Takahiko Shirai Blog

記録「白井喬彦」

金槿泰のイ・ウンジュ追悼文

2005-05-19 21:17:13 | 国際
韓国の金槿泰保健福祉部長官に関しては、盧武鉉大統領の過去に言及した例の「韓昇助・西岡力対談」の中に次のくだりがある。
 西岡 日本で言えば厚生大臣に当たる金槿泰現保健福祉部長官が当時、大統領選出馬に名乗りを上げていたけれども取り止めました。実は金長官は国会でブッシュ大統領を「悪の化身」と攻撃した反米親金正日派です。北朝鮮とつながっている疑いがあるという説すらもソウルの政界では流れている。70年代から学生運動、いや正確に言うと「職業的革命家」であって何回か投獄経験がある。そして彼の身内が北朝鮮にいるといいます。金長官は不正な政治資金をもらっていたとして自ら選挙から降りましたけれど、誰かの意図にそって左翼の票を盧大統領に集めたのだと思います。

 金正日は金長官を大事にしているはずです。これに対して元来職業的革命家ではなかった盧武鉉は勝てばもうけものだし、負けても惜しくない。彼は弁護士で、ヨットに乗って日本に遊びに来るようなブルジョア的な生活をしていました。その後人権弁護士になりましたが、マルクス主義を体系的に勉強したことも組織活動をしたこともなく、本当の職業的革命家ではありません。しかし、大衆へのアピール力があって当選してしまった。こういう流れだと思います。

  左翼運動で盧大統領とは比較にならない経験を積んでいる金長官がなぜ譲歩したのか。金長官は過去の左翼運動歴があまりにも有名で、投獄されたことも知られています。それに比べて左翼運動歴のない盧武鉉のほうが幅広い支持を得られると考えられた可能性がある。
この金槿泰保健福祉部長官に関して、私にはちょっと真意の掴めない短い記事が出た。どなたか、この記事の金槿泰の言葉、「年末か年明けにきっかけがあるだろう」の意味を解説していただきたい。


朝鮮日報
金槿泰・福祉部長官「年末ごろ党に復帰」
2005/05/19 16:46

 金槿泰(キム・グンテ)保健福祉部長官はヨルリン・ウリ党への復帰説と関連し、「年末か年明けにきっかけがあるだろう」と述べた。

 世界保健機関(WHO)総会に出席するため、ジュネーブを訪問中の金長官は18日、聯合ニュース記者とのインタビューで、このように述べ、「政治家の方が似合うと思う」とした。
 
 また、「大統領の決定と判断を尊重するのみ」とした。

 金長官が党の復帰時期と予想した年末と年明けは、今年10月の国会議員選挙の補欠選挙を終えた時点だ。


金槿泰保健福祉部長官





金槿泰は、1947年、京畿道富川の生まれで、ソウル大経済学科を卒業している。金大中が大統領選に際して抱き込んだ在野活動家のひとりで、それまでに、民青連議長、全民連執行委員長、99年国民政治研究会の創立メンバーという経歴がある。金大中に抱き込まれて以後は、1995年国民会議副総裁、1996年国会議員(国民会議)、2000年国会議員(新千年民主党)という経歴を重ねてきており、次期大統領の有力候補のひとりらしい。

ところが、この金槿泰保健福祉部長官が、過日自殺して話題騒然となっている韓国の有名美人女優イ・ウンジュに追悼文を捧げているのだ。この追悼文の中で金槿泰は、「冷め切り、淋しさに身震いしながら、私たちの傍を離れていったイ・ウンジュ...」という感傷的な語り口だから、ここに何が象徴されているだろうのか? あるいは政治的裏切り劇でも? などと考えさせられてしまう。そういうかなり思わせぶりな書きぶりなのである。もちろん、このあたりのことについても、どなたか薀蓄を傾けて語ってくださることを期待したい。邪推? もちろん結構!

そこで、まずは順序として、イ・ウンジュの自殺(2005年2月22日)の記事から掲げていくことにしよう。イ・ウンジュを知らない人のためにも。


朝鮮日報
女優のイ・ウンジュさんが自殺 
2005/02/22 15:36

 ドラマ『火の鳥』、『太極旗を翻して』(日本タイトル『ブラザーフッド』)などに出演、人気を集めた女優のイ・ウンジュ(25)さんが自宅のマンションで首をつって自殺した。

 22日午後1時10分ごろ、京畿(キョンギ)道・城南(ソンナム)市・盆唐(プンダン)区・スネ洞の自宅のドレスルームで、イ・ウンジュさんが亡くなっているのを、兄が発見した。

 警察の調べによれば、イ・ウンジュさんはこの日午前 6時まで一緒に住んでいる兄や母と話をして自分の部屋に戻っており、午後1時が過ぎても起きなかったため、これを不審に思った兄が部屋に入ったところ、ドレスルームで死んでいるイ・ウンジュさんを発見した。

 発見当時、イ・ウンジュさんの部屋からは鉛筆削り用のカッターが発見されており、ベッドの上には血の跡、そして、イ・ウンジュさんの手首には自殺を図った跡があったという。

 また、「お母さん、兄さん、ごめんなさい」と書かれた遺書も発見された。

 家族らはイ・ウンジュさんが昨年10月に公開された『朱紅文字』の撮影以来、不眠症に悩まされてきたとし、MBCドラマ『火の鳥』で露出シーンを撮影したことを苦しんでいたと話したと伝えられた。

 警察は現在、イ・ウンジュさんの家族らを相手に、詳しい自殺動機などを調べている。

 MBCドラマ『火の鳥』で大人気を集め、映画『太極旗を翻して』、『オー!スジョン』、『バンジージャンプする』など、多数の映画に出演した。今月18日、檀国(タングク)大学演劇映画学科を卒業したばかり。

 イ・ウンジュは卒業式当時、功労賞を受賞しただけで、まっすぐ帰っており、いつもとは違って、多少暗い表情だったと、当時取材していた記者らは伝えた。

朝鮮日報
金槿泰・保健福祉部長官が「イ・ウンジュ追悼文」掲載
2005/02/24 11:39

 金槿泰(キム・グンテ)保健福祉部長官が24日、女優の故イ・ウンジュさんを追悼する文を自分のインターネットホームページに掲載した。イ・ウンジュさんはホスピス広報大使を務めていた。
 
