霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

死に際に合った目

2013年11月17日 | 心霊現象
交通事故多発の現代社会において、たまたま「事故現場」に出くわすなどということはもう稀ではなくなった。
へたすれば、自分が被害者になるかも知れなかった場面が、おうおうにしてある昨今。

「彼」は、事故の現場に運悪く出くわしたそうな。
トラックの下敷きになり、女性が引っ張り出されている真っ最中だった。まだ息がある。
「可哀そうに・・・」、彼は思った。
これから何をしに、どこへ行くつもりだったのだろうか・・・。
また、一緒に歩いていた人もいたかもしれない・・・。
しかし彼女は今、トラックの下でひん死の状態だ・・・、彼はやさしさから「彼女の今」を想像した。同情や憐みの念が湧いた。
と、その瞬間彼女は彼を見た。二人の目は、しっかりと合わさり、そして彼女は目を閉じると動かなくなった。死んだのだ。

彼は、しばらくやるせない想いで歩き、用件を終わらせて夕刻にまた安アパートに帰ってきた。
手を洗い、うがいをして・・・、何か人の気配がしたので部屋を見回した。誰もいない。
気のせいか・・・。ひょいと玄関に目をやると・・・。
女性が立っているのが見えた。玄関のカギは、確かに閉めた。
薄暗いところでは、はっきりとは見えず灯りをつけた。
全身が固まり、寒気に襲われた。「あの彼女」だった。
また再び目が合った。(心では、目をそらせ!と叫んでいた)叫び声さえ出ない。
しばらくして、すーっと彼女は消えた。出て行ったのではない。消えたのだ。
腰を抜かしたまま、彼はしばらく呆然としていた。

「あなたは、これを信じますか?・・・」
彼と同じことを、今私はみなさまに問う。
今の私なら即答する。「信じます」と。
でもその時の私は、「冗談やめてください!」と言った。
怪談話にすぎないと、おどかしの一つだと当然思ったからだ。


昔私は、事故があると必ず友人が迎えに来たものだ。
友人の兄が、田舎の警察官だったこともあったが、死体に興味を示すという「危険な悪趣味」も働いたのかもしれない。
水ぶくれの「水死体」、ばらばらの「轢死体」などなど。せいぜいそのくらいで、殺人はほとんど無かった田舎であれば、今でいう「黄色いテープ」など張り巡らされてなどいない。
小学生・中学生が「人だかり」(大人)を分けて、前に出て「観る」ことは、いとも簡単だった。
しかし、見るものではない。決して見てはいけない。それが職業でさえなければ・・・。
「ほら!」と、友人の兄が手にぶらさげた「もの」を目の前に出した。
「なに、これ?」と聞いた。それほど「それ」は「人の体(てい)」を成してはいなかった。
轢死体の頭部だった。目もない、鼻もない口も分からない。ただ、わずかな髪の毛がまとわりついていた。女の自殺体だった。
目の前に出された「もの」だから、私はしっかりと見てしまった。
血はそれほど飛んでいない。首、手、足、胴がばらばらになり、軌道沿線の家まで飛んだそうだ。
「ドスン!」との音で家の者が出てみると・・・、玄関前に手があった。
一度屋根へ落ち、はずみで庭先から玄関前までころがったか・・・。
事故後のリアルな話は、いやでも耳に入った。
その後一週間、私は不眠症に陥った。眠れない。目を閉じれば、「頭部」が浮かんでは消えた。
手も足も胴も、想像をかきたて、私を狙って上の方から降ってきた。
来る日も来る日も、同じ夢をみてはうなされた。
丁度夏。昔は「蚊帳(かや)」をつった。その蚊帳ごしに「何か」が見えた。
みんなそれは、ばらばらの「人の部位」に見えた。

