Takahiko Shirai Blog

記録「白井喬彦」

惨めな成果、核拡散防止条約再検討会議

2005-05-25 14:09:55 | 国際
毎日新聞
NPT会議: 交渉決裂 核保有国への根深い不信背景に
2005年5月26日 11時26分

 【ニューヨーク高橋弘司、和田浩明】 核拡散防止条約(NPT)再検討会議は25日、すべての委員会で最終合意文書草案をめぐる交渉が決裂したことを受け、失敗に終わることが確実となった。エジプト、イランなど非同盟諸国が米国をはじめとする核保有国への根深い不信を背景に、実質議論の妨害に動いたことが引き金となった。さらに米国が、強引に合意文をまとめようとして反米的な機運が高まることを懸念し、指導力を発揮しなかったことも大きい。

 北朝鮮やイランなどの核疑惑が噴出したにもかかわらず、成果が得られなかったことへの関係者の失望感は強く、今後、NPT体制の根本的な見直しや核不拡散をめぐる新たな枠組み構築を求める声が強まりそうだ。

 第3委員会(原子力の平和利用)は最終文書の草案に向け、24日まで建設的な議論が展開されていた。だが、25日になって突然エジプトが、同委員会の下部機関である小委員会がまとめた「NPT脱退を宣言した国に対し、核関連物質の返還などを検討すべきだ」などとする草案について、「脱退問題ばかりに議論が集中しており、イスラエルの核の問題も議論すべきだった」と指摘。すでに時間切れで議論が不可能なことを理由に、合意反対を主張した。

 また、95年の再検討会議で採択された声明で「平和目的の核施設への攻撃や威嚇は国際法上の懸念」と指摘していることなどを、イランが改めて確認するよう再三、強調した。イランのこうした姿勢は、米国による先制攻撃などを想定したものとみられるが、米国は結局、イランの意向に反対し、第3委員会での協議は一転、紛糾した。

 一方、第1委員会(核軍縮)でも、核実験全面禁止条約(CTBT)の早期発効努力を歓迎するとの草案に米国が強く反発。また、新型核開発の断念をうたった部分については非同盟諸国が支持に回ったものの、やはり米国が反対するなどして、合意に至らなかった。

 決裂を受け25日記者会見した日本代表団幹部はエジプト、イランを名指しして「確信犯的に会議をハイジャックしようとした」と強い調子で批判した。今回の会議は一連の核疑惑への対応策を生み出さないばかりか、加盟国の間に深い亀裂を残したといえる。


毎日新聞
NPT会議: 委員会交渉が決裂 最終文書採択はほぼ絶望的
2005年5月25日 11時14分

 【ニューヨーク國枝すみれ、会川晴之】 核拡散防止条約(NPT)の再検討会議は24日、核不拡散問題を討議する第2委員会と、同委の下部機関でイランや北朝鮮の核開発問題を扱う小委員会での最終文書採択に向けた草案交渉が、ともに決裂した。これを受けドゥアルテ議長は事態打開を目指し調整に乗り出すが、核保有国と非同盟諸国の対立は激しく、最終文書採択はほぼ絶望的になった。

 同委は、国際原子力機関(IAEA)の抜き打ち査察を可能とする追加議定書の普遍化や、核の「闇市場」対策など核不拡散体制強化を中心に論議。小委員会では北朝鮮、イラン、中東地域の非核地帯構想などの地域問題を討議した。

 イラン問題を最重視する米国は、小委員会の報告書にイラン非難を盛り込む姿勢を示したが、イランは一切、書き込まないよう要求。北朝鮮問題では、核兵器保有宣言をした北朝鮮への非難を強めたい日米韓と、6カ国協議への復帰要請にとどめたい中露との調整がつかなかった。

 また、中東問題では、核兵器保有疑惑が指摘されるイスラエル問題を放置したまま、不拡散強化に焦点が当たることに、エジプトなどのアラブ諸国が難色を示し、不拡散体制の強化策を扱う委員会報告書でも合意が得られなかった。

 再検討会議は、▽核軍縮、▽核不拡散、▽原子力の平和利用--の3分野ごとに各委員会を設けているが、高須幸雄・在ウィーン国連代表部大使は「核不拡散という最重要分野が欠けた文書はバランスが取れない」と指摘、同分野の合意がないままの最終文書採択は極めて困難との認識を示した。

 日本など西側諸国は、非同盟諸国のリーダー役のマレーシアとともに局面打開を目指しているが「非同盟諸国も一枚岩ではない」(高須大使)。会議筋は「首の皮一枚を残した状態」(国連筋)とし、本会議などでの調整の結果、核不拡散文書が盛り込まれることに期待を寄せるが、時間切れで会期末(27日)を迎える公算が大きくなっている。

日中摩擦、韓国紙はどう見ているか

2005-05-25 13:12:11 | 国際
朝鮮日報
中国副首相の異例の会談中止 日中の外交不和高まる
2005/05/25 11:36

 日本を訪問していた中国の呉儀副首相が23日、小泉純一郎首相との会談を急遽取りやめ帰国し、中国と日本の外交不和が再び高まりを見せている。

 今回のもつれが東アジアの緊張につながるのか、あるいは適当な線で妥協を見るのかが、関心の的となっている。

▲中、日本の連鎖的挑発に憤怒

 中国外交部は23日夜、インターネットホームページに問答形式の文を掲載し、小泉首相の靖国神社参拝を直接批判した。

 孔泉スポークスマンは「呉儀副首相の訪日中も、日本指導者は中日関係の改善に有益でない靖国神社参拝問題を取り上げ続けた」と指摘し、「中国はこれを非常に不満に思っている」と明らかにした。

