようで、武井武雄についての理解度、温度差の違いを感じます。
 そこで、再度これについて市長さんにお伺いいたします。
 費用対効果などで市は消極的かもしれません。しかし、岡谷市の今日の童画のまちづくりに果たした武井武雄の役割は、はかり知れないものがあります。3点セット、すなわち、膨大な作品群にあわせ著作権までもが寄贈された上、生家の土地建物もまた寄贈という、岡谷市にとって願ってもない万々歳の帰結であります。こうした武井家と御遺族の並々ならぬ御厚意を考えると、当分の間生家はしっかり保存維持していくことは当然であり、岡谷市の道義的義務・責任だと思います。これについて、改めて市長さんの御所見を承りたいと思います。
 なお、ついでながら、実は、歴史的にも、市長さんの今井家は、下諏訪友之町の武井家とともに、元禄時代以来の西堀武井家の主要な姻戚関係にあります。

◎市長(今井竜五君) 武井武雄先生が岡谷市の童画のまちづくりということに果たしていただきました功績というものは非常に大きなものがあり、私も大きな評価をさせていただいております。しかし、今回の生家と敷地の寄贈に当たりましては、それぞれの関係者の方々の岡谷市に対する思い、それから、生家に対する思いというものが反映されての寄贈だというふうに考えております。これらの思いにこたえられますように、童画のまちづくりを進めるための土地活用というものを考えていきたい、そんなふうに考えております。

◆15番(横内東洋雄議員) 現時点では、市の判断もやむを得ないようにも思います。しかし、旧川岸支所建物の二の舞になるようなことは避けたい。なぜ、旧川岸役場を壊したのかといまだに地元でその声が聞かれるからであります。くれぐれも慎重な対応を強く要望しておきます。
 次の成長期資料に移ります。
 答弁でおおむね理解できますが、再度触れておきます。
 武井武雄の童画作品の多くは、メルヘンの世界がベースになっています。その原点は、従来の定説として、病弱だった幼少期、自宅にこもり妖精ミトと遊んでいたという武井先生自身の証言です。今回の新資料発見は、これを裏づける資料として極めて貴重な資料と考えます。これを学術的資料という位置づけで今後どのように生かしていくかは、重要な課題と言えるのではないか。これについて、地元西堀区の人々や武井関係者らの意見を聞く中、有効な方策を考えていかれてはどうかと思いますが、再度お伺いします。

◎経済部長(小泉光世君) 先ほどの答弁の中でも触れさせていただきましたけれども、今回の寄贈を受けた資料の中には、武井武雄の幼少期の様子を知る上で貴重な資料が多く残されておりますので、展示後も、資料等の整理、調査を進めまして、研究を深めていくことが必要だというふうに考えております。
 現在開催されております「新収蔵作品展武井武雄の生涯」の開催を契機に、親戚、関係者の方が館を訪れていただく機会もふえておりまして、その際に聞き取りなども行っておるところでございます。また、以前より武井関係者の方々からの聞き取り調査なども折に触れ行っておりますので、今後とも続けてまいりたいというふうに考えておりますので、よろしくお願いしたいと思います。

◆15番(横内東洋雄議員) 御説明、おおむね了としておきます。
 次は、童画館のレイアウトの関係ですが、イルフ童画館のモーリス・センダックのコーナーについて一定の説明がありましたが、どうも違和感がぬぐえない。センダックとは特別な契約的な約定が交わされているのかどうかお伺いします。




◆2番(武井富美男議員) 次に、大きな2番、武井武雄の生家敷地についてでございます。
 この件につきましては、私は昨年の12月議会でも一般質問をしておりますけれども、今回、先番議員さんの一般質問で理解したこともありますので、一部を省略してまいりたいと思います。
 まず、(1)東京家庭裁判所の決定の時期、内容でございますけれども、決定の時期は5月14日であるとのことでありますので、省略します。したがいまして、内容のみをお聞きしたいと思います。
 次に、(2)岡谷市のものとなった場合の保存の可否ですが、岡谷市のものとなったということでございますので、なったことを前提に、初めに①として、生家敷地の土地利用の方向性ですが、市は、相続財産管理人に対して生家敷地の無償譲渡を要望していたようでございますけれども、現在市に財産が寄贈されていますけれども、どのような理由でもって寄贈されたと考えているのかということ。また、寄贈された財産を何に使っていくのかお聞きします。
 次に、②として、市民合意の方法でございますけれども、既に財産は市に寄贈されておりますが、その土地利用について市民合意をどのように形成していくのかお聞きします。