 金長官は「どんなに淋しかったろう…、どんなに恐かったろう…」と書き出した文で、「まったく違う場合なのに、なぜか、35年前のチョン・テイルを思い出す」とした。チョン・テイルさんは1970年、勤労基準法遵守を叫び、焼身自殺した。

 「当時、チョン・テイルは自分には悩みを打ち明け、相談する大学生の友人が一人もいないと嘆いた。彼が死んだ後からだが、先にチャン・ギピョが駆け付け、次に私が駆け付けていった。しかし、私たちは彼の悩みを相談する友人に選択されなかった」と当時を振り返った。

 金長官は「冷め切り、淋しさに身震いしながら私たちの側を離れて行ったイ・ウンジュさんが、自分の淋しさと挫折感を聞いてくれる友人を見つけていれば、こんなことにはならなかったはずなのに…」と書いた。

慶尚南道の馬山市、「対馬の日」制定

2005-05-19 19:33:10 | 国際
2005年3月18日、馬山市議会は島根県議会の「竹島の日」制定に反発して「対馬の日」を制定したという。これは李氏朝鮮時代に、朝鮮軍が行った対馬征伐(応永の外寇)により、対馬が朝鮮領になったという理屈に基づいて、李従茂なる将軍が率いる対馬征伐の船団が馬山浦を出発した6月19日をもって「対馬の日」としたというものである。

馬山市は「対馬が朝鮮領になった」などと主張しているらしい。だが、この「応永の外寇」では、李氏朝鮮の水軍は、対馬中央の浅茅湾周辺の浜の一部を一時的に占領したに過ぎない。1418年6月19日に馬山浦を出港した朝鮮水軍は、やがて対馬浅茅湾突端の尾崎浜に辿り着き、そこに停泊を続けていた。そこを拠点として浅茅湾内にも侵入し、対岸の船越の浜に拠点を設けたりした。更にもっとも奥まった地点にある二位の浜に上陸したが、ここでは対馬藩から差し向けられた軍勢の邀撃に遭い、致命的打撃を受けたといわれる。

この段階で戦況が膠着したので、対馬藩藩主宗貞盛は朝鮮水軍側に対し、秋の暴風の季節が近づいていることを警告し、併せて停戦修好を求めた。朝鮮軍はこの要求を入れて撤退したといわれる。だから、占領といっても2ヶ月にも満たない短い期間のことだったのだ。

馬山市のやり方を踏襲するなら、1910年8月22日の日韓併合から1945年8月15日の終戦の日まで、35年間もの長きにわたり日本が朝鮮半島を実質的占領下に置いていたわけだから、日本が「韓国の日」や「北朝鮮の日」を制定したとしてもちっともおかしくないといえるのではないだろうか。

だが、もし馬山市の理屈が本当に通用するなら、更に日本側としては秀吉や清正を持ち出してくることもできる。古代にも日本は何度も半島派兵をおこなった記録さえあるのだ。韓国にくらべれば、日本は他国を侵略した実績がずっと多いのだ! 「・・の日」と制定できる日は数多くある。自慢じゃないけど。

島根県の「竹島の日」と馬山市の「対馬の日」は制定の意味合いがまったく違っている。「竹島の日」は竹島占領記念日ではない。日本がかつて竹島を占拠していたというわけではないのだ。主権が存在しているのに不当占拠され、いまもその状態が続いている。「竹島の日」とは、そのことを一年に一度心の中に思い返す日なのだ。

だが、韓国人の多くはそのことに気づかないのだろうか。それとも、気づいていても、こういうことをやらずにはおれない、豊かなユーモア精神の持主なのだろうか。もしそうだとしたら、そのユーモア精神こそ、隣人として大歓迎したいところだ。


朝鮮日報
馬山市議会、「対馬の日」条例案を可決
2005年3月18日 16:15

 慶尚(キョンサン)南道・馬山(マサン)市議会が18日、日本の島根県議会の「竹島の日」条例制定に対抗し、「対馬の日」条例を制定、国内外で波紋が予想される。

 馬山市議会は同日午後、第109回臨時会本会議を開き「対馬の日条例」案を上程、在籍議員30人のうち出席議員29人全員が賛成し可決した。

 同日制定された条例は、「対馬が韓国領土であることを内外に刻印させ、領有権を確保することを目的にし、朝鮮朝の世宗(セジョン)の時に 李従茂(イ・ジョンム)将軍が対馬征伐のため、馬山浦を出発した6月19日を『対馬の日』にする」という内容を含んでいる。


朝鮮日報
馬山市、「対馬の日」条例公布へ
2005年4月6日 11:00

 ファン・チョルゴン馬山市長は6日、市議会が制定した「対馬の日」条例を再議要求せず、公布する事にしたと明らかにした。

 ファン市長は同日午前、支庁で記者会見を開き、「領土と関連した問題を地方自治体が条例として制定することができるかをめぐり、論議があった」とし、「各界各層の意見収斂を経て、条例を公布することを決定した」と述べた。

 引き続き、「この条例が地方自治体条例としての範囲を脱したのではないかという見解もあった」とし、「条例は独島を含めた韓国領土に対する愛着心を喚起させる宣言的かつ象徴的な規定だ。市民や国民から多くの支持を得ている点も考慮、最終公布を決定した」と説明した。


平凡社「世界大百科事典」(CD-ROM版)から
応永の外寇

1419年(応永26年、朝鮮の世宗元年)に、対馬島が朝鮮国軍の攻撃を受けた事件。14世紀中葉以来、倭寇が朝鮮半島の各地を荒らして大きな被害を与えていたが、朝鮮では対馬島主宗貞茂に特権を与えて、日本から朝鮮に渡航するものを統制させ、倭寇の鎮静に大きな成果を挙げていた。

ところが、1418年に対馬で貞茂が死に、幼主貞盛が立ったが、対馬島内の実権は海賊の首領の早田氏に移り、しかも倭寇の1船団が朝鮮の沿岸を襲う事件が起った。朝鮮の上王太宗はこの情勢を見て、かねて倭寇の根拠地と考えていた対馬島に攻撃を加えることを決意した。

この年(1418)6月、兵船227隻、軍兵1万7285人からなる大軍が、65日分の食糧を携帯して巨済島を発し、対馬島に殺到した。朝鮮軍は対馬の浅茅湾に入って尾崎に泊し、次いで船越に柵を置き、仁位に上陸したが、対馬軍の迎撃に遭って敗退した。

