Takahiko Shirai Blog

記録「白井喬彦」

A級戦犯分祀できない 靖国神社回答

2005-06-06 11:41:52 | 国内
東京新聞
靖国神社 A級戦犯分祀を拒否
2005年6月5日

 A級戦犯合祀(ごうし)を理由に中国や韓国が小泉純一郎首相の靖国神社参拝に反発している問題に関連し、宗教法人・靖国神社(東京・九段)は、与党の一部から実現を求める声が出ているA級戦犯分祀(ぶんし)について「あり得ない」と表明した。共同通信の質問書に対する文書回答で、従来の立場を公式見解として示したもので、分祀による問題解決は当面困難となった。

 回答は分祀拒否の理由として、日本の戦争責任を裁いた極東国際軍事裁判(東京裁判)に「国際法の視点から根強い異論が残っている」ことや、日本人は戦犯と認識していない点を指摘。全体として、戦争遂行の責任を問われたA級戦犯を擁護する神社の歴史認識を示している。首相がA級戦犯の罪を認める立場を表明しておきながら、参拝を続ける問題性をあらためて浮き彫りにした。

 分祀をあり得ないとする根拠について回答は、一九五三年に「戦犯はいないという全会一致の国会決議がなされている」と説明し、「日本人の信仰に基づく問題。中国や韓国の反発はともかく、日本人の反発はいかがなものか」としている。

 東京裁判後、日本では五三年の遺族援護法の改正、五四-五五年にかけての恩給法の改正によって「戦争犯罪による死亡者も一般の戦没者と同様の扱いを受けるようになった」ことも指摘。

 A級戦犯として一時は被告席に立った岸信介氏が、首相になったことなどからも「日本国民にとっては戦犯などという認識は全くなかったものと言える」との認識を示した。

 靖国神社の地位をめぐって回答は、六〇年代から七〇年代にかけて自民党が提出した靖国神社国家護持法案に基づく国営は「望まない」とした上で「国のために命を捧(ささ)げた御祭神(ごさいしん)を国の手で護持すべきは当然のこと」と、一宗教法人を超えた特別な地位を求めていることを示唆した。

 自民党の中川秀直国対委員長は五月二十九日、靖国神社と遺族の協議によるA級戦犯分祀を期待する考えを示していた。靖国神社の大山晋吾広報課長は、分祀問題に関する政府や自民党からの接触について「問い合わせはあったが、分祀要請はない」としている。

「プロジェクトX」で過剰演出、NHK謝罪

2005-05-30 20:29:15 | 国内
NHKの人気番組「プロジェクトX」は、ほとんど欠かさず見ている。5月10日放送の「ファイト! 町工場に捧げる日本一の歌」も見た。だが、「もはや、マンネリなんだな」というのが、率直な感想であった。

これは淀川工業高校のコーラスを扱った内容だったが、高校教育を扱ったものとしては、伏見工業高校のラグビーを扱った 「ツッパリ生徒と泣き虫先生」のほうがずっとよかったと思う。

淀川工業高校のほうは伏見工業高校のケースの筋書の二番煎じで、コーラスを指導する教師の描き方に、筋を展開していく上での欠陥があると感じられた。なぜコーラスを選んだのかという点で、その教師の育ちなどといった背景との繋がりが薄かった。そういうことが絡んで、最後までリアリティーが感じられなかった。

合唱コンクールなどの場合、彗星のごとく突然現われ、好成績を残すということはしばしばあり得ることではなかろうか。それでは、そういうものの一例を、なぜ「プロジェクトX」で取り上げるのかといえば、その背後に他にはあり得ない強烈なドラマ性があるからだろう。その点で、「ファイト! 町工場に捧げる日本一の歌」はドラマ性が希薄過ぎた。おそらく、NHKのディレクターもそう感じたのだろう。それでフィクション紛いのことをしたのではなかろうか。(下に掲げた新聞記事参照)

伏見工業高校のラグビーの場合、指導者の山口良治が、かつて名ラガーとして活躍し、日本代表でもあった名選手だったということが大きかった。ともかく、山口良治といえば、プロジェクトXに取り上げられなくても話題騒然といった大人物である。つまり、あのとき、プロジェクトXが描いていたものは、山口良治という人物の人生そのものだったのだ。

NHKの「プロジェクトX」に涙していては、日本は21世紀を生き抜いていくことはできないだろう。誤解のないようにいうなら、私たち70歳に手が届こうという年齢層には、「プロジェクトX」を見てある種の感慨に酔い痴れ、思う存分涙することが許されるだろうと思う。なぜなら、これらはすべて自分たち自身がやってきたことだからだ。NHKとして問題にしなければならないのは、プロジェクトXの時代を知らない若い人々が、「プロジェクトX」を見てどう感じているかということだ。

今年3月8日放送されたこの「ツッパリ生徒と泣き虫先生」以降放送された番組は、日立金属の「たたら製鉄」、東京都道路局の「首都高速道路」、重機工業の「工業ミシン」、理想工業の「リソグラフ印刷機」、五洋建設の「スエズ運河拡張」、大成建設の「ホテルニューオオタニ」、沖縄の「公衆衛生看護婦」だが、いずれも、背後にあるドラマ性が不十分と感じられた。もちろん、ドラマ性の描き方が足りないというのではなく、それぞれの実話段階において既にドラマ性が欠けているのだ。

実話そのものに実際にドラマ性が欠けているのかもしれない。あるいは、取材における掘り下げ方が足りず、実話の中に潜んでいる予想外のドラマ性を見出していないのかもしれない。いずれにせよ、もはやNHKの「プロジェクトX」は種切れとなっているのではなかろうか。制作スタッフにも疲労感が漂っているのが伝わってくる。


日刊スポーツ
NHK「プロジェクトX」で過剰演出
2005年5月24日 07:50

 5月10日に放送されたNHKの「プロジェクトX 挑戦者たち」で、事実とは異なる内容が放送されていたことが23日、分かった。番組は、大阪府立淀川工業高校(大阪市旭区)の合唱部が全国で金賞を取るまでを描いたが、高校側は毎年80人の退学者を出す荒れに荒れた学校などの表現が事実と違うとして、訂正と謝罪を求めている。NHKはプロジェクトXのホームページから、この放送を削除した。

 問題となっているのは、「大阪府守口市、電気部品の下請けの小さな鉄工所が並ぶ」「この街から日本一の歌声が生まれた」というナレーションとともに始まった10日放送の「ファイト! 町工場に捧(ささ)げる日本一の歌」。多数の退学者が出るなど荒れていた淀川工に1979年、赴任した新米教師が「歌で生徒を変えたい」と1人で合唱部を作り、苦労の末、87年に全国コンクールで金賞を受賞するまでの日々を追う感動物語だった。

 番組では「当時の同校は荒れに荒れていた」「毎年80人の退学者が出た」、初めて挑んだ合唱コンクールでは「舞台で暴れられたら困る」と会場にパトカーがやってきたなどと紹介。「荒れた学校」を強調した。放送後、同校には複数のOBから「当時、そこまで荒れた学校ではなく、すでに落ち着いていた」とする苦情があったという。

 同校の長谷川耕三校長(58)はこの日、同校で記者会見し「卒業生らに迷惑をかけ、心苦しく申し訳ない気持ちでいっぱい」と話し、放送内容には事実誤認があるとして、謝罪や再放送の取りやめなどをNHKに申し入れていることを明らかにした。79年当時の退学者は71人だったという。

 長谷川校長は「パトカーの件は、取材を受けた合唱部の顧問が当時、連盟の関係者の誰かが冗談で『淀工が来るならパトカーを』という話をしただけ」と説明。合唱部は新人教師が1人でつくったものではなく、「生徒に活力を与えるため」学校全体で取り組んだものだとしている。

 また、顧問教諭が放送前に編集映像を見ると、暴走族の映像が入っており、淀川工の生徒であるかのような印象を受けたため「事実と違う」とディレクターに話したが「一般的な映像として入れており、もう編集は間に合わない」と言われたという。

 「プロジェクトX」は17日に日本PTA全国協議会が発表した「子どもに見せたい番組」で1位となったNHKの看板番組。かつて荒れる学校を部活動を通じ立ち直らせるという同じテーマで京都・伏見工業高校ラグビー部を取り上げ、話題を呼んだ。


毎日新聞
プロジェクトX: 「事実確認不十分だった」とNHK謝罪
2005年5月28日19時48分


 NHKは28日の番組「土曜スタジオパーク」の中で、今月10日放送の「プロジェクトX」について「取材の事実確認が不十分な点があり、制作者側の思い込みが強すぎた面もあった」と述べ、改めて謝罪した。

 問題の番組は、大阪府立淀川工業高校合唱部の活動を扱ったが、放送後に学校関係者から「事実と異なる点がある」と抗議が寄せられた。

 経済社会情報番組部の黒木隆男部長は、イメージ映像に暴走族の資料映像を使った▽退学者が年間80人だったとした▽「合唱コンクールに警察官が来た」とした▽「求人はなかった」とした――点について誤りや不適切だったことを認めた。【丸山進】