◎経済部長(小泉光世君) 次に、大きな2番の武井武雄の生家敷地についての(1)の東京家庭裁判所の決定内容についてでありますが、審判の内容については、今回結んだ寄贈契約の内容で、相続財産管理人が契約を締結することを許可する、そして、岡谷市へ寄贈することを許可するという内容であると相続財産管理人からお聞きしておるところでございます。
 次に、(2)の岡谷市のものとなった場合の保存の可否でありますが、岡谷市としての生家敷地活用の方向性につきましては、まず、寄贈契約書の第3条に、子供を初め多くの人に武井武雄の童画文化に触れられるようより有効に活用し、特別縁故者の要望を尊重しながら利用することを切に希望すると規定されております。一方、特別縁故者のほうからは、保存には多大な金額が必要となることから、維持できなくなる状況にならぬよう、岡谷市として無理なく継続的に武井武雄の童画文化を伝えるために、老朽化した生家建物は取り壊し、活用していってほしいとの要望をいただいております。老朽化の著しい生家建物につきましては、基本的に取り壊す方向とし、土地活用をしていきたいと相続財産管理人に対してお話してきた経過がございます。
 以上の経過の中で寄贈契約が締結されたことから、東京家庭裁判所にこの基本的な考え方が了承されたものと考えております。建物の取り壊しを基本方針としながら、現在の建物の記録や調査等には配慮しつつ、具体的な活用方法を検討してまいりたいと考えています。
 次に、土地利用についての市民合意についてでありますが、今回、市が特例的に寄贈いただけたのは、先ほどお答えしたとおり、特別縁故者からの要望や、市としての童画のまちづくりの考え方を相続財産管理人や東京家庭裁判所に御理解いただいたことでの結果であると考えております。寄贈契約にかかわったこれらの方々の意向については、最大限尊重すべきものと思っております。地元である西堀区長さんからは、生家敷地が寄贈される見通しとなった場合には、区として意見交換を行っていきたいというお話をいただいております。寄贈契約に至った経過は尊重し、西堀区初め市民の皆さんのお話を伺い、御理解いただきながら、市として具体的な土地活用方法を検討してまいりたいと考えております。

◆2番(武井富美男議員) 次に、大きな2番、武井武雄の生家敷地についてでございます。
 市は、建物の取り壊しを基本方針としながら、現在の建物の記録だとか調査等にも配慮して具体的な活用方法を検討をしていくということでございますけれども、確認でございますけれども、市は、この財産をもらったいきさつからしまして、内容だとか時期はともかく、あの土地について、武井武雄先生を顕彰します何か有効な活用をしていかざるを得ないという理解でよいのかお聞きしたいと思います。

◎経済部長(小泉光世君) 先ほどからも申し上げておりますけれども、寄贈にかかわった皆さんの思いは最大限尊重しましてあの土地活用を考えていく必要があるというふうに思っておりますので、よろしくお願いしたいと思います。

◆2番(武井富美男議員) 市は、生家の建物を取り壊すことを基本方針としているようでございますけれども、岡谷市が生んだ世界の童画家武井武雄先生の生家が、文化的な価値が少ないというような話もございまして、これらの理由によって取り壊されるのが、地元西堀の住民の一人として残念でございます。
 岡谷市は保存されている伝統的な建造物が少なくて、ペーパー上にしか記録がない、まさにペーパー文化財が多いと思います。先般西堀区は、区議会の承認も得まして、武井武雄の生家を考える会を発足させることを決定をしております。今後、区でもって人選がされまして発足していくものと思われますけれども、西堀区民は地元でございまして、武井武雄先生の生家につきましては、その周辺住民の方も含めまして、特別な思いを持っている方が多いと思います。昨日でございますけれども、区長を初めとしまして、関係西堀区民の方20名がイルフ童画館を訪れまして、イルフ童画館開館10周年記念事業の「武井武雄の生涯Ⅱ」を学芸員の解説だとか、刊本作品を直接手に触れまして、特別鑑賞などが行われまして、皆さん満足をしておりました。
 西堀区民は、武井武雄先生の生家がどのようになっていくのかの関心が高く、今後市が何に利用していくかにつきましては、西堀区の意向だとか、先生の作品に愛好を持っておられる方だとか、先生にゆかりのある方、また市民全体の合意を得る中でもって決定していってほしいと思います。したがって、住民合意が形成されるまで生家建物は取り壊しをしないでほしいと思いますけれども、いかがでしょうか。