貞盛は朝鮮軍に対して暴風期が近づいていることを警告し、併せて停戦修好を求めた。朝鮮軍はこの要求を入れて撤退した。朝鮮では己亥東征と呼び、対馬では糠嶽戦争と呼んだ。

室町幕府では、この事件後、無涯亮倪を朝鮮に派遣して実情を探らせた。朝鮮側ではこれに対して、20年回礼使宋希車を日本に送った。宋希は対馬で早田氏と、博多では九州探題渋川満頼と接し、京都に入って室町幕府と交渉した。

その間、博多の宗金などから情報を得て、日本における幕府・九州探題・少弐氏・宗氏・早田氏などの動向を把握認識することができたが、事件後の処置については手掛りさえも掴むことができなかった。

希の紀行は『老松堂日本行録』に纏められている。朝鮮との間に円満な通交関係が回復されたのは、終始強硬論を唱えていた太宗が1423年に没し、親日的な外交政策をとった世宗に替ってからである。対馬でも貞盛による島内の統制が確立し、世宗の政策に対応して修交関係を樹立した。


対馬全図(赤丸は当時李氏朝鮮の水軍に占領された地点)

粛軍クーデタから25年、軍事クーデタから44年

2005-05-19 18:52:59 | 国際
韓国の盧武鉉大統領は、昨日(2005年5月18日)、全羅道光州に赴き、四半世紀前に起った光州事件の記念式典に出席し、市民に「韓国に成熟した民主主義を」と呼び掛けた。

1979年10月26日、朴正煕(1917-1979)が腹心の金載圭(1926-1980)中央情報部長に射殺されるという衝撃的事件(「十・二六事件」)が起ると、韓国軍の少将であった全斗煥(1931-)が戒厳司令部合同捜査本部長に就任した。1980年5月18日に起った光州事件とは、この朴正煕暗殺事件を契機として全軍の最高実権を掌握していった全斗煥が、当時全土に拡大していた反政府デモを圧し潰すため、武力を発動した事件である。

1980年5月18日、前日発動された戒厳令が全土に拡大される中、特に光州市では学生と市民による反政府デモが激化し、機動隊との衝突が起った。光州市の反政府デモは5月21日には本格的な暴動の様相を示すようになり、戒厳軍とデモ隊の発砲事件にまで発展した。やがてデモ隊側には多数の死者を出し、5月27日には戒厳軍の手で完全に制圧された。政府の公式発表では死者192名となっているが、実際には2000名以上の人々が行方不明のままだそうである。


上の画像はクリックしてください


全羅道庁前の噴水台公園に集まった民衆



太極旗を掛けられた犠牲者の棺(全羅道庁内)


光州事件鎮圧後、国家保衛非常対策委員会・常任委員長に就任した全斗煥は、同年(1980)8月になると、統一主体国民会議において大統領に選出された。1980年10月、憲法を改正して大統領の任期を7年とし、間接選挙により選出するものと定めた。翌1981年2月、全斗煥はみずからこの憲法に基づいて大統領に再選された。

しかし、1987年6月になると憲法改正を要求する反政府運動が激化し、全斗煥政権は深刻な政治危機を迎えることとなった。その翌月、全斗煥は政権を移譲することを表明し、同年10月、大統領を直接選挙で選出する制度を柱とする憲法改正をおこなった。同年12月、直接選挙制による初の大統領選挙がおこなわれ、彼の後継者と目されてきた軍出身の盧泰愚が選出された。

退陣した全斗煥は、盧泰愚政権で陰の権力者となるつもりだったようだが、その目論見は大きくはずれた。彼の親族や、彼の政権に関与していた人々の不正・腐敗への非難が集中し、遂には全斗煥自身の逮捕を求める全国運動が高まっていくなかで、彼は国民への謝罪を表明し、全財産を国庫に返納した上で、江原道の山寺に隠棲した(1988~1990)。だが、1995年になると、彼は逮捕され、翌年(1996)、反乱罪・内乱罪・収賄罪などにより死刑判決を受けた。しかしながら、1997年の最高裁判決では無期懲役に減刑され、同年(1997)、大統領令により特赦となった。

このように、5月18日は、韓国現代史における重要な記念日、「五・一八民主化運動」の日である。だが、この2日前の5月16日も同様、韓国現代史上重要な記念の日である。1961年5月16日。もちろん、これは「五・一六クーデタ」として知られる、朴正熙による軍事クーデタの日である。

韓国の戦後史には、民主政治を軍事クーデタでを奪われた痛恨の経験が2度もある。そのたびに民衆の血が大量に流された。しかも、やっとの思いで軍事政権から政権を奪い返しても、その後の民主政治はうまくいかないという苦難の歴史を繰り返してきた。踏みしめてきた半世紀の歴史への鬱積した思いが、現在の韓国の政治風土の中に沈潜しているように思われる。


東亜日報
「市民団体は国政の主体」盧大統領、成熟した姿勢呼びかける
MAY 18, 2005 22:23

盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は18日、「1980年代の民主化抗争以後、注目すべき成長を遂げた市民社会は、これから代案を出して、創造的な参加を通じて韓国社会の合意水準を高めていかなければならない」と述べた。

盧大統領は同日、光州(クァンジュ)国立5・18墓地で行われた「5・18民主化運動25周年」記念式典に参加して記念演説し、「市民社会は今や国政をけん引する核心的な主体として登場した。その地位にふさわしく、より成熟した姿に発展していかなければならない」として、このように強調した。

また盧大統領は「これからは相手を尊重しながら対話と妥協で問題解決に臨み、ルールに従って正々堂々と競争して、結果的に承服する成熟した民主主義文化を作って行かなければならない」とも話した。

盧大統領は、「5・18の光州の勇気と犠牲は、民主化の炎となって1987年6月の抗争で燃え上がったし、ついには軍事独裁を倒した勝利の歴史だ」と言い、「5・18の崇高な意味をいかして、成熟した民主主義の花を咲かせて、我々の子どもたちに正当で誇り高い歴史を譲り渡そう」と呼びかけた。

同日の式典には、与党ヨルリン・ウリ党の文喜相(ムン・ヒサン)議長、野党ハンナラ党の朴槿恵(パク・グンヘ)代表、民主労動党の金恵敬(キム・ヘギョン)代表、民主党の李洛淵(イ・ナギョン)院内代表など、与野党の政党指導者と国会議員、5・18関係団体と市民団体の関係者、犠牲者遺族など2000人余りが参加した。