 中国国内の外交消息筋は、胡錦涛・国家主席を含む中国指導部が最近、日本の対中政策に激しい裏切りを感じたのも、会談中止の一理由だと分析した。

 先月23日に胡主席と小泉首相が会談して両国関係を改善すべく努力することで合意して以降、日本が見せた一連の態度は、むしろ中国側にとって挑発的なものが多いというのだ。

 一例に、日本政府は今月12日に米国と台湾海峡での紛争に備えた「共同作戦計画」を準備中だと表明し、16日には小泉首相が靖国神社参拝を継続する意向を明らかにした。さらには17日に日本人18人が領土紛争中の釣魚島(尖閣諸島)に本籍地を移したと発表している。

 胡主席が22日に「中日関係は一瞬で崩壊し得る」と警告したのも、これらの行動への憤りを表現したものと説明する。

▲日本、中国の外交的マナー違反を糾弾

 日本は、(中国が)会談を突然取りやめたことに対し、「外交的マナーの違反」と不快感をあらわにしている。24日、日本政府と与党と保守派は感情を交えた表現で中国を非難した。

 町村信孝外相は「おわびのひと言もない。人間同士でも都合が悪くなるとかいろいろあるが、ひと言悪かったとか言わないと人間社会は成り立たない」と、強く批判した。

 町村外相は23日にも「外交的マナーとルールをどのように考えるいるのか。最低限の国際的なマナーを守ってもらいたい」と述べている。

 当初、日本は今回の会談を機に、9月に温家寶首相の訪日を実現させ、このことを日中両国首脳の相互訪問へとつなげていく考えであっただけに、今回の衝撃は大きかった。

 しかし、日本国内ではこの会談の取り消しが両国間の梗塞を防ぐための中国の計算であったかも知れないという見方も出ている。小泉首相が会談で靖国参拝を再確認した場合、両国関係は回復不能に陥る可能性があったというのだ。

 今回の出来事にもかかわらず、両国は冷たい政治(政冷)が熱い経済(経熱)を損なうところまで悪化することは避けるだろうとの見方が出ている。

 しかし、「政冷」現象は歴史、台湾問題、安保理問題などが複雑に絡み合っており、軍事、経済覇権を目指す競争が背景にあることから、そう簡単には解決できるものではないと専門家らは分析している。

東京=崔洽(チェ・フプ)特派員pot@chosun.com
北京=チョ・チュンシク特派員 jscho@chosun.com


東亜日報
中日関係、またも急激に冷え込む
MAY 25, 2005 03:21

by 黄有成 趙憲注 (yshwang@donga.com hanscho@donga.com)

中国と日本の関係がまた冷え込んでいる。中国の呉儀副首相が23日、小泉首相との会談を一方的に取り消して帰国したことによるものだ。

日本は中国の外交的な無礼を連日批判しているが、中国は小泉首相の靖国神社参拜を挙げて、日本に責任を転嫁させているため、両国関係はしばらく妥協点を見出し難い見通しだ。

▲日本、「国際的なマナーもない中国」〓町村信孝外相は23日午後、「理由も明らかにしないまま最後の段階で会談を取り消したのは、このほど中国の浮浪者デモ隊が在中日本大使館で犯した破壊行動と全く同じだ」と強く批判した。武部勤自民党幹事長も、「理由も言わずに帰ってしまうなんて、国際的な礼儀上では考えられいないことだ」と批判した。

これと関連し産経新聞は、「1998年当時、エリツィン大統領が橋本竜太郎首相との会談を取り消したことがあるが、呉副首相は小泉首相より下であるという点で、はるかに無礼なことだ」と厳しく批判した。

▲中国、「日本が先に信義を破った」〓沈国放・外交部部長補佐(次官補級)は24日、「呉副首相の訪日期間中に日本の指導者たちが靖国神社参拝問題を取り上げたのは極めて不適切だった」とし、会談取り消しの背景を説明した。

特に会談の拒否は呉副首相が本国に申し入れ、指導部がこれを受け入れたものだと共同通信が24日、中国の消息筋の話として報道した。

呉副首相は、小泉首相が16日国会で「戦没者に対する追悼をどういうふうにすればいいのかは他の国が口出しするような問題ではない」と発言したことについて、「同じような言葉を会談の席で聞くのは我慢できない」とし、本国に会談の拒否を要請し、22日夜、指導部から同意の書信をもらったという。

中国を訪問した武部自民党幹事長が21日、王家瑞・中国共産党対外連絡部長との会談で、靖国神社問題に対する中国の批判を「内政干渉」と言って、王部長の強い反発を買ったのも今回の事態を招いた要因の一つだった。

全体的に中国は、胡錦涛・国家主席と小泉首相が先月23日、インドネシア・ジャカルタで首脳会談を行った際、両国の関係回復に向け共同で努力すると合意しておきながら、日本が先にこの合意を破ったという反応だ。

▲しばらくは神経戦続く見通し〓香港の時事評論家・劉鋭紹は、「中日関係は過去の歴史だけでなく、台湾問題、釣魚島をめぐる領有権紛争、日本の国連安全保障理事会常任理事国進出に向けた動きによる地域主導権をめぐる争奪戦などが重なり、しばらくは冷却状態が続くだろう」と予想した。胡錦涛主席がこのほど、台湾の野党指導者の中国訪問で台湾問題において有利な立場を確保しただけに、対日関係においても当分は強硬な姿勢を保つだろうという説明だ。


