武井武雄をあいする会

童画家武井武雄が妖精ミトと遊んだ創作活動の原点である生家。取り壊し方針の撤回と保育園との併存・活用を岡谷市に求めています

武井武雄先生のこと

2016年03月29日 06時11分20秒 | 新聞記事
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金


 諏訪市在住の院展特待日本画家であり武井武雄とも親戚関係にあたる折井宏光先生の寄稿文が、平成27年8月29日から9月26日まで毎週土曜日、5回にわたり長野日報に連載されました。
 武井武雄生家はぜひ保存すべきとされ、折井先生のユニークな視点でその活用方法を提言されています。

【2015年(平成27年)8月29日(土)長野日報】



【2015年(平成27年)9月5日(土)長野日報】


【2015年(平成27年)9月12日(土)長野日報】


【2015年(平成27年)9月19日(土)長野日報】


【2015年(平成27年)9月26日(土)長野日報】
 

生家と保育園の併存が当会の願いです!

2013年06月27日 21時39分38秒 | 新聞記事
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金


武井武雄をあいする会は、武井武雄の生家を保存し活用することで、童画により子どもたちに夢を与えることのできる日本一ユニークな保育園の建設を求めています。
武井武雄の生家に文化財的な価値があることは、千葉大学名誉教授 大河先生はじめ多くの専門家が認めています。
また、岡谷市議会においても、武井武雄生家は旧渡辺家住宅(県宝)か、それ以上の文化財的な価値があるとして議論されています。



岡谷の武井武雄生家、保存しよう 有志の会が寄付・署名検討

2013年03月23日 16時56分12秒 | 新聞記事
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金

(2013年3月22日信濃毎日新聞)


 岡谷市堀ノ内に残る同市出身の童画家武井武雄(1894~1983年)の生家の保存を求める有志たちの「武井武雄をあいする会」は20日夜、建築家・建築史家の藤森照信さん(茅野市出身)ら建築の専門家3人を招き、生家の価値について意見を交わすシンポジウムを岡谷市カノラホールで開いた。続きを読む(信州LiveOnの記事にリンクします)

武井武雄生家「岡谷の誇り」 あいする会が専門家招きシンポ

2013年03月23日 08時45分47秒 | 新聞記事
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金

 岡谷市出身の童画家、武井武雄の生家(同市堀ノ内)の保存を目指す「武井武雄をあいする会」(小口基実代表)は20日夜、建築の専門家を招いたシンポジウムを同市のカノラホールで開いた。主催者側の「予想を上回る」約130人が参加。閉会後、小口代表(65)は「皆さんから大きな力をいただいた」と喜び、今後については保存に向けた寄付の募集や署名活動を含め、賛同者から意見を募りながら検討していく方針を明らかにした。

 シンポジウムのテーマは「武井武雄とその生家について」。建築家で東大名誉教授・工学院大学教授の藤森照信さん(茅野市出身)、古民家再生を手掛ける建築家の降幡広信さん、元県文化財保護審議委員で信濃建築史研究室工学博士の吉沢政己さんが講師となり、造園史研究家で庭作家の小口代表が司会を務めた。生家の価値、残す意義をそれぞれの分野から語った。

 藤森さんは人間だけが感じることができる「しみじみ」や「懐かしさ」という感情について話した上で「武井武雄の作品はどこでも見られるが、生家という物的証拠は岡谷にしかない。生家は大人にとっては『しみじみ』や『懐かしさ』、子どもにとっては『誇り』を保証するもの。生家の存在は、武井武雄が岡谷の誇りであることを示している」と述べた。

 降幡さんは市が生家解体後の跡地を保育園の整備用地とする計画を踏まえ「保育園と生家を共存させることは可能。武井武雄記念児童図書館を保育園に併設してはどうか」と主張。「手を入れれば力強い生命力を持って蘇る」と持論を展開した。

 吉沢さんは県宝の旧渡辺家住宅(同市長地柴宮)と武井武雄の生家を市内に残る2軒の武家屋敷として対比させながら紹介。「武井家は板ぶき、渡辺家はかやぶき。屋根のつくりが違う武家屋敷が同じ市の中にあるというのは珍しい」と説明した。

 参加者からは「武井武雄の生家の価値は正しく評価されているのか」、「保存のための寄付を集めるというのであれば協力する」といった声が上がった。会場では1口1000円で会員を募り、37人が登録。会員数は約60人に膨らんだ。

 シンポジウムは生家の貴重さを多くの人に知ってもらい、保存の実現につなげようと初めて開いた。

平成25年(2013年)3月22日付け長野日報

生家保存へ「最後の望み」 武井武雄をあいする会発足

2013年03月14日 21時46分02秒 | 新聞記事
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金


 岡谷市出身の童画家武井武雄の生家(同市堀ノ内)保存に向けて、地元有志が「武井武雄をあいする会」を発足させた。具体的な運動として、専門家を招いたシンポジウムを20日に企画した。発起人で長年保存を訴える庭園史研究家の小口基実さん(65)=岡谷市長地片間町、小口庭園社長=は「これが駄目なら諦めるしかない」と、今回の運動に最後の望みをかける。

 生家をめぐっては、所有する市が取り壊しの方針を示し、地元の西堀区も容認している。

 小口さんは、祖父吉雄さんが武雄と親友だったことから、子どものころに武雄の影響を受けた。その業績を多くの人に知ってもらおうと、民家研究の第一人者大河直躬氏に鑑定を依頼するなど、20年以上前から生家保存を求めてきた。

