Takahiko Shirai Blog

記録「白井喬彦」

モスクワでの中韓首脳会談、各紙報道から

2005-05-09 11:51:29 | 国際
朝日、毎日、讀賣の大手3紙は、「対独戦勝60周年記念式典」に合せてモスクワに特派員を出しているようだが、重要情報は韓国ジャーナリズム経由でしか得られないらしい。

韓国人ジャーナリストからの情報となると、視点はどうしても「日本の歴史認識問題」ということになってしまう。

韓国にとっても、中国にとっても、現在の喫緊課題といえば北朝鮮の核ではないか。しかるに、胡錦涛も、盧武鉉も、両者はともに「北朝鮮には憂慮し努力を続ける」と言い合うだけの、中身のない会談だったのだろう。

産経新聞がモスクワに派遣した伊藤正記者は、本来、同紙の中国総局長である。モスクワで情報が取れないのは他紙と同じだが、モスクワにいても中国への視点をそらさないところが素晴らしい。

中国政府と共産党が、モスクワに赴いた胡錦涛を中国政府と共産党がどうバックアップしているかが、今後の中国政府の方針を占う鍵のひとつとなるだろう。

中国では改革解放経済の進展で共産党一党独裁体制が深刻な動揺を見せている。すっかり古びた社会主義イデオロギーに代る求心力として、愛国主義や民族主義を利用せざるを得ない状況というなのだ。

このほど、中国共産党中央は「抗日戦と反ファシスト戦勝利六十周年」の記念行事に関する「通知」を発表したそうだ。民衆レベルの反日運動はもとより、旧ソ連の独ソ戦勝利さえ精神的引き締めに利用しようというわけだ。

伊藤正記者は、「規制に自信を持った中国側が最近、反日デモを基本的に擁護する姿勢に戻った」、「今年9月に予定している抗日戦勝利記念大会に向け、反日キャンペーンが本格化する見通しだ」と書いている。


朝日新聞
「日本は正しい歴史認識を」 中韓が首脳会談で一致
2005年05月09日10時29分

 ロシアの対独戦勝60周年記念式典に出席するためモスクワを訪れている中国の胡錦涛(フー・チンタオ)国家主席と韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が8日夕、会談した。韓国側によると、両首脳は北東アジアの平和と繁栄のために歴史認識の問題が何よりも重要だという認識で一致した。今後、日本の歴史教科書や小泉首相の靖国神社参拝の問題を巡って、中韓が連携して日本に対応を見直すよう求めるとみられる。

 会談はモスクワ市内のホテルで約50分行われた。中韓の首脳が会談するのは昨年11月以来で、「竹島の日」問題や反日デモ問題で日本と両国の関係が緊張してからは初めて。

 また両首脳は、北朝鮮の核問題について、6者協議再開のめどが立たない現状を深く憂慮するとし、北朝鮮が協議に復帰するよう外交的努力を強化することで合意した。

 胡主席は盧大統領との会談後、モスクワの中国大使館に第2次世界大戦に参加した旧ソ連軍の兵士やその遺族の代表を招いて会見した。中国・東北地方で日本との戦いに参戦した兵士らも含まれる。胡主席は「多くの戦士が、中国人民が日本の侵略と戦うために貴重な貢献をしてくれた」と述べた。


毎日新聞
中韓首脳会談: 歴史問題での対日共同歩調を確認
2005年5月8日 22時54分

 【モスクワ西岡省二】対独戦勝60周年記念式典に出席するためロシアを訪れた中国の胡錦濤国家主席と韓国の盧武鉉(ノムヒョン)大統領は8日、モスクワ市内で約50分間会談し、日本を念頭に「北東アジアの繁栄には正しい歴史認識が重要だ」との認識で一致し、歴史問題での対日共同歩調を確認した。

 また、両首脳は北朝鮮の核問題を巡る6カ国協議再開の遅れに憂慮を表明。北朝鮮に協議への復帰を促して事態を打開するために、中韓の高官実務者協議を一層強化することでも合意した。

