Takahiko Shirai Blog

記録「白井喬彦」

日韓歴史共同研究委員会,

2005-06-10 18:11:57 | Weblog
産経新聞
日韓 歴史認識の違い明確化 共同研究委が最終報告書
併合条約・戦後賠償

2005年6月10日

 日本と韓国の研究者による「日韓歴史共同研究委員会」がまとめた最終報告書の全容が十日、公開された。古代、中近世、近現代の三分野で、さまざまなテーマに基づいた五十本近い論文や資料などが中心だが、近現代分野では各論文への批評文と、さらに批評に対する執筆者のコメントも併載し、双方の認識の違いを明確化している。

 日韓両国の研究者がそれぞれ書いた論文の原本は、すでに今月一日、日韓文化交流基金のホームページ(http://www.jkcf.or.jp)で公表されている。今回は論文の訳文、批評文とコメントに加え、これまでの討論記録などが公開された。この結果、報告書全体では、日本語訳でA4用紙千九百ページを超える分量となった。

 焦点の近現代のなかで、双方が激しく議論を展開しているのが、日韓併合の二つの条約の有効性と植民地支配の問題だ。日本側は、植民地化したことの善悪は別に、国際法上の視点から旧条約は合法であり、欧米列国も認めたという事実を挙げ、さらに植民地政策についても、半島の近代化をもたらした面もあるとした。

 これに対し、韓国側は、植民地化に対する反省なしに条約の有効性を議論すべきでないと指摘。さらに条約自体、強制されたもので無効であり、植民地政策も全否定している。

 また、戦後賠償問題をめぐっては、日本側は日韓基本条約や協定で対日請求権問題は消滅したとしているのに、韓国側は当時、議論されなかった問題があり、日本にはなお賠償義務がある-などとしている。いずれも、韓国政府の従来の主張に沿ったもので、目新しいものはない。

 今回の報告書について、委員会の日本側メンバーの一人、小此木政夫慶大教授は「歴史認識を一致させるより、どこに違いがあるか知るために行ってきた。植民地支配と近代化など、これまで取り上げられなかったテーマを立てて、共同研究が成立したことだけでも意味がある」としている。

 ■日韓歴史共同研究 日本の一部歴史教科書の記述をめぐり日韓関係が悪化したのがきっかけで、2001年10月、ソウルで行われた小泉純一郎首相と金大中韓国大統領(当時)の首脳会談で合意。双方の専門家による「日韓歴史共同研究委員会」が翌年発足し、古代、中近世、近現代史の時代別に分科会を設け、議論を重ねてきた。

 学説や解釈に相違が見られるテーマが多く、最終報告書は当初予定の1年遅れで、今年5月にまとまった。両政府は今後、第2期の共同研究を実施することで合意している。

                   ◇

 日韓歴史共同研究報告書の要旨

 【古代史】

 ▽浜田耕策・九州大教授

 古代日韓関係史の中では、百済との関係史は注目すべき位置にある。四-六世紀倭国(わこく)と高句麗、新羅との関係は対立の関係に問題が集約されてこれまで研究されてきた。

 倭国と百済との関係史は「友好」や「同盟」の関係などと表現されること以上の密接さである。

 ▽金泰植・弘益大教授

 韓国側委員は広開土王碑文、「日本書紀」などを分析して、いわゆる

ブログを始めて30日経った

2005-05-06 15:53:03 | Weblog
ブログを始めてちょうど30日経った。始めたのは4月6日だったから、今日は31日目ということになる。

これまでに、「ブログを始めた」、「ブログを始めて10日経った」、「私のブログも2ヶ月目に入った」と書き綴ってきたので、これらに続くシリーズとして「ブログを始めて30日経った」を書くことにする。


日本のウェブログの歴史

子供の世界のインターネット

2005-05-06 12:31:44 | Weblog
次に掲げる2枚の写真は、いずれも私の孫たちのゴールデンウィーク中の情景だ。

上下の写真は、撮影場所は地球半周ほども離れているけれども、フランスにいるほうの孫が見てるのは、もう一方の孫が淡路島を訪れた翌日のことだ。まあ、即日の情報交換といてもよいであろう。

デジタルカメラで撮った写真をフランスまでインターネットで送信している。だから費用はまったく掛っていない。フランスにいる孫が見ているプリントアウトの左上に、淡路島の滑り台上のもうひとりの孫の写真が見えている。

