では、私の神体験をば、お話させていただきましょうか・・・。
◎ 一つ目のお話。
ある部屋に通された。
あんまり明るくない、誰もいない部屋だ。しばらく経っても、誰も来ない。
なんだろう・・・?
扉のついた棚が並んでいる。
誰も見ていないようだから、・・・開けますよ~・・・。
一つ目の扉の取っ手に手をかけた。力いっぱいに引いた。
「わーっ。なんじゃこりゃー」
すごい量の水が私を押し流して、どんどん流れていく。その水は・・・水じゃない。
ぬめぬめとした、しょっぱい、生臭い液体だ・・?ん、血? わーっ、血だぁあ。
ぬめぬめと滑りながらも抵抗して、一応体を保った。
「血の海地獄かぁ?」泳げない私を分かっての事か・・・。
気がつくと、全身がもう乾いていた。何事もなかったかのように、部屋の真ん中にいた。
相変わらず、取っ手のついた棚が並んでいる。
「もう、その手はくわないぞー」と思いながらも、ついまた見たくなった。
誰も来ないことをいいことにして、次の棚をそーっと開けた。
「わーっ、なんじゃこりゃー」
また、すごい量の水が噴き出して、私を押し流した。
今度の水は、しょっぱくても、さらりとしていた。まあ、血よりはいいかー。
この水に流されながら、泣けてきたことが不思議だった。この水はひょっとしたら「涙」なのかも
しれない・・・。
二つ目で終わるのもなんだしな、もう一つ、三度目の正直だ。「えいーっ」と棚を開けた。
「わーっ」。やっぱり大水に流された。なんでこんなにどれもしょっぱいんだろう。
これは汗臭い。「汗」なのだろう。
血の池地獄と、涙池地獄と、汗池地獄の三つだったのだ。
はたして、地獄か?
私に何を悟れと思召すか、天よ?
わからないまま、夢から覚めた。
それは、人類の歴史を物語っていた。
血と汗と涙の人類歴史だ。神を失った人類。そして、人類を失った神。
言葉の無い世界で、いままで流された血を、汗を、涙を知れと言われるか・・・。
◎ 次のお話です。
宇宙に飛び出して、宙に浮いている私だ。
とうとう、あの世かぁ?
いや、遠くに見える地球を抱いている人がいる。
近くまで行ってみる。
一人の「老人」が、地球を両手に抱いて泣いている。「神」?
その人は冠も玉座もない。白くて長い衣を着て、大声で泣いていた。
その圏内(ゾーン)に入った途端、身が凍った。寒くてではない、悲しみでである。
わけもなく涙が出て、身をよじるような泣き方で、私もしばらく泣いた。
その時全宇宙は、一瞬動きを止めた。運行を止め、固まった。
私には凍ったかに見えた。
この方は「神」か?
何ということだ。神の慟哭、この悲惨は宇宙の全てを凍らせ、その泣き声だけが宇宙に響き渡っている。
これが、「神の姿」?
誰も信じないでしょうね。
人間は神をあたかも「便利屋」か「何でも屋」のように、その欲望の数々を拝み、押し付けてきた。
あれをくれ、これを直せ、野望を成させよと、勝手を言ってきた。
誰も「神」の心を推し量ろうなんて、思ってもこなかった。
神が地球を抱いて、慟哭している。全宇宙に響き渡る悲しい叫び声。
こんな「みじめな神」、だれが想像しょうか・・・。
このショッキングな「神の姿」は、私の神観を変えたといってもいい。
王冠のない神。玉座もない。白いみすぼらしい衣。年老いて、よぼよぼの姿で泣き続ける父親。
これも、まぎれもない「神の姿」だった、ということです。
◎ また、もう一つのお話・・・。
『オマエはね、・・・』
私は、いつもこう呼ばれる。
『それで、いいのか?』
『本当に、いいのか?』
『いいんだね・・・』
三日に渡って問われた、私への言葉が「これ」だった。
答えは、私の胸にある。覚悟も、決意もそうだ。
なぜこれほどまでも、念を押して私の決心を促そうとされているのかは、私だけが知っている。
当てはまるとすれば、「神への反逆」になるかもしれない。
しかし、私の心は変わらない。たとえ地獄へ行っても変わらな。
『いいんだね』という「ダメ押し」にもとれる言葉を最後に、この声は私を訪ねてくることは、なかった。
その後、守護霊降霊の場に立ち会う度に、その方々の守護霊から何度にも渡って、こう返事が返ってきた。
「神は決して、お見捨てにはなりません」
この言葉は、周り廻って、私にあたえられた言葉であると、今でこそ分かるものである。
出来そこないの私であり、「鬼っ子」と呼ばれても仕方のない私であるが、ここまで生きて、「神」や「霊界」のことを書いているのです。
だから、とは言いませんが、皆さまは充分良くできた子として、親孝行してくださいませ。
この道は、「先の者が後になり、後の者が先になり」の、文字通りシーソーゲームであれば、
今後ともどうぞ、学び合って、助け合って、まいりましょう・・・。
◎ 一つ目のお話。
ある部屋に通された。
あんまり明るくない、誰もいない部屋だ。しばらく経っても、誰も来ない。
なんだろう・・・?