指弾される韓国国家安全保障の黒幕

2005-05-19 16:09:24 | 国際
朝鮮日報
【社説】 「李鍾奭NSC」に何があったか
2005/05/17 19:17

 大統領府が4月6日と12日、韓米の「戦略的柔軟性」交渉問題と関連し、李鍾奭(イ・ジョンソク)国家安全保障会議(NSC)事務次長を調査したことが分かった。

 交渉で、韓国側が米国の方針を受け入れることにしたが、後でこれを覆したかどうかが調査の核心だったという。

 戦略的柔軟性とは、北東アジアの他の地域で紛争が起きた際、在韓米軍を当地に投入する米国の政策で、韓米同盟の将来がかかった重大な問題だ。大統領府は「調査結果、NSCが総括した交渉に異常がないことが確認された」と述べた。

 しかし、今回の事件はベールのなかで現政権の外交安保政策を事実上総括してきた「李鍾奭体制」が内部的にどのように運営されてきたかを垣間見る、機とも言える。

 今回の問題提起も李次長が指揮するNSC内部からのものではなく、大統領府国政状況室が外部の情報報告を受けたことがきっかけになったという。

 まず、このように重要な事実がNSC内部で解消できず、外部からの報告によるものだとすれば、NSCは自主修正能力を失った硬直した組織だという意味だ。つまり、内部で李次長の見解と異なる意見を提示できない1人中心体制で運営されたのではないかという指摘だ。

 現に、政府の序列上、李次長より上の外務部か国防部の長が、李次長がどういう見解を持っているかに気を配り、それに合わせようとしたという噂が以前から出ていた。

 長官らの態度がこの程度なら、NSCの組織員が自由に意見を述べることは難しかっただろうということは、容易に推測できる。

 李次長は北朝鮮専門家であり、同盟外交や軍事問題に対する専門性と経験が不十分なことは事実である。

自分の状況がこうであれば、下級者たちが発言できるシステムを設け、正直な補佐を受け、政府部処(日本の省庁)同士の横の協力にも配慮し、自分の不十分な部分を補うよう努力してこそ、政策の均衡を保つことができる。

 すでに問題が浮上したことから見て、そうではなかったようだ。

 NSCは国家安保の責任を担う中枢機関だ。特に、北朝鮮の核問題という敏感な問題をめぐる諸対策を講じるべきこの頃、NSCの運営体制に問題があるとは見過ごせない。

 大統領府は「異常なし」という言葉で問題をうやむやにするのではなく、NSC事務処に本当に何があったかを具体的に説明し、問題があったなら、補完策を打ち出すべきだ。


東亜日報
[社説] 「李鍾奭氏の対米交渉」問題点を明確にすべきだ
2005年5月17日 23:11

国家安全保障会議(NSC)の李鍾奭(イ・ジョンソク)事務次長が、在韓米軍の「戦略的柔軟性」交渉と関連して、先月初めに2度も大統領府の「点検」を受けたという。米国との交渉で「戦略的柔軟性」を受け入れるとしておきながら、後にこれを覆したという「内部指摘」があり、李次長を出席させて「点検会議」を開いたということだ。しかし、釈然としない点が多い。

「会議」は、NSC常任委員長である鄭東泳(チョン・ドンヨン)統一部長官の主宰の下に、大統領民政首席秘書官と国政状況室長が質問して、李次長が回答する方式で行われたというが、この程度を単純な「点検」とは言えない。一体何ゆえに、政権の外交安保政策を統括してきた李次長を呼び出して、聴聞会と相違ない「点検」をしなければならなかったのか、国民の前に詳細に明らかにしなければならない。

大統領府は、点検の結果、問題がなかったと言ったが、これも納得しがたい。国防部は昨年10月の韓米安保協力会議(SCM)で、在韓米軍の「戦略的柔軟性」を受け入れることで米国側と合意し、発表までした。しかし、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は今年3月、空軍士官学校の卒業式でこれを受け入れないことを明確にした。国家間の合意事項がわずか数ヵ月で、それも何の説明もなしに変わることがあり得るのか。

大統領府は、「交渉は今も進行中だ」と言った。それならば、大統領の「受け入れない」という方針表明も、今後変わる可能性があるということか。大統領府はもとより、当事者である李次長が直接出て、事の顛末を明らかにしなければならない。ただでさえ、李次長中心の外交安保システムの適法性、効率性をめぐっていろいろな声があがっている。

これを機に政府は、NSC体制の問題点まで全面的に検討しなければならない。NSC独走体制が続き、外交通商部を含む関連省庁は、政策決定過程で徹底して疎外されているという話が出て久しい。今回の波紋に関しても、外交安保政策の樹立と執行を特定機関と特定の人物に依存した結果、という指摘が出るのもこのためだ。今後、対米交渉を成功的に導くためにも、このような問題点に対する総体的な点検が急がれる。

南北次官級協議、韓国の報道

2005-05-19 12:58:33 | 国際
韓国と北朝鮮の間でおこなわれた南北次官級協議の報道について、韓国の報道はさすがにウラのウラまで読み取れる感じがする。だが、鄭東泳統一部長官がどんなことを考えて6月15日平壌で開催される南北共同宣言5周年記念式典に是が非でも出席しようとするのか、韓国紙といえども明解な解説はしてくれない。

鄭東泳といえば、次期大統領の有力候補のひとりと目されている。彼自身も、そのことを十分意識しているだろう。だからこそ、出番を求めたというわけだが、北に出向いてそのスポットライトを浴びることが、そんなに韓国民に受けることなのか、私には到底理解できないことだった。

鄭東泳は韓国文化放送のニュースキャスターだった人物である。ジャーナリスト出身だから、社会の風潮の匂いを嗅ぎ取るのに長け、国民の心を掴もうとする行動も素早いのかもしれぬ。我が小泉政治もそうだが、韓国ウリ党の政治もご多分にもれずポピュリズムなのだろう。

北朝鮮の開城に向け出発した南北実務協議に臨む韓国代表団を見送る鄭東泳統一相=16日午前、ソウル(共同)