日刊スポーツ
NHK番組内で「プロジェクトX」謝罪
2005年05月29日

 NHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX」が事実と異なる放送をしたと大阪府立淀川工業高校(大阪市旭区)が指摘していた問題で、NHKは28日放送の総合テレビ「土曜スタジオパーク あなたの声に答えます」の中で、問題の経緯を説明し謝罪した。

 「プロジェクトX」を担当した番組制作局の部長が生出演。退学者数に関し裏付けのない数字を使うなど、事実確認が不十分だったり、誤解を招く表現があったことなどを認めた。その上で「関係者の皆さまには、ご迷惑をお掛けして申し訳ない。問題を重く受け止め、視聴者の期待に応える番組づくりに取り組んでいきます」と述べた。

 NHKは淀川工業高校に対しても、文書で謝罪している。

福知山線脱線事故、非常ブレーキに焦点

2005-05-25 06:51:02 | 国内
JR西日本福知山線の列車脱線事故の事故原因は、速度時速70キロに制限されている急カーブの箇所に、時速100キロを大幅に超す高速で走行していったことと考えられている。だが、この列車がこのような高速で走行していた背後には、非常ブレーキの問題が絡んでいるのではないかと、私は当初から考えてきた。

国土交通省 航空・鉄道事故調査委員会でも、非常ブレーキについて同じような推論をしているのかもしれない。5月24日には非常ブレーキに関して次のような報道があった。

この記事によれば、高見隆二郎運転士は伊丹駅で60メートルのオーバーランをしたとき、主導で非常ブレーキを作動させたが、その前に始発駅である宝塚駅までの回送段階で、非常ブレーキが自動作動した記録が2度もあるらしい。NHKのテレビ報道では、これは赤信号に対して高見運転士が認識ボタンを押さなかったためと説明されていた。


JR西日本福知山線
(伊丹尼-崎区間)



産経新聞(共同阪神)
非常ブレーキ4回作動 宝塚駅から事故現場まで
2005年5月24日 18:27

 兵庫県尼崎市のJR福知山線で脱線事故を起こした快速電車(7両編成)は、始発の宝塚駅から事故現場までに計4回、非常ブレーキが作動していたことが24日、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会の調べで分かった。

 調べによると、まず宝塚駅に回送車両で入線した際、高見隆二郎運転士(23)=死亡=が立て続けに2度、赤信号の警告を無視するなどして駅構内の列車自動停止装置(ATS)が作動し、自動的に非常ブレーキがかかった。

 その後、停止位置をオーバーランした伊丹駅と、事故現場となったカーブ付近で、非常ブレーキを手動でかけたことがそれぞれATS装置などから判明したという。(共同)


毎日新聞
尼崎脱線事故: 非常ブレーキ4回も 事故調の解析で判明
2005年5月24日 20時43分

 兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故で、事故を起こした快速列車は、計4回も非常ブレーキが作動していたことが24日、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会の調べで分かった。1回の運行では異常な回数で、高見隆二郎運転士(23)=死亡=が、オーバーランなど運行ミスが重なった焦りから、高速で「回復運転」をした結果、事故につながったとみられる。25日で事故から1カ月。事故調は他の運転士らから事情を聴くなどして、当時の運転状況や心理状態の解明を進めている。

 非常ブレーキは、始発の宝塚駅で2回、途中の伊丹駅で1回、さらに事故現場付近で1回作動していた。運行状況を記録したモニター制御装置やATS(自動列車停止装置)記録装置のデータを解析して判明した。

 事故調によると、同列車は4月25日朝、始発の宝塚駅の折り返しホームに入線。この際、ホーム周辺で連続して非常ブレーキがかかっていた。駅構内の信号が「赤」だったのに、ATSの地上子(ちじょうし)(発信機)上をブレーキをかけずに走行し、ホームをオーバーランしかけるなどしたため、自動的に非常ブレーキがかかったとみられる。

 同列車は宝塚駅を定時の午前9時3分に発車。しかし、伊丹駅で再びオーバーランし、非常ブレーキが作動。同駅発車が1~2分遅れ、さらに猪名寺、塚口駅を通過する直線区間を経て、現場のR300(半径300メートル)のカーブにさしかかる前後にも作動していた。

 会見した事故調の山口浩一委員は「宝塚を定時で出発しているが、ATSの非常ブレーキで止まるのは運転士にとって不名誉なことで、運転指令所にも連絡していなかった。それが負い目になり、遅れが加算されて通常の運転ではなかった可能性がある」と分析している。【武田良敬】

朝日「記事捏造問題」はどうなったのか?

2005-05-16 20:40:53 | 国内
先日、朝日新聞の若い配達員が、「そろそろ朝日新聞、またとってくれませんか」と声を掛けてきた。

そういえば、今回の朝日による記事捏造問題では、朝日側がとった態度の悪さに驚き、すっかり印象を悪くした。こういう恥知らずのやり方をする新聞は到底購読を続けるわけにはいかないと思い、1月下旬以降、月極め購読をやめていたのだった。

NHKが制作途中の番組を改編したかどうかは別の問題だ。NHKは強烈な権力志向を発散していたあの海老沢勝二が会長をしていた公共放送なのだから、あるいは、政権与党に尾を振るような番組改編などのことがあったかもしれない。だが、そのことはまた別の問題である。

その後、安倍晋三氏と中川昭氏には、NHKに対して圧力を掛けた事実がないことが明らかにされた。もっとも、両氏の言葉だけでは潔白が照明されたとはいえないかもしれない。だが、一般国民が受けた心証では安倍氏も中川氏もともにほぼ潔白と感じられた。

従って、問題の記事は誤報であったか、あるいは捏造であったわけである。そればかりか、記事を書いた本田雅和記者(朝日新聞社会部副部長)は、かなり思い込みの多い、杜撰な取材をしていたことも明るみに出てきた。加えて、記者会見をしたNHKの元局長に対し、本田記者が「話し合いをしたい」と密かに申し入れてきた事実も明るみに出た。こんな不可解な行動が明らかにされたのでは、朝日にはもう勝ち目はないだろうと思われた。

安倍、中川両氏は、朝日に記事の訂正と謝罪を要求した。もし朝日が両氏に反論するなら、第三者にも納得できるしっかりした証拠の提示が必要である。朝日はそれを拒否し、取材源の守秘を理由として「だんまり」を決め込んでいる。朝日のそういうやり方は、暴力団員が仲間をかばうために黙秘するのと何ら変るところがない。

私の家系は、祖父以来3代続けて朝日の愛読者であった。また、私は過去半世紀以上朝日の愛読者であったことを誇りとしてきた。昭和初期に朝日で花形記者として活躍した縁戚の者もいた。そういう立派な先達が私の縁戚にもいたことを、私は密かな誇りとしてきた。だが、このところ、朝日の偏向記事には正直いって辟易していた。朝日はもはやイデオロギーを唱えるだけの新聞になり果てたのか。

朝日はそのイデオロギーから、安倍、中川両氏の政治的抹殺を狙ったのか。そのために、わざと際どい記事を流すという、「暴力団の拳銃」紛いの禁じ手、「捏造記事」という紙の弾丸を発射したのか。この冒頭で私が「朝日は態度が悪い」といったのは、つまりは、こういうことであったのだ。

今回、「asahi.com」で改めて問題の記事を調べてみたら、2005年1月12日当時の記事に改変されている箇所が見つかった。

まず見出しが、「NHK番組に中川昭・安倍氏「内容偏り」 幹部呼び指摘」から「中川昭・安倍氏「内容偏り」指摘 NHK「慰安婦」番組改変」と変っていた。「(NHKの)幹部呼び」は取り消したらしい。

また、NHK番組制作局長(当時)の発言から、「番組が短くなったらミニ番組で埋めるように」という箇所が削除されていた。これは本田雅和記者の取材が杜撰であったことを認めたことか。

末尾の「憲法21条」と「放送法3条」の引用も消えていた。泥仕合の中で、「言論の自由」など、いまやどうでもいいのか。


朝日新聞(asahi.com) 2005年1月12日当時の記事の姿
NHK番組に中川昭・安倍氏「内容偏り」 幹部呼び指摘
2005年1月12日 08:52

 01年1月、旧日本軍慰安婦制度の責任者を裁く民衆法廷を扱ったNHKの特集番組で、中川昭一・現経産相、安倍晋三・現自民党幹事長代理が放送前日にNHK幹部を呼んで「偏った内容だ」などと指摘していたことが分かった。NHKはその後、番組内容を変えて放送していた。番組制作にあたった現場責任者が昨年末、NHKの内部告発窓口である「コンプライアンス(法令順守)推進委員会」に「政治介入を許した」と訴え、調査を求めている。

 今回の事態は、番組編集についての外部からの干渉を排した放送法上、問題となる可能性がある。

 この番組は「戦争をどう裁くか」4回シリーズの第2回として、01年1月30日夜に教育テレビで放送された「問われる戦時性暴力」。00年12月に東京で市民団体が開いた「女性国際戦犯法廷」を素材に企画された。

 ところが01年1月半ば以降、番組内容の一部を知った右翼団体などがNHKに放送中止を求め始めた。番組関係者によると、局内では「より客観的な内容にする作業」が進められた。放送2日前の1月28日夜には44分の番組が完成、教養番組部長が承認したという。

