霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

人選

2015年02月19日 | 心霊現象
「じんせん」と読みます。人を選ぶことを言います。
何気なく使い、日々おこなわれている事でもあります。
自分でも「人選(じんせん)」しています。ま、日常茶飯事のことでもあり、気にも留めない事象でもありましょう、が・・・。
事「自分」に深く関わってきたとき、「どうでもいいじゃない~」とばかりは言っていられなくなる・・・。


さてさて、2月、3月は人の動きが激しくなるシーズンでもある。
御多分に漏れず、我が職場でもその動きがドギツク露わに展開した次第。
違う職場へ行く人。職場を離れる、つまり退職する人「ひきこもごも」である。
その中で、私がこの一年間お世話になった方が、退職した。
半分は辞めるように仕組まれた?嫌いがある。つまり「いびり出された」のだ。
資格はりっぱに持っていた。介護の世界においては、現場のエキスパートと呼んでいいほどの『ケア・マネージャー』(通称ケアーマネ)。
通常その上には『管理者』と呼ばれる総監督がいる。
そのケアマネが辞めた。
その代わりとして当てられた者が、まだ資格がない、さらに経験は「ここ」で学んだしかない「一年」のみがあるだけの「者」が『フロアーのリーダー』となった男である。
50数歳のその人生経験と、人間性を見込んでの「抜擢」であると、管理者自らが説明した。
「あなたがたも、ちゃんと働いていさえすれば、今回のような大抜擢もあり得るんです」と我が意を得たり」と言わんばかりの顔で「皆、がんばるように」と、訓戒した。


最近になって、部屋の片隅で一人で泣いている彼女(ケアマネ)の姿が時折他の職員の目に留まるようになった。
また、「申し送り」と称して朝夕に短時間だが持たれる「引き継ぎの時間」に、他の職員の面前で「否定される」事が多々見受けられている。
そのケア・マネに育てられ、新しい技量を開発した新人職員や介護歴何年の人も多い。
しかし、上司からマークされたら、いや嫌われたらもはや「その職場」にはいられないのだろう。
彼女は、「針のむしろ」の日々をようやく自ら脱する決意をして、今ここに至った。
その間約三か月。
そのフロアーで日々何が行われ、人心に何がはびこったのかは、私は知らない。
昔なら、自分の上司が死ぬハメになる立場を与えた下司(つまり自分)もまた同罪である。(私は昔ではなく今もこの心情原理は通用すると思っている)
その「送別会と称する集まり」に、二人が参加を表明した。
二人とは「私」と「いつもは喧嘩ごしだったが二の立場にいた」女性だった。
来週26日の夕方、女三人で何が話されるかは、門外不出となるかそれとも・・・。
多分こんな私であれば、洗いざらい「すっぱ抜く」かもしれない。(ただ、皆さまにだけね)


この「抜擢人事」とだぶって見え隠れする「もう一つ」の影が、向こうに揺らいで見えている。
そうだあの守護霊「木村氏」が語る、一族の栄枯盛衰の「事の転末」事情である。
明智光秀に使え、城の城代家老として務め上げ、さらに「本能寺の変」以後は太閤秀吉から蒲生氏郷へと身を預けながら「今の世」つまり平成の世に木村一族は「何」をするべく「抜擢」されたのかを紐解く「一族の霊界事情」の真実である。
何の意味もなく、地上が変わり動くわけがない。
「理不尽」であれ「無情」であれ、その背後には言い尽くせない真実を語りたがっている霊界がある。
それを忘れないようにしょうと心に言い聞かせながら、解けないわが心情をかかえて今に至っている。
(皆様におかれては、「木村一族のこと」はご存じゆえ、説明を省きます。忘れた方は読み返してみてくださいませ)

常識では考えられない「事」が目の前で起こっている。
さて、その「意味」をどう解くのか・・・。
皆様に散々申し上げてきたことを、今私が解くハメになっている。
この人事で、「利用者」あるいは「その家族」は戸惑うことはないのか?・・・。
さらに、一緒に働く他のスタッフの心模様はいかがなものか・・・。
スタッフでも「介護福祉士」や「ケアマネ」の資格を持って働いている人もいる中・・・。
はたして「その男」に付いて行けるのだろうか。
具体的な専門分野における指導者としての「資質に対する不安」を、同じフロアーのスタッフたちは心に抱かないのだろうか?・・・。
彼ら(その階のスタッフ達)は、貝のように口を閉じ何一つ語ろうとはしない。
そうだ、彼ら達は「管理者」と同じ階にいて、ことあれば筒抜けの環境にある。