中央日報
中国副首相の会談キャンセル、波紋が拡大
2005.05.24 20:17:53

中国の呉儀副首相が、小泉純一郎日本首相との会談を一方的に取りやめたことに関連し、波紋がさらに広がっている。 両国は責任をめぐってお互い非難しているうえ、小泉首相は今年も靖国神社を参拝するという意向を表し、過去の問題をめぐる中日関係はさらに冷え込む見通しだ。

中国外務省の孔泉報道局長は24日、「日本の指導者らは過去の歴史を反省するという過去の約束を破り、中国人民とアジアの人々の感情を無視した」とし、「こうした雰囲気で高位級会談は必要ないと判断した」と述べた。

同じ日、日本の町村信孝外相は記者会見で、「中国側からおわびのひと言もなかった」と強く非難した。 町村外相は23日、「最低限の国際マナーは守ってもらいたい」とまで述べた。

小泉首相は、靖国神社参拝が原因になったのではないかという記者の質問に対し、「こういうことは通用しない」とし、今年も適切な時期を選んで参拝するという従来の立場を再確認した。

共同通信は24日、「呉副首相の突然の帰国は、一日前に中国政府が決定したもの」とし、「小泉首相の‘内政干渉’発言が原因になった」と報じた。 小泉首相は16日の衆院予算委員会答弁で、「戦没者追悼をどうするかは他の国が干渉すべき問題ではない」と発言した。 この発言は、呉副首相が日本に到着した17日、日本メディアに報道された。

この報道に接した呉副首相は「23日に予定された会談で全く同じ話を聞くのは我慢ならない」として、中国政府に会談を拒否する意向を伝え、22日に承諾を受けたという。

中国でまた農民暴動、それも革命の聖地で

2005-05-25 09:10:16 | 国際
中国では昨年あたりから農民暴動が頻発している。

1949年、社会主義革命を成し遂げた中国共産党は、地主の土地を強制収用して国有とし、これを農民の自主組織に貸し与えて集団耕作させてきた。だが、改革開放の下では、土地は実質上私有化された。改革開放の初期段階に大いにもてはやされた「万元戸」は、農民に土地を私有させることにより収穫を急増させたのだ。

ところが、改革開放経済の進展により、産業部門では深刻な電力不足となった。そこで、急遽、発電用ダムを建設することになり、そのための土地収用が盛んに始められるようになった。

もともと国有地だったためか、土地収用は国家強権を発動してかなり強引に進められているらしい。農民たちは代替地が与えられなければ生きていけないが、代替地の準備は後手に廻り、思うような代替地が得られない農民の不満は積り積っている。更に、土地を奪われる農民に支払われる補償金があまりにも僅少であり、その上、その僅かな補償金が地元政府の官吏たちに詐取され、農民たちには渡らないというケースが多いと報道されている。

昨日の讀賣新聞にも農民暴動の記事が出ていた。この暴動は発電用ダムが絡んでいるものではないが、不動産開発のための土地収用というのだから、もっと地元政府は悪辣なことを狙ったのかもしれない。

「また、農民暴動か...」と、私はさして興味も湧かぬまま、その記事に目を通していくうちに仰天した。この農民暴動が起った土地は、毛沢東が最初の農村革命根拠地を築いた「革命の聖地」として名高い井岡山(Jing gang shan、「井崗山」とも書く)だったのだ!


讀賣新聞
中国江西省で農民数百人が暴動、列車を止める
2005年5月24日19時8分

 【香港=関泰晴】 24日付の香港紙「星島日報」は、北京~香港を結ぶ京九鉄道が通る中国江西省・井岡山駅で、21日に農民数百人が駅構内に侵入する暴動が発生したと報じた。

 農民は駅舎のガラスを割り、線路上に横たわるなどしたため、列車の運行が6時間中断されたという。

 武装警察官が出動して鎮圧したものの、農民と警官の双方に多数の負傷者が出た。不動産開発で地元政府が半年前に農地を収用した際の補償額が少ないとして、農民の不満が高まっていたらしい。地元政府と交渉を重ねたが、納得できる回答を得られなかったとしている。


平凡社「世界大百科事典」(CD-ROM版)より
井岡山

中国,江西省西部,湖南との省境付近の山。また「山」を県級行政単位とする全国唯一の例でもある。羅霄(らしよう)山脈の中部にあり,標高1000~1800m。西の湘江流域と東の贛江(かんこう)流域の分水嶺をなす。周囲の平原部との高度差が約500m で,黄洋界など天然の隘路があり,山中には茨坪(しへい)や大井,小井などの山間盆地が発達する。この地形を利用し,1927年毛沢東は最初の農村革命根拠地を築いた。

土地革命戦争

地主階級を打倒し、封建的土地所有制を廃絶して、農民に土地を分配する中国現代の革命運動をいう。

中国共産党の指導下、国民党との十年内戦期(1927-1937)に、江西省瑞金地方はじめ各農村革命根拠地で展開された。後に人民共和国成立の前後に実施された同一の運動は土地改革と称する。

国民革命期(1924-1927)に中国共産党は国民党と合作、農民運動講習所を広州、武漢に開設して農村幹部を養成し、各地に「農民協会」を組織するとともに、過酷な地主・小作関係の改善と「減租減息」を掲げて農民運動を繰り広げた。

だが、1927年7月に国共合作は破れ、中国共産党は同年8月7日の緊急会議で武装蜂起と土地革命の方針を確定、これ以後、農村に入って労農革命軍を創設し革命根拠地を拡大、「農村で都市を包囲する」土地革命戦争を推進した。従って、この時期を土地革命戦争期ともいう。

土地革命はコミンテルンと党中央の指導で行われたが、いかに農村の階級を区分し、どのように土地を没収して農民に分配するかは極めて複雑な問題であり、試行錯誤を経て中国農村の現実に即した路線と方法を確立していった。

