仕事で飯塚に行ったら、街はひな祭りの開催中でした。
そのひな祭りに触発されて、久しぶりに嘉穂劇場をのぞいて
みました。
今日は何の公演もやっていないので、劇場内を見学するだけでしたが
嘉穂劇場は大正時代の設立で、この地域(筑豊)が炭鉱で栄えてた
時代を偲ばせる贅沢なつくりの建造物で、昔ながらの桟敷に木枠の
桝席、廻り舞台を持つ、なかなか雰囲気のある歌舞伎劇場です。
実は、嘉穂劇場は3年前の集中豪雨で浸水し、かなりのダメージを
受けて閉館かとまで言われてましたが、芸能界の人たちも含めた
いろんな人たちの支援活動などで修復、以前の雰囲気を残したまま
NPO法人として復旧していました。
ただ一つ、劇場正面の看板の絵が以前に比べてすごく粗雑な絵に
なっていたのにはがっかりでした。
こういう絵の描き手が今はあまりいないんでしょうか?
正面舞台に向かって右側の花道(仮花道)
奈落入り口。この階段を下りると・・・ これぞまさしく奈落の底?
廻り舞台の真下です。
2階席から1回桟敷を見る。
嘉穂劇場は20年近く前にCMの撮影で使ったことがあります。
出演したタレントは、まだ20歳の麻木久仁子さん(当時田中久仁子)
でした。
また、これも随分前の話ですが母をなくして寂しがっていた父を連れて
「全国座長大会」を見に来たこともあります。
この時は日本各地の大衆演劇の座長さんたちの揃い踏みでした。
ファンも各地からバスを連ねて応援に来ていました。
踊っているひいきの座長さんに1万円札のレイをかけてあげる人、
舞台に上がって座長の懐に祝儀袋を突っ込む人、自分が仕立てた
着物を掛けてあげる人などそれはそれは大変な気の入れようで、
こういう知らない世界があるんだと、私にはかなり衝撃的でした。
とにかく大衆演劇の座長さんたちはおばちゃんたちのアイドルでした。
座長は座長で客席の桟敷まで下りて来て、お客の目の前で踊り
なんとも艶っぽい流し目を送りサービスします。
これがまた色っぽいんですね。
おばちゃんたちの差し出してきた手もちゃんと握り返します。
昔、同じ旅役者の梅沢富雄が下町の玉三郎(古い?)とか言われた
ことがありますが、まさに旅役者の人たちは下町のスターでした。
ひいきの役者などいない私でも結構熱くなりました。
一緒に見ていた父などは、大川竜之介(多分)一座の座長父子3人の
舞踊の時などは泣いていましたから。
歌舞伎名場面の置きあげ雛(押絵)
南総里見八犬伝(左)と伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)(右)
そういえば、小さい頃家にはこういう置きあげがいくつもあって
畳の縁にさして遊んでいたような・・・
あれは今、どこにいったんだろう?
劇場廊下に飾られた雛飾り。
一緒に来た今は亡き父のことや、座長大会の光景などを思い出し
ながら、廊下に飾られた雛飾りもあわせて劇場内をゆっくり見学、
(劇場の舞台裏など今まで見たことがなかった)
以前とほぼ変わらない状態で復活していた嘉穂劇場に安心して
帰ってきました。
そのひな祭りに触発されて、久しぶりに嘉穂劇場をのぞいて
みました。
今日は何の公演もやっていないので、劇場内を見学するだけでしたが
嘉穂劇場は大正時代の設立で、この地域(筑豊)が炭鉱で栄えてた
時代を偲ばせる贅沢なつくりの建造物で、昔ながらの桟敷に木枠の
桝席、廻り舞台を持つ、なかなか雰囲気のある歌舞伎劇場です。
実は、嘉穂劇場は3年前の集中豪雨で浸水し、かなりのダメージを
受けて閉館かとまで言われてましたが、芸能界の人たちも含めた
いろんな人たちの支援活動などで修復、以前の雰囲気を残したまま
NPO法人として復旧していました。
ただ一つ、劇場正面の看板の絵が以前に比べてすごく粗雑な絵に
なっていたのにはがっかりでした。
こういう絵の描き手が今はあまりいないんでしょうか?
正面舞台に向かって右側の花道(仮花道)
奈落入り口。この階段を下りると・・・ これぞまさしく奈落の底?
廻り舞台の真下です。
2階席から1回桟敷を見る。
嘉穂劇場は20年近く前にCMの撮影で使ったことがあります。
出演したタレントは、まだ20歳の麻木久仁子さん(当時田中久仁子)
でした。
また、これも随分前の話ですが母をなくして寂しがっていた父を連れて
「全国座長大会」を見に来たこともあります。
この時は日本各地の大衆演劇の座長さんたちの揃い踏みでした。
ファンも各地からバスを連ねて応援に来ていました。
踊っているひいきの座長さんに1万円札のレイをかけてあげる人、
舞台に上がって座長の懐に祝儀袋を突っ込む人、自分が仕立てた
着物を掛けてあげる人などそれはそれは大変な気の入れようで、
こういう知らない世界があるんだと、私にはかなり衝撃的でした。
とにかく大衆演劇の座長さんたちはおばちゃんたちのアイドルでした。
座長は座長で客席の桟敷まで下りて来て、お客の目の前で踊り
なんとも艶っぽい流し目を送りサービスします。
これがまた色っぽいんですね。
おばちゃんたちの差し出してきた手もちゃんと握り返します。
昔、同じ旅役者の梅沢富雄が下町の玉三郎(古い?)とか言われた
ことがありますが、まさに旅役者の人たちは下町のスターでした。
ひいきの役者などいない私でも結構熱くなりました。
一緒に見ていた父などは、大川竜之介(多分)一座の座長父子3人の
舞踊の時などは泣いていましたから。
歌舞伎名