 翌29日午後、当時の松尾武・放送総局長(現NHK出版社長)、国会対策担当の野島直樹・担当局長(現理事)らNHK幹部が、中川、安倍両氏に呼ばれ、議員会館などでそれぞれ面会した。

 中川氏は当時、慰安婦問題などの教科書記述を調べる研究会「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」代表、官房副長官でもあった安倍氏は同会元事務局長だった。

 関係者によると、番組内容の一部を事前に知った両議員は「一方的な放送はするな」「公平で客観的な番組にするように」と求め、中川氏はやりとりの中で「それができないならやめてしまえ」などと放送中止を求める発言もしたという。NHK幹部の一人は「教養番組で事前に呼び出されたのは初めて。圧力と感じた」と話す。

 同日夕、NHKの番組制作局長(当時)が「(国会でNHK予算が審議される)この時期に政治とは闘えない。番組が短くなったらミニ番組で埋めるように」などと伝えて番組内容の変更を指示したと関係者は証言。松尾、野島両氏も参加して「異例の局長試写」が行われた。

 試写後、松尾氏らは(1)民衆法廷に批判的立場の専門家のインタビュー部分を増やす(2)「日本兵による強姦や慰安婦制度は『人道に対する罪』にあたり、天皇に責任がある」とした民衆法廷の結論部分などを大幅にカットすることを求めた。さらに放送当日夕には中国人元慰安婦の証言などのカットを指示。番組は40分の短縮版が放送された。

 このいきさつを巡り、NHKで内部告発をしたのは、当時、同番組の担当デスクだった番組制作局のチーフ・プロデューサー。番組改変指示は、中川、安倍両議員の意向を受けたものだったと当時の上司から聞き、「放送内容への政治介入だ」と訴えている。

 一方、中川氏は朝日新聞社の取材に対し、NHK幹部と面談したことを認めた上で「疑似裁判をやるのは勝手だが、それを公共放送がやるのは放送法上公正ではなく、当然のことを言った」と説明。「やめてしまえ」という言葉も「NHK側があれこれ直すと説明し、それでもやるというから『だめだ』と言った。まあそういう(放送中止の)意味だ」と語った。

 安倍氏は「偏った報道と知り、NHKから話を聞いた。中立的な立場で報道されねばならず、反対側の意見も紹介しなければならないし、時間的配分も中立性が必要だと言った。国会議員として言うべき意見を言った。政治的圧力をかけたこととは違う」としている。

 番組内容を事前に知った経緯について両議員は「仲間から伝わってきた」などとし、具体的には明らかにしていない。

 NHK広報局は「(内部告発に関しては)守秘義務がありコメントできない。番組は、NHKの編集責任者が自主的な判断に基づいて編集したものだ」としている。

 〈憲法21条〉 (1)集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。(2)検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

 〈放送法3条〉 放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、または規律されることがない。



朝日新聞(asahik.com) 2005年5月17日現在の記事の姿

中川昭・安倍氏「内容偏り」指摘 NHK「慰安婦」番組改変
2005年01月12日

 01年1月、旧日本軍慰安婦制度の責任者を裁く民衆法廷を扱ったNHKの特集番組で、中川昭一・現経産相、安倍晋三・現自民党幹事長代理が放送前日にNHK幹部を呼んで「偏った内容だ」などと指摘していたことが分かった。NHKはその後、番組内容を変えて放送していた。番組制作にあたった現場責任者が昨年末、NHKの内部告発窓口である「コンプライアンス(法令順守)推進委員会」に「政治介入を許した」と訴え、調査を求めている。

 今回の事態は、番組編集についての外部からの干渉を排した放送法上、問題となる可能性がある。

 番組は「戦争をどう裁くか」4回シリーズの第2回として、01年1月30日夜に教育テレビで放送された「問われる戦時性暴力」。00年12月に東京で市民団体が開いた「女性国際戦犯法廷」を素材に企画された。

 ところが01年1月半ば以降、番組内容の一部を知った右翼団体などがNHKに放送中止を求め始めた。番組関係者によると、局内では「より客観的な内容にする作業」が進められた。放送2日前の1月28日夜には44分の番組が完成、教養番組部長が承認したという。

 翌29日午後、当時の松尾武・放送総局長(現NHK出版社長)、国会対策担当の野島直樹・担当局長(現理事)らNHK幹部が、中川、安倍両氏に呼ばれ、議員会館などでそれぞれ面会した。

 中川氏は当時、慰安婦問題などの教科書記述を調べる研究会「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」代表、官房副長官でもあった安倍氏は同会元事務局長だった。

 関係者によると、番組内容の一部を事前に知った両議員は「一方的な放送はするな」「公平で客観的な番組にするように」と求め、中川氏はやりとりの中で「それができないならやめてしまえ」などと放送中止を求める発言もしたという。NHK幹部の一人は「教養番組で事前に呼び出されたのは初めて。圧力と感じた」と話す。

 同日夕、NHKの番組制作局長(当時)が「(国会でNHK予算が審議される)この時期に政治とは闘えない」などと伝えて番組内容の変更を指示したと関係者は証言。松尾、野島両氏も参加して「異例の局長試写」が行われた。

 試写後、松尾氏らは(1)民衆法廷に批判的立場の専門家のインタビュー部分を増やす(2)「日本兵による強姦(ごうかん)や慰安婦制度は『人道に対する罪』にあたり、天皇に責任がある」とした民衆法廷の結論部分などを大幅にカットすることを求めた。さらに放送当日夕には中国人元慰安婦の証言などのカットを指示。番組は40分の短縮版が放送された。

 NHKで内部告発をしたのは、当時、同番組の担当デスクだった番組制作局のチーフ・プロデューサー。番組改変指示は、中川、安倍両議員の意向を受けたものだったと当時の上司から聞き、「放送内容への政治介入だ」と訴えている。

 一方、中川氏は朝日新聞社の取材に対し、NHK幹部と面談したことを認めた上で「疑似裁判をやるのは勝手だが、それを公共放送がやるのは放送法上公正ではなく、当然のことを言った」と説明。「やめてしまえ」という言葉も「NHK側があれこれ直すと説明し、それでもやるというから『だめだ』と言った。まあそういう(放送中止の)意味だ」と語った。

 安倍氏は「偏った報道と知り、NHKから話を聞いた。中立的な立場で報道されねばならず、反対側の意見も紹介しなければならないし、時間的配分も中立性が必要だと言った。国会議員として言うべき意見を言った。政治的圧力をかけたこととは違う」としている。

 番組内容を事前に知った経緯について両議員は「仲間から伝わってきた」などとし、具体的には明らかにしていない。

 NHK広報局は「(内部告発に関しては)守秘義務がありコメントできない。番組は、NHKの編集責任者が自主的な判断に基づいて編集したものだ」としている。

国土交通省 「JR西日本脱線事故」発表資料

2005-05-16 16:36:53 | 国内
JR西日本福知山線脱線事故に関する国土交通省のマスコミ対策は、矢継ぎ早やに打ち出す諸政策をも含めて水際立った水準といえるものだった。インターネット公開状況を見ても、なかなかしっかりしている。マスコミばかりを相手にしているのではなく、国民に対して報告しているという姿勢が感じられる。

このような国土交通省の熱い姿勢と比較すると、JR西日本の姿勢はお粗末の限りだ。JR西日本の幹部が記者たちに怒号で糾され、しどろもどろで謝罪している姿がテレビで放映されたが、そういうのを見るともはや怒りを通り越して痛々しささえ感じられた。

だが、テレビ映像の中の幹部職員とは別に、JR西日本のウェブサイトhttp://www.jr-odekake.net/ )を見てみると、それはもうあまりにも寒々しいもので言葉を失った。社長の謝罪の弁が通り一遍の言葉で載っているだけで、それ以外に事実を少しでも明らかにしようとする姿勢がまったく認められない。そういうことを喋ると、司法の場で不利になるとでも思っているのだろうか。

こういう寒々としたウェブサイトを見せられると、深々と頭を下げて謝罪していた幹部の姿がウソっぽく感じられる。「頭を下げてりゃ、そのうち問題は通り過ぎてくれる」と思ってるじゃないかと言いたくなる。


国土交通省


西日本旅客鉄道(株)福知山線
における列車脱線事故について

国土交通省

  1. 事業者名   西日本旅客鉄道株式会社
  2. 事故種別   列車脱線事故
  3. 発生日時   平成17年4月25日(月)9時18分頃
  4. 場所      福知山線 尼崎駅~塚口駅間(兵庫県尼崎市)
              第1新横枕踏切(だいいちしんよこまくらふみきり)(第1種)手前付近
  5. 列車      宝塚駅発 同志社前駅行 快速第5418M列車(7両編成)
  6. 死傷者数   死亡者107名、負傷者460名(4月30日 17:30現在)
              ※関係機関により240名救出。
  7. 概況    

