記録日記
2008年9月~2009年1月抗がん剤治療。翌2月~4月放射線治療。
一通りの治療が終わりました。
2010年2月に再発、手術入院を経て、現在は2ヶ月に1回の定期通院、服薬と代替医療としてのサプリメント摂取を継続しています。
2011年3月、再発。甲状腺切除手術。
これまでの治療経過とその後の生活を綴っています。
2008年9月~2009年1月抗がん剤治療。翌2月~4月放射線治療。
一通りの治療が終わりました。
2010年2月に再発、手術入院を経て、現在は2ヶ月に1回の定期通院、服薬と代替医療としてのサプリメント摂取を継続しています。
2011年3月、再発。甲状腺切除手術。
これまでの治療経過とその後の生活を綴っています。
8月12日(水)
夕方に久々帰省。
実家に一泊。
母が飲み会でいない。
父に「ごはん待って。」といい、
食材購入して帰宅。
簡単調理でごはん。
父、1缶ビールを飲む(飲んだりしているよう)。
Dr.にはもちろんアルコールの摂取は控えるよう言われている。
癌の腫瘍にもよくないし、再発リスクを高めるものであるのは間違いない。
それは父も十分承知。
だから、私は何も言わない。
父が、「どう生きたいか。」の、
価値観が決めるものと思うから。
間違いなく、限られた命。
それは、癌であろうとなかろうと。
癌であるということは、
余命が、癌に冒されない場合の
同じ余命である場合と比べ、
明らかに、「死」を突きつけられること。
事故死を考えれば、私たちは誰もが死のリスクを負っている。
どれだけ健康であろうとも。
生きている限り。
例えば、「突然死」「病死」どちらが幸せ?
本人にとって、家族にとって。
そんなの選択できるわけないじゃん、って思う。
例えば本人にとって、
結局、「死の形がどうか?」ではなく、
「どう生きたか?」がすべてだと思う。
漠然と死を感じて生きるより、
死を突きつけられて生きる方が、
真剣に向き合うじゃない。
それが向き合う対象は、
「死」でもあり、
反対に、
その死の重さを感じている、また、生の価値も感じている
「生」でもあり。
大切なものを大切と感じる心が衰えていたのなら、
その心を思い出させてくれる今に感謝なわけで。
でも、この解釈は、今ここに書いてきた、
私という人間の価値観の反映なわけで、
同じ状況の父が、家族が、
さらには、これを読んでくれた方が、そう感じるかどうかは別。
これはもう、一面的には語れないこと。
加えて、
理論と感情はまた、別物だったりするわけで。
父のビールに
こんなことを思う
夜でした。