霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

先の「嘆願書」のつづき(尼様の書状)

2012年04月02日 | 心霊現象
日輪尼さまから、私宛に届いた書面の内容に、先の「嘆願書」にある土地にまつわる
話が書いてありました。
諦めた土地(不動産)のいきさつは、こんな事だったのかと、当時の狂乱ぶりを知ることが
出来ました。
後書きと思って、お読みください。

この日輪尼さまは、私は一度もお会いしていません。
電話での出会いで、なぜか信用して頂けた模様でした。職場を通じて約一年余りほど
心を通わせていただきました。
彼女の一番の希望は、書き溜めた「原稿」を世に出したいというもの。
最初は『文芸社』の方に話をもっていったが、担当者が人事異動との事で、出版までこぎつけず、
いわゆる「ボツ」となり、その話がそっくり私にまわってきたというものでした。
仏教の本ということと、創作童話ということで、私の方でも編集者から、「ボツ」が言い渡され、
日の目を見ずに私がお預かりしている、といった現状です。

その中に「嘆願書」があり、「経帷子」(きょうかたびら)があり、といった事情です。
この土地にまつわる話は、彼女の手紙(和紙での巻物)に書かれてありました。
以下ご紹介するのが、それです。



私どもが神戸に移り住みましたのは、六甲山の下の山、青谷観音山という山(松竹梅産業)、灘の酒造会社です。
人々にかつがれて、二十八ヶ寺を山に建てて、神戸高野として、色々の宗派の寺を集めて、
人々がお寺参りで心の安らぐ事を願っての事でした。
伊丹の私の土地、家を手放し、神戸に移りました。
あなた様が書類などを送ってくださったのも神戸市灘区でした。
青谷観音山は、家から歩いても行ける所でした。
欲ある人々により、金のみ使い果たし、十一万坪の山は、最初は九億でしたが、一か月後は十一億
となり、三か月後は十三億となり、色々難問もあり出資してくださる船会社の社長も、どんどん土地
の値が上がるので「降りる」と言われました。
私どもは、土建屋など大勢集まる人々の食事代やらガソリン代やらで、とうとう借金を背負う事に
なりました。
今もその図面や企画作成した書類が、そっくり寺に残っております。
今この土地は、神戸市のもので三十五億で神戸市が買い取ったようです。
これらの事は、みな私の苦しい、またなつかしい修行の為の数々です。
近くに滝もあり、滝行もいたしました。
騙されたのではなく、仏への道のりです。
多くの開祖も人々に騙されたり、助けられたりして、苦しまれたものと思い、ひしひしと
身と心で受け止める事が出来ました。
うらみ、欲、無智、これは人を狂わす元ですね。
今生きていくのに、一握りの米とみそと、塩があれば、一日暮らす事が出来ます。
人一人の食事の量は知れたもの。私は米やパンやごはんの残りを、スズメやからす、野良猫に
やるのが、日々のたのしみです。
今私はやっと、貧落ちしています。今まで、楽々の生活をしていました。
貧落ちして、心は大変さわやかで、何だかうれしいのです。
これは私が思う事ですが、世の多くの聖者や開宗僧が、皆通られた道が貧落ちです。
今までにない、心静かに暮らしております。
今私は、三年前から福知山にきて、一人暮らしです。
四方山々に囲まれた農村です。神戸を出なければならない時、元右翼団体の団長さんの家を
無料でお借りしています。今は年金暮らしです。
ここでは毎日観音様の姿絵を描いて、人々に無料で差し上げております。
二百人くらいになりましたが、悩みの相談ごとも無料でやらせて頂いています。
その時、悩みある方が心静かになられ、涙を流して喜ばれるお顔を見て、私は嬉しくなります。
来年は八十歳になります。
ボケないように絵を描き、写経をし、読経の毎日です。
「捨てる神あれば、拾う神あり」で、野菜やコメを頂いたり、たんぽぽのおひたしや、よもぎの天ぷらも頂きます。
ここに来た頃は、「姥捨て山」に捨てられた感じで、涙、涙の日々でした。
今は、さわガニや、雨がえるを「友」としています。
長々と書きました。
観音様の絵と、経帷子を送ります。       かしこ

平成十七年十月十六日 
                          日輪 拝



この尼さまのほぼ一生が、まるで凝縮されたような内容で書かれている。
御年は、今年をもって87歳になられる。
たった一度の一本の電話で、こうも長く親交を深めることが出来ているのは、きっと俗世を捨てた
「尼」同士の因縁かもしれない。(私の背後は、尼様三人いらっしゃるのですから)
深い背景をいっさい探ることなく、今日まで続いてきたことを不思議に思う。
彼女はいま、京都近くの老人福祉施設におられる。
私に送られた「経帷子」(きょうかたびら)は、全て手書きで、それはみごとな物だ。
一字として間違えば、写経のごとく書き直さざるをえない。
お互い年齢を考えると、この品は「形見」であろう。大切にしなければ・・・。
一重仕立ての白木綿の地一面に、経文が埋め尽くされている、これが「経帷子」。
このご説明は、またの機会にいたしましょう。


一人の「尼様」と、私とのお付き合いの一幕でした。
では、また後日に。


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