◎経済部長(小泉光世君) 岡谷市の立場は、これまでもお答えしてきたとおりでございますけれども、土地利用については、地元を初め住民の皆さんの御意見をお伺いし、市としての考えを御理解いただきながら、進めてまいりたいというふうに考えておりますので、よろしくお願いしたいと思います。

◆2番(武井富美男議員) どうもありがとうございました。
 ぜひ、市は、市民全体の合意をもとに、地元西堀区と話し合いを密にしていってほしいと思っております。
 次に、先ほど、現在の建物の記録や調査に配慮と言われましたけれども、教育委員会としましては、復元調査も含めてですけれども、建物の調査をする予定があるのかどうかお聞きしたいと思います。

◎教育部長(小林利男君) 先番の横内議員さんにも本日お答えした部分がございますが、武井武雄の生家という部分ではなくて、教育委員会としては、あくまで文化財という部分がございますので、文化財として、過去に江戸時代から2度の火災を受けてしまったこと、それから、相当の手が加わって、屋根も当時の鉄平石から随分変わっていることというのを含めまして、中級武士としての文化財的な価値があるかという部分が教育委員会としての検討課題かなと思っておりますので、今後調査研究するかどうか、復元も含めまして、教育委員会としては検討してまいりたいと思っています。

◆2番(武井富美男議員) ぜひ調査をして、岡谷市の文化の継承にとって悔いのないものにしていってほしいと要望いたします。

生家の現状とその活用に関するご意見

2013年06月15日 12時11分04秒 | あいする会
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金


「武井武雄をあいする会」では、生家を単に文化財として保存するだけではなく、その活用についても議論をしています。建て替えが検討されている隣接する西堀保育園と一体的に活用して、全国に一つしかないユニークな、童画を通じて子どもたちに夢を与えられるような保育園(あるいはこども園)ができるよう岡谷市に対して提言していきたいと考えています。
そこで、Facebookを活用して行われている議論の一端をご紹介します。自由に意見が言えるよう、非公開のグループとして開設しています。議論に参加したいという方は、「武井武雄をあいする会」でグループを検索し、「グループに参加」をクリックして参加申請をお願いします。




(写真はいずれも平成25年6月12日に撮影されたものです。)


会員A(写真の撮影者) 一昨日、ちょっと立ち寄りました。庭も広く、この広い庭も含めて、そのまま保存して欲しいと改めて思いました。子供が縁側で思い思いに絵本を読んだり、庭で遊んだり、地域の人がラムラム農園?を営んだりと、そんな空間として活かされたらいいなと感じた次第です。
会員B ラムラム農園いいですね。今日行ってみたいと思います。そうですね、変に手を加えなくても良さそうに見えます。
会員A 私の説明不足です。そのままと言っても建物は修理が必要だと思います。
会員B 勿論です。多分中村邸のように1回ジャッキであげての大改修は必要だと思います。
会員A 庭なんかはそのまま、田舎のおじいちゃんの家のような、そのままがいいかな。砂利や入り口への道を作ったり等せず。塀は大方取っ払った方がよいかな。
会員B 講演会の帰りにまわって来ました。お写真のとおりでしたw。落ち着いた空気が流れてました。
会員A その空気を保存するには、新しいコンクリート建築では、難しい気がします。ほっとする空間は、長い歴史が醸し出すのでは。