扉のついた棚が並んでいる。
誰も見ていないようだから、・・・開けますよ~・・・。
一つ目の扉の取っ手に手をかけた。力いっぱいに引いた。
「わーっ。なんじゃこりゃー」
すごい量の水が私を押し流して、どんどん流れていく。その水は・・・水じゃない。
ぬめぬめとした、しょっぱい、生臭い液体だ・・?ん、血? わーっ、血だぁあ。
ぬめぬめと滑りながらも抵抗して、一応体を保った。
「血の海地獄かぁ?」泳げない私を分かっての事か・・・。
気がつくと、全身がもう乾いていた。何事もなかったかのように、部屋の真ん中にいた。
相変わらず、取っ手のついた棚が並んでいる。
「もう、その手はくわないぞー」と思いながらも、ついまた見たくなった。
誰も来ないことをいいことにして、次の棚をそーっと開けた。
「わーっ、なんじゃこりゃー」
また、すごい量の水が噴き出して、私を押し流した。
今度の水は、しょっぱくても、さらりとしていた。まあ、血よりはいいかー。
この水に流されながら、泣けてきたことが不思議だった。この水はひょっとしたら「涙」なのかも
しれない・・・。
二つ目で終わるのもなんだしな、もう一つ、三度目の正直だ。「えいーっ」と棚を開けた。
「わーっ」。やっぱり大水に流された。なんでこんなにどれもしょっぱいんだろう。
これは汗臭い。「汗」なのだろう。
血の池地獄と、涙池地獄と、汗池地獄の三つだったのだ。
はたして、地獄か?
私に何を悟れと思召すか、天よ?
わからないまま、夢から覚めた。
それは、人類の歴史を物語っていた。
血と汗と涙の人類歴史だ。神を失った人類。そして、人類を失った神。
言葉の無い世界で、いままで流された血を、汗を、涙を知れと言われるか・・・。
◎ 次のお話です。
宇宙に飛び出して、宙に浮いている私だ。
とうとう、あの世かぁ?
いや、遠くに見える地球を抱いている人がいる。
近くまで行ってみる。
一人の「老人」が、地球を両手に抱いて泣いている。「神」?
その人は冠も玉座もない。白くて長い衣を着て、大声で泣いていた。
その圏内(ゾーン)に入った途端、身が凍った。寒くてではない、悲しみでである。
わけもなく涙が出て、身をよじるような泣き方で、私もしばらく泣いた。
その時全宇宙は、一瞬動きを止めた。運行を止め、固まった。
私には凍ったかに見えた。
この方は「神」か?
何ということだ。神の慟哭、この悲惨は宇宙の全てを凍らせ、その泣き声だけが宇宙に響き渡っている。
これが、「神の姿」?
誰も信じないでしょうね。
人間は神をあたかも「便利屋」か「何でも屋」のように、その欲望の数々を拝み、押し付けてきた。
あれをくれ、これを直せ、野望を成させよと、勝手を言ってきた。
誰も「神」の心を推し量ろうなんて、思ってもこなかった。
神が地球を抱いて、慟哭している。全宇宙に響き渡る悲しい叫び声。
こんな「みじめな神」、だれが想像しょうか・・・。
このショッキングな「神の姿」は、私の神観を変えたといってもいい。
王冠のない神。玉座もない。白いみすぼらしい衣。年老いて、よぼよぼの姿で泣き続ける父親。
これも、まぎれもない「神の姿」だった、ということです。
◎ また、もう一つのお話・・・。
『オマエはね、・・・』
私は、いつもこう呼ばれる。
『それで、いいのか?』
『本当に、いいのか?』
『いいんだね・・・』
三日に渡って問われた、私への言葉が「これ」だった。
答えは、私の胸にある。覚悟も、決意もそうだ。
なぜこれほどまでも、念を押して私の決心を促そうとされているのかは、私だけが知っている。
当てはまるとすれば、「神への反逆」になるかもしれない。
しかし、私の心は変わらない。たとえ地獄へ行っても変わらな。
『いいんだね』という「ダメ押し」にもとれる言葉を最後に、この声は私を訪ねてくることは、なかった。
その後、守護霊降霊の場に立ち会う度に、その方々の守護霊から何度にも渡って、こう返事が返ってきた。
「神は決して、お見捨てにはなりません」
この言葉は、周り廻って、私にあたえられた言葉であると、今でこそ分かるものである。
出来そこないの私であり、「鬼っ子」と呼ばれても仕方のない私であるが、ここまで生きて、「神」や「霊界」のことを書いているのです。
だから、とは言いませんが、皆さまは充分良くできた子として、親孝行してくださいませ。
この道は、「先の者が後になり、後の者が先になり」の、文字通りシーソーゲームであれば、
今後ともどうぞ、学び合って、助け合って、まいりましょう・・・。
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