 両首脳の会談は、昨年11月にチリで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議以来。


讀賣新聞
中韓首脳が会談、北朝鮮の「協議」早期復帰で一致
2005年5月9日 00:38

 【モスクワ=五十嵐弘一】中国の胡錦濤国家主席と韓国の盧武鉉大統領は8日、対独戦勝記念式典に出席するためモスクワを訪問し、市内のホテルで会談した。

 両首脳は6か国協議再開の可能性など、北朝鮮の核問題を中心に話し合った。

 モスクワ発の韓国・聯合ニュースによると、両首脳は、6か国協議が1年近く再開せず、核問題をめぐる状況が悪化していることに憂慮を表明。北朝鮮が同協議に早期に復帰し、対話を通じて平和的に核問題を解決すべきだとの認識で一致した。

 中韓が最近、歴史問題などをめぐって日本と対立している問題についても話し合い、「北東アジアの未来志向の発展」のために緊密に連携していくことで合意した。日本の国連安全保障理事会常任理事国入りに反対する両国の立場を確認しあったものとみられる。


産経新聞
「抗日・愛国」中国再び高揚図る 対独戦勝式典を契機に
2005年5月9日 08:24

 【モスクワ=伊藤正】 中国の胡錦濤国家主席は八日午後(日本時間同夕)、対独戦勝利六十周年記念式典出席のためモスクワ入りした。中国共産党が抗日戦で果たした役割を誇示、反日デモの暴走で傷ついた国際的なイメージの修復を図るとともに、国内の愛国主義運動本格化へのステップにするとみられている。歴史問題などでの対日圧力が再び強まる契機になりそうだ。

 胡主席はモスクワに二日間滞在し、九日午前の記念式典を挟んで数カ国首脳と会談。主な会談相手は、プーチン・ロシア、盧武鉉・韓国、シラク・フランスの各大統領、シュレーダー・ドイツ首相と、北朝鮮核問題や台湾問題などで日米と一線を画す国の首脳という特徴がある。

 この中で唯一の敗戦国であるドイツについて、国営新華社通信の七日付特集記事や八日付の共産党機関紙「人民日報」の論評は、ナチス・ドイツの侵略行為を深く反省し、国際社会から責任ある国家と認められていると称賛、日本の歴史認識を厳しく批判した。

 これは日本の国連安保理常任理事国入りに反対、ドイツを支持する理由にされてもいるが、それだけではない。

 市場経済化と国際化の進展で一党独裁体制が動揺する中で、愛国主義、民族主義の高揚はかつてのイデオロギーに代わる党への求心剤であり、抗日戦勝利の宣伝と日本の歴史認識批判はその両輪になっているからだ。

 胡主席の出発に先立つ七日、中国共産党中央は「抗日戦と反ファシスト戦勝利六十周年」の記念行事に関する「通知」を発表した。そのポイントは、共産党が「全民族を団結させ、日本軍国主義の侵略を打破、中華民族の復興と世界の平和と発展を促進する支柱になった」歴史的意義を宣伝、教育することにある。

 各地での記念行事に加え、記念の切手・貨幣の発行など、「愛国主義を称揚した江沢民前政権時代の五十周年を上回る規模のキャンペーン」(中国筋)が、九月に予定している抗日戦勝利記念大会に向け、本格化する見通しだ。

 中国筋によると、当初は抗日愛国の「五四運動」(一九一九年)記念日の五月四日にキャンペーンを盛り上げる計画だったが、四月初め以来の反日デモが暴走、国際的批判を浴びた結果、反日行動の規制を強化した。

 規制に自信を持った中国側が最近、反日デモを基本的に擁護する姿勢に戻ったのも、愛国キャンペーンの方針は不変だったからにほかならない。

 対独戦の勝利を国際的イベントにし、政権の威信と求心力を高めようとするプーチン大統領と胡主席は、動機は似ている。少なくとも中国国内向けには、このイベントを抗日戦勝利を誇り、愛国主義高揚の起点にする意図は、中国国営中央テレビが、式典を国内に生中継する点にも表れている。中国共産党がこれで国民の信頼を回復する可能性はほとんど考えられていない。