朝鮮日報
【南北次官級会談】 長官級会談の6月ソウル開催で合意
2005/05/18 19:46

 南北は18日、第15次南北長官級会談を6月中にソウルで開催することで原則的に意見の一致をみたが、核問題を合意文に盛り込むかどうかをめぐって対立し、会談を2日延長した。

 南側の首席代表の李鳳朝(イ・ボンジョ)統一部次官は、核問題と関連し、「韓半島の非核化原則が守られなければ、南北の和解と協力が不可能だという点を明確にした」と述べた。

 しかし、北側は核問題を合意文に盛り込むことを求める韓国側の立場に否定的だったと伝えられる。

 李次官は肥料支援について「北朝鮮が求めた春季肥料の20万トンは、6月中旬に支援が完了する見込みだ」とし「陸路と海路を同時に活用して、必要な場合、北朝鮮の船舶も利用するだろう」と述べた。

 南北は平壌(ピョンヤン)で開かれる6.15統一大祝典に、南側の政府代表団を派遣することで合意したが、8.15離散家族再会問題は最終的な合意に至らなかった。

 共同宣言5周年を記念する南北間の道路開通式問題にも進展がなかったと李次官は明らかにした。

キム・ホンジン記者mailer@chosun.com


中央日報
南北次官級会談、ソウルでの閣僚級会談開催で歩み寄り
2005.05.18 16:49:36

韓国・北朝鮮(南北)は17日までとしていた次官級会談の日程を延長し、北朝鮮核問題、閣僚級会談再開など争点を夜通し調整しながら、6月中に第15回南北閣僚級会談をソウルで開催することに歩み寄った。しかし最も重要な日取りについては北朝鮮が難色を示しており、最終合意できるかどうかは未知数だ。南北はまた、全議題に対する最終合意と共同報道文の採択には至らなかった。

双方は18日午前、ひとまず会談を終え、19日に開城(ケソン)で開始することにした。南側首席代表の李鳳朝(イ・ボンジョ)統一部次官と北側団長の金万吉(キム・マンギル)祖国平和統一委員会書記局副局長はこの日午前7時、開城で15分間の首席代表接触を持ち、このように決めたと、李首席代表が明らかにした。

李首席代表は「北核は容認できないし、韓半島非核化原則が守られなければ南北間の和解・協力は不可能だという点を明確にした」とし、「民族共同の安定と繁栄のために北核問題が早期に解決されるべきであり、このために6カ国協議が近いうちに再開され、実質的な進展がなければならないという点を何度も強調した」と伝えた。

李首席代表は肥料の支援について、「20万トンの支援原則については北側に約束したが、支援日程はもう少し協議しなければならない」とし、「6月中旬ごろ支援が終わりそうだ」と明らかにした。

李首席代表はしかし、8.15離散家族再会問題については最終合意できず、6.15共同宣言5周年に合わせて道路開通式を行う問題では進展がなかった、と述べた。





朝鮮日報
【南北次官級会談】 鄭統一部長官、なぜ平壌訪問に首っ丈?
2005/05/19 09:42

 「軽率に行動したあげく、落ちぶれるだろう」、「人をこき下ろすしか能がないレベルの低い人間…」、鄭東泳(チョン・ドンヨン)統一部長官が昨年7月に就任して以来、 北朝鮮の鄭長官を非難した言葉だ。「交渉の相手側の司令官をこんな風に厳しく非難するとは」と、統一部関係者さえ憤慨するほどだった。

 その鄭長官が今、平壌(ピョンヤン)行きに力を入れている。16、17日の南北次官級会談で韓国側は平壌の6.15南北共同宣言5周年記念式に鄭長官を派遣することを示唆した。

 統一部関係者は「歴史的な意味がある」と述べた。5周年行事は南北民間団体が主導している。記念式、短縮マラソンなどのスポーツイベント、わが民族自慢大会(芸術公演)なども開かれる。

 南側の外交・安保の司令官とも言える国家安全保障会議(NSC)常任委員長としての役割を期待できる可能性は現時点では存在しない。鄭長官のカウンターパートもこれといった人物がいない。祖国平和統一委員会の委員長、党統一戦線部・部長のポストも空席だ。膨大な実務準備が必要なことを示している。

 そうすると、他の背景はあるのか。

 ヨルリン・ウリ党のある議員は「就任後、南北関係が冷え込んでおり、焦りを感じているようだった…」と話した。現に鄭長官は記者たちに「(南北関係が冷え込んで)申し訳なく思う」と頻繁に述べた。

 他の与党議員は、「次期大統領候補に目されているため、理由はどうであれ、梗塞した現状を切開くべきという責任感を感じているだろう」と述べた。 ハンナラ党の外交通商委員会のある議員は「一度も統一部長官としての役割にスポットを当てられたことがないので、式典代表団長でもしようとするかのようだ」という反応を示した。

 一方、2日間の会談の結果、もっとも重要な問題である核問題について、北朝鮮は南側とは協議しないという態度を示し、政府当局者と専門家の間では懸念の声が上がっている。

 北朝鮮は南側が核問題に触れると、関係部処(日本の省庁に当たる)に伝達するといった程度でお茶を濁した。適当にうやむやにし、肥料やコメの支援を受けたいという態度だ。

 韓国側は、こうした北朝鮮の意図を見抜いて、20万トンの肥料は支援するが、コメの支援量と肥料の追加支援問題は長官級会談で話し合うと前置きをした。

 結局、北朝鮮が核問題への論議を避けた場合、北朝鮮がコメや肥料の支援を拒否するとの覚悟を決めたのか、それとも南側は会談を決裂させないだろうと確信しているかのどちらかだという結論になる。

安容均(アン・ヨンギュン)記者 agon@chosun.com


朝鮮日報
【社説】 北核進展なく肥料を与える会談?
2005.05.18 20:02:40

韓国・北朝鮮(南北)次官級会談に臨む政府の交渉態度を見ると、その目標は何か混乱してしまう。北核危機の深刻性を勘案すると、今回の会談で北核と南北問題を分離することはできない。しかし政府は会談の本質に沿わない提議をし、北核問題を焦点から外す愚を犯している。 平壌(ピョンヤン)で開かれる6・15統一大祝典に参加する政府代表団を閣僚級としようという提議がそれだ。この祝典は南北と海外の民間団体が参加する例年の行事である。なら民間レベルの行事で進行すればよい。 なぜこの時期に閣僚級が平壌を行かなければならないのか。

