武井武雄をあいする会

童画家武井武雄が妖精ミトと遊んだ創作活動の原点である生家。取り壊し方針の撤回と保育園との併存・活用を岡谷市に求めています

西堀区武井武雄の生家を考える答申書(平成21年3月3日)

2013年03月14日 05時44分27秒 | 生家を考える会
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金


平成21年3月3日

西堀区長 新村 邦武 様

西堀区武井武雄の生家を考える会
委員長  武井 俊博


西堀区武井武雄の生家を考える会答申書


 平成20年6月25日の西堀区会において承認され、平成20年7月4日に設置されました西堀区武井武雄の生家を考える会は、生家の土地利用方法等について下記のとおり取りまとめましたので答申いたします。

 武井武雄の生家は、平成20年5月に岡谷市、故武井三春相続財産管理人、特別縁故者との間に寄贈契約書が締結され、岡谷市の所有となっております。
 岡谷市は、寄贈された生家の土地利用方法等について、特別縁故者の要望を尊重し、建物を取り壊し、武井武雄を何らかの形で顕彰をしていきたいとしております。
 西堀区武井武雄の生家を考える会(以下「生家を考える会」という。)は、この市側が言う建物の取り壊しの是非及び生家の土地利用方法等について、5回にわたり委員間で議論をしてまいりました。その間、生家見学、イルフ童画館開館10周年記念作品展「武井武雄の生涯」ギャラリートーク参加、諏訪市の文化財の「志賀家住宅」の視察、生家内外環境美化に関する要望書の提出(生家を考える会の要望を受けて区が提出)、武井武雄生家の区民見学会などを行ってまいりました。
 その結果、見学会、視察等を通じ、武井武雄の生家は保存するとともに、隣接する西堀保育園を生家と有機的に結合させた保育園として整備すべきとの意見が多くありました。その反面、寄贈契約、特別縁故者の要望は尊重すべきであり、取りあえず市の方針に応え市の顕彰方法を見守り、また、家屋周辺の樹木整枝等環境美化を速やかに実施されたいとの意見もありました。
 以下、内容を述べます。

1 武井武雄の生家を保存すること
(1) 西堀区民は、武井武雄生家については、古くからお屋敷と呼び、子どもの頃、その庭で遊んだ思い出を多くの区民が持っており、敬意、郷愁、愛着など特別な思いを持っている。
(2) 武井武雄生家は、江戸初期(17世紀)の中級武士の家である。諏訪地方最古の武家住宅であり、300年以上経っているといわれている。江戸時代の武家屋敷のスタイルは、長屋門、母屋、土蔵の三点セットで構成されており、県内でも現存するものは少ないと言われている。岡谷市教育委員会発行の「おかや歴史の道 文化財めぐり 資料編」(平成2年3月31日発行)によると、「この建物は、童画家 故武井武雄氏を記念する建造物としてだけでなく、中級武士の生活を忍ばせる遺構としても需要で、何らかの形での保存がのぞまれる。」と記されている。
 岡谷市教育委員会は、本書を発刊するに当たり、武井武雄の生家を岡谷の文化財(岡谷市の指定ではない。)として認めたものであり、特別縁故者の意向のみを尊重し、将来の使途を検討することなく取り壊すことは、岡谷市教育委員会として認めたものを否定するものである。教育委員会として、教育行政の立場からの議論があってしかるべきである。
(3) 西堀は、古来より篤農家、学者、文化人、芸術家を輩出したところである。古くは、五兵衛せぎの武井五兵衛、氷湖塾開設者の八幡氷湖、彫刻家の武井直也、考古学者の八幡一郎、初代平野村長武井慶一郎、篆刻家の八幡郊処、童画家武井武雄、日本歯科医師会議長青木貞亮など多くの逸材を生んでいる。また、昭和22年、武井武雄は地元の武井吉太郎ら同志とともに文化結社「双燈社」(武井武雄の命名と言われている。)を結成し、地域の文化活動を推進した。このように武井武雄は西堀文化の発展に寄与した功績は大きく、その生家は保存されるべきものである。
(4) 武井武雄の曾祖父武井三十郎は、高島藩の御中小姓の藩士であったが、自宅(武井武雄生家)の一部を開放し、私塾「無事庵」を開設した。この無事庵は、当時、村の子どもの多くは「お屋敷に行く」と言って通っていたという。無事庵は、その子、一三(武雄の祖父)に引き継がれたが、明治5年の学制発布により廃止となり、無事庵は「無事学校」となり、場所も現在の廣円寺に移された。その後、この無事学校は「小井川小学校」の開校(明治7年)へと引き継がれており、江戸末期から明治期にかけての西堀の教育・文化の形跡を残す上でも生家の保存は必要である。
(5) 世界の童画家武井武雄の生家であること。日本で初めて「童画」という呼称を用いた人物である。また、昭和50年には、「武井武雄作品集1童画」がライプチヒにて「世界で最も美しい本」としてグランプリを受賞した人物であり、その生家の保存は重要である。
(6) 武井武雄の主要な作品である「ラムラム王」の最後の方の記述に、武雄自身の誕生日に(諏訪)湖畔に位置した現生家がラムラム王の生まれ変わる場所としてあり、武雄自身もこの生家には、童話の中のことではあるが、旧制諏訪中学校を卒業する18歳まで住んだ郷里をいつも思い、郷愁と心の拠り所としていたものと推察される。
(7) 武井武雄の童画の中には、生家から諏訪湖方面を描いた作品もあり、絵を語る上でも生家の存在は必要である。
(8) 武井武雄の長女、故武井三春の著「父の絵具箱」においても、西堀の生家については、郷愁を込めた特別な思いが語られていること。また、武井武雄の育った部屋の間取り、生活実態を詳しく描いた書もあり、当時の武井武雄の生きざまや郷愁に浸っていた状況を知ることができる。
(9) 武井武雄と親交のあった人が言うには、武井武雄は、「もし生家を建て替える場合は、他に建てて今の生家を残しておくつもりである。ご先祖様からいただいた建物は残しておく。木の枝は切ってもよいが、根元から切ってはいけない。」と言っていたという。
(10) 武井武雄の東京の板橋区南常盤台の家が取り壊されてしまい(平成20年12月)、武井武雄およびその家族の生活を印したものが何もなくなってしまっている。したがって、生家の存在は有意義である。
(11) 平成20年12月末に、西堀八幡社氏子総代会は、先達の遺徳顕彰と地域文化再創出の機会になればと、武井武雄作品を酒のラベルに貼った祈年酒を出しており、武井武雄を再発見しようという動きがある。
(12) 岡谷市は、第4次総合計画、前期基本計画の中において「童画のまちづくり」を推進しており、武井武雄作品の展示してあるイルフ童画館、生活用具などがある生家、武井武雄、三春などが埋葬されている西堀堂庵墓地には、童画家として武井武雄を偲ぶことのできる墓がある。また、西堀が輩出した多くの芸術家等の墓もあり、これらを有機的に結合し、一連の観光コースとして考えることも必要である。
(13) 武井武雄生家の建造物調査は、過去、昭和58年、60年に千葉大学の大河教授を顧問に実施したことがあるが、更なる詳細の建造物調査を実施する必要がある。
(14) 武井武雄生家は、文化財指定されることが望ましい。細い柱、ゆるやかな屋根勾配、質素な造りが江戸初期の武家屋敷を象徴している。20余年前に改修、屋根・どだい良好、天変地異でない限り保存可能である。