私の子供の頃は、遠方に住む従兄弟たちとはついつい縁遠くなってしまったものだったが、現在の従兄弟同士は遠く離れていても濃密な付き合い方ができている。

子供たちの世界には、こうしてインターネットがどんどん入っていく。本人たち自身がインターネットをやっているわけではない。けれども、時空を超えて情報が入ってきていることに戸惑いはまったくない。彼らは当り前のこととして知らず知らず受け入れている。

翻ってジャーナリズムの世界に思いを馳せると、この子らが大人になったとき、果たしてどうなっているだろうか。新聞も、テレビも、はたまたインターネットそのものも、現在とは大きく異なった機能が求められているのではないだろうか。これらメディアの各々の姿もまた、大きく変ってしまうのではなかろうか。


私のブログも2ヶ月目に入った

2005-05-01 14:58:48 | Weblog
私がブログを始めてから、今日(5月1日)でようやく2ヶ月目に入った。日数ではまだ25日にしかならないが、さまざまな経験を積むことができたと思っている。これまでにブログにエントリーする上で気付いたことが幾つかある。それらを思い出すまま、前後脈絡なくここに書き留めておくことにしよう。

まず、私自身にとっては、何のためにブログをやるのかということがもっとも重要であるように思える。けれども、ブログを初めて25日経っても、このことはまだはっきりとは掴めないでいる。

ブログは確かに極めて便利な仕組みではある。自分の頭脳の中もすっきりとしてくる。未知の人々との有益なコミュニケーションも増えてきたように思われる。けれども、まだブログ本来の機能を使いこなしていないと自分自身感じられ、何のためにブログをやるのか、ということについてすっきりと表現できる心境にはなれないでいる。

ブログを始めた当日(2005年4月6日)、私は「ブログを始めた」というエントリーを書いた。その中にも書いた通り、私はブログを「自分のペースメーカーとして役立てることにしたい」と考えていた。決してコミュニケーションを活性化するためだけにブログを始めたわけではなかった。

その後、私は4月15日に「ブログを始めて10日経った」というエントリーを書いた。そこに「日記」というものがIT技術によってどのように進化してきたかについて私なりの考え方を書いた。その箇所をここに再び掲載しておこう。

ブログを始めて10日経った からの抜粋
パソコンの出現以降、日記はワープロソフトで書くものと考えられていた時期が長かった。その頃の日記は、一ヵ月分を一つの文書ファイルに纏めて保存していたものだった。その頃はまだハイパーリンク機能などなかったし、たとえあったとしても、自分のパソコンの中のディレクトリー構造が整備されていなかったから、ハイパーリンク機能などを使いこなせるものではなかった。だから、文書ファイル形態のその頃の日記は、機能的に見て「紙の日記帳」とほとんど変わりなかったといえよう。

その後、電子メールが普及してくると、日記は電子メールの形態にしておくのがもっとも便利だということがわかってきた。その日の日記を一つのメールに書き上げ、自分自身に宛てて送信しておく。受信した自分自身のメール(日記)は、一つのフォルダに集めて保存しておくのだ。日付は本文の中に書き込むが、それとは別に送受信時刻を表わすタイムスタンプが自動的に打たれる。

日記をHTMLメール形式で書くと、写真やイラストを入れることも自由自在だ。写真やイラストばかりか、音声ファイルなどのさまざまな種類のファイルをメールに添付させることもできる。しかも、HTML形式のメールではこれらのデジタルデータはメール本体の中に取り込まれ、これらさまざまな種類のデジタルデータの保存庫の代用にもなる。また、検索についても、多様な検索項目についてきめ細かく検索することができ、しかも至って容易なのである。

しかしながら、メールの形態にした日記にも弱点がないわけではない。電子メールにはメールから他のメールへというメール相互間ハイパーリンクがやれないという大きな欠陥がある。昨日の日記の記述のリンクを今日の日記中に貼っておきたいと思っても、そういうことはできない。個々のメールを指定する位置情報が存在しない。これがメール形態の日記の最大の欠点ということになるだろう。

ブログの機能はウェブの機能そのものである。だから、あるエントリーから別のエントリーへという相互間ハイパーリンクが自由自在にやれる。従って、昨日のエントリーの記載のリンクを今日のエントリー中に貼っておくことができる。その反対に、今日のエントリーの記載のリンクを、遡及して過去のエントリーの中に貼り込むことさえできる。こうして、人間の思考経路に従い時間軸上を自由自在に行き来して、思考や行動におけるフィードバックやフィードフォワードが自在にできるわけである。