根拠地で実践中の毛沢東が最も早く制定した「井岡山土地法」(1928年12月)には、地主所有地だけでなく「すべての土地を没収する」とあり,土地はソビエト政府の所有に帰し、農民は使用権を持つのみで売買は禁止された。

土地の分配も、人口に応じ「郷」を地域単位とする他、労働力に応じ「区」を単位とすることも認めている。翌年4月の「興国県土地法」では「すべての公共の土地および地主階級の土地を没収する」と改められたが、他は変わっていない。しかし、その後の毛沢東による「革命軍事委員会土地法」(1930年8月)はじめ、農村調査、決議・書信等でみると、後の土地改革時に採られた路線が、1931年頃既に形成されている。

すなわち、貧農・雇農に依拠、中農と団結、富農は制限、地主は打倒の階級政策により、土地の分配は郷を単位に老幼男女の別なく人口に応じ、元の耕作地を基礎に「抽多補少、抽肥補痩」(土地の多少、肥痩を調整して均等化)し、農民の土地所有権を完全に認めるものである。

これに対して、党中央の李立三、陳紹禹(王明)、秦邦憲(博古)らはコミンテルンの指導とソ連の経験を教条的に受け入れ、現実から離れた極左路線を採った。例えば、「土地暫行法」(1930年6月)では集団農場や集団生産の実施を謳い、「中華ソビエト共和国土地法」(1931年11月)では「地主不分田、富農分壊田」(地主に土地を分配せず、富農に悪い土地を分配する)を主張している。このためしばしば中農の利益が侵害され、富農は過度に打撃を受け、地主は肉体的に消滅されることになった。

1933‐1934年の「査田運動」(土地分配と農村階級の点検調査)も、土地革命の成果を強化する目的で展開されながら、極左路線に支配され、かえって混乱をきたした。

同時に軍事路線の誤りもあり、中国共産党は国民党の5度目の包囲攻撃に破れて根拠地を放棄、1934年10月、「長征」を開始することになる。

この間,毛沢東は富農路線、右翼日和見と非難されたが、左翼偏向を是正するため「農村の階級をいかに分析するか」、「土地闘争中の若干の問題に関する決定」を1933年10月に公布し、明確な階級区分の基準を提示した。これは土地革命の規範的文書で、後の土地改革時の1948年5月と1950年8月にも再度補正・公布されている。


詩詞世界
西江月 井岡山

毛沢東
一九二八年秋
 
山下旌旗在望
山頭鼓角相聞
敵軍圍困萬千重
我自巋然不動


早已森嚴壁壘
更加衆志成城
黄洋界上礟聲隆
報道敵軍宵遁


【訓読】

山下 旌旗 望まれて在り、
山頭 鼓角 相ひ聞ゆ。
敵軍 圍困 萬千重、
我自り 巋然として動かず。


早や已に 森嚴たる 壁壘、
更に加へるに 衆志 城を成す。
黄洋界上 礟聲 隆く、
報せありて道ふ 敵軍 宵に遁ると。


【語句】

山下;山麓(国民党軍の陣営)
旌旗;軍旗
在望:(俗・現代語)見えている
山頭;山頂(共産党軍の陣営)
鼓角:太鼓と角笛の音
相聞:聞こえてくる
圍困:(軍用現代語)包囲・遮断
我自:われひとり
巋然;独り聳え立つさま
早已:はや、とっくに
森嚴:堅固なさま
壁壘:(俗・現代語)堅固な城塞
更加:(俗・現代語)さらに、そのうえ
衆志:人々の気持ち
成城:金城鉄壁となる
黄洋界:井岡山北西の狭道の固有名詞
礟聲;砲声(「礟」は「碼+交」)
報道:知らせに言う(道ふ=「言ふ」)
宵遁:宵闇に紛れて遁走する


写真中国(江西)


井岡山茨坪市


写真中国(江西)


井岡山五指峰

来日中の呉儀副首相、急遽帰国(3)

2005-05-25 07:29:15 | 国際
【毎日の記事で追う日中関係 2005年5月24日】
  1. 中国: 呉儀副首相、モンゴルに到着
        (2005年5月24日午後)
  2. 小泉首相: 話せば分かるのに 中国副首相の会談キャンセル
        (2005年5月24日午後)
  3. 中国副首相帰国: 小泉首相の参拝継続表明で 外務省局長
        (2005年5月24日21時33分)
  4. 中国副首相帰国: 関係抜本改善へ、中国側の「最後通告」
        (2005年5月24日22時09分)
  5. 中国会談キャンセル: 「内政干渉」引き金に
        (2005年5月24日23時37分)
  6. 《朝日》呉副首相会談キャンセル、海外メディアも注視
        (2005年05月25日12時10分)

毎日新聞
中国: 呉儀副首相、モンゴルに到着
2005年5月24日 東京夕刊

 【ウランバートル大谷麻由美】中国の呉儀副首相は24日正午すぎ(日本時間同)、モンゴル公式訪問のため、ウランバートル空港に特別機で到着した。モンゴル訪問は当初の予定どおり行うことが確認された。


毎日新聞
小泉首相: 話せば分かるのに 中国副首相の会談キャンセル
2005年5月24日 20時31分

 小泉純一郎首相は24日夕、中国の呉儀副首相が首相との会談をキャンセルした問題で、中国側が中止の理由を首相の靖国神社参拝など歴史問題だとの見解を示したことについて、「会談すればいいのにね。話せば分かるじゃない」と記者団に語った。「原因は日本側にあるのか」との質問に対しては「私はお会いすると言っている。私がキャンセルしたわけではないですからね。キャンセルした方に聞いてください」と反発した。