今回の会談で韓国側は、北朝鮮核問題については会議の冒頭に2、3の言葉を述べただけで、閣僚級の平壌チケットを何とか手にしようとする姿に映っている。この政府は自尊心もないのか。政府は、閣僚級が平壌へ行けば、北核問題を含む南北関係全般を改善できるきっかけになるという名分を強調している。その可能性もあるだろう。しかし政府は南北閣僚級会談をソウルで6月に再開しようと提議した。それなら平壌行きは何であり、ソウル会談は何であるのか。このため、今回の会談は鄭東泳(チョン・ドンヨン)統一部長官の平壌行きを実現させる会談だという声が出てきている。それほど哀願して平壌に行って、何の利益があるのだろうか。南北問題は個人の名前、面目のための道具ではない。

世界は今、この会談で南北が核問題についてどんな結果を出すのか鋭意注視している。こうした中、肥料20万トンを与えながら、核問題については何の成果もなく帰ってくれば、国際社会が韓国政府をどのように見るか、もう一度考える必要がある。

18日に行われる会談では、国民が納得できる顕著な成果がなければならない。北朝鮮も肥料だけをもらって済まそうとすれば、今後、南北協力はさらに難しくなる。南北関係は政治家個人の揚名の道具にはならない。国の将来がかかった問題だ。特定人の「平壌行きチケット」獲得にこだわる姿を見せてはならない。


東亜日報
[社説] 鄭東泳長官の平壌行きが上位目標ではない
MAY 18, 2005 22:34

16日から開城(ケソン)で開かれた南北次官級会談は、事実上「肥料を与えるための」会談に終わる公算が高くなった。北朝鮮側は3日間の会談で、核や6者協議復帰問題に対して徹底的に背を向ける態度を見せた点から、今日発表される共同報道文に、同内容が言及される可能性はなさそうだ。北朝鮮側は10ヵ月ぶりに開かれた今回の当局者会談を、はじめから「実務協議」と規定することで、肥料の援助を得ることが第一目標であることを明確にした。

もちろん、韓国側も「贈り物」を得た。6月中に南北閣僚級会談を開催し、6・15共同宣言5周年を記念して平壌(ピョンヤン)で開かれる統一大祝典に代表団を派遣するという原則的合意である。南北関係が、長期の硬直局面を脱することができずいた点からも、閣僚級会談再開の意味を過小評価することはできない。

問題は優先順位だ。会談当初から韓国側は、閣僚級会談の開催日の確定と、鄭東泳(チョン・ドンヨン)統一部長官を団長とする代表団の平壌行きの実現を「現実的目標」として、これに交渉力を集中させたという。当初の「北朝鮮核問題解決と、そのための6者協議への北朝鮮復帰」の糸口を見出すという政府側の公言は、空振りとなった。与党の有力な次期大統領候補に数えられる鄭長官の平壌行きを実現することが、今回の会談の主な目標だったのなら、これは本末転倒である。

これまで南北関係は、実質的な進展よりも、イベントに偏った様相を見せてきた。6・15統一大祝典に参加しようと、与・野党政治家たちが過熱競争の様相を見せているのも一例である。北朝鮮側は、韓国側のこのような政治的行動を見透かしている。北朝鮮側が昨年11月に訪朝した韓国要人に、「鄭長官は北朝鮮の地を一度も踏んだことがない統一部長官になる」と流したことも、政治家である鄭長官の焦りを読んで、手なずけようとした側面が大きいというのが定説だ。

そうであるのなら、「言うべきことは言って、受けるものは受ける」という原則に徹した対北接近をしてこそ、自分たちの分が得られるというのが過去の経験である。政治的意図が先行したイベント性アプローチは、結局北朝鮮側に利用されるだけだという点で禁物である。


中央日報
<ニュース 分析> 核の非難避け、韓国から肥料援助を受けるには…
2005.05.16 08:50:32

北朝鮮が10カ月ぶりに南北当局間の対話に応じたのは、いくつかの戦略のためだとみることができる。

まず核問題と関連したいわゆる「民族協調」を韓国側当局に直接要求するという意味が伺える。 米ブッシュ政権の対北朝鮮圧力に同族の韓国がともに対抗するべきだという「同じ民族」という論理で、対韓国宣伝攻勢をかける可能性が高い。

また南北会談に応じる姿を見せることにより、米国が北朝鮮核問題の安保理付託のような対北朝鮮強硬策を使う名分を奪う効果も狙うことができる。

肥料の支援を受けるために不回避な選択という分析もある。 盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府が「当局会談なく肥料はない」という強い立場を表しており、やむを得ず会談に復帰しなければならなかったということだ。 今年、農業を「主攻戦線」とした北朝鮮に3倍の食糧増産効果を与える肥料は、差し迫っていた懸案だ。

このような状況の中ですきを見ていた北朝鮮側が、会談再開のタイミングを6.15共同宣言5周年というときにつかんだというのが当局の判断だ。 もちろん北朝鮮を動かすには昨年末から対話再開を促してきた韓国政府の努力も作用しているといえる。

しかし会談の見通しを楽観するには早い。

2002年10月、高濃縮ウラン(HEU)核開発疑惑以後、南北は北核口げんかの消耗戦をしてきた。 北朝鮮が会談再開について、韓国に「南北当局関係が対決の道から抜け出すことができずにいる」と主張したことも障害物になりうるのだ。

私の読書生活(2005年5月18日)

2005-05-19 12:01:53 | 読書
購入図書; 久し振りに神田神保町に立ち寄った。「アリストテレス」の田中美知太郎訳で何か出ていないか探したのだが、新刊書では1冊も見つけることができなかった。古書ならどこかには置いてあるだろうが、立ち寄った店の範囲ではこれも見つけることができなかった。

やむなく次の2冊を購入しただけで帰ってきた。

堀田彰著『アリストテレス-人と思想-』(清水書院、Century Books 6、1968年6月25日発行、ISBN 4-389-41006-7、定価850円)

手塚富男著『ドイツ文学案内』(岩波書店、岩波文庫別冊3、1963年4月30日発行、古書定価200円)

南北次官級会談、日本の報道

2005-05-19 02:00:49 | 国際
韓国と北朝鮮の次官級協議が北朝鮮の古都開城でおこなわれていたが、報道各紙によれば、さしたる成果が得られぬまま、本年6月ソウルでの開催が予定される閣僚級会談に持ち越されることとなった。