    1. 列車は、207系7両編成のうち、前5両が脱線。自動車と衝撃している模様。前2両が列車進行方向左側のマンション1階部分に衝撃。
    2. 乗客は、約580名(西日本旅客会社㈱からの情報)
    3. 現地は、右カーブ(曲線半径300m)で時速70キロ以下の制限箇所
    4. 運転士は23歳、経験11ヶ月。車掌は42歳、経験15年9ヶ月
    5. 当該列車は、事故直前の停車駅の伊丹駅において、停止位置を約2両(40m)行き過ぎて停止し、その修正のため、伊丹駅を約1分30秒遅れで出発し、塚口駅の通過は約1分の遅れで運転していた模様。
    6. マンション(脱線し衝突した建物)の居住者に負傷者なし


  8. 国土交通省の措置事項
    <p>【4月25日】
    • 近畿運輸局に「福知山線事故対策本部(本部長:運輸局長)」を設置(9時40分)、ただちに担当官2名を現地に派遣。
    • 本省に「福知山線事故対策本部(本部長:大臣)」を設置(9時45分)。
    • 第1回対策本部を国交省本省で開催(10時45分)、大臣、岩崎政務官、鉄道局長及び担当官2名を現地に派遣。なお、岩崎政務官については、救出作業終了まで現地で対応(28日)。
    • 航空・鉄道事故調査委員会委員等7名を現地に派遣
    • その後、岩崎政務官を派遣し引き続き現地で対応。
    • 第2回対策本部を国交省本省で開催(20時00分)。
    • 臨時大臣会見(20:26)。
    • 西日本旅客鉄道株式会社に対して鉄道輸送の安全確保に関する警告書を発出するとともに、全ての公共交通事業者に対して安全対策の徹底について通達を発出。

    <p>【4月26日】

    <p>【4月28日】

    <p>【4月29日】

    <p>【4月30日】

    <p>【5月1日】

    <p>【5月2日】
    • 北側大臣による輸送安全総点検の実施状況等に係る現場視察(鉄道関係)
      • 東京地下鉄株式会社(電車区及び車掌区)
      • JR東日本株式会社(東京総合司令室)
      • 東武鉄道株式会社(電車乗務区及び車掌区)

    • 航空・鉄道事故調査委員会発表資料(17時)

    • 第4回対策本部を国交省本省で開催(19時)

    <p>【5月6日】
    • 北側大臣による輸送安全総点検の実施状況等に係る現場視察(鉄道関係)
      • 南海電鉄株式会社(車両基地)
      • 阪急電鉄株式会社(乗務区)


    <p>【5月7日】

    <p>【5月9日】

    <p>【5月10日】
    • 大臣会見
    • 参議院国土交通委員会(10時)
      • 大臣が参議院国土交通委員会において、これまでの取り組みについて中間報告

    <p>【5月13日】

(別添)
右レール白い粉(6両目後高車・7両目前台車間)
右レール白い粉(6両目後高車・7両目前台車間)
左レール白い粉(7両目前後台車間)
左レール白い粉(7両目前後台車間)
排障器(4両目後方右側)
 
排障器(4両目後方右側)
排障器(4両目後方右側)
枕木の破損状況
枕木の破損状況
枕木の破損状況
枕木の破損状況

JR福知山線脱線事故

2005-05-16 12:11:38 | 国内
107人の死者を出す大惨事となったJR福知山線の脱線事故(2005年4月25日午前9時18分頃発生)は、急カーブの箇所をスピードを落とさずに走行したことが直接原因というのが、現在のところもっとも有力な見方である。この箇所は時速70キロに制限されていたが、事故車の事故直前のスピードは時速100キロを大幅に超えていたことが搭載されていた運転記録装置に記録されていた。

JR快速電車が脱線転覆し線路脇のマンションに激突したJR福知山線の事故現場=2005年4月25日午前10時5分、兵庫県尼崎市で共同通信社ヘリから

改めて伊丹駅から尼崎駅までの鉄道路線の地図を調べてみると、伊丹駅を発車すると、運転手のスピードアップを誘いそうな直線軌道が何キロも続いていく。ところが、あと2キロ足らずで尼崎駅という地点で、制限時速70キロの急カーブにぶつかるのだ。

従って、この路線の運転手は、急カーブの手前何キロかの地点から、計画的に徐々にスピードを落としていく運転が求められる。だが、伊丹駅でオーバーランし、1分30秒の遅れを取り戻さなければならないとあせっていたであろう若い高見隆二郎運転手(23歳、死亡)にとっては、この直線区間をあっという間に通り過ぎてしまい、スピードを落としていくタイミングを失してしまったのではなかろうか。

あくまでも私の想像ではあるが、ある時点でスピードを落とす操作に入らなければならなかったのに、別のことがしきりに彼の頭を過ぎっていたため、その操作に入るのをすっかり忘れてぼやっとしていた。ふと我に返り、「はっ!」と気付いて、慌ててスピードを落とす行動に入ったが、ほぼその瞬間に事故へと突入していったというのがその実態だったのではなかろうか。

このあたりの運転状況については、「JR福知山線脱線事故で、事故を起こした快速電車が現場カーブ手前の直線区間を制限速度(時速120キロ)を超える126キロで走行し、108キロまで減速後、カーブ手前数十メートルの地点で非常ブレーキをかけていたことが、(5月)7日、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会などの調べで分かった」(産経新聞)と報道されている。

高見運転手はやはり直前に非常ブレーキをかけていたのだ。しかしながら、極端な非常ブレーキ操作により、一両目と二両目の車体は大きくバランスを崩して左傾してしまった。その結果、右側の車輪がレールから浮き上がり、かえってブレーキの効果を妨げることとなった。スピードが落ちなかった車輌は、浮き上がるようにして軌道の左側にそれていき、半ば空中を飛行するようにしてマンションに突っ込んでいった。

つまり、スピードを下げるタイミングに「遅れ」があったことが、次々と最悪の事態を誘発していった事故といえるのではなかろうか。伊丹駅から事故現場までの長い直線区間の走行と、その区間における運転手の心理の相関関係を調べる必要があろう。


難しい国会答弁

2005-05-14 18:11:44 | 国内
JR西日本の垣内社長は、5月13日、衆議院国土交通委員会の参考人招致を受けた。その席上、快速電車が衝突したマンションについて、「買い取って慰霊碑的なものを作ることも検討するべきではないか」との委員の質問に対し、垣内社長は、「住民とはいろいろな話をさせていただきたい。買い取って慰霊的なものをつくることも大変重要な課題のひとつ」と答えた。

NHKのテレビ報道を見ていたら、マンション住民のひとりがインタビューに答えて、「垣内社長の発言には反感を持つ。第一、JR西日本は、怪我など負った被害者、犠牲者の遺族、マンションの住民たちなどと、これまでまったく誠意ある話し合いを進めようとはせず、そのため、何ひとつ合意に達したものなどないじゃないか。そのような段階で、マンションを買い取って慰霊碑的なものを作るなどと軽々しく発言するのは、それ自体が許せることではない」という意味のことを語っていた。

委員の質問は、質問内容がおそらく事前に届いていたのだろう。だから、垣内社長の答弁は一見模範解答であり、一歩踏み込んだと感じられる内容であった。だが、それは事故被害者の立場を無視した発言だったかもしれない。

また、事故現場における担当職員の対応において、被害補償額を巡り、駆け引きがおこなわれているような段階だったら、場合によっては事故被害者に対する裏切りとも取られかねない発言だったかもしれない。一般国民の理解を得るため、事故被害者を切り捨てようとしていると邪推される危険性がある。

JR西日本は、今回の事故に関して特別の事故収拾プロジェクト・チームを編成して事故処理を進めているものとみられる。このプロジェクトの管理運営責任者が誰かは知らないが、その人物は陰に隠れて、日々費消するコストも、収拾に向けての日々のスケジュールも、マスコミへの広報対策も、政府との折衝も、すべてバランスよく、遅滞なくこなしていかなければならない。

垣内社長や徳岡専務(鉄道本部長)は、いずれも彼にとっては、適宜適時自在に動いてもらうべき舞台役者の存在に過ぎない。役者といって悪ければ、必要に応じて切るべきトランプカードに過ぎないのだ。

もちろん、JR西日本がプロジェクト・チームを編成して事故処理に対処しているからといって、それがよくないというわけでは毛頭ない。JR西日本のような大きな企業組織であれば、プロジェクト方式を採用して組織効率を高めた対応をしていくほうがむしろ望ましい。

けれども、こういうやり方は往々にして、プロジェクトを力で操る陰の実力者が出がちであり、それが闇の中に潜んだまま事を動かすようになりやすい。だから、JR西日本としては、事故収拾プロジェクトの実態についてもっと明確な形で公表すべきではなかろうか。また、その一方で、新聞などの報道機関にも、そういう面での報道にもっと力を入れるよう要望したい。


朝日新聞
電車激突マンションの買い取り検討 衆院委でJR西社長
2005年05月13日13時06分

 107人の死者を出した兵庫県尼崎市のJR宝塚線(福知山線)の脱線事故で、衆院国土交通委員会は13日、JR西日本の垣内剛社長、同社鉄道本部長の徳岡研三専務らを参考人招致した。垣内社長は冒頭で事故について謝罪。また、同社はこれまで再発防止策を内部で検討する方針を表明していたが、「企業風土の改革こそが大変重要。安全対策に外からの視点を入れるのが必要だ」と述べ、外部の有識者を起用した安全諮問委員会を設置する考えを初めて明らかにした。電車が衝突したマンションを買い取り、慰霊施設をつくることについても前向きに検討する姿勢を見せた。