その他にも、こんなご意見がありました。

・ いっそのこと 保存ではなくて、藤森照信先生に生家と保育園を合体させて、建築雑誌に載っちゃったり、海外からも見学に来るような夢の保育園、『大改造!!劇的ビフォーアフター』して貰うってのはどうでしょうか??直しても、使わなかったらまた朽ちるし。
・ 今の外見、資材を最大限に生かしてリノベーションし、武井先生の絵に出て来るような、不思議ワールドを作って、活用、話題になれば、行政も納得するのでは?
・ わたしは、武井邸が、かつての【双燈会】のように、岡谷や諏訪や、武井先生を愛する人たちの、かたらいの場、文化交流の場にならないものかなぁ~とイメージしているのですが。
・ ちょいと修繕して、隣の保育園?の子供達に縁側とかでお弁当食べて、お昼寝時間に読み聞かせで武井武雄。そーゆー、のどかな感じ。ってのが良いな~。と思います。
 

ろばたの会主催「武井武雄についての講演会」レポート

2013年06月15日 09時29分07秒 | 武井武雄の世界
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金


平成25年6月14日金曜日に開催された、ろばたの会主催による「武井武雄についての講演会」に出席された方から投稿がありました。

ろばたの会主催の イルフ童画館館長による 武井武雄氏についてのお話しの会に行って参りました。

今日はざっと武井武雄さんのお仕事について、映像を交えてのお話しでした。美術史の中での武井武雄さんが見落とされてきた点について、また、童画を取り上げられることが多いが、版画に氏の仕事の重要性が見受けられる等、芸大同期がパリに行く中でパリに行かなかった点、ある種の挫折感が童画に向かわせたのではないか等々、今後、より研究を深める必要があるとおっしゃってました。とても理解の深い館長さんです。

館長さん曰く、夢二と北原白秋、白樺派の影響が濃いというお話しでした。「お仕事を見ていると民藝の影響についても少なからずありそうなのに、その痕跡が見あたらないこと」について質問をしたところ、館長さんも、「時代背景としても、刊行本や郷土玩具の収集をとっても、民藝との交流は必ずあったと思うが、火事で資料が焼けたこともあり、なかなか見つかりません。」とおっしゃっていました。

最近アメリカの編集者よりアンデルセンの挿絵に是非武井武雄さんの挿絵を使いたいという要望があったそうです。来年生誕120周年を控えて、世界的にも再発見の兆しがあるようです。

それにつけても、生家は保存するべきだという思いを新たにしました。

武井武雄インタビュー(5)

2013年06月14日 10時51分27秒 | 武井武雄インタビュー
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金
「武井武雄・メルヘンの世界」(昭和59年)諏訪文化社から抜粋
(昭和56年2月に収録、オール諏訪1、2号に連載されたもの)


- 武井先生は、童画作品集で、昭和50年に東独ライプツィッヒにおいて「世界で最も美しい本」としてグランプリを受賞。これより先、昭和43年、ソ連文化団体の招請により「児童文化訪ソ団」を結成して、ソヴィエト各地を歴訪しておりますが、武井先生のお感じになったソ連の児童文化を中心にお話を。