 一方、中国側の対応が靖国神社参拝に対する姿勢に与える影響については、首相は「私は適切に判断するつもりだ」と述べ、影響を受けることはないと強調した。


毎日新聞
中国副首相帰国: 小泉首相の参拝継続表明で 外務省局長
2005年5月24日 21時33分

 【北京・飯田和郎】 中国外務省の孔泉報道局長は24日の定例会見で、呉儀副首相が23日に小泉純一郎首相との会談を中止し、帰国したことについて「緊急の公務」としていた説明を撤回し、小泉首相が靖国神社参拝継続の意向を表明したためだとの見解を初めて明確に示した。歴史問題を最優先にした対応ともいえ、今後、中国が小泉政権批判を強める可能性が高い。日本が目指す国連安全保障理事会の常任理事国入りや、北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議の再開にも影響を与えそうだ。

 孔局長は呉副首相の帰国について「日本の指導者からA級戦犯をまつった靖国神社問題で誤った言論が相次いだ。会談に必要な雰囲気と条件がなくなったためだ」と述べ、会談のキャンセルが対抗措置であることを事実上、認めた。

 呉副首相は愛知万博の中国関連行事出席などのため17日から8日間の予定で訪日した。孔局長は会見で「17日以降の日本の指導者の靖国神社問題の発言に関する報道を読めば、(会談キャンセルの理由が)理解できるはずだ」と語った。

 小泉首相は16日の衆院予算委と20日の参院予算委で、自身の靖国神社参拝について「他国が干渉する問題ではない」「いつ行くかは適切に判断する」「大局的見地に立って参拝している」など参拝継続と受け取れる発言を繰り返した。中国側はこうした発言に強い不信感を抱き、呉副首相を帰国させる決断をしたとみられる。

 孔局長はまた、「私自身は『緊急の公務』とは言っていない。23日夜の私の談話が(中国政府の)公式見解だ」と説明した。孔局長は同談話で「遺憾なことに呉副首相の訪日期間中、日本の指導者が靖国神社参拝問題について中日関係改善に不利益な言論を立て続けに表明した。中国側は極めて不満である」と語っていた。

 中国からの靖国参拝中止要求に内政干渉との反発が出ていることについて、孔局長は「日本は戦後、平和の道を歩むと繰り返してきたのに、そのような意見が出ることには憤りを覚える」と反発、内政干渉に当たらないとの立場を示した。

 さらに、孔局長は小泉内閣の閣僚らが呉副首相の帰国を「非礼だ」などと批判していることへの見解を聞かれたのに対し、「日本の指導者は侵略の被害に遭った中国人民の感情を無視した発言を繰り返している」と答え、責任の所在は日本にあるとの認識を強調した。


毎日新聞
中国副首相帰国: 関係抜本改善へ、中国側の「最後通告」
2005年5月24日 22時09分

 中国が24日、呉儀副首相の帰国理由が靖国神社参拝をめぐる小泉純一郎首相の言動にあると明確にしたのは、小泉首相が靖国参拝への対応を変えない限り、日中関係の抜本的な改善はあり得ないという中国側の「最後通告」ともいえる。

 中国の胡錦涛国家主席は昨年11月、チリで会談した小泉首相に05年が「反ファシスト勝利60周年、抗日戦争勝利60周年にあたる」と指摘し、「敏感な年に、日本が敏感な問題を妥当に処理し、日中関係の健全な発展を保つことを希望する」と述べた。

 「敏感な問題の妥当な処理」とは、小泉首相が就任以来、継続してきた靖国神社参拝を見送ることにほかならない。今年4月のジャカルタでの首脳会談でも、それを念押ししていた。中国側によると、胡主席が歴史問題への反省を行動に移すことなどを求めた「五つの主張」に対し、小泉首相は賛同したとされる。

 しかし、4月の反日デモの嵐を経てようやく実現した呉副首相の訪日期間前後に、小泉首相は靖国神社参拝への中国の批判を「内政干渉」と表明し、参拝継続の意向を明確にした。中国はメンツをつぶされただけではなく、約束を破られたと受け止めた。中国側の衝撃は日本の予想をはるかに超えていた。

 呉副首相の帰国に対する小泉首相の発言にも中国側は怒りの交じった失望感を深めている。「会いたくなければ、会わなくてもいい」「野党の審議拒否が伝染したのかな」。いつもの“小泉語”は中国には「戦争被害国の痛み」(孔泉報道局長)に無神経な言葉としか映っていない。【北京・飯田和郎】


毎日新聞
中国会談キャンセル: 「内政干渉」引き金に
2005年5月24日 23時37分

 小泉純一郎首相と呉儀・中国副首相との会談中止から一夜明けた24日、中国外務省が靖国参拝をめぐる小泉首相の発言が会談キャンセルの理由だと正式に表明し、修復に向かいかけた日中関係はまたもや袋小路に入り込んだ。首相の靖国参拝を歴史認識問題とみる中国に対し、首相が「内政干渉」と反発し、さらに中国が態度を硬化させる悪循環。政府・自民内では反日デモの対応に続く中国の「非礼」に反感が募り、4月23日の日中首脳会談で確認した「友好重視」の機運もかすみ始めた。【平田崇浩、北京・飯田和郎】

 ◇日本、悪循環を懸念

 中国側を刺激したのは今月16日の衆院予算委員会での首相答弁だ。「戦没者に対する追悼の仕方に他国が干渉すべきではない。いつ行くかは適切に判断する」との発言は参拝継続への意欲表明であると同時に、中国の参拝批判を「内政干渉」と位置づけたものだった。翌17日に呉副首相が来日したが、首相は20日の参院予算委でも「大局的見地に立って参拝している」と強調した。

