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ただのおじさんの「フルス フルス フルス」    ………フルス(葫芦絲)は中国雲南省生まれのひょうたん笛です………

まろやかな音色のフルスに一目(耳)惚れした「ただのおじ」さんが日本でフルスを普及させようと一念発起。はてさて………。

長崎支部誕生

2010年07月28日 | 日本フルス普及会



二胡交流会で指導される松林先生


紹介がいささか遅れたが、日本フルス普及会に長崎支部が誕生した。長崎ランタン祭りに協賛して行われた二胡交流会の主催者松林静風先生にお願いして長崎支部長になって頂いた。交流会に上白川フルス愛好会がゲストとして参加させて頂いた後も先生からいろいろと教わっていた。

先生は尺八、二胡、横笛………とご堪能で、それぞれにお弟子さんがいらっしゃる。 つい最近は「龍馬伝」の長崎での撮影に関わって、長崎観光のPR隊として福岡天神に来られ、演奏されている。http://www2.ezbbs.net/10/m_seifu2004/参照。そのときに、フルスも吹かれたそうだ。福岡には著名なフルス奏者がいないので、福岡でどんどん演奏して頂き、福岡市民にフルスの音色の良さを知らしめて頂きたいものだ。何しろ、福岡は九州の中心であり、文化の中心でもあるからだ。 先生は、尺八の調整なども手がけられている。http://www2.ezbbs.net/cgi/bbs?id=m_seifu2004&dd=10&p=2参照。

中国産のフルスはどうしても音程が正確ではないのが多いので、その改良の仕方などもいろいろと教えてもらいたいと思っている。

長崎支部誕生で、10都府県に支部ができたことになる。(栃木県 埼玉県 千葉県 東京都 滋賀県 大阪府 香川県 兵庫県(2支部) 福岡県 長崎県である。) 

日本フルス普及会のロゴマーク

2010年07月25日 | 日本フルス普及会



日本フルス普及会のマーク

成都支部長のちーふいさんから「フルスを広めるために名刺などを作っていまか。」と質問があったので、「ロゴマーク付きの名刺を作っていますよ。」と答えたら、「ロゴマークですか。すごいですね。」と、返事が来た。そこで、ロゴマークのファイルや名刺の見本もメールで送っておいた。

上の図がそのマークだが、「JHK」とあるのは「ルス会」の略である。現在は正確には「日本フルス普及会」という任意の会で、「日本フルス協会」ではないのだが、将来、フルスが日本全国に普及したときにはこの会をベースに公共性のある会に再編し「日本フルス協会」としなければならないと思う。そこで、先取りして「JHK」とした。もちろん「ルス普及」の「」という文字から「K」をとったと解釈しても何ら差し支えない。

本来は「NHK」としたいところだが、先客ありのため遠慮して、「JHK」としているのだ。 図はきちんと整形していないが、これを基本に日本フルス普及会の正式マークにしたいと思っている。

中国では町の印刷屋さんが結構発達しているので、このファイルを持っていけばお好みの名刺をすぐに作ってくれると思う。


長崎演奏旅行(演奏家廖明智さんとの出会い)

2010年03月12日 | 日本フルス普及会
実は私たちはランタンフェスティバル二胡交流会のゲストではあったが、メインのゲストは廖明智さんだった。彼女が長崎市内でフルスを演奏しているという噂は時々ネットで目にしていた。今回も2週間のランタンフェスティバルの会期内に市内数カ所に設置されたステージで5回演奏したそうだ。その日も日曜日のために、忙しかったらしく、かなり遅れてこられた。実際に演奏を聴くのはこれが初めてである。背が高い割には細い指で、軽やかにフルスを吹いておられた。九州にもこんな奏者がいるのだとうれしくなった。我がフルス愛好会の皆さんも軽やかな手つきと、それに導かれるメロディに感心していた。しかし、それにもましてすばらしかったのは彼女の歌である。中国人独特の線の細いビブラートのある高音発声ではなくて、かなり、本格的なベルカント唱法のソプラノの歌い手だ。といっても、やっぱり、中国的な香りがすごく漂う歌唱力のある歌い手だ。
廖明智さんに私たちのフルス演奏は聴いてもらえなかったのが残念だったが、九州内にフルス愛好会があることをすごく喜んでいただいた。私は持ち合わせの自作のフルス伴奏用CDを差し上げた。「涙そうそう」が入っているのを大変喜んでいただいた。
彼女は中国から長崎大学大学院教育学部に留学してきて、卒業後、松林さんのお世話で、地元放送局に就職しているという。彼女には日本フルス普及会長崎支部を作っていただきたいと密かに期待している。

長崎演奏旅行(領事さんとの出会い)