 委員会では冒頭、全員が起立して、犠牲者に黙祷(もくとう)をささげた。垣内社長は答弁の最初に「亡くなられた方の無念、遺族の心情を思うと胸が張り裂ける気持ち。まさに痛恨の極み。深くおわびしたい」と謝罪した。

 垣内社長は、脱線事故が起きた背景について「今回の重大な事故の発生を考えると、第一線の現場の安全確保の取り組みに不十分、形式に陥った面があった」と反省の言葉を述べた。

 また、JR西日本の経営理念についても「安全優先をする企業風土の構築という観点から、見直しを議論したい」と表明し、改善すべき点があったことを認めた。

 そのうえで、安全対策全般を見直すためには外部の視点が必要だという認識を示し、第三者を起用した「安全諮問委員会」の設置を検討していることを明らかにした。

 質疑では、電車に乗り合わせた2人の運転士が乗客を救助しなかったことや、社員が宴会やボウリング大会に出ていた問題への批判が相次いだ。垣内社長は「本当に信じられない、情けない気持ち。決められたことさえすればいいという風潮が出ていたのかもしれない」と自らの企業体質に言及。「企業の風土を変えたい。一から出直して、恥ずかしいことの絶対起こらない企業にしなければならない」と語った。

 運転士に過大な重圧を与えていると批判を浴びた「日勤教育」と呼ばれる再教育システムのあり方については「他社の例も参考に、より効果的な形に改善していきたい」(徳岡専務)と見直す意向を示した。

 また、快速電車が衝突したマンションについて、垣内社長は「買い取って慰霊碑的なものを作ることも検討するべきではないか」という委員の質問に、「住民とはいろいろな話をさせていただきたい。買い取って慰霊的なものをつくることも、大変重要な課題のひとつ」と前向きに検討する姿勢を見せた。

 自らの進退については、「社で最も痛みを感じているのは私。その痛みを全社員に伝えて、先頭に立って企業風土の改革に取り組むことが、責任のあり方」と答え、当面、辞任する考えのないことを改めて示した。

 参院の国土交通委員会は16日に現地視察をした上で、17日に垣内社長らに対する参考人質疑をする。小泉首相が出席する16日の衆院予算委員会でも、脱線事故がテーマのひとつに取り上げられる見通し。


JR西日本

JR宝塚線塚口~尼崎駅間における
脱線事故についてのお詫び


 4月25日、JR宝塚線(福知山線)塚口~尼崎駅間で発生した脱線事故におきまして、弊社をご利用の多くのお客様がお亡くなりになられました。お亡くなりになられた皆さまのご冥福を心よりお祈り申し上げますとともに、ご遺族の皆さまに対しまして、深くお詫び申し上げます。

 また、多くのお客様が今回の事故で負傷されました。弊社といたしまして、心からのお見舞いとお詫びを申し上げますとともに、一日も早いご回復をお祈り申し上げます。

 お客様の安全を守るべき鉄道事業者として、今回の事故は決してあってはならないものであり、今後あらゆる側面から事故の再発防止に全力をあげて取り組んでまいります。また、被害にあわれたお客様、ご遺族、ご家族の皆さま、マンション住民の皆さまには、全社あげて誠心誠意対応させていただく所存です。

 今回の事故原因の徹底的な究明は、再発防止への取り組みの元となることから、弊社といたしましては、現在行なわれている関係機関による調査、捜査に、全面的に協力してまいります。

 あわせて、お客様の救助活動に全力であたっていただきました消防、警察を初めとする関係機関各位、そして救助活動にご理解とご協力をいただいた地元の皆さまに、この場をお借りいたしまして衷心より御礼申し上げます。

 重ねてではございますが、今回の脱線事故について会社を代表いたしまして謹んでお詫び申し上げますとともに、今後の再発防止への真摯な取り組みをお誓いいたします。

平成17年4月30日

西日本旅客鉄道株式会社
代表取締役社長 垣内 剛



JR西日本

「福知山線列車事故相談室」
の開設について


平成17年5月2日
西日本旅客鉄道株式会社


 福知山線塚口~尼崎駅間で発生した快速電車脱線事故によりお亡くなりになられたお客様のご遺族の皆さま、
ならびに負傷されたお客様などのご相談窓口として、次のとおり「福知山線列車事故相談室」を開設しました。
 
1 開設月日 平成17年5月2日(月)

2 業務内容
(1) お亡くなりになったお客様のご遺族のご相談対応など
(2) 負傷されたお客様のご相談対応など
(3) その他被害を受けられたお客様に関わる対応など

3 場所 JR西日本本社ビル1階(大阪市北区芝田二丁目4番24号)

「乗継」厳守ゆえの事故か?

2005-05-14 17:07:57 | 国内
JR西日本の福知山(JR宝塚線)の線列車脱線事故では、制限速度時速70キロを大幅に超えた無謀な運転が直接の事故原因であることはほぼ間違いないとされている。だが、運転手はなぜそのような猛スピードを出していたのか。

事故直前、伊丹駅でオーバーランしたため、停車位置の修正などでダイヤ上からは1分30秒もの遅れが生じ、これを取り戻すためスピードを出したのではないかと推測されている。

しかしながら、伊丹-尼崎間には加速できる区間が実質10キロほどとれる。そうするとその区間を通常速度より毎時15キロほど上まわる速度で走行すれば、1分30秒の遅れは十分回復できることになる。

それでは、わずか1分半の遅れを取り戻すために、運転手はなぜ通常速度を毎時30キロも上まわる猛スピードの運転をしていたのだろうか。

見方を変えて考えるならば、通常速度より毎時15キロほど上まわる速度で走行しても、遅れは1分半しか取り戻せないのだ。運転手は遅れが更に拡大していくことを考慮し、ここで1~2分の余裕を積み増してこうとしたのかもしれない。謎はますます深まっていく。

一方、JR西日本のダイヤ編成には行き過ぎがあったのではなかろうか。特に、事故車輌が尼崎駅で乗継をすることになっていたJR神戸線JR京都線JR琵琶湖線を通して走る快速列車は、姫路と長浜を結ぶ我国有数の中距離列車といえよう。このような中距離列車と、芦屋駅や尼崎駅などで分単位、秒単位の精密さで繋がるダイヤを編成しても、なかなか編成した通りにはうまくいかないだろう。

乗継がうまくいかなければ乗客は苦情をいうだろう。その苦情を受けての改善策を安易に運転手のダイヤ遵守だけに押し付けていたのだとしたら、JR西日本は安全をないがしろにしていたということになる。1997年に新しく開通したJR東西線との接続の問題も絡んでいるかもしれない。


産経新聞 (夕刊掲載)
JR西 乗り継ぎ時間厳守「指示」
尼崎駅、2分50秒 余裕なし

2005年5月14日

 兵庫県尼崎市のJR脱線事故で、JR西日本は尼崎駅で東海道線新快速電車の乗り継ぎ時間を厳守するよう福知山線の運転士に指示していたことが十四日、関係者の話で分かった。同駅で福知山線の上り電車から新快速に乗り継ぐには、階段などを使ってホームを移動する必要があるため一分以上かかり、少しの遅れで乗客の乗り継ぎ時間がなくなる。この結果、ダイヤ全体が大幅に乱れることを防ぐ「指示」だ。事故電車の高見隆二郎運転士(23)=死亡=は、「指示」を守ろうと超過スピードで電車を運行した可能性もあり、「指示」が事故を誘引した疑いもあるという。

 関係者の話によると、同社は利用客の利便性を確保する目的で、福知山線の運転士に対し、「乗り継ぎに支障がないように」と指導。尼崎駅では平成九年三月の東西線(尼崎-京橋間)の開通を機に、新快速が停車するようになり、乗り継ぎ駅として多くの客が利用するようになったため、新快速との接続については乗り継ぎ時間を順守するよう厳しく指示しているという。

 同駅では、福知山線の上り電車は通常五、六番ホームに入るが、上り新快速は北側にある八番ホームに発着する。乗り継ぐには、階段やエスカレーターなどを使ってホーム間を移動しなければならず、通常一分程度はかかる。

 事故電車の快速電車のダイヤは、尼崎駅に午前九時二十分十秒に到着予定。乗り継ぎの姫路発長浜行き新快速は九時二十三分発で、設定された乗り継ぎ時間は二分五十秒。電車が一分以上遅れると新快速に乗り遅れる客が出る可能性もある。乗り遅れると、次の新快速まで十分以上待たなければならず、利用客への影響は大きい。

 事故当日、電車は、直前の伊丹駅をオーバーランのため一分半遅れて出発。尼崎駅までの運転時間を短縮しなければ、新快速にスムーズに接続できない状況にあり、運転士に相当の心理的圧迫があったとみられる。こうしたことから同社は、福知山線のダイヤに余裕をもたせるよう再編成し、今月末に国交省に提出する「安全性向上計画」に盛り込む。同社の丸尾和明常務は「現実的な遅れをベースにダイヤの見直しをしたい」としている。

