霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

読者の方々へ「御礼」と「言い訳」など・・・

2014年06月24日 | 心霊現象
かれこれ三年に及ぶ「ブログ」を、これまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
ひょっとして誰一人としてお読みいただけなかったら、いくら「神様がきっとお読みかと」と思いながらも、私とて今日まで続けてこられたかわかりません。
古い読者の方、ある意味では「私のことを、私以上に?ご存じの方がいらっしゃる」ということは、怖ろしくもあり、嬉しくもあり実に複雑でございます。(でもやはり嬉しい!)

さてさて、ここへきて「ちょっと聞きたい」とか「逢いたい」とか「相談が・・・」とかの方がコメントをお寄せ下さいます。
ところが当方、日を追って「出不精になり」「話不精」になり、つまり集中力が散漫になり・・・。
もし、もしもですよ。
あの世から「命がけの言葉」を頂くような状況があったら、はたしてうまく地上の方に「橋渡し」が出来るかと、心配が頭を過(よ)ぎります。
ゆえにね、どうぞご連絡を下さる方は、「霊界の門が閉じる時のページに」つまり、そんなこんなで「相談事」がある方は「ここへFAXしてね」と番号を書きました。
どうぞ「そこ」へ連絡してください。
今様ではない方法で、若い?あるいはメールに慣れた方々には「いまさらFAXかよ~」と言われるでしょうが、この番号は今も24時間、365日開いています。
(扉はいつも開いています。ん?どこかで聞いた台詞だ?)
しかし本当に閉じる日。その日が来たら、ごめんあそばせ。
「ああ、老女が一人死んだ」と思ってくださいましな。
(しかし、あの世からはしっかりと覗いていますから・・・ふふふ)


ただその時はね、「滋野」と「武田」のコンビは解消となり?、また地上では霊界事情を解明する「コンビ」や「相棒」が新たに仕組まれると思いたいのですが・・・。
『海野のお館さま』と『武田於松さま』が霊界解明の『相棒だった』とはねぇ~。
歴史の事実から言えば、この二家は最初は憎い敵だったものを、よくもまあ「神様」はこんな二人をお使いになったものよと、いまさらのように感心し、感謝する次第です。
へたをすれば「この二人」こそ、刺し違えて果ててもよかったものを・・・。
先祖の功労とは、全くの驚きの極みでございます。(人智の及ばないところが「これ」だったかと、今に至ってだからこそ思い知ります)


さて、次にちょっとした現代の伝達今様の事情をば。
「ライン」ってご存知?。
さらに「既読スルー」って何?。
いえね、今TVのニュースで「若者の犯罪」が、「ラインの既読スルー」が元になって引き起こされたらしいと言っていたものですから。
私のように昔の、古い人間には「何のこと」か分かりません。
今日本の「ライン」に加盟(参加)?している人が5000万人だとか。
人口の半分がその「ライン」とやらに繋がれている。
そこで何が起こるんでしょうか?。
「せっかく読んでも、返事がこない!」、そうして若者は切れる!。
仕返しを企み、その被害を受けたのは「彼女」だった。とまあ、目まぐるしく変わる犯罪事情に、ついて行けない「深い時代の闇」を見た思いさえする。
「ライン」は、張り巡らされた「くもの糸」だ。
目に見えないから「ある意図をもって張り巡らされた因縁という霊界の糸」と申し上げたほうが、はっきりするかもしれない。
誘蛾灯に誘われる「蛾」のように、引き寄せられて「因縁の清算」に関わっていく。
現代版「はれない恨みをはらす方法」といったら叱られるだろうか?・・・。
『君子危うきに近寄らず』、この言葉が今ほど貴重な響きを発するときはない。
えっ、だから私はメールを返信しないのか?・・・、と。
(いえいえ、やり方が分からないだけです)



私が今日まで書き溜めた「こと」や「内容」は、いずれ、そうあと100年も経てば、全ての人とまではいかなくても大半の人には「常識」になることでしょう。
そして世の流れがもっと速くなり、いい意味では正直者がバカをみない時代になり、悪の行為には早速「おとしまえ」(清算)が加えられるという「生きて結果を見る時代」になるでしょう。
何が「正」で何が「悪」か。その違いが根本的に分かる時代を迎えた時、歓喜と絶望が入り乱れながらも、人心を家庭を国を世界を真っ二つに分けながら、流れる血と涙と汗の後にこそ「本物」がようやく姿を現す「よき時代」が到来するでしょうね。

それは「いつ」で「どこ」で「だれ(何)」か?。


今世界で起こる「戦争」は、『代理戦争』だと聞いたことがある。
誰の代理で、どこの代理で、何の代理か・・・。
はい、それはね「アダム」の代理であり、「エデン」の代理である・・・と。
最終的には「三度目の正直」を賭けて、地球規模で展開する「神の復帰摂理」。
つまり北と南に分断された一つの国が蘇る時であり、アダムの復活が国単位で起こった証でもある。
その時の「イブ」はどこで、天使長はどこか?・・・。
世界に現れたきな臭い「一触即発」の今、朝鮮半島に全ての目と意識を向けてみていてください。
必ず現れる「三度目の正直」は、案外私達が身を持って味わう「今」に、それもこれから近いうちに起こる可能性をもっています。(いやだなぁ~)
歴史の同時性を見る「三本の矢」は、もうすぐ来る「その時」を告げていたではありませんか。


いそげ、急げ!。内心私はあせっていますが、一度「人」つまり「人間」が関わったとき、その計画の遂行においてはあくまでも予定であって、決定ではないという鉄則があることを思い出してください。
神といえども、算数(数式)どおりにはいかないということ。
つまり、人間に与えた「責任分野」が全てにかかってくる。
いつ、だれによって、どこで終結するかなど「神でさえ分からない」。
これが歴史を今日まで引きずり、次へと繋いできた「いい意味でも」「悪い意味でも」神が人間に与えた「愛」の結果だった、とこうなります。
「ガリレオの数式」でも「アインシュタインの数式」でも、「神の数式」でさえも、人間の予定はあくまでも「人間によってしか」解かれない。
『予定はあくまで未定であり、決して決定ではない』。まさしく・・・。


さて、こんな人間の立場をこよなく愛した神に、同情と感謝を送りながらこれから先「皆さま」が辿られる「人生」に「幸あれ」と祈ります。


(FAX番号、是非探し出してくださいね! 待っていますから~)





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