ただ、韓国政府代表団が本年6月15日の南北首脳会談5周年行事に合わせて訪朝することでは原則合意したことは驚きである。金大中前大統領の「太陽政策」は韓国ではいまだに金科玉条なのだろうか。核問題が取上げられなくとも肥料支援は続けられるようだ。


産経新聞(共同配信)
南北、19日に協議続開 核問題など平行線
2005年5月18日 10:02

 北朝鮮の開城で開かれていた韓国と北朝鮮の次官級による実務協議は18日朝、前日からの徹夜の調整でも核問題などで合意点を見いだせずに協議を終え、19日にあらためて協議を続けることになった。韓国代表団はいったん陸路で韓国に戻る。

 韓国側によると、韓国政府代表団が6月15日の南北首脳会談5周年行事に合わせ訪朝することでは原則合意。中断している閣僚級会談の6月開催でも意見は近づいたが、韓国側が求めた同会談の具体的日程や核問題を合意文に盛り込むことなどでは合意を導き出せず、仕切り直して話し合いを行うことになった。

 協議最終日の予定だった17日からの徹夜折衝で韓国側は、閣僚級会談日程のほか朝鮮半島の非核化原則や核問題の平和解決、6カ国協議の再開意思などを何らかの形で合意文に盛り込むよう迫ったが、北朝鮮側は消極姿勢を崩さなかった。

 北朝鮮側が1月に求めていた50万トンの肥料支援問題では、韓国側が例年並みの20万トン程度なら可能と表明、それ以上は閣僚級会談で話し合うべきだとしたが、北朝鮮側は20万トンを今月中に支援するよう求めた。

 離散家族の8月再会などでも合意できなかった。韓国首席代表の李鳳朝統一次官は「真摯(しんし)な協議を行ったが最終合意に至らなかった。明日協議を続開し、折衝を締めくくる」と述べた。(共同)


讀賣新聞
南北次官級会談、核巡り合意に至らず…19日に再開へ
2005年5月18日10時50分

 【ソウル=福島恭二】北朝鮮・開城(ケソン)で開催中の南北次官級会談は、当初の日程を延長して18日午前まで北朝鮮の核問題などを巡って調整を続けたが、合意文作成には至らなかった。このため、韓国側代表団はいったん引き揚げ、19日に会談を再開することとなった。

 韓国同行記者団によると、南北双方は最終日とされた17日から徹夜で断続的に実務者協議などを行った。だが、北朝鮮側は合意文に、朝鮮半島の非核化原則の順守など核問題に関する表現を盛り込むことに強く抵抗。閣僚級会談については6月開催で原則合意したものの、具体的日程が決まらなかった。

 このため、韓国側首席代表の李鳳朝(イ・ボンジョ)統一省次官と北朝鮮側首席代表の金万吉(キム・マンギル)祖国平和統一委員会書記局副局長が首席会議を行い、会談を中断することを決めた。


朝日新聞
核巡り難航、19日再協議 南北次官級会談が延長
2005年05月18日14時44分

 北朝鮮・開城(ケソン)で開かれた南北朝鮮の次官級当局者会談は最終日の17日、韓国が朝鮮半島の非核化原則確認や北朝鮮の6者協議復帰を求めたのに対して、北朝鮮は消極姿勢を続け、合意文作りが難航した。徹夜交渉の末、18日朝にいったん協議を終え、19日に改めて話し合うことで一致した。韓国代表団は18日午前、ソウルに戻った。

 韓国同行記者団によると、北朝鮮が6者協議に復帰すれば会談の実質進展を促す「重要な提案」をする用意があると韓国が改めて促した。北朝鮮は「意見を関係部門に伝達する」と述べるにとどめた。

 一方、韓国側によると中断している南北閣僚級会談の6月再開では双方が大筋で一致したが、韓国側はさらに具体的な日程の確定を求めており、19日に再協議する予定。

 1月に50万トンの肥料支援を求めた北朝鮮は、会談で例年並みの20万トンを5月中に支援するよう要請。韓国側は支援自体には前向きな姿勢を示したが、輸送日程でさらに調整が必要としている。


毎日新聞
南北次官級会談: いらだつ韓国 北朝鮮の核棚上げに懸念
2005年5月18日 23時55分

 【ソウル堀山明子】北朝鮮と韓国による南北次官級会談が18日、文書合意に至らず、日程を1日延長することになったことで韓国政府は同日、緊急会議を開き、交渉方針について協議した。北朝鮮が核問題を文書に盛り込むことに抵抗していることから、核問題を棚上げしたままの対話や支援先行は困難とみており、19日の会談では厳しい選択を迫られそうだ。

 韓国側首席代表の李鳳朝(イボンジョ)統一次官は開城で、同行記者団に「朝鮮半島の非核化原則が守られなければ、南北間の対話協力も不可能だという点を明確にした」と述べ、北朝鮮が核問題で何も反応を示さなかったことに、いら立ちを隠さなかった。

 韓国は、合意文に(1)核問題(2)南北閣僚会談の日程確定(3)対北朝鮮肥料支援--の3点をパッケージで盛り込み、核問題での前向きな発言を引き出そうと狙っていた。16日の会談では北朝鮮が6カ国協議に復帰した場合、「重要な提案をする用意がある」と表明。すでに発表した体制保証や重油支援案を補完する可能性まで示唆した。しかし韓国政府関係者によると、北朝鮮側は「今回は核問題に重きを置いた会談ではない」と協議に応じる姿勢すらみせなかった。

 南北関係では南北首脳会談5周年の6月15日に平壌で開かれる記念祝典に韓国政府代表団を派遣することで基本合意。南北閣僚級会談も6月中に再開する方向で調整するなど好材料も得ている。肥料支援では、韓国は例年並みの20万トンについては今月中にも提供すると約束したが、核問題抜きでの支援は「北朝鮮の核開発の歯止めにならない」(韓国政府当局者)との懸念が残る。

「北核実験1年以内」 ブラウン氏産経紙に答える

2005-05-19 00:35:08 | 国際
死の灰が降ると株価大暴落???」で触れた元CIA東アジア部長 アーサー・ブラウン氏へのインタビュー記事が産経新聞に掲載された。この「死の灰が降ると株価大暴落???」も、、産経に掲載された記事を取り上げたものだった。