JR脱線事故原因、解明続く

2005-05-09 11:30:03 | 国内
一昨日(2005年5月7日)「JR安全対策に東西格差」を書いたときにも感じていたことだが、今回のJR西日本の脱線事故に関する毎日新聞の報道は地道であり、一日一日、一歩一歩核心に近づいていく手ごたえが感じられる。

今日(2005年5月9日)の報道では、事故を起した問題の快速電車は、運転ダイヤ上最速の電車であったことを明らかにしている。

鉄道運行に限ったことではないが、近年、技術部門、施工部門、運行部門、生産計画部門(鉄道事業でいえば「ダイヤ編成部門」に当るだろう)が縦割り組織という悪弊に侵され、しかも、各々の責任者に現実的思考が欠けているという由々しい状況が見てとれる。

例えば、ダイヤ編成部門でいえば、現在の条件下でどこまで過密なダイヤが可能かという問題に対して現実的思考に基づいて対処するのではなく、やや精神主義に傾いた、いわば「絶対にやり抜け!」といったような強要をしてくるわけだ。リストラの風圧下ではどうしても精神主義が蔓延ってくる傾向がある。

一方、現代の若者たちには、不合理な強要を撥ねつけるだけの実力を伴っていない。また、ここにも現実的思考に欠けるという致命的欠陥が見られる。成功する見通しはないが頑張れば何とかなるだろうと思う。「神様が自分を見捨てることはない」と神頼みになっているのだ。彼らは、先輩たちからの不合理な強要に対し、ただ「頑張ります!」と返事するだけだ。

高見隆二郎運転士は「絶対にやり抜け!」という声に圧されていた。自分も「頑張らなければ!」と思っていた。そういう心理下で、彼はスピードを目一杯まで上げていったのだ。そこまでスピードを上げれば危険状態に陥るとは思わなかった。なぜなら、彼には現実的思考をしていく日常的な訓練が欠けていたからだ。

毎日新聞の日々の取材活動から、JR西日本の職場全体における現実的思考の欠如の積み重ねという実態が浮き彫りになってくる。この悲惨な事故を招いた本質的な原因は次第に明らかになってきている。


毎日新聞
尼崎脱線事故: 事故は所要時間最も短く設定の「最速列車」
2005年5月9日 3時00分

 兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故で、脱線した快速電車が現場二つ前の停車駅、川西池田駅を出発する際に35秒の遅れが生じていたことが8日、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会の調査で分かった。この電車が同線の快速電車のなかでも所要時間が最も短く設定された「最速列車」だったことも判明。県警尼崎東署捜査本部は、こうした状況から高見隆二郎運転士(23)=事故で死亡=が遅れを取り戻そうと無理に速度を上げたことが事故の直接原因になったとみて、捜査を進めている。

 調べでは、この電車は事故当日の午前9時10分ごろに川西池田駅に到着したが、通学、通勤客らの乗降に手間取り、駅を定刻より約35秒遅れで出発した。次の伊丹駅には約30秒遅れて到着し、オーバーランした。車掌は当初、運転指令にオーバーランの距離を約8メートルと報告。虚偽報告だったことが分かり、JR西日本は会見で距離を約40メートルと訂正したが、その後の捜査本部の調べで、実際には車両3両分にあたる約60メートルだったことも分かった。

 高見運転士はいったんホームに戻って客を乗降させたため、同駅出発時に遅れは約1分30秒に拡大した。現場手前の塚口駅通過時は、1分以上の遅れだった。そのため、高見運転士は次の尼崎駅で遅れを回復しようと直線区間でスピードを上げすぎ、制限速度を少なくとも30キロ上回る100キロ以上でカーブに進入したとみられる。

 一方、快速電車はダイヤ上、駅の停車時間などに差があり、始発から終着駅までの所要時間に違いがある。この電車は始発の宝塚駅を午前9時3分45秒に出発、尼崎駅には同9時20分10秒到着予定。所要時間は16分25秒で同区間を走る快速電車の中では最短で、直前の快速と比べても1分25秒短く、JR西日本の社内では「最速列車」と呼ばれていた。

 オーバーランした伊丹駅の停車時間はわずか15秒で乗降に時間がかかれば常に遅れが出る恐れがあり、こうしたことも事故の背景になった可能性があるという。


毎日新聞
尼崎脱線事故: 目撃者5人証言 衝突までの「異変の瞬間」
2005年5月8日 23時46分

 見慣れたはずの電車が異常なスピードで目の前を駆け抜け、脱線・転覆、マンションに激突した。兵庫県尼崎市で4月25日に起きたJR福知山線脱線事故。「車輪が30センチ浮き」「電車の裏側が見え」「スーッとマンションに突っ込んだ」……。近所の主婦や工場で働く人たちは、事故直前から衝突までの「異変の瞬間」をそれぞれの位置で目撃していた。そして、誰もが白い土煙の舞う現場へと救助に駆けつけた。目撃者5人の証言を重ね合わせ、未曽有の脱線事故にいたる直前の「数秒間」を再現する。【大場弘行、八田浩輔】

 《証言1 現場北約240メートル、福知山線をまたぐ陸橋》

 「えらい飛ばしとるな」。自転車を押して陸橋を渡っていた鉄工所経営、挟間(はざま)美喜雄さん(59)は、いつもと違う電車にふと目をとめた。電車がごう音を立てながら足元を通り抜けていった。

 《証言2 北西約120メートル、線路西側の路上》

 金属加工場の従業員、谷本英樹さん(36)は、工場前の道路から50メートル先を走る電車を見た。遠目から見ても、明らかに電車の窓が流れるスピードが速かった。「事故るんやないか」。不安が走った。

 《証言3 北約90メートル、線路東側の工場前》

 線路側を見ながら知人と携帯電話で話していた鉄工所経営、灰山季久雄さん(65)は、わが目を疑った。電車が「ジェット機の逆噴射のようなごう音」をたてながら通り過ぎた。そう思った途端、「ドーン」という衝突音が響いた。3年前にできたマンションの方で土煙が上がり、目の前に最後尾の7両目が止まっていた。

 《証言4 北約90メートル、線路西の側道》

 線路をはさんで灰山さんとちょうど反対側にいた。自転車に乗っていた男性会社員(63)は、電車に追い抜かれる際、不思議に思った。「いつもの『ゴーッ』という走行音が、フッと軽い音になった」。横を向くと、「先頭車両が斜めに傾き、内側の車輪が30センチほど浮いていた。そのまま『スーッ』とマンションに突っ込んだ」。3両目の車両が横向きになった2両目に激突。ごう音とともにガラスの破片がバラバラと飛んできた。立ち木に身を隠した。足が震えて止まらなかった。「阪神大震災で自宅が全壊したが、今回の方が怖かった」

 《証言5 南西約80メートル、踏切》

 踏切で電車の通過を待っていた40代の主婦は、金属がこすれるような音がしたので、何気なく電車の方を見ると、1、2両目の内側の車輪が浮いていた。いつものガタンゴトンという音もせず、「電車の裏側が見えたと思ったら、浮いて滑り込むような感じでマンションに突っ込んでいった」。鉄が焼けるにおいが辺りいっぱいに立ちこめた。すごい風と煙でよろけて転びそうになった。うめき声、叫び声が聞こえたので、遮断機をくぐって現場に向かった。

JRの安全対策に東西格差

2005-05-07 17:16:25 | 国内
事故直後NHKは、JR東日本とJR西日本における新型ATS設置比率には大きな格差があることを報じていた。極めて興味深いデータだったので続報を期待していたが、今日(2005年5月7日)に至るまで続報にはお目に掛れなかった。あまりの大惨事だったので、記者はみな事故現場に張りついていたのかもしれない。

JR西日本における弛み切った職場の状態を暴露したりすることも必要かもしれないが、今回の事故原因のうちの本質となる問題の多くは、JR西日本の経営中枢にメスを入れることにより浮かびあがってくるのではなかろうか。

そういう意味では、JR東日本とJR西日本におけるコスト構造の違いを分析する必要性が感ぜられる。私は東京と大阪のJRを頻繁に利用しているが、そうした者のひとりとして、「どうして違うの?」という日頃しばしば疑問に感ぜられるひとつひとつのことが、あの事故の原因と繋がっているともいえよう。


毎日新聞
尼崎脱線事故: 新型ATS JR西設置費01年度から激減
2005年5月7日 15時00分

 JR西日本の新型ATS(自動列車停止装置)設置工事費が01年度から激減する一方で、同社の経常利益が増え続けていることが、分かった。新型ATS設置率は8%にとどまっており、107人が死亡した尼崎脱線事故の現場も未整備だった。
 業務上過失致死傷容疑で捜査を進めている兵庫県警尼崎東署捜査本部は、同社の安全対策の実態解明が欠かせないと判断。新型ATS設置計画にかかわる部門の聴取なども視野に入れている。

 また、捜査本部は同社が02年に京都駅と出雲市駅であった事故で国土交通省航空・鉄道事故調査委員会がまとめた報告書で「定時運行の意識が生んだ焦り」を指摘されながら、03年12月に電車のスピードアップを招くダイヤ改正を行ったことを重視。事故調の指摘について報告を受けていた同社役員からの聴取についても検討を始めた。