 中国側は16日夜、武部勤・自民、冬柴鉄三・公明両党幹事長に先週末の訪中を招請。与党筋は「呉副首相が会談する前に首相発言の真意を聞く狙いでは」と受け止めた。しかし、政府筋によると、21日に中国共産党の王家瑞対外連絡部長と会談した武部氏は中国の靖国参拝批判を「内政干渉だ。信教の自由にも反する」と指摘、王氏が「こういうことを言う政治家は初めてだ」と激怒した。武部氏は24日、「相互内政不干渉という考え方もあると言った」と説明したが、中国側は「内政干渉」が政府・自民党の統一見解と受け止めたようだ。

 中国側の強い反発を受け、これ以上の関係悪化を懸念する公明党からは「首相には大局観を持って行動してもらいたい」(神崎武法代表)と参拝中止を求める声も強まる。ただ、首相本人は24日夕、記者団から「靖国参拝にこだわることが国益か」と質問されても「中国側がこだわっていると思わない? 両方の言い分があるからね」と参拝継続の方針は変えない構えを示している。

 靖国問題が泥沼化すれば「歴史認識問題を処理できない日本」への国際的な風当たりが強まる恐れもある。細田博之官房長官は24日の会見で「(双方が批判し合う)悪循環に入るようなことはすべきでない」と事態の沈静化を図る姿勢を強調。「内政干渉」についても「一国の主権を侵すような干渉が厳密な意味での内政干渉。(靖国参拝批判が)それに当たるとは思っていない」と否定した。

 しかし、その後に中国側が「緊急の公務」としていた会談中止の理由を撤回。「外交儀礼」(外務省幹部)として「公務」の内容を問い合わせなかった日本政府も、ただちに中国側に真意を照会する手続きを取った。「中国は靖国問題を駆け引きに使っているだけ。日本の国連安保理常任理事国入りを阻止するための揺さぶりだ」(政府関係者)といった反感も募っている。

 今月末には東シナ海のガス田開発をめぐる日中実務者協議が北京で開かれる予定。政府はこれを中国の今後の対日スタンスを確かめる機会とみている。政府・与党内には「対中外交はこれからが本番」(外務省幹部)との意見がある一方、「小泉首相の任期中の解決は難しい」(自民党幹部)と日中関係の行き詰まりにあきらめムードも広がっている。

 ◇中国、強硬論に傾斜

 「中国における抗日戦争の意味をご存じですか。8年間の戦争で死傷者3500万人、直接的な損失は1000億ドル、間接的な損失は6000億ドルに達した」

 中国外務省の孔泉報道局長は24日の会見で「(小泉首相との会談取り消しで)日本に謝罪しないのか」との米国人記者の質問に、日中戦争の無残さを強調した。日本では否定的見解が多い数字だが、中国当局者が具体的に中国側の被害を語るのは異例だ。

 「緊急公務のため」との帰国理由を覆すことは会談取り消しに続く外交上のルール違反だ。それでもあえて、日本と世界のメディアに日中関係悪化の原因が日中どちらにあるかを問いかけた。

 「こうした歴史的背景がありながら自らの約束を破り、国際社会に表明した反省も顧みず、A級戦犯を祭った靖国神社問題で誤った発言を繰り返す日本の指導者がいる。どうして被害国の国民の気持ちが理解できないのか」。名指しはしないものの、小泉首相を非難する孔局長の言葉には怒気さえ含まれていた。

 中国は反日デモを受けたジャカルタでの日中首脳会談以降、関係改善にかじを切った。日中外相会談、次官級政策協議で対話を積み重ね、呉儀副首相の訪日成功に結びつける段取りだった。

 しかし、靖国参拝を内政問題とする小泉首相の一連の発言がその前提を崩した。A級戦犯を祭る神社への参拝は中国の国民感情を傷つけ、軍国主義者と一般の日本人を区別してきた中国の対日政策の基本方針を動揺させる。内政を超えた問題というのが中国の見解だ。

 胡錦涛指導部があいまいな態度を取れば、軍や政権内の対日強硬派のみならず、一般市民からも激しい突き上げを受けるのは確実。呉副首相自身にも傷が付きかねない。指導部は、あくまで対日関係重視の姿勢を続けるか、会談キャンセルかの選択を迫られることになった。小泉首相との会談について、19日の時点でも孔局長が「重要な会談で、議題も相当に広い」と期待感を示していたのは、指導部の方針がまだ固まっていなかったことをうかがわせる。

 その後も胡国家主席が自民党の武部幹事長らとの会談に応じた経緯から見ると、対立する意見の集約に時間をかけ、胡主席が最終的に強硬論に軍配を上げた構図が透けて見える。

 ■日中関係をめぐる最近の主な動き■

4月2日  中国・成都市で日本の国連安保理常任理事国入りに反対する若者ら数十人が日系スーパーを襲撃

  9日  北京で大規模な反日デモ。日本大使館が投石被害

  10日 町村信孝外相が反日デモで王毅駐日大使に抗議

  16日 上海で大規模な反日デモ。日本総領事館が投石などの被害を受ける

  17日 町村外相が北京で李肇星外相と会談

  23日 小泉純一郎首相と胡錦涛国家主席がジャカルタで会談

  27日 王毅大使が自民党外交調査会で講演。中曽根内閣時代に「首相、官房長官、外相は在任中に靖国神社を参拝しないという紳士協定があった」と発言

5月7日  町村外相が李外相と京都で会談。中国側は愛知万博出席のために来日する呉儀副首相を政府の賓客として迎えることと、小泉首相との会談を要請

  13日 北京で日中外務次官級の総合政策対話を開催

  16日 小泉首相が衆院予算委で靖国神社参拝について「戦没者に対する追悼の仕方に他国が干渉すべきではない」と発言、参拝継続への意欲を表明

  17日 呉副首相が来日

  20日 小泉首相が参院予算委で靖国神社参拝について「大局的見地に立って参拝している」と発言

  21日 自民党の武部勤幹事長と公明党の冬柴鉄三幹事長が北京で中国共産党の王家瑞対外連絡部長と会談。武部氏の「内政発言」に対し王部長は「日中平和友好条約の新しい見解を示すのか」と反発。武部氏は後に発言の真意を説明

