霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

私を取り巻く最近の情況変化(霊界事情?)

2014年08月26日 | 心霊現象
やっと秋風が、自分のところまでやってきたという感がします。
が、喜んでばかりはいられない。
広島の雨による災害は、他人事ではいられなくなった。
知人が「あの界隈」に住んでいる。
先には、あの東日本震災で被害に会った知人がいて、今回は広島だ。
こんなに小さい島国の、いたる所で今「はじまって以来」の気象の変化が私達を襲い始めた。
単なる偶然だろうか?、さらに何かの予兆だろうか?・・・。
ここまできても、日本の過去現在未来を解き明かす者は、・・・いない。


さて、小さいながらも「私を取り巻く」事情も少しづつ変わってきた。
霊界事情と申し上げておこう。
人には「そう」見えないだろうが・・・。
一つは「単なる人事異動」であり、いま一つは表には何も現れない「心模様の変化」である。

先日、我が職場の人事異動が発表された。
動く職員はわずかだ。数えるほどの人数ということもあって、ほっと胸を撫でおろす者も多かっただろう。
が、そうは問屋が卸さない。(これは私の見方であるが・・・)
この人事の背後には、そうだあの「抜擢人事」に紹介した類似点が見え隠れするのだ。
9月1日より、いよいよ実施される「この人事」により、霊界が動かないはずがない。
まだあと一週間もあるというのに、私の耳には「きな臭い」噂がいやおうなしに入ってくる。
今回は私自身が直接動く者でなければ、まあ脇役と決め込んで何がどう運ばれていくのかを見守ればいいと思いながらも、間接的には、友人、知人が関わっている。
となると、またまた「私の心」は無関心ではいられなくなる。
不思議なことに、ここ3、4日の間に「狼煙」があがり、思惑の何たるかをこの私に話す者が現れた。
聞くだけの私は何も言わない。「意見」などないからだ。
人が動く背後には、当然「因縁」がつきまとう。
因縁などくそくらえと、無視を決め込んだとしても、其々の思惑はついて廻る。
誰がどう仕組んだものであれ、人事異動という「霊界をいじる行為の背後」には、何かのリスクを伴って見え隠れするものがある。
このたび、こんなにも私の耳に聞かされている内容は、「明」よりも「暗」のほうが多い。
一人一人の自覚や反省、はたまた本当の意味での「因縁解き」に、謙虚なる姿勢で取り組まない限り、
分裂は避けられまい。
降格もあれば、抜擢もある。
自分が何にあたるかは、其々の思惑と深く関係する。
野心ある者には、とうてい避けては通れない「難関」が用意されるだろう。
「いったい何を教わってきたの?・・・」と、一頃流行った「山口百恵」の歌の文句が思い出される。
「プレイバック」・・・、そうだ、時はもう返らない。

この「きな臭い」臭いからは、あの広島で起きた「土石流の前触れの臭い」がかぶさってみえる。
事が起こる前触れの「臭い」。
私達は、初めて学んだ。土が、その臭いを発して前もって知らせていることを。
予知は、予兆は必ずある。
人事に浮かれたり疑心暗鬼になっている者には分からない。
人の単なる動きだと思っているからだ。
このブログを今日まで読み続けてくださった「皆様」ならば、すぐにお解りだろう。
その背景に何かがあり、霊界の仕組み、あるいは「仕組み替え」が起こった結果であることを。
一番の「正論」であり、当たらずとも遠からずの行動は何であるかも、お分かりのはず。
そうです。過去の功罪の「罪」の部分を、先祖に代わって清算することを念頭におきさえすれば、人事の背景は怖れずに足らず。どう間違っても、失敗することはない。
傲慢になり鼻高々とその態度を露わにする時、全ての足元を掬(すく)われるということを、決して忘れないことだ。(罪の上塗りをしてしまったら・・・、元も子もない)
集められた一人一人を、「愛し」「慈しみ」「育み」大切にしてこその「抜擢人事」が霊界から示された本当の目的であることさえ忘れなければいい。
上司の覚え目出度い「自分」を誇ったりひけちらかすとき、墓穴を掘り自ら真っ逆さまに落ちて行くことを覚悟しなければならない。
抜擢された者こそ、震えるような日々を送るのがこれからの毎日である。
『抜擢人事』とは、その背景にこそ留意されよ!、とまあこういうわけである。
現に一人、傲慢になり始めた者がいる(らしい)。
自分が今、長い歴史の「どこ」にいて、「何をするべき」立場にいるのかを知らない者にとっては、(ほとんどがそうであるが)人の動きで一喜一憂し「その大切な時」を失っていくのだ。