 今年1月に西堀区が生家の取り壊しを容認するなど、解体に向けた環境が整いつつあることから、会の設立を決意した。これから賛同者を募るという。

 小口さんは取材に、市が武井作品を使ったまちづくりをしていることに触れながら、「百年後には岡谷の代名詞が武井武雄になる。そのときに武雄に思いをはせる場所、武雄の魂に触れる場所が必要。生家があるのが正当だ」と強調する。

 一方で、市は生家解体後の跡地を保育園整備用地にする計画で、地元の合意も形成されつつある。小口さんは「保育園の敷地に生家があっても良い。子どもたちが武雄の魂を感じることは最高の情操教育。武雄に続く世界的な芸術家が出る素地にもなる。郷土のために使命感を持って保存を求めていく」と語る。

 シンポジウムは20日午後6時30分から、カノラホールで。「武井武雄とその生家について」をテーマに、建築家の藤森照信氏(茅野市出身)と古民家再生を手掛ける建築家の降幡広信氏、元県文化財保護審議委員で信州古建築史家の吉沢政己氏がそれぞれ生家の価値を語り、小口さんの司会で意見交換する。聴講無料。事前の申し込みは不要。問い合わせは小口さん(電話0266・27・3069)へ。

平成25年(2013年)3月6日付け長野日報

武井武雄生家の詳細図面が完成

2013年03月14日 21時31分37秒 | 新聞記事
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金


 岡谷市が、県建築士会諏訪支部に委託して作成を進めていた童画家武井武雄(1894~1983)の生家=同市堀ノ内=の詳細図面が完成した。合わせて生家を描いた3種類のパースも出来上がり、市は15日、要望書提出のため市役所を訪れた地元の西堀区(平野倍廣区長)と同区武井武雄邸検討会(武井俊博委員長)の役員に披露。詳細図面は市や地元区で保存するほか、パースは複製をイルフ童画館や同区公会所などに展示するという。

 詳細図面の作成は、土蔵と母屋の取り壊しに向けて江戸時代の武家屋敷の面影を伝える生家を記録保存するため、市が「武井武雄生誕地顕彰事業」として実施。完成した詳細図面は敷地内にある母屋と土蔵、長屋門の図面で、母屋は1階と2階の各平面図や立面図などA1判の図面で35枚分にまとめられた。板1枚1枚の寸法なども詳細に記録した。パースはA3判の水彩画で敷地の東南側と西側、上から見た鳥瞰(ちょうかん)図の3種類が
作られた。

 地元の西堀区は同日の要望書提出で、老朽化が進み同市の保育園整備計画で整備が検討されている西堀保育園と、市道をはさんで隣接する武井武雄生家敷地の一体的整備に賛成し、母屋の取り壊しにも賛成することを伝え、早期の整備と武井武雄の顕彰推進を要望した。

 要望を受けた今井竜五市長は、「大変重いことを決めていただいた」と感謝したうえで、「(整備計画の)具体的なレイアウトはこれからだが、子どもたちの安全、安心を最優先に、みなさんの期待に十分にこたえられる整備計画をなるべく早く示していきたい」と述べた。西堀区の平野区長は、「パースが出来たことでかえって郷愁を誘われる区民もいるかもしれないが、これが武井武雄の生家だと記憶にとどめていきたい。市にはなるべく早く整備計画を具体化してほしい」と期待を寄せた。

平成25年(2013年)1月16日付け長野日報

武井武雄生家 何とか残せる道を探れないか

2013年03月13日 06時45分29秒 | 新聞記事
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金




 岡谷市堀ノ内出身の童画家武井武雄の2000点を超える作品群が岡谷市に寄贈された。
 「童画のまちづくり」を進めている岡谷市にとってはうれしいプレゼントだ。収蔵される武井武雄の作品群の数が増すことは、岡谷の文化の厚みも増す。何よりも芸術家武井武雄の作品が一カ所に集中して保管されることのメリットは大きい。
 寄贈品は、水彩やクレヨンで描かれたタブロー、雑誌の原画、絵本や書籍、デザイン画、版画や版木、筆や時計、衣類、素顔を伝える写真まで武井武雄のすべてという感じだ。
 「父の故郷に」という武雄の長女の遺志が実を結んだ。

 同市の堀ノ内には旧家が多く、町並みも落ち着いた雰囲気をかもし出している。武井武雄の生家もその一角に残っているが、この家も市に寄贈する意向が伝えられている。武井家は高島藩に仕えた武士の家柄で、武雄の父は平野村初代村長だった。元禄年間に火災に遭って建て替えたと見られているが、建築年代ははっきりしていない。しかし、火災などの厄災除けに寺からもらってくる護摩札が何枚か見つかっている。その一番古いものが享保12(1727)年となっており、この護摩札から江戸中期に建てられたのではないかと見られる。諏訪地方では最古の民家ではないかといわれる。

 同市では寄贈を受けた場合、保存は難しいと見ているようだ。建物は老朽化が進み、雨漏りが激しく、床抜けも見られ、改修や管理に多額の資金がかかるためだ。貴重な建物だから、武井武雄の生家だからというだけでは、行政としては動きにくいかもしれない。

 しかし、文化は一度壊してしまうと、復元は困難だ。積み重ね、年月のやすりをかけられて残っていくものが文化である。市で保存するのが無理なら、寄贈を受けた後市内の有志に呼びかけて改修費を募り、たたずまいを生かした運営をフリーハンドで任すということも考えてはどうか。

 白壁の長屋門、ひさしにかかる家紋入り水籠(かご)、梁(はり)、桁(けた)、細い柱が間隔狭く建てられている古風な風情は捨てがたい魅力がある。間口九間半(約17.1メートル)奥行き六間(約10.8メートル)の切妻の平屋、10畳から6畳の部屋が5部屋ある。どう活用するか想像力をかきたてられる古民家である。

平成19年(2007年)9月23日付け長野日報社説