グランプリを受賞した武井武雄童画作品集

モスクワ・ジャーナリスト会館で講演
武井 童画・アレンジの分野では僕には先輩がいないんで、どうも僕が先輩格にされちゃっているんです。だから、いつも審査員とか、賞をくれる側に回っちゃうんで、賞をもらったことがない。東独では、そういう事を知らないもんだからグランプリに選定されたんだろうと思います。
 ソ連へは25名で訪ソ団を結成して行ったんです。ソ連邦には15か国あるんですが、我々を歓迎するため、その全部の国から代表が集まったんです。我々の訪ソを非常に重大視してくれたわけです。その時、団長だったもんだから、皆の前で講演をさせられちゃったんです。それで僕は、外国のどこの国にも行ったことがないのにソ連だけは、なぜ来る気になったのかということについて話したんです。
 それは郷土玩具なんですね。僕は終戦直後、松本の放送局に呼ばれてその話をしたんですが。皆、日本は滅びちゃったように思っているけど絶対に滅びない証拠を見せるって話した。日本は一応戦争に敗けたけれども、民族として滅びる恐れは全然ない。なぜかというとね、僕は長年、郷土玩具を集めていてわかったことだけれども、勃興する民族は玩具が非常に多い。ところが、弱少民族や疲弊していくような覇気の弱い国は玩具がない。郷土的な玩具がないんですね。
 これは、そういうことを研究しているドイツ人のルンプさんという人も同じ意見ですがね。この人は日本にひところ来ており、歌舞伎の研究なんかやってたんですが、世界中を回って郷土玩具も非常に見て歩いているんですよ。
 このルンプ氏の言うのに、世界の二大郷土玩具国というのは、日本とロシアだと言うんですよ。ロシアってのは、つまり農民美術時代のもの、帝政時代のことを言っているんですね。そういう折り紙を付けている位なんで、日本とかロシアとかいう国はそう疲弊する傾向の国でないことはこれだけの例でも明らか。だから敗けた敗けたといっても、民族が滅びるわけじゃないんだということをしきりに言って放送したことがあるんですがね。
 そんなわけで、日本とロシアはともにたいへんな郷土玩具国という点で共通性があるということが一つ。
 もう一つは、ロシアでは昔は児童文化なんてなかったんですね。そりゃあトルストイみたいな人は童話を書いているけれど、これは特殊なものであって、児童文化運動というものがなかった。それで、本はどこから来るのかというと西ヨーロッパの方からクリスマスのシーズンだけ輸入してくるっていう。それで間に合わせて自家生産をしてないってんです。これは、メクシンというソ連の人からじかに聞いた話なんです。彼はむかし日本に来て、僕の家にも来たことがある人なんです。
 このメクシンは、教育人民委員会という、日本でいえば文部省の児童課長をしている人なんです。彼は、巌谷小波みたいな人と同じにソ連各地の子どもにお話をして回っていた、いわゆる話術家なんですね。学識経験者よりもこういう実践家を重く用いるという意味で児童課長にしたわけなんですね。
 そのメクシンの話によると、西ヨーロッパに依存していた児童文化は、革命後は来なくなってしまった。それで一般に呼びかけて文学的な作品を募集したんです。そうしたらもう学校の教員から文士の卵、あるいは労働者などあらゆる階層の人々が、原稿を持ち寄って随分集まったというんです。それをですね、今度はどこの国でもやっているんですが、学識経験者ってものにいちいち目を通してもらって、こりゃつまらねえ、こりゃややいいとかセレクトしてもらって、その上で残ったものを、日本じゃすぐ出版にかけるんですが、ところがソ連では、というよりメクシンですが…。それから先なんです、メクシンの偉いところは。彼はその残った原稿を持って子どもに話をして回ったんです。そして、反響のあるのと、そうでないのとを分け、反響の多かったのを出版にかけたんですね。ソ連は国営で、出版屋があるわけじゃなく国でやっているんですが。
 ですからソ連の児童文化史ってものは要するに革命から後のことですね。僕らが行った時はその50周年記念ぐらいの年です。それに日本でもちょうど児童文化の起こってきた歴史が約50年、近代的な見方でですね。ソ連と一致してるんです。
 これらの二点で、日本とソ連は非常に共通性があるんで、一度ソ連へ行ってみたいと思っていた-ということを僕は講演の代わりに話したわけです。


武井武雄インタビュー(4)

2013年06月14日 09時08分57秒 | 武井武雄インタビュー
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金
「武井武雄・メルヘンの世界」(昭和59年)諏訪文化社から抜粋
(昭和56年2月に収録、オール諏訪1、2号に連載されたもの)


- 武井先生にとって幼・少年期に次ぐ郷里との関わりは、昭和20年から3年間の生家(岡谷市西堀)への疎開時と思います。そしてこのとき始めた双燈社の文化活動は、今日の岡谷・諏訪地方の美術文化活動の原点になっているといっても過言でないと思いますが、双燈社の活動などを中心に当時の模様を。

武井 昭和20年3月末日、池袋の家が建物疎開で半分以上も取り壊されて生活できなくなってきてね。残った半分も5月の空襲で焼かれてしまい何も残らなかったです。それで西堀に疎開してきたわけですが、当時はみな食い物のことしか何も考えない。第一、人間のきめが非常に荒くなっている。感情が荒廃してるんですね。そこで、こりゃあいかん、何とかして正常なものにもっていかなくちゃと、同志6、7名で相談して「双燈社」というものをつくったわけです。