さて、無言で過ごした私の3か月。
長いといえば長かった。
が、見えないものが見えてくる。そんな時間でもあった。
人の「恨み」と「愛」が、どこでどう交叉するのかが見えた時、私には「ここで仕事をするハメになった」本当の意味を知るだろう。
9月1日をもって始まる「歴史を賭けた霊界解放」の様を、またご報告出来れば幸いである。



次は「私」を襲った「女の愛と恨み」の心模様である。
一頃「矢代亜紀」が歌ってヒットした『雨の慕情』というのがある。

♪ 雨雨降れ降れもっと降れ わたしのいい人つれてこい・・・

  憎い恋しい 憎い恋しい めぐり巡って 今は恋しい~

あのハスキーな声で、妖艶に歌われたら誰だってたまったものじゃない。
彼女が一つのライフワークにしているという「刑務所の慰問」は、女刑務所に収監されている者たちの唯一の楽しみだという。
そして彼女たちが服する「刑」の背景にある「女心の憎しみと愛」の狭間を思い出しては、その歌に酔い泣くのである。
それほどまでの「男」とは「何か?」・・・。
永遠のテーマである「男と女」。そして女ゆえに手を染めた罪の背景・・・。
私は何も言えずに絶句し、そこにたたずむだろう。

過去の「強姦事件」のあと、私は神に聞いた。(祈った)
「なぜ?。男と女なぞ、こんなめんどうなものを造ったのか?」・・・と。(罰当たりも顧みず)
そしたらすぐに怒られた。
「最も尊く、最も美しいものを汚したのは人間だ。だからそれを美しい本来のものに元返してくれ」と。

本来の美しく尊い「もの」を夢見ながらも、現実の汚い実態だけの「今」をみなければならない「因果」な自分を叱咤激励しながら送るこの「よすが」を、ある「女」が目に付けた。
その時から「私の雨の慕情」が始まったようだ。
あの歌は最後には「恋しさ」がくる。
しかし私の背後は、最期に残るのは「心残り」でありそれはまた「晴れない恨み」であった。

私の心を「誰か」が占領している。
そう気が付いたのは、先日ブログでご紹介した「ペリリュー島に残る望郷の念」の一日前だった。
そうなんだ。「私じゃない」。悪く言えば心を乗っ取られたのだ。
なぜ?。そしてなぜ私なのだ・・・。
私の心にスキがあったから?・・・。それとも私が「男好き?」・・・。(ふふふ、面白い)
それとも「その心情圏に因縁がある?」・・・。(於松様の恋心?)

いずれにしても「憎い、恋しい」の二つが、シーソーのように揺れ動く日々でございました。
いやはや、疲れたのなんのって・・・。
体重も人生始まって以来39キロを記録し、医者に怒られた次第です。
「恋煩い」って、こんなにも大変なもんなんですかねぇ。と言うこの私に、白羽の矢がたったことが面白くもあり、不思議でもありました。

さあ、もう皆様にはお分かりですね。
そう「心情」を預けるということは、賭けみたいなもの。
下手すれば「地上を巻き込んで罪の上塗り」をする可能性がある。
前に書いた「三宅島出身の彼女」のこと。覚えておいででしょうか・・・。
背後は遊女。(遊び目女・あそびめ)
男なら誰でもいい。自分の父親くらいの男性とも仲良くなれる。
その心の虜(とりこ)になり、(乗っ取られ)罪の行為を重ねていく・・・。
だから、「そうならない」意志の強い女。そうそう「石の様な女」を選ぶことが大切になる。
そして自分の無念を、思いのたけを預ける・・・。
地上は「審神者(さにわ)」の役目。いいか、わるいかを告げ、説き、道を示して悟らせさらなる高みへと誘導する。

私の背後が尼様だらけでよかった!。

霊にあやつられ、乗っ取られ、思いもしない人生の深みにハマることは結構あるはずです。
特に男女間の問題は、それが即天法を犯すことにも成りえますから、よほどの「固い女」じゃないと危険ですよ~。

と、まあこうして今は「説得」を重ねている毎日でございます。
あの世では、「彼女」を尼様方が取り巻いて日々をお過ごしかと存じます。
戦乱の世に生を受け、人生を翻弄された「女性(にょしょう)たち」はごまんといる。
尼様方もそんな人達であれば、きっとその「彼女」のお心をむげに否定することなく、正しく丁寧にお導きくださることと安心しております。
なんたって私の影の軍団は「尼様軍団」ですから。

さあ、そんな私個人の霊界模様も、9月から「仕切り直し」です。
こちらの方も、機会があったらまたお話をいたしましょうか・・・。


涼しい秋風を受けながら、最近の事情をばお話し申し上げました。
みなさまにおかれましても、どうぞ夏の疲れを癒しながら、再びの命の輝きを取り戻してお励みくださいませ。