  23日 呉副首相が緊急帰国


朝日新聞
呉副首相会談キャンセル、海外メディアも注視
2005年05月25日12時10分

 中国の呉儀(ウー・イー)副首相が小泉首相との会談をキャンセルして帰国し、外交問題になっている事態について、各国のメディアは「中日、国際マナー舌戦」(韓国・東亜日報)、「中日関係は厚い氷結期に」(英フィナンシャル・タイムズ)などと報じ、強い関心を示している。しかし、英国では4月に起きた中国の反日デモ報道に比べ扱いは小さく、米国やアジア諸国では悪化する日中関係の流れに位置づけ、日中の主張をほぼ等距離で伝える報道が目立つなど、冷静な分析が主流なようだ。

 米ワシントン・ポスト紙は、靖国問題を巡る両国の感情的な対立が東アジアにおける「戦略的なライバル関係の拡大意識」によって激化していると指摘。ニューヨーク・タイムズ紙は、中国側の対応は日本側には「明らかな侮辱」としたうえで、「中国側の行動は恐らく裏目に出て、反中強硬派の安倍晋三幹事長代理の小泉後継を手助けするだろう」とするロビン・リム南山大教授の分析を引用した。

 韓国の東亜日報は、「日中間には、歴史だけでなく、台湾、釣魚島(日本名・尖閣諸島の魚釣島)問題、日本の安保理常任理事国入りなど地域の主導権を争う問題が多く、しばらく冷却状態が続くだろう」と、状況の改善に悲観的な論者の見解を紹介した。

 朝鮮日報も日中の「冷たい政治関係が熱い経済関係まで悪化させることはないだろう」としながら、「軍事・経済の覇権をめぐる競争が激しくなり簡単には解消されない」という専門家の見方を伝えている。

 戦後60年で歴史認識を巡る日本と周辺諸国の摩擦に注目が集まるドイツでは、多くのメディアがこの問題を取り上げた。フランクフルター・ルントシャウ紙は、中国は「キャンセルする以上、理由をはっきりと示さなければならない」と中国政府の外交手法を批判した。

 ロシアの主要各紙も一斉にこの問題を報道。「日本の首相は中国の怒りを恐れていない」(新イズベスチヤ)などと、日中間の険悪な空気を伝えている。

 日中双方の立場を等距離で伝える論調が目立つ中、中国に批判的な意見が目立つのがマレーシア。「マレーシアでは補償もすんだ話とみなされており、問題視されない」(地元大手紙幹部)。

 台湾では、呉副首相の突然の帰国は中国の「外交失態」(自由時報)と位置づける見方が目立っているが、中国時報は「副首相訪日に込められた『関係改善の手がかりに』という北京のメッセージが分からない小泉外交の愚かしさ」と書いている。


【参考】

中国情報局
日中首脳会談:中国メディア「5つの主張」伝える
発信:2005/04/24(日) 11:43:06

日本の小泉純一郎・首相と中国の胡錦涛・国家主席による日中首脳会談がインドネシアのジャカルタにて、現地時間23日夜行われた。対話促進で一致した今回の首脳会談について、中国新聞社では、「胡・主席が日中関係の困難な局面を極力速く好転させるための五つの主張を提示」という角度で報じた。

その五つの主張は、
  • 第一に、「日中共同声明」、「日中平和友好条約」、「日中共同宣言」の三つの文献を遵守し、実際の行動をもって、21世紀の日中友好協力関係の発展を目指すこと。
  • 第二に、「歴史を鑑(かがみ)として、未来に向かう」という考え方を堅持すること。日中間の近代史上において、「日本の軍国主義が発動した侵略戦争が、中国人民に大きな災厄を与えたこと、また日本人民もその害を深く受けたこと」とし、正確に歴史を認識し、相対すことは、あの侵略戦争に対して示す反省を実際の行動に移さなければならず、決して、中国とアジア諸国の人民の感情を傷つけてはならない、とした。
  • 第三に、台湾問題を正確に処理すること。「台湾問題は中国のコアの利益であり、13億の中国人民の民族的感情に関連する。日本政府は、『一つの中国』政策の堅持と『台湾独立』への不支持を何度も標榜してきており、日本側が実際の行動をもって、その承諾を表現することを希望する」とした。
  • 第四に、対話を通じて、対等に協議を重ね、日中間の溝を妥当に処理、溝を解決するための方法を積極的に模索し、日中友好の大局が新たな障害や衝撃を受けることないよう回避すること。
  • 第五に、相互理解を増進し、共同の利益を拡大、日中関係の健全かつ安定的な前向きの発展を促すため、双方が広範囲の領域における交流と協力をさらに拡大し、民間の友好的交流を強化すること。
この文面から読み取れるように、22日に小泉・首相が行った「村山談話」を踏襲した演説について、直接的に触れられておらず、むしろ「実際の行動」を強調している。特に第二項目では、小泉・首相の靖国神社参拝を、第三項目では、日台間の要人往来などを、それぞれけん制した形だ。(編集担当:鈴木義純)