産経のその記事は、北朝鮮の核実験に関するブラウン氏の見方について、大きな読み誤りがあるように感じられた。ブラウン氏が強調しているのは、北の核実験の放射能漏れが日韓株式市場に対して与える影響などという問題とは感じられなかった。そこでやむなく、私は産経の記事の元になった ワシントンポストの記事を読み直した。そして、ワシントンポストの記事を読むことで、私はようやく納得することができたのだ。

今回の産経のインタビューの内容なら、ブラウン氏の見方のほとんどは、誰にも十分に納得できるものではなかろうか。しかも、大筋において日本にとって常識的な見解といえるだろう。

このインタビューのさわりを紹介するなら、ブラウン氏は、金正日政権は極めて安定した独裁体制が維持されていると考えているようだ。「北朝鮮には国外の亡命反体制組織といったものがほとんどない。一方、イラクには国外亡命組織があった。これがフセイン政権崩壊に大きく貢献をした」として、北朝鮮と旧イラクの違いを指摘している。イラク国外の亡命反体制組織を支えてきたのはCIAだったのだから、ここには自画自賛も見られると思う。

確かに、北朝鮮には国外亡命反体制組織というようなものはないかもしれない。だが、その代りに韓国という対北朝鮮の存在があるではないか。朝鮮戦争が休戦(1953)となってから以降も、南と北はずっと戦争状態を続けてきた。両者の間には激しい憎悪が渦巻いているはずだ。

その韓国も、金大中政権以降、様子が少々変ってきているのだが、ブラウン氏はそのあたりのことをどう見ているのか。

また、北朝鮮が核実験をおこなったとき、ブッシュ政権は果たして北朝鮮に対し武力行使をするか否かという問題についてブラウン氏は、「武力行使はなかろう。その場合、韓国や日本も北朝鮮の反撃に遭遇すると予想されるからだ」と述べている。ブラウン氏は、アメリカ軍の武力行動発動に対する北朝鮮の核弾頭などによる抑止は十分に機能しているという見方のようだ。


産経新聞
北の核実験「1年以内」 元CIA東アジア部長 アーサー・ブラウン氏
2005年5月18日 08:40

≪「死の灰」微量だが日本へも≫

 【ワシントン=近藤豊和】米中央情報局(CIA)で昨年末まで東アジア部長を務めたアーサー・ブラウン氏(現コントロール・リスク・グループ上級副社長)は十六日、産経新聞と会見、北朝鮮の核実験で「死の灰」が飛散したり、東京の株式市場にも影響を及ぼしたりする可能性を指摘した。一問一答は次の通り。

 --北朝鮮は核実験を行うだろうか

 「一年以内には行うと確信する。タイミングは金正日(総書記)が百パーセント握っている。北朝鮮の三十年間の核開発の過程をたどれば、残るのは核実験のみだ。技術的実証や軍事目的でなく、政治目的だけだ。日本や米国に核兵器の保持を誇示、政治的に利用する狙いだ」

 --核実験施設には十分な放射能漏れの予防が施されていないという

 「一九九八年にパキスタンが地下核実験をした際、放射能漏れはないと発表したが、実際にはあった。旧ソ連の核実験の30%は放射能漏れを起こした。米国も六〇年代の核実験で放射能漏れがあった。漏れるという見方は論理的な推定だ。しかし、それは大量の放射能漏れではなかろう。最も深刻なのは心理的問題。日本で健康被害などが出る可能性はないが、実験後に心理的不安が数週間続き、パニックなどが起きることが懸念される」

 --どの程度の放射能漏れと、「死の灰」の飛散が予想されるか

 「どんなタイプの実験か、どんな大きさの核兵器か、どれほどの深さか、実験施設の密閉度がどの程度か、季節や天候、風向きにもよる。黄砂は日本海を越え東京にも到達することでも分かるように、同じような気象状況なら同様の可能性は考えられる。しかし、あくまで微量だろう」

 --米政府は影響について情報を得ているか

 「米政府も、北朝鮮がどれだけ放射能漏れの防止などの措置を取れるか正確な情報は得ていないだろう。だが、核実験の前にさまざまな事態を想定し準備を怠らないことが、パニックを引き起こさないために重要だ」

 --日本や韓国の市場や経済への影響は?

 「核実験が行われれば市場は恐怖に陥り下落するだろう。韓国に重点投資する日本企業への影響もある。韓国の株式市場の40%は外国人投資家で、甚大な影響が懸念される。韓国商工会議所の調査では、北朝鮮の状況が悪化したら、韓国に進出する三分の一の外国企業は投資額や投入する人員を減らすと回答した」

 --金正日体制は?

 「極めて安定した独裁体制が維持されている。メディアではさまざまな不安定要因が伝えられるが、信じていない。国外の亡命反体制組織といったものもほとんどない。イラクには国外亡命組織があり、フセイン政権崩壊に大きく貢献をした」

 --ブッシュ米政権は北朝鮮に武力行使するか

 「武力行使はなかろう。その場合、韓国や日本も北朝鮮の反撃に遭遇すると予想されるからだ」

 --北朝鮮が核を持てば、日本も将来、核を持つとの予測もあるが

 「最近では日本でもそうした議論があるが、日本が実際に核兵器を保持することはなかろう」

 --北朝鮮はミサイルに核弾頭を装着可能か

 「そう考える。国防情報局(DIA)のジャコビー局長が最近、示した同様の見解は重視すべきだ。外交的にはそんな見解を明確にすることを望まない向きもあるが」

【2005/05/18 東京朝刊から】

訳詩鑑賞『ルバイヤート』(5)

2005-05-19 00:18:16 | 文学
Edward Fitzgerald "Rubáiyát of Omar Khayyám"
矢野峰人訳 『四行詩集』から





   第九歌

さはれウマルと共に来て

王者のさだめ忘れ去れ、

ラスタム勇をふるふとも、

ハティムぶとも気なとめそ



       9

But come with old Khayyám, and leave the Lot
Of Kaikobád and Kaikohosrú forgot:
 Let Rustum lay about him as he will,
Or Hátim Tai cry Supper―heed them not.



   第十歌

王者奴隷のけじめ無き、

荒野耕地をへだてつる

かぼそき小野にわれと来ね――

玉座の王をあはれめよ。




       10

With me along some Strip of Herbage strown
That just divides the desert from the sown,
 Where name of Slave and Sultán scarce is known,
And pity Sultán Mahmud on his Throne.