「一生かけて約束します!。人の死体は決してみませんから!」と子供ながらにも胆に銘じた。


親は事情を知って、あきれてものも言わない。

今だから言える。
霊は、その場にまだいる。そして人の心をみている。そして知るのだ。
どの人が一番自分を、関心をもってみているか。そして憐み、同情の心をよせているか・・・。
そこをよりどころに、今わの際を預けようと思うのは、しごく当然である。
「ついて来た霊」に引導を渡すことが出来ない人は、見ないほうがいい。
霊界の何たるか、また霊の何たるかを知らない人は、「君子危うきに近寄らず」に徹した方がいい。
もし、もし「あなた」の目の前で「こと」が起こったら?・・・。
人命救助が出来る「あなた」ならば、助けてやってください!。
しかし、怖い物みたさであったら、お止めになることをお勧めする。


はてさて、苦い経験をばお話いたしました。
それでも何の因果か、出くわしてしまったら・・・。
手を合わせ、「行くべきところへ、お行きください」と言って、お見送りするのが最低限の所作であり、心くばりでしょう。
ゆめゆめ「観っ放し」ではなりませぬぞえ。
子供がその場にいたら、ご自分のお子でしたら「目隠し」をしてやってくださいませ。
子供がみるものでは、・・・どうみても見せていいものではありませんから。

現代は、見せたくなくても見てしまう「残忍」な事が、あちこちで起こります。
私から言わせれば、早く「あの世」のことを大人も子供も知るべきでしょうねぇ。
教育現場では、「道徳」の時間がまた復活する気配です。
いい機会です、いっしょに「あの世」を教える時間も加えてみたら、いかがでしょうかねぇ~。








2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
松山眞一氏について (大門)
2013-11-17 20:31:54
松山眞一氏は、未だ現役の極東会のトップです。
テキヤ(神農)業界では、正に生き字引であり、また齢86歳でも常に規則正しく、己に厳しく生きているようです。
今こそ貴殿が出版物を残すためにも取材してみてください。
返信する
Unknown (mira1965)
2013-11-19 15:28:06
人間の死ぬときの姿は、ドラマや小説などとは全く異なることが多いと思います。
私が、実際に立ち会ったのは両親だけです。どちらも、病死ですが眠るみたいに
穏やかだとはいいがたかったです。本人は、死を覚悟していても、
これから行く場所に不安が募り、残していく人や物にも未練たらたらで、
もう心穏やかではなかったようです。五体満足で死ぬ人たちでさえ、
このような状況ですから、子供さんにはむごいご遺体の横たわる
事故現場などには近づけないことです。

最近は、テレビのニュースでは「即死」という言葉が使われなくなり、「心肺停止」とか、
「現場で死亡が確認された」とかいう表現を使うようになりました。
なんとなく、ご遺体の状況をわからなくしているように思えます。
とりわけ「病院で死亡を確認された」という言葉に、私は反応してしまいます。
どんな状態で、搬送されたのだろうかと思ってしまいます。

両親を送ってまもなく何事にも心がふさぎ、ある霊能者の方に家に来ていただいたところ、
「お母さんとあなたで、病院からかなりの数の霊体を連れ帰っている。」と
告げられました。私には、思い当たる病院がありました。その病院は、すでに40年
以上にわたって地区の救急医療をサポートしています。犯罪がらみの搬送数も多くて、
多くの方がその病院で最期を迎えていました。夜中に病院玄関に銃弾がうちこまれる
ことも何度かあり、外来でのトラブルを私は何度も見かけていました。最近では
アジア系の方の来院も多く民族の交差点となっています。特に故郷に戻れない
中国の方が多く来院されて、廊下で診察を待っていると中国語で怒鳴り散らすような声を
聞くこともあります。故郷を離れ遠く異国のこの病院で、
最期を迎える方も少なくないと思います。病院は、事故現場より怖いところなのでは
ないかと思っています。

事故現場で最期に目が合って霊体を
つれて帰るのも不本意ですが、不特定多数を家に連れ帰るなんて不本意どころか、
抗う力のない私には災難です。
以来、私は、総合病院や救急病院には極力近づかず
何か嫌な雰囲気の祠や信号待ちの交差点などでは、「私ではお世話はできません。なにも
してさしあげられません。お力にはなれません。ですから、私から離れて。」
と、心の中で怒鳴ることにしています。
これは、間違っているのでしょうか。
返信する

コメントを投稿