武雄がデザインした岡谷美術協会の賞状


岡谷美術協会の新年会風景(昭和23年正月)
 東京から行った疎開組の方では、後に版画家になった武井吉太郎、歯科医の青木貞亮らがいて、他に地元組として八幡竹邨(篆刻家)、長いこと高島小学校の教員をしていた武井伊平(俳人)、広円寺の和尚で今の先代住職吉水浄善、それからお寺の真ん前の家の小口吉雄さん(農業・盆栽家)、これらの人たちで文化活動をやろうってことになったんですね。
 文化といっても、考えてみると精神文化だけじゃなくて物質文化も文化なんで、この二つが両立して初めて健全な文化が建設される。そこで双燈-二つの燈びというのは、物質文化と精神文化を表している。それと広円寺でいつも会合をしたんですが、本堂の所に二つ燈が立っているので、そんなことも含み「双燈社」という名前にしたんです。
 どんなことをやったかっていうとね。だいたいオーソドックスな面では、知っている中央の名士が岡谷へ来たとき、その人に頼んで講演というか談話をしてもらうってことも一つですね。これも随分やりました。それに、柔らかいものでは、下諏訪の連中を頼んできてオーケストラをやったり、絵の展覧会は幾度もやりましたし、武井吉太郎が収集家で日本画をたくさんもっていたので、それらを中心に展示学習したりしましたね。
 そして版画は、版画の作品材料が僕の所に焼け残ったようなものがいろいろあったものですから、版画展や講習会をやったんですね。それが岡谷に初めて版画の根をおろす元になったわけです。増沢荘一郎君は、その時に来た生徒なんですよ。そういう風な当時からの版画のお弟子筋の人が今でもかなりおります。その版画は後に、双燈社の版画部会という名になって毎月集まって作品を見せ合い、批評し合ったり、交換し合ったりしたんです。そして、版画集も作った。メンバーの数だけずつ刷って一冊ずつ分け合い、今も残っているわけですね。
 それだけではなく、例えば傘平(からかさだいら)みたいなところへ遠足に行ったこともあります。そういうことが一番土地の人たちと接触できるんです。つまり、みな文化人みたいな顔をし、偉そうな顔をしてやっていたんじゃ全然、文化は成り立たないんでね。本当にバカ騒ぎをしたりして接触することで遠足をやったわけです。それでナベを持っていき、キノコを採ったりして野っ原で味噌汁をつくり、みんなで食ったり、そして当時NHKなんかでよくやってたんですが、ジェスチャーを当てっこしたり、そういう、いわば遊びをしたんですね。

双燈社の芝居の時の記念写真
前列左より武井吉太郎、武井武雄、小口吉雄
後列左より武井伊平、吉水浄善の諸氏

双燈社版画部会が共同試作した新憲法画集

武雄の余技作品 おひなさま
 その遊びの最たるものではね、僕が脚本を書いたんだけど、芝居やったんですよ。広円寺で双燈社のね。小口吉雄さんが女になり、僕は和尚をやった。吉水和尚は和尚になったんでは面白くないから他の何かになり、武井吉太郎はお寺の小僧になったりしてね。あの人たち東京へ行って何か偉そうになっているなんて思われちゃ困るんで、やっぱりこういうばかげたこともやるんだぞということで、わざわざ芝居をやったんです。それが、みな村の人としての親近感につながったと思います。
 当時、印刷もいろいろできない時代でして、僕が謄写版の機械もっていたもんですから、プログラムだとか、いろいろなものを全部自分で刷ったんです。それらは今でも、かなり残っています。
 それから、新憲法ができたとき、版画部会の連中が、みな一点ずつ割り振って、新憲法の画集を作ったんです。版画や画集なんて初めてという人も混じってね。これは、市でたいへん喜んじゃってね。何かそういうことの宣伝というか、広報をしてくれるというんです。
 それから僕は、手製でおヒナさまを作ったことがあるんですが、それの講習会をやったんです。当時は物がなくておヒナさまなんか買えない時代ですから、村のご婦人なんか非常に喜んでね。それにみんなで一緒に作るということがとても楽しいことだったんですね。