つまり、ブログという形態の日記に到達して初めて、これを「ハイパーダイアリー」と呼ぶことができるようになったのではあるまいか。ブログには確かに他者とのコミュニケーションを惹起してくれる機能も備わっている。けれども、自分自身の思考と行動を時間軸上で動的に結びつけてくれる「ハイパーダイアリー」の機能のほうに私はより大きな魅力を感じる。だから、コミュニケーションを活発化させるためだけに自分のブログスタイルを変えるわけにはいかないと思っているわけである。

ここでは、紙に書かれた日記 → ワープロ(ワープロソフト)で書かれた日記 → 電子メールに書かれた日記 → ブログ(ハイパーダイアリー) という私自身の日記における歴史的変遷遷があることを紹介している。これはIT技術の進歩により、古来からの日記というものの上に突然もたらされた変化であった。

私はハイパーリンク(Hyper Link)という機能を、これまでの日記に新たにもたらされた諸技術の中でもっとも重要なものと位置付けている。将来ハイパーリンクを超えるもっと重要な技術が生まれてこないとは限らない。けれども、いまのところはハイパーリンクがブログにおけるもっとも重要な技術であろう。ブログではすべてのエントリーに自動的にトラックバックURLが付けられるので、相互関係を縦横に組み立てていくことが可能となる。

トラックバックという仕組みは他者のブログとの関連を付けるためのものらしいが、私は自分自身の過去のエントリーとの関連を付ける上で役立てている。そもそも日記とは過去の自分と現在の自分との間のコミュニケーションなのだから、トラックバックという機能についてもそういう役立て方が自然なのだろうと思う。他人とのトラックバック・コミュニケーションは過去の自分を超えたところにあるのだ。

しかしながら、今回改めて「ブログの歴史」を読んでみると、ブログは電子掲示板(BBS)から発展してきたものらしい。ブログが日記から発展してきたものではないことは、私も当然そうだろうなと思っていた。だが、電子掲示板(BBS)からどうして個人が運営するブログに向うことになったのか。ブログを個人の日記とする考え方にはどこか無理があるのか、そのあたりのことについては私もこれからもっと深く究明していきたい。

それにしても、人はなぜ日記など書くようになったのだろう。そして、せっかく書くのに、その日記を他人に読ませたがらないのはなぜだろう。書いているときは他人には読ませたがらないが、いずれは他人にも読ませたいから書いているのではないか。

そこでブログのことになるが、ブログだとなぜ他人に読ませたがるのだろうか? ブログ発祥の経緯が電子掲示板(BBS)に由来しているからだろうか?

ブログを始めて10日経った

2005-04-15 18:06:41 | Weblog
ブログを始めて、今日(2005年4月15日)で10日目となった。初日(2005年4月6日)に書いた「ブログを始めた」に、「ブログは、電子メールやウェブサイトなどとはちょっと異なる、特別な雰囲気があるように思われる。原理的にはウェブサイトとほとんど変わりなくても、全体的な構成の違いが効いているのではないだろうか」と書いた。この10日の間に、ブログの雰囲気がどんなものか、私にもかなり明確に掴めてきたし、ウェブサイトと原理的に変わりなくとも、そこにはかなり大きな違いがあることもわかってきた。

もっとも、現在のところ第三者のコメントがちっとも入ってこないので、ブログがどんなコミュニケーションを引き起こしてくれるか、まだわからない。ブログ特有の機能であるトラックバックについては幾つかあったが、これもまだ未知数である。

他の方々がやっているブログをいろいろ調べてみると、くだけた調子で書かれたブログには書き込みが多いように見受けられる。そもそもウェブというものは、「熟読する」というよりは「拾い読みする(browse)」ものだから、私が書いている熟読しなければならないブログには、気軽にコメントを書き込む気持にはあまりならないのであろう。

しかしながら、コメントをもっと呼び込んでくるよう、自分のブログのスタイルを変えるのはまだ時期尚早と思っている。ブログは自分自身の日々の思考と活動の記録であり、いわば日記なのである。だから、コミュニケーションを活発化させるためだけに、自分のブログスタイルを変えるわけにはいかない。

