霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

「神」体験   2

2012年05月25日 | 心霊現象
前置きが長くって、すみません。
簡単に、「神体験」したなどと、言ってほしくないからであります。
ニセ神の体験を何度重ねても、何にもなりませんから・・・。
そんなもの、いっそ経験しなかった方が、かえってよかった、と言われるほどのものでしかないからです。
それが、まさしく「神体験」だという【定義】は何でしょうか?
それは「神」が何であるかを知ることしかありません。
その内容をもつものに、篩(ふる)い分ける必要があります。
たとえば、「天使」といえども「堕天使」もいる、という話をいたしました。
「天使」を語るその「もの」が、何を語り、何を示すかによって、善、悪が決定され、それを見分ける事が出来るというわけです。
そのダンで言えば、神もまた「真の神」と「偽の神」を見分けなければなりません。
あなたは、その見分ける力・知恵を得ていなければならない。
その力、つまり能力、霊力は、『審神者(さにわ)』として立つ位置を、求めて頂きたいと言う事でもある。
そこからしか「本当の神」に巡り合える道はない。
人から与えられた理論、理屈、そして信仰、はたまた「神」でさえ、自分のものとはならない限り、所詮
借り物である。時としてまがい物かもしれない。

神の定義はいろいろある。
私達は「神官」や「牧師」になる為に学ぶのではないから、一番根本的で、大切なものを押さえておけばいい。
その一つは、大自然の中に宿る、諸々の神らしさ(神性)である。
だから自然をみつめないと分からない。
例えれば、山頂からの「ご来光」。経験した者しか分からない何かがある。
そして先だっての「金環食」。
人間が逆立ちしたって造れないものの世界に、「神」をみる。
そうだ、鳥肌が立つ「あの世界」が、神だ。日本においては、「神道」がそれを伝えてきた。
いま人の目は、宇宙空間に浮かぶ地球を見ることが出来る。
音のない世界に、確実にある青い星。その地球の姿を、人類はその目で見る日を迎えた。
もうすぐに、その向こうにある「神」の世界を垣間見る日も、そう遠くはないだろう。

次に大切な要素がある。
それは「神」と人間が、「親子」であるという定義だ。
聖書で教えているからではない。イエスが教えたからではない。
森羅万象すべての中に、神が親であるという霊的背景が充ち満ちている、という事実を捜し、掴み取る
作業を、今から始めなければならない。
求道者は、大自然から「それ」を掴み取った。
私達はこの真理を、心の中にしっかりと取り込むことによって、次へと進むことが出来る。

次には「神」を信じることから、「知る」ことへと感性がアップすることをいう。
いままで、どれだけ多くの人間が「神」を信じたか・・・。
しかし、「知る」こととは、ほど遠かった。
「私は神を信じている」と言うなかれ。どうせなら、こう言ってほしい。
「私は神を知っている」・・・と。
そこから私達は、神を知った者だけが分かり合える、本当の意味の「神体験」を、することになる。
そして初めて「神の声」を聴く。
神の事情と心情が分かった者だけに伝わってくる、神(親)の心。
これを全霊界から、取りこぼすことなくキャッチする。
キャッチできるその修行が、日々の我々の鍛錬だと申し上げる。

神はあなたを「何」と呼ばれたか?
どんな姿で、出会ったのか・・・。
声、姿、形、状況等々。
あなたの個性、天性、天稟(てんぴん)を掘り起し、この世で鍛錬し、向上させ、あなたにしか出会えない
「神」の姿をもって、唯一の絆とせよということです。
天上天我唯我独尊とは、そういうことですよね。



さて、また出た!と言われるであろうが、次に関係してくるのが、先祖の功労である。
少ない血統よりも、その功労が多い血統の者が、より「天のもの」に近くなるのは当然の理(ことわり)だ。
また守護霊が求道の人であれば、その地上人はほとんどといっていいほど同じ道を辿る運命にある。
神とか、天法とか、真理とか、人の道あるいは哲学という方面に必ず歩ませる。
地上人が横道へそれそうになれば、すかさず霊界は軌道修正を行うだろう。
そして、霊界と地上界との二人三脚は、「成就」に向かって走り続ける。
条件が充ちた時、必要とあらば、「神体験」によって、より拍車をつけて霊界の進むべき道を早めてくれるだろう。
さらに地上人の努力や、祈りの積み上げをもって、大きくステップアップさせることもあろう。
その「神体験」を、霊界人と共有しながら、さらなる道のりを、開拓することになる。
「神」を見ることや、知ることが必要になる時、「それ」の恩恵を身に受けることこそ「何にも勝る」
『百聞は一見にしかず』となる。
その現象が、どのようなものであるかは、人それぞれ、血統それぞれである。
比べなくていい。「神」体験をしたか、しないかだけの違いであれば、感謝して体験することを願えばいい。

では、次に私の神体験を一つ、二つご披露して、終わりとします。



<次へつづく>

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