 新型ATSは定められた場所の速度超過に反応して自動的にブレーキが作動する。JR東日本は東京駅から100キロ圏の高密度線区すべてに導入。JR西日本では阪和線から整備が始まり、90~02年に大阪環状線、大和路線(関西線)などで実施されたが、福知山線の設置決定は同社では最も遅い03年9月だった。

 全体の整備率も1けたで、JR東日本が在来線の一部で導入している自動列車制御装置も山陽新幹線にしかなく、新型ATSと自動列車制御装置を合わせた設置率もJR東日本の約30%に対し、19.9%にとどまっている。

 JR西日本の新型ATS設置工事費は、98年度~00年度は21億円~16億円と10億円以上で推移していたが、01年度に2億円に減少。その後も▽02年度3億円▽03年度1億円▽04年度5億円と推移。一方で、経常利益は▽00年度434億円▽01年度は540億円と順調で、昨年度は743億円を記録し5年連続で増益となっている。

 福知山線では、新型ATSの設置が進められていた。同社は「持てる力の中では今しかなかった」としている。設備投資額の激減については、「車両側の受信機を先にまとめて整備したので初期工事費が高くなっている。線路側の整備は通常の運行の合間に行うために時間がかかった」と釈明している。

メーデーに思う

2005-05-01 13:20:02 | 国内
2005年5月1日になった。今日はメーデーであるが、日曜日でもある。若い人々は、今日一日、どのような過し方をするのだろうか。

私たちが若かった頃は労働組合の力が強く、組合員にはメーデー参加が義務付けられていたものだ。メーデーには春闘が絡むことが多かった。メーデーがどんな盛り上りになるかはベースアップの金額と結びついていた。組合員たちは一斉休暇を取ってメーデーに参加し、職場には管理職だけが残っていた。

更に遡れば、1952年には皇居前広場で「血のメーデー事件」があった。初めのメーデー会場であった神宮外苑から繰り出したデモ隊が皇居前広場を目指し、これを阻止しようとした警官隊が拳銃や催涙弾などを使ったので、デモ側に2人の死者と大勢の負傷者が出た大事件となった。確か、警官がデモ隊に拳銃を向けて狙撃している報道写真が残されていたと記憶している。

そのとき、デモ隊が掲げていたプラカードには「講和条約反対」というのが多かったという。その頃のメーデーは政治集会の色彩が濃厚だった。デモはいつも革命気分だったのだ。例えば、その後の「日米安全保障条約破棄」を目指した安保闘争(1960)などは、例年のメーデーの拡大版だったといえるだろう。1965年以降の「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)などの活動となると、例年のメーデーの形とは少々違ってきていたかもしれない。

私には1955年のメーデーのデモ行進に初めて加わった経験があり、そのときのことが忘れられない。私は大学に入学したばかりだったが、その3年前の「血のメーデー」はこんな雰囲気だったのかと思いながら、横の人と手を繋いで横列を作って歩いた。「ジクザク行進は違法だ」と大声で注意する者がいてコントロールも効いていたためか、整然とした行進だったと記憶している。大勢の私服警官が私たちを取り巻き、写真を撮り続けていたのが印象的だった。

今回、上海などの反日デモに参加した若者たちはどんな気持だったのだろう? テレビ映像で見る限り、みな一様に屈託ない平和そうな表情だった。ペットボトルを領事館に投げ込む姿も、まるでスポーツでもやっているような感じだった。現在の中国の若者たちには、反日デモもスポーツイベントなどとそう違わないのではないか。反日活動に身を張っているような突き詰めたところは微塵も感じられない。

改めて史料を当ってみると、「対日平和条約("Treaty of Peace with Japan")」は、1951年9月8日、サンフランシスコ市内のオペラハウスで調印され、翌年の1952年4月28日に発効したと記されている。つまり、「血のメーデー」とは、講和条約(対日平和条約)が発効して我国がようやく被占領状態から脱した直後(条約発効4日目)、初めておこなわれたメーデーであり、最初の騒擾事件だったわけだ。警官隊にしても、占領軍の指示を受けずに独自行動をとった最初のケースだったのである。

当時のデモ側と警察側の双方には、戦後日本を律していくべき原点を我々がここに規すのだといった、張り詰めた思いがあったのではなかろうか。どちらにも、それぞれに身を張っているようなところが感じられるのである。

JR福知山線列車脱線事故

2005-04-30 04:36:58 | 国内
毎日新聞
<尼崎脱線事故>45度傾き電柱に衝突、非常ブレーキが作動
2005年4月30日3時17分更新

JR福知山線の脱線事故で、激突したマンションの手前約60メートルにある左側電柱の高さ約2.5メートル付近に列車が衝突した跡が残っていたことが分かった。29日、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会が発表した。脱線した列車は右カーブで右車輪が浮き、45度前後左側に傾いて電柱に衝突、車両はさらに傾き、横倒し状態でマンションに突っ込んだとみられる。車両の分析で非常ブレーキが作動していたことも判明した。

事故調によると、電柱の位置は、事故後停車した列車7両目中央部の左脇にあり、電車に電力を供給する架線を支えている。鉄筋コンクリート製で、高さ約2・5メートル付近のコンクリートが砕け散り、鉄筋だけが残っていた。根元もひびが入り、鉄筋がむき出しになっていた。

電柱は、枕木の左端から約2メートル、左レールからは約2・4メートル離れていた。列車の高さは3・7メートルで、左車輪がレール上にあった場合、45度前後傾いて走行していたことになる。

この電柱の手前約30メートルにある電柱に傷はなく、マンションまでの間に別の電柱はなかった。

これまで7両目周辺では、破損した電柱の手前に左側枕木やレール締結具に車輪が脱線した時に出来た傷が見つかっている。ところが、6~7両目下の枕木やレール上に明確な脱線痕は見つかっていないことから、制限速度を約30キロ上回る100キロ前後でカーブに進入した列車は電柱付近で既に右車輪が大きく浮き上がっていたと見られる。

また、バラスト(敷石)上に明らかな脱線痕は見つかっていないが、救助活動などで消えた可能性があるという。

電柱そばにはパンタグラフが落ちていた。

事故調は29日、マンションから引き出された先頭車両の調査も開始した。先頭部の下部に装着され、障害物などをはねとばす「排障板」(スカート)の左側部分がなくなっており、横倒しになった際に損傷した可能性もあるという。

また事故調は運転席から運転状態を記録したモニター制御装置を回収。ブレーキやATS(自動列車停止装置)の作動状況などのデータが残っていた。これまで見つかっている5、7両目のモニター制御装置の記録と合わせて解析を進め、脱線原因の解明を急ぐ。

非常ブレーキについては、▽どの時点で作動したのか▽乗務員が作動させたのか、自動的に作動したのか▽非常ブレーキと脱線との関連――などを詳しく調べる。

30日以降、5~6両目車両下のレールの状態や先頭部の車輪や車体の損傷状態、付着物などを分析する。

会見した事故調の佐藤泰生・鉄道部会長は「右側の車輪に力がかからない状態になり、車体が浮いて、事故に至ったということが分かってきた。脱線の痕跡はまだ出てくる可能性があり、それらを踏まえ原因究明していく」と述べた。【武田良敬、田中謙吉】


毎日新聞
<尼崎脱線事故>検証 非常時の車掌の役割と先頭車両の調査
2005年4月29日3時3分更新

JR福知山線の脱線事故で、車掌(42)が事故直前、運転士(23)に「急ごう」という趣旨の連絡を取っていた。運転士とともに安全運行を支えるはずの車掌の役割を検証するとともに、事故原因究明に欠かせない先頭車両の調査のポイントを探った。

◇減速指示の有無が焦点

制限速度を超えて“暴走”する運転士。その区間に、速度超過に対応する自動列車停止装置(ATS―P型)はない。今回の事故のようなケースで、乗客が頼りにできるのは車掌だけだ。車掌は、何ができるのか。

JR旅客6社は、旧国鉄の「運転取扱心得」をベースに独自で乗務員の行動規範を定めている。JR西日本は、列車が遅れた場合、車掌を含む乗務員に「許された速度の範囲内で回復に努める」よう求めている。回復できなければ、車掌も運転士と同様、処分の対象となりうるといい、「急ごう」との趣旨の連絡をした背景に、こうした事情も見える。

JR東日本は「運転取扱実施基準規程」で、車掌に対して常時、モニターで速度を確認し、制限速度を超えて走行した場合は車内電話で運転士に確認することを義務付けている。事故発生が予想される場合は、車掌も非常ブレーキの操作が認められる。今回のケースについて、JR関係者は「まず運転士に連絡して速度を落とすよう進言する。非常ブレーキは、運転士に伝えてから操作することになる」と指摘する。今後、車掌が速度超過に気付いていたのかどうかも、事故原因究明の一つのポイントとなる。

一方、駅をオーバーランした場合、車掌は何を求められるのか。JR西日本の運行マニュアルは「非常ブレーキのスイッチを押す」などと定めている。高見隆二郎運転士自身、車掌だった02年5月、運転士が誤って停車駅を通過した際、停止する非常弁を開かなかったため訓告を受けた。非常ブレーキ操作は権限であるとともに責任も伴う。

今回の事故直前に起きた伊丹駅でのオーバーランで、車掌は非常ブレーキを作動させなかった。オーバーランの距離を過少申告したことも含め、JR西日本は、車掌から事情を聴いたうえで厳正に処分するという。

運転士のオーバーランによる遅れでも、場合によっては処分されかねない車掌の立場。同社のある中堅社員は「遅れの回復は、自分の腕の範囲内でやれということになる」と実情を明かす。一方、別のベテラン社員は「安全の追求と定時運行の確保は、ある意味で対立する概念。両者の両立のためには、余裕のあるダイヤを組むべきだ」と指摘する。【本多健、斎藤正利】

◇先頭車両の車輪に注目 解明へ、専門家も見方

脱線原因の解明で、専門家が注目するのは、調査が本格化する先頭車両だ。

事故調査の経験を持つ国土交通省幹部は「特に車輪の状態を調べることが不可欠」と話す。脱線は、1両目の車輪がレールから外れて発生したと考えられるからだ。脱線した車輪には微細な傷が残るため、現場の脱線痕と照合出来れば、脱線の起点の特定につながるという。

しかし、1両目は激しくマンションに衝突しているうえ、乗客の救出作業のため車体が切り刻まれている。同幹部は「必要なデータがどこまで残っているかがポイントになる」とみる。

事故車両には、ブレーキやATS(自動列車停止装置)の作動状況を記録した「モニター制御装置」が1、4、5、7両目に搭載されていた。同省航空・鉄道事故調査委員会は1両目以外のモニターを解析中だが「調査の鉄則は出来るだけ多くの証拠を集めること。1両目のモニターや運転席の損傷が検証可能な程度であれば」と期待する。JR関係者も「最大のポイントは運転室のモニター制御装置の解析」としている。

元JR貨物職員で北海学園大学の上浦正樹教授(鉄道工学)は「車輪のすり減り具合を調べることで、ブレーキが掛かった状態で車輪がレール上を滑走した距離が分かる可能性がある」とし、「車輪の状態と、車輪が着地した地点を特定出来れば、脱線車両がどのような軌跡をたどったか分かるかもしれない」と話す。

一方、独立行政法人交通安全環境研究所の松本陽・交通システム領域長は「特に先頭車両の車輪に、乗り上がり痕や、(非常ブレーキで)ロックしたかどうかを示す滑走痕があるかどうかが重要なポイント」と指摘する。

松本さんは、脱線の要因として台車と車体の間の空気バネと電車の重心に着目。「遠心力が大きくなると外側のバネがたわみ、重心が外側に移動する。さらに、空車時と比べ、乗車率が高いほど重心が高くなり、転覆しやすくなる」という。鉄道の場合、急制動は前後方向の力のため脱線の要因にはなりにくいが「車輪がロックしていたとすると、滑走している左右の車輪に加わるブレーキ力に差が生じ、要因になる可能性もある」と話している。

車両側と対照して調査が進められる軌道側の痕跡。事故調のこれまでの調べで、レールには脱線の痕跡を示す大きな損傷はなかった。枕木には、脱線した車輪のフランジが通過したとみられる線状の傷や、レール締結具のボルトの先端が削り取られた跡などがあった。傷跡はいずれも進行方向左側のレールの外側にあり、カーブの外側に向かって脱線した状況を示している。【川辺康広、大平誠、斎藤正利】

大阪駅中央コンコースにて

2005-04-29 16:54:09 | 国内


これは問題じゃないか!


上の写真はぼやけているので読めないかもしれないが、「本日の福知山・城崎方面の特急列車は、運転を終了いたしました。ご利用、ありがとうございました」と書かれているのだ!

この写真は、私が、2005年4月29日午前10時53分、大阪駅中央コンコースの発券場で撮ったものだ。まさか午前中から「運転を終了いたしました」はないだろう。これはJR西日本の弛んだ精神構造を如実に現しているものと思わざるを得ない。

つまり、4日前の2005年4月25日朝、106人の死者を出す大惨事となった福知山線列車脱線事故が起り、それ以来、福知山線は運転を再開していないので特急券や座席指定券を発売しない、とそういうことを言っている掲示なのだ!

掲示内容はコンピューターではすぐには変えられない。といって、こういう掲示を4日間も続けていていいのか? こういういい加減なやり方は、事故の犠牲者はもとより、JRの一般利用者に対してだって「詫びる」という気持は一切感じられないじゃないか。大阪駅の発券係の職員は福知山線列車脱線事故とは一切無関係ということを主張しようとしているのだろうか。

JR西日本の一部職員が犯したというより、組織全体として重大事故を起したのだ。だから、JR西日本のすべての職員がその責任を負わなければならないのだという認識がここにはまるで見られない。こういう掲示を4日間も掲げ続けているJR西日本という組織体を我々はどこまで信頼してよいのだろうか。

掲示に言う「運転を終了いたしました。(106名の死者が出た今回のJRの)ご利用、ありがとうございました」はブラックジョークか。思わず背筋を冷たいものが過ぎった。


朝日新聞
JR西日本の労務管理、刑事責任追及へ 兵庫県警
2005年04月29日06時28分

 死者106人を出した兵庫県尼崎市のJR宝塚線(福知山線)で25日朝に起きた快速電車の脱線事故で、兵庫県警捜査本部(尼崎東署)は、電車を運転していた高見隆二郎運転士(23)=死亡=に加え、列車運行や高見運転士の指導、教育に当たっていた管理部門の職員についても、業務上過失致死傷容疑で刑事責任を追及する方針を固めた。

 同容疑での立件には通常、過失と事故の発生に直接的な因果関係があることが要件となる。列車事故の場合、ミスをした運転士や列車指令員が訴追されることが多い。県警は100人を超える死者を出した今回の脱線事故が起きた背景には、JR西日本の列車運行や運転士の管理に構造的な問題があると判断。結果の重大性や再発防止の必要性も考慮し、組織内の刑事責任を広く追及する構えだ。

 これまでの調べでは、高見運転士は事故直前の25日午前9時14分ごろ、伊丹駅で約40メートルオーバーランさせたため、伊丹駅の出発が約1分30秒遅れた。高見運転士は松下正俊車掌(42)に頼み、指令所に「約8メートル行き過ぎた」と無線でうその報告をしてもらった。

 電車はその後、スピードを上げ、事故現場となった制限速度70キロの右カーブにさしかかる直前でも時速100キロを超えていた。高見運転士がダイヤの遅れを取り戻そうと、スピードを出しすぎたことが事故の主原因になったとみられている。

 同社では、運転士がオーバーランなどのミスをすると、運転士を指導する立場に当たる電車区の指導担当係長が運転士を事情聴取し、基本動作の確認や関係法規を暗記させる再教育プログラム「日勤教育」を運転士に課す。教育期間中は乗務手当が支給されないなどの不利益を受ける。

 高見運転士は04年6月、学研都市線の下狛駅(京都府精華町)で、停車位置を約100メートルオーバーランしたとして訓告処分を受け、13日間の「日勤教育」を課せられた。「反省が見られ、がんばろうとする姿勢が感じられた」として上司が復帰を許可していた。

 また、同社は02年から定時運転確保のため、日常的に遅れがちな列車を対象に1秒単位で遅れなどを報告させる取り組みを年5回実施。今月は8日から1週間あり、宝塚線や阪和線など朝のラッシュ時の計9本が対象だった。高見運転士も今月11日に乗務していた。

 その一方で同社は、ダイヤに遅れが発生した場合の対応についてマニュアルを定めず、「制限速度の範囲内」(同社)で速度を調整することは運転士の裁量に任せている。

 県警捜査本部は、厳しいペナルティーを科すなどして列車の遅れを許さない一方で、遅れの回復は会社としての指針を示さずに運転士任せにしていたことが、高見運転士の無理な速度の運転につながった可能性が高いと判断。労務や運行管理の責任者の刑事責任の追及が不可欠と判断した。

 捜査本部は、今後、同社の運行管理や再教育プログラムについても問題がなかったか調べる方針だ。松下車掌が高見運転士の高速運転を認識していたかどうかについても引き続き調べる。

福岡2区補選 山崎拓氏が当選

2005-04-24 22:16:36 | 国内
NHKスペシャル「日本の群像(第1回)トップの決断~継続か撤退か~」を見ていたら、衆議院福岡2区補選で、自民党元幹事長山崎拓氏(68歳)当選(確)のテロップが入った。

山崎氏が危うく政治生命を断たれかけたのは、同和問題との係わりのある女性の仕掛けに嵌ったからともいわれる。福岡中州は忘れ難い色町だけど、さまざまな危険に満ちた、蜘蛛の巣だらけの街でもあるんだろうなあ。

ここで自作川柳を紹介させていただく。スキャンダルを材料にさせていただいて。


選んでも 愛人騒ぎじゃ 困るバイ  喬彦


盟友復帰で小泉首相は勢いづき、郵政民営化法案提出に向けて一気に進むか。しかしながら、これはむしろ政局絡みとなってきたのかもしれない。これまで郵政民営化は旧経世会潰しのダイナモとなってきたが、いまや自民党潰しのダイナモという感じにさえなってきた。