霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

天空の茶会

2013年12月27日 | 心霊現象
ラジオを聞くなど、いまどきの人はほとんどしないのではないだろうか?
TVだって忙しいからと、ニュースを見て終わりとなる日など日常茶飯事である。
しかしよほどの暇人とでも思われようが、ラジオはなかなかいい。
第一、耳だけを預けておけば、あとの体は全部他で使えるのだから。
TVではそうはいかない。目と耳だけそこに置いて「あとの肉体」で勝手に何が出来るというのか・・・。
もう目と耳だけで、充分全身を拉致されたようなもの。
しかし時としてラジオは、耳だけを預ければよいだけではすまなくなる。
全神経を傾けて聞き入る、となると・・・。目も足も手も勝手に動かすわけにはいかなくなる。
じっと身動きせず「今聞いた事」」に神経を傾ける。(だから寝ながら聞くのは、ラジオ聞きの醍醐味でもある)

つい最近、面白いことを聞いた。
80歳でエベレスト登頂を成功裏に終わらせた『三浦雄一郎氏』の二男、三浦豪太氏の話だ。
彼はその登山に随行した。
登山で一番頭の痛いことは、荷物の重量にあるという。
1グラムでも軽くしたいのが人情なのに、このたびのエベレスト登山に父である雄一郎氏は、『茶の道具』を持っていくと言い出したという。
いくらほとんどが「竹」で出来ているから軽いだろうといっても、一つでも置いていきたい心は、すんなりと「いい」とはとても言えなかったらしい。
しかし「おやじ」さんの熱意(がんこさ)は、決して譲らなかった。
次男は他の方にすまない思いで、自分が「茶の道具」を担いだと言う。
山の道に「慣れ」などない。その都度状況が千変万化する「登山」は、いつも危険と死の背中合わせだ。それも相手は、あの「エベレスト」だ。
登り、つまり往路で8000メートルの地点でテントを張った。山頂はもう近くだ。
しかし、頂上を今から目指すのは、自殺行為だった。状況をみながら待つことにした。
雄一郎氏が「茶」にしょうと言った。しかし、みんなの心にはそんな余裕はない。
エベレスト登頂の案内人は「茶だって?」と、いぶかった。(このおっさん、どんな神経をしているんだい?とでも)
父の強い勧めでお茶を飲むことになった。
テントの中には荷物は入れない。小さな出入口から、体をにじって入る。
ピッケルやザイルや登山道具は、みんなテントの外に置いてはいる。
「似ている」と、とっさに次男豪太氏は思ったという。「何が」・・・。
お茶を飲むには、まず茶室へ入る。その入り口は小さく、ようやく体をにじりながら入らなければならない。どんな権威者であれ、成功者であれ、またこの世で小さき者も同じ行動をとる。
さらに武士といえども、腰につけたもの、つまり刀や武器は外に置いて入らねばならない。
8000メートルで沸かすお湯は、貴重そのもの。それで日本のお茶が点(た)てられてゆく。
全員に渡ると、テントの中つまりその空間に「異変」が起きたという。
『異空間』が現れ、広がったのだ。まるで日本の「茶室」そのものの中にいるような、そこで静かにお茶を味わう静寂と幽玄の世界。彼らは、まさしく「ここ」が「デス・ゾーン(死の地帯)」である事をその時忘れた。
得も言われぬ空気感の中で味わう「茶の湯」の世界。心から温まり、勇気が湧くそんな感覚だった。
大自然が守り導くに違いないと思わせるまでの「親のふところ」にいるような安心しきった思い。

そんな時、登頂を終えて復路を下りてきた外国のグループを見た。
彼らは疲れ切り凍え、まるで死人か幽霊のように見えた。
さっそく彼らに声をかけて、テントに招き入れた。彼らは「茶の湯」の客人となった。
それも8000メートルの山での、文字通り「天空の茶室」に招かれ、天空の茶会となったのだ。
そしたらどうだ。彼らは肌の色も目の色も変わっていった。活き活きとしてきたのだ。
ただの「お湯」ではなかった。これは何だ・・・。
なぜ父が「お茶の道具」を持っていくと言ったのか・・・。今となっては思いつきやわがままや偶然とは思えない。
日本のお茶に秘められた「何か」が、はるか遠く、さらに高いこの「エベレスト」で、人の命を復活させるとは。
おかげで「デス・ゾーン」といわれる地点から、かたや頂上をめざし、かたや麓へと下りる者たちの命を一瞬にしろ繋いだこの不思議な出来事を、決してわすれることは出来ない。
「茶の湯」とは万民に通じる「何か深いもの」が、人であることの共通性をもって、今ここで我々が教わった気さえしてくる。・・・と豪太氏はこう結ぶ。


「天空の茶会」かぁ~。なんとすばらしいことよ・・・。
でもなんと「おっかない事」よ~。経験した者しか解らない味でもあろう。



それでね私、さっそく「利休」さんに聞きに行ってきました。
そして今帰ってきたところです。
え?、何かって。はい、『利休にたずねよ』っていうから、聞きに・・・。
映画の場面場面で分かったことがあります。なるほど~。
私、映画の製作会社の回し者じゃありません。が、利休さんって、どんな人で何を固辞したかったのか。命と引き換えても譲れなかったものって、何だったのか。(聞いてまいりましたぁ~)
彼の念が、あの茶の湯にのりうつっているとすれば、さもあらん。
高さ8000メートルであろうと、世界最高峰の「エベレスト」であろうと関係ない!。

ここでまた・・・。
げに怖ろしきは「和の心」であり「輪の心」でもありましょう。
年末だというのに、また何か難しげなことに波風が吹き始めました。
清水寺の和尚さんは、こんな年の瀬を予知して「輪」という字を書かれたのでしょうか・・・。
さらにさらに、あの世からは「利休さん」がこの世を覗き見して、「茶の湯」でもやりなされ、と一喝されているかもしれませんぞ・・・。



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