パソコンの出現以降、日記はワープロソフトで書くものと考えられていた時期が長かった。その頃の日記は、一ヵ月分を一つの文書ファイルに纏めて保存していたものだった。その頃はまだハイパーリンク機能などなかったし、たとえあったとしても、自分のパソコンの中のディレクトリー構造が整備されていなかったから、ハイパーリンク機能などを使いこなせるものではなかった。だから、文書ファイル形態のその頃の日記は、機能的に見て「紙の日記帳」とほとんど変わりなかったといえよう。

その後、電子メールが普及してくると、日記は電子メールの形態にしておくのがもっとも便利だということがわかってきた。その日の日記を一つのメールに書き上げ、自分自身に宛てて送信しておく。受信した自分自身のメール(日記)は、一つのフォルダに集めて保存しておくのだ。日付は本文の中に書き込むが、それとは別に送受信時刻を表わすタイムスタンプが自動的に打たれる。

日記をHTMLメール形式で書くと、写真やイラストを入れることも自由自在だ。写真やイラストばかりか、音声ファイルなどのさまざまな種類のファイルをメールに添付させることもできる。しかも、HTML形式のメールではこれらのデジタルデータはメール本体の中に取り込まれ、これらさまざまな種類のデジタルデータの保存庫の代用にもなる。また、検索についても、多様な検索項目についてきめ細かく検索することができ、しかも至って容易なのである。

しかしながら、メールの形態にした日記にも弱点がないわけではない。電子メールにはメールから他のメールへというメール相互間ハイパーリンクがやれないという大きな欠陥がある。昨日の日記の記述のリンクを今日の日記中に貼っておきたいと思っても、そういうことはできない。個々のメールを指定する位置情報が存在しない。これがメール形態の日記の最大の欠点ということになるだろう。

ブログの機能はウェブの機能そのものである。だから、あるエントリーから別のエントリーへという相互間ハイパーリンクが自由自在にやれる。従って、昨日のエントリーの記載のリンクを今日のエントリー中に貼っておくことができる。その反対に、今日のエントリーの記載のリンクを、遡及して過去のエントリーの中に貼り込むことさえできる。こうして、人間の思考経路に従い時間軸上を自由自在に行き来して、思考や行動におけるフィードバックやフィードフォワードが自在にできるわけである。

つまり、ブログという形態の日記に到達して初めて、これを「ハイパーダイアリー」と呼ぶことができるようになったのではあるまいか。ブログには確かに他者とのコミュニケーションを惹起してくれる機能も備わっている。けれども、自分自身の思考と行動を時間軸上で動的に結びつけてくれる「ハイパーダイアリー」の機能のほうに私はより大きな魅力を感じる。だから、コミュニケーションを活発化させるためだけに自分のブログスタイルを変えるわけにはいかないと思っているわけである。

ブログを始めた

2005-04-06 23:45:28 | Weblog
今日(2005年4月6日)からブログを始めた。タイトルを"Takahiko Shirai Blog"とし、特定のテーマには限定せずに、日々考えたり経験したりしたことを自由に書き込んでいくことにしたいと思っている。せいぜい活発に活用して自分のペースメーカーとして役立てることにしたい。

とりあえず、2~3日前からしきりに考えていた昨今の国際問題について、「中国の反日運動」と「盧武鉉大統領の記念演説」というふたつの評論めいた文章にしてアップロードしてみたが、自分の書いた文章をブログの画面で見ると何か新鮮な感じがしてくる。不思議なものだ。

ブログは、電子メールやウェブサイトなどとはちょっと異なる、特別な雰囲気があるように思われる。原理的にはウェブサイトとほとんど変わりなくても、全体的な構成の違いが効いているのではないだろうか。

試しにHTML構文を使って文章中に表(Table)を入れてみた。しかしながら、表枠の縦横寸法は機能するようであったけれども、罫線は縦横とも現れなかった。使えるHTML構文にはまだ多くの制限があるのかもしれない。

goo のエディタについては、もう少し多くの種類の機能が自由に使えるようにして欲しい。これだけの機能では、科学に関する文章を書くのは難しいのではなかろうか。例えば、H2O とは書けるのだろうか。あるいは、y = ax2 + bx + c とは書けるのだろうか。

あ、両方とも書けるんだ。このぶんだと工夫すればいろいろなことができるかもしれない。