さーて、お立合い!(ちょん・拍子木の音)



少し前。私はTVドラマ二時間番組で『復讐法廷』(間違ったらごめんなさい)というドラマをみた。
愛する娘を失った、「強姦殺人」の親の心情を綴ったドラマである。
当然親(父親)は、復讐の機会を狙っていた。その間に母親は病に倒れ死亡。
亡き娘の仇は、一人でとる。
とうとう「憎い男」を目の前で撃った。猟銃で・・・。
もはや彼はこの世に何の未練もない。
殺意を表明し、死刑を望んだ。
そんな男に弁護は難しい。案の定二人の弁護士が身を引いた。
さて、三人目の弁護士の彼女は・・・。
そこから本当のドラマが始まる。

過去、「緒方拳」が演じた映画『復讐するは我にあり』というのがある。
聖書のある部分には、「人は復讐してはならない。復讐は神に委ねよ」とある。
人の心情には神も住めば、サタンも住む。
その心が体を使って行動となり、さらに人の命を奪ったとなれば「取り返すこと」は出来ない。
行動は事実となり、この世の真実となって永遠性の時間帯に刻まれる。
消す事?・・・、消すことは他の誰かの清算の結果において、許されることをもって終わる。
終わるのであって、歴史的事実からは消えない。
それが「因果律」である。
復讐を心に抱き、企てた者にしか分からない「心理」は、今も私の心にある。
そして呼び出せば、間違いなく血が通った生き物のように私の目の前に躍り出る。
しかし「あの強姦事件」が、過去同じことが違った立場、つまり「真逆の事」としてこの世に起こった。と、そう説かれたとき、私は「あの世に対する無知」を痛いほど噛みしめた。
そして大切な霊・魂・心を「鬼」にしなくてよかったと、今でも危機一髪の「救い」に感謝し続けている。
今から何十年前になるか・・・。
母親と子供が「ラーメン屋」の前で「郡司」と名乗る男に刺殺された。
道路端にころがる親子の遺体。
それを侮蔑するかのように「郡司と名乗る男」が言う言葉。彼は何と言ったのか・・・。
「俺に殺されて、本望だと思え!!」と・・・。
常人が吐く言葉ではない。彼は精神を病んでいたのか?・・・。
当然、今でいうところの「精神鑑定」の範囲内の男だと言える。
が、この台詞は「今」ではなく、過去性をも語った言葉に聞こえる。
あの殺人現場は、霊的にみたらともすれば過去性があり、あの時真逆のことが起こった「写し絵」のようなものであったかもしれない。
その時の心情に駆られ、(つまり怨みや復讐心であるが)思ったままそれを行動に走らせては危険であると、ことあるごとに「ブレーキ」をかけ続ける霊界が、今も私の周りに「たむろ」している。
きっと、だからでしょうね私が「地雷を撤去」したのは・・・。(私の職場のことを言っています)
そしてそれは「霊的な地雷」です。
言葉を代えれば、復讐の地雷と言ってもいいでしょう。
同じ立場になって初めて知る「心の痛み」、という地雷です。


ここまでくると、何と恥ずかしい人生でしょうね、いえ私がですよ~)
地獄の門番としてふさわしいでしょ。
その地獄が今後救われていく?・・・。
(ふふふ。むかしの私なら、ふざけんじゃねぇ!と、言ってますよ)
でも今は、少し静か、穏やかに暮らしています。

今般の抜擢人事をどのように解くか、明かすか、つまり解読するかは「神」が一番見たがっているんじゃないでしょうか。
きっとある意味で、「地獄の門番の第一次試験」とでもいうか「品定め」の内容ではないかと・・・。



これぞまさしく「人選」。
神あるいは霊界からの「人選テスト」だったとしたら~。
さてさて、この絵解きは何と答えを出すべきか・・・?。
(皆様にも、そっくりこれを「出題」いたします)
お互いに頭をひねり、心をひねって考えてみましょう~。






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