 上記のとおりでありますが、しかしながら、市の財政状況も厳しいと推察され、即修復・保存は困難と思われますので、当面は、市による生家敷地の内外環境の整備の継続を求めます。その間、高枝伐枝、雨漏り対策、建物の腐食等防止を図るための対策を講じられたい。また、必要に応じ、区民有志のボランティアを組織し、保全に努めていきます。

2 西堀保育園を生家と有機的に結合させて存続させること
(1) 武井武雄作品をモチーフにした西堀保育園を生家敷地及び現保育園敷地を機能的に連結し、新築されたい。
(2) 武井武雄は、現西堀保育園敷地を西堀区に寄贈する際、「児童の養護育成こそ僕の最大な念願」と言い、子どもの教育・育成には熱い思いを持っていた。また、子どもの世界を大事にしていたことが伺える。
(3) 西堀区は、現在「ラムラム広場」と称して、子どもの触れ合いの場を提供しており、武井武雄作品の「ラムラム王」などのキャラクターを使ったメルヘンチックな夢多き保育園を生家とセットで新築整備されたい。このことが武井武雄の子どもを大切にする思いに応えることになるとともに一つの武井武雄の顕彰となる。


3 生家の建物及び空間の利用についての委員からの意見
(1) 武井武雄が愛し、絵にした自然の原点が生家であり、庭だと思う。日々生家の庭を眺めて感じることは、鳥がたくさん来るということ、そこには木の実、蝶など昆虫がたくさんいるという生物多様性の存在。そういったものが武井武雄の原点、原風景だと思う。
(2) 長屋門、母屋、土蔵を残して屋外で拝観程度にし、今ある自然を活かして児童館的、青少年錬成の場として、学生のためのレクチャー、情報ステーション的、また、車いすなどが入ることのできる生家と庭の利用、歴史と文化芸術のふれあいの場、そういったイルフ自然観的なものを作り後世に残すことがよい。
(3) 多くの人が使えるような前庭は、桜や芝を敷き、バーベキューなど、諏訪湖広場のような感じがよい。また、生家には、子どもたちを含めた市民、文化人のどの絵や芸術作品等をイルフ童画館と違うものを展示したらよい。
(4) 庭は、武井武雄を偲びながら憩える場として考えたらよい。
(5) 児童館的なものも考えたらよいと思う。(武井武雄は、記念館的なものを造るならば永代無償で提供してもよいと生前語っていた。)
(6) 公園的な整備をしたらよい。
(7) 武井武雄の原点であった寺子屋的な学びの場がよい。庭は、今の自然を活かして観察会やふれあいの場として、保育園側の川から水を引いて東側の側溝へ流れる自然水路にし、生物観察や水遊び、田んぼも可能と思う。雑木は、ツリーハウスや巻き枯らしビオトープ、木登りのできる木などの活用がよい。また、土蔵は、昔の利用法を学ぶもよい。


 以上、生家を考える会としての意見集約をいたしましたが、生家を考える会の意見を尊重し、急いで壊すこともないので、区としてまとめていただき、岡谷市に提言されるよう要望します。