日本政府、中国報道官発言に説明要求

2005-05-25 06:58:20 | 国際
NHK
中国報道官発言で説明要求へ
2005年5月25日 04:57

日本を訪れていた呉儀副首相が、小泉総理大臣との会談を取りやめ、急きょ帰国した理由について、中国外務省は、24日、孔泉報道官が、靖国神社参拝をめぐる日本の指導者の発言を挙げ、強い不満を表明するためだったことを明らかにしました。これについて小泉総理大臣は、「話せばわかるのだから、会談すれば良かったのにと思う」と述べ、中国政府の対応を批判しました。こうした中、政府は、この問題で非難の応酬に発展する事態になれば、友好関係を重視し発展させるとした、先月の日中首脳会談の合意を揺るがしかねないとして、冷静に対処すべきだとしています。ただ、孔泉報道官の発言は納得しがたいうえに、指導部の見解をそのまま反映したものと言えるかは疑問だとしており、政府は外交ルートを通じ、中国政府に十分な説明を求めることにしています。

NHKテレビ報道

福知山線脱線事故、非常ブレーキに焦点

2005-05-25 06:51:02 | 国内
JR西日本福知山線の列車脱線事故の事故原因は、速度時速70キロに制限されている急カーブの箇所に、時速100キロを大幅に超す高速で走行していったことと考えられている。だが、この列車がこのような高速で走行していた背後には、非常ブレーキの問題が絡んでいるのではないかと、私は当初から考えてきた。

国土交通省 航空・鉄道事故調査委員会でも、非常ブレーキについて同じような推論をしているのかもしれない。5月24日には非常ブレーキに関して次のような報道があった。

この記事によれば、高見隆二郎運転士は伊丹駅で60メートルのオーバーランをしたとき、主導で非常ブレーキを作動させたが、その前に始発駅である宝塚駅までの回送段階で、非常ブレーキが自動作動した記録が2度もあるらしい。NHKのテレビ報道では、これは赤信号に対して高見運転士が認識ボタンを押さなかったためと説明されていた。


JR西日本福知山線
(伊丹尼-崎区間)



産経新聞(共同阪神)
非常ブレーキ4回作動 宝塚駅から事故現場まで
2005年5月24日 18:27

 兵庫県尼崎市のJR福知山線で脱線事故を起こした快速電車(7両編成)は、始発の宝塚駅から事故現場までに計4回、非常ブレーキが作動していたことが24日、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会の調べで分かった。

 調べによると、まず宝塚駅に回送車両で入線した際、高見隆二郎運転士(23)=死亡=が立て続けに2度、赤信号の警告を無視するなどして駅構内の列車自動停止装置(ATS)が作動し、自動的に非常ブレーキがかかった。

 その後、停止位置をオーバーランした伊丹駅と、事故現場となったカーブ付近で、非常ブレーキを手動でかけたことがそれぞれATS装置などから判明したという。(共同)


毎日新聞
尼崎脱線事故: 非常ブレーキ4回も 事故調の解析で判明
2005年5月24日 20時43分

 兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故で、事故を起こした快速列車は、計4回も非常ブレーキが作動していたことが24日、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会の調べで分かった。1回の運行では異常な回数で、高見隆二郎運転士(23)=死亡=が、オーバーランなど運行ミスが重なった焦りから、高速で「回復運転」をした結果、事故につながったとみられる。25日で事故から1カ月。事故調は他の運転士らから事情を聴くなどして、当時の運転状況や心理状態の解明を進めている。

 非常ブレーキは、始発の宝塚駅で2回、途中の伊丹駅で1回、さらに事故現場付近で1回作動していた。運行状況を記録したモニター制御装置やATS(自動列車停止装置)記録装置のデータを解析して判明した。

 事故調によると、同列車は4月25日朝、始発の宝塚駅の折り返しホームに入線。この際、ホーム周辺で連続して非常ブレーキがかかっていた。駅構内の信号が「赤」だったのに、ATSの地上子(ちじょうし)(発信機)上をブレーキをかけずに走行し、ホームをオーバーランしかけるなどしたため、自動的に非常ブレーキがかかったとみられる。

 同列車は宝塚駅を定時の午前9時3分に発車。しかし、伊丹駅で再びオーバーランし、非常ブレーキが作動。同駅発車が1~2分遅れ、さらに猪名寺、塚口駅を通過する直線区間を経て、現場のR300(半径300メートル)のカーブにさしかかる前後にも作動していた。

 会見した事故調の山口浩一委員は「宝塚を定時で出発しているが、ATSの非常ブレーキで止まるのは運転士にとって不名誉なことで、運転指令所にも連絡していなかった。それが負い目になり、遅れが加算されて通常の運転ではなかった可能性がある」と分析している。【武田良敬】

訳詩鑑賞『ルバイヤート』(11)

2005-05-25 03:17:57 | 文学
Edward Fitzgerald "Rubáiyát of Omar Khayyám"
矢野峰人訳 『四行詩集』から





   第二十一歌

回れる「時」が葡萄より

しぼりし二無きものみなは

さかづき乾してつぎつぎに

ねむりにつきぬしづやかに。




       21

Lo! some we loved, the lovliest and best
That Time and Fate of all their Vintage prest,
Have drunk their Cup a Round or two before,
And one by one crept silently to Rest.



   第二十二歌

夏の初衣はつきぬよそほへる

かれらの部屋にわれら今

うち興ずれど、がために

土のしとねとならむ身ぞ。




       22

And we, that now make merry in the Room
They left, and Summer dresses in new Bloom,
Ourselves must we beneath the Couch of Earth
Descend, ourselves to make a Couch―for whom?