 むしろこうしたキャンペーンは対日関係の将来だけでなく、中国国内の安定にも危惧(きぐ)を抱かせる。

 対独戦勝利記念式典のテーマは「記憶と和解」とされているが、抗日戦の「記憶」を国民に求めることで、一党独裁を維持、強化しても、国内矛盾が拡大する一方では、暴力的な反日デモが再発するのは避けられないとみられるからだ。【2005/05/09 東京朝刊から】

JR脱線事故原因、解明続く

2005-05-09 11:30:03 | 国内
一昨日(2005年5月7日)「JR安全対策に東西格差」を書いたときにも感じていたことだが、今回のJR西日本の脱線事故に関する毎日新聞の報道は地道であり、一日一日、一歩一歩核心に近づいていく手ごたえが感じられる。

今日(2005年5月9日)の報道では、事故を起した問題の快速電車は、運転ダイヤ上最速の電車であったことを明らかにしている。

鉄道運行に限ったことではないが、近年、技術部門、施工部門、運行部門、生産計画部門(鉄道事業でいえば「ダイヤ編成部門」に当るだろう)が縦割り組織という悪弊に侵され、しかも、各々の責任者に現実的思考が欠けているという由々しい状況が見てとれる。

例えば、ダイヤ編成部門でいえば、現在の条件下でどこまで過密なダイヤが可能かという問題に対して現実的思考に基づいて対処するのではなく、やや精神主義に傾いた、いわば「絶対にやり抜け!」といったような強要をしてくるわけだ。リストラの風圧下ではどうしても精神主義が蔓延ってくる傾向がある。

一方、現代の若者たちには、不合理な強要を撥ねつけるだけの実力を伴っていない。また、ここにも現実的思考に欠けるという致命的欠陥が見られる。成功する見通しはないが頑張れば何とかなるだろうと思う。「神様が自分を見捨てることはない」と神頼みになっているのだ。彼らは、先輩たちからの不合理な強要に対し、ただ「頑張ります!」と返事するだけだ。

高見隆二郎運転士は「絶対にやり抜け!」という声に圧されていた。自分も「頑張らなければ!」と思っていた。そういう心理下で、彼はスピードを目一杯まで上げていったのだ。そこまでスピードを上げれば危険状態に陥るとは思わなかった。なぜなら、彼には現実的思考をしていく日常的な訓練が欠けていたからだ。

毎日新聞の日々の取材活動から、JR西日本の職場全体における現実的思考の欠如の積み重ねという実態が浮き彫りになってくる。この悲惨な事故を招いた本質的な原因は次第に明らかになってきている。


毎日新聞
尼崎脱線事故: 事故は所要時間最も短く設定の「最速列車」
2005年5月9日 3時00分

 兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故で、脱線した快速電車が現場二つ前の停車駅、川西池田駅を出発する際に35秒の遅れが生じていたことが8日、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会の調査で分かった。この電車が同線の快速電車のなかでも所要時間が最も短く設定された「最速列車」だったことも判明。県警尼崎東署捜査本部は、こうした状況から高見隆二郎運転士(23)=事故で死亡=が遅れを取り戻そうと無理に速度を上げたことが事故の直接原因になったとみて、捜査を進めている。

 調べでは、この電車は事故当日の午前9時10分ごろに川西池田駅に到着したが、通学、通勤客らの乗降に手間取り、駅を定刻より約35秒遅れで出発した。次の伊丹駅には約30秒遅れて到着し、オーバーランした。車掌は当初、運転指令にオーバーランの距離を約8メートルと報告。虚偽報告だったことが分かり、JR西日本は会見で距離を約40メートルと訂正したが、その後の捜査本部の調べで、実際には車両3両分にあたる約60メートルだったことも分かった。

 高見運転士はいったんホームに戻って客を乗降させたため、同駅出発時に遅れは約1分30秒に拡大した。現場手前の塚口駅通過時は、1分以上の遅れだった。そのため、高見運転士は次の尼崎駅で遅れを回復しようと直線区間でスピードを上げすぎ、制限速度を少なくとも30キロ上回る100キロ以上でカーブに進入したとみられる。

 一方、快速電車はダイヤ上、駅の停車時間などに差があり、始発から終着駅までの所要時間に違いがある。この電車は始発の宝塚駅を午前9時3分45秒に出発、尼崎駅には同9時20分10秒到着予定。所要時間は16分25秒で同区間を走る快速電車の中では最短で、直前の快速と比べても1分25秒短く、JR西日本の社内では「最速列車」と呼ばれていた。

 オーバーランした伊丹駅の停車時間はわずか15秒で乗降に時間がかかれば常に遅れが出る恐れがあり、こうしたことも事故の背景になった可能性があるという。


毎日新聞
尼崎脱線事故: 目撃者5人証言 衝突までの「異変の瞬間」
2005年5月8日 23時46分

 見慣れたはずの電車が異常なスピードで目の前を駆け抜け、脱線・転覆、マンションに激突した。兵庫県尼崎市で4月25日に起きたJR福知山線脱線事故。「車輪が30センチ浮き」「電車の裏側が見え」「スーッとマンションに突っ込んだ」……。近所の主婦や工場で働く人たちは、事故直前から衝突までの「異変の瞬間」をそれぞれの位置で目撃していた。そして、誰もが白い土煙の舞う現場へと救助に駆けつけた。目撃者5人の証言を重ね合わせ、未曽有の脱線事故にいたる直前の「数秒間」を再現する。【大場弘行、八田浩輔】

 《証言1 現場北約240メートル、福知山線をまたぐ陸橋》

 「えらい飛ばしとるな」。自転車を押して陸橋を渡っていた鉄工所経営、挟間(はざま)美喜雄さん(59)は、いつもと違う電車にふと目をとめた。電車がごう音を立てながら足元を通り抜けていった。

 《証言2 北西約120メートル、線路西側の路上》

 金属加工場の従業員、谷本英樹さん(36)は、工場前の道路から50メートル先を走る電車を見た。遠目から見ても、明らかに電車の窓が流れるスピードが速かった。「事故るんやないか」。不安が走った。

 《証言3 北約90メートル、線路東側の工場前》

 線路側を見ながら知人と携帯電話で話していた鉄工所経営、灰山季久雄さん(65)は、わが目を疑った。電車が「ジェット機の逆噴射のようなごう音」をたてながら通り過ぎた。そう思った途端、「ドーン」という衝突音が響いた。3年前にできたマンションの方で土煙が上がり、目の前に最後尾の7両目が止まっていた。

 《証言4 北約90メートル、線路西の側道》

 線路をはさんで灰山さんとちょうど反対側にいた。自転車に乗っていた男性会社員(63)は、電車に追い抜かれる際、不思議に思った。「いつもの『ゴーッ』という走行音が、フッと軽い音になった」。横を向くと、「先頭車両が斜めに傾き、内側の車輪が30センチほど浮いていた。そのまま『スーッ』とマンションに突っ込んだ」。3両目の車両が横向きになった2両目に激突。ごう音とともにガラスの破片がバラバラと飛んできた。立ち木に身を隠した。足が震えて止まらなかった。「阪神大震災で自宅が全壊したが、今回の方が怖かった」

 《証言5 南西約80メートル、踏切》

 踏切で電車の通過を待っていた40代の主婦は、金属がこすれるような音がしたので、何気なく電車の方を見ると、1、2両目の内側の車輪が浮いていた。いつものガタンゴトンという音もせず、「電車の裏側が見えたと思ったら、浮いて滑り込むような感じでマンションに突っ込んでいった」。鉄が焼けるにおいが辺りいっぱいに立ちこめた。すごい風と煙でよろけて転びそうになった。うめき声、叫び声が聞こえたので、遮断機をくぐって現場に向かった。