2010年03月10日 | 日本フルス普及会
私たちがゲストとして参加した二胡交流会の主賓は長崎総領事館の李領事であった。主催者の松林先生は李領事が私たちのフルスの演奏を聴いていただけるようにと、わざわざ出演順を変更してくださったことは前述の通りである。李氏にちょっと挨拶したら、向こうから、積極的に話しかけて来られた。
「どちらからお出でですか。」「福岡県の大牟田です。」「えっ、大牟田には知人がいますよ。」「そうですか。どうしてまた。」「大牟田には以前、福岡総領事館で領事をしていたとき、何度か招かれて行ったことがあります。○牟田さんと、○川さんをよく知っています。」「えっ、そうですか。私もフルス普及のことでずいぶんとお世話になっています。」と、こんな風に話は進んだ。
ところで、福岡総領事館の李氏の後任者である劉領事には、1週間前大牟田の日中友好協会春節会でフルスを吹き、その後の懇親会で親しくお話をしたばかりである。世の中は広いようで狭いものだ。つい先日までは私は大牟田市内の日中友好協会とのつながりさえもなかったのだが、大牟田で日中友好協会に積極的に関わっておられる○牟田さんと、○川さんが、フルスの音色を聴いて気に入ってもらった結果、このような機会を得たのだ。
どちらの領事さんも大変気さくな方で日本人がフルスの普及活動をしていることを大変喜んでいただき、励ましてくださった。ちなみに、九州内には福岡と長崎にしか総領事館はない。その二つの館の領事さんたちとあっという間につながったわけだ。この急速な展開は今後のフルスの普及の何らかの力になることを予感する。(写真は李領事の来賓挨拶。)

日本フルス普及会杭州支部誕生(2)

2010年02月20日 | 日本フルス普及会
学生時代のクラブの後輩で杭州にいるクマール氏からの返信によると、彼は以前3日間ほどフルスを習ったことがあり、その辺の事情は2007年7月25日、28日、29日のブログに書いてあるという。さっそく開いてみると、行き当たりばったりの雲南省への旅で偶然にフルスを習ったという。私もこんな旅をしてみたいと思うが、とても、そこまでの勇気はない。もう少し中国語ができるようになったらと思いつつ、だんだんと年が過ぎていく。
返信の中で、「あのときのことを思い出し、またフルスを始めます。杭州支部の会員にしてください。」と、あった。彼は音楽で飯を食ってきた男だ。杭州の知り合いの学生にフルスを吹く人がいるという。そんな人と一緒にフルスの活動を始めればいい。そうすれば立派な杭州支部になりうる。そう思い、一も二もなく日本フルス普及会杭州支部の支部長になってくださいとお願いした。そして、練習用のテキストのデータと50曲の音楽データを送った。結果は、彼の2010年2月16日のブログに書いてあるが、名誉なことだと、大変喜んでいる。
送った伴奏曲に合わせて、好きなところを毎日吹けば細かいテクニックは別として、素人でも1年で自由自在にフルスを吹けるようになるということは実証済みだ。私が一緒に活動している上白川フルス愛好会の皆さんは平均年齢が70歳近く、音楽経験はほとんどない人たちだが、練習開始後1年3ヶ月たった今、新曲の楽譜を出すと ほとんど所見で吹けるようになり、練習が非常に楽になった。現在、私と一緒に招かれて、あちこちで生き生きと演奏活動をしている。私自身はこの練習曲集を作りながら個人で練習をしたので、人前で吹けるようになるには2年を要したが、音楽専門家やブラスで吹奏楽器を吹いている人なら、1~2ヶ月だと思う。フルスは元々縦笛ライクな易しい楽器なのだ。

中国の支部は南昌、北京に次いで、これで3つ目だ。ついでに国内を言えば2010年2月現在、支部は9都府県。14の愛好会が活動しており、会員数は120人である。これは実質1年足らずで、達成した数である。

※日本フルス普及会にご興味のある方は左のメッセージ欄からどうぞ。

日本フルス普及会杭州支部誕生(1)

2010年02月19日 | 日本フルス普及会
久しぶりに学生時代の友人に会った。私が日本語教師として中国と行き来し、フルスの普及活動をしていることを知っている彼が、中国にいる後輩を紹介してくれた。同じクラブの後輩なので、私もよく知っている。何でも上海で音楽をやっているらいという。そういえば彼は音楽専攻であった。ブログのURLを教えてもらったので、さっそく見るとクマールという名で出ており、上海音楽楽院で二葫の勉強をしたあと、現在は杭州の大学で勉強している。彼のプロフィールの中に「定年前3年にして自主退職した男。心臓も悪く、血圧も血糖も薬が欠かせない日々を送り、とても日本男性の平均寿命に到達する自信も無く、定年まで待てば先に寿命がやって来るとあせり、見切り発車をしてしまった。退職を3年早め、中国へ渡った。」と書いてある。私は60歳以上は現代の日本に生まれた者に神様か特別に与えてくれた何ものにも代え難い貴重な贈り物と考え、第二の人生を大事に生きたいと思っているので、彼の踏ん切りに大変共感した。それだけに、ブログで中国での生活を書く時の視点が私の別ブログただのおじさんの日本語教師体験記とよく似ている。ただ、私よりうんとダイナミックに中国を楽しんでいるように見える。返事のメールには中国のどこかで、近くにいたことがあるかもしれませんね、と書いてあったが、あとで調べると、1年前、フルス普及会の会員の皆さんに安くて安心して使えるフルスを提供するための方策はないかと上海に情報収集に行ったとき、実に彼が通う上海音楽学院のあたりをうろついていたことが分かった。理由は音楽学院の近くには楽器屋さんが多いと聞いていたからである。彼のブログでは、その日(2月13日)の記事では民族楽器の演奏者の服装について書いてあり、民族音楽を演奏する日本人は中国服を着るのが定番であると書いてある。実に私もその翌日には真珠タワー1階おみやげ屋さんで中国服を買って帰ったのだった。このニアミスといい、中国服の話といい、何という偶然であろう。残念ながらダイナミックさが足りない私は彼の言う結構高い方の値段で買ったのだが、ステージで愛用しており気に入っている。写真はたまたま写した上海音楽楽院の正門である。 このあと、彼には日本フルス普及会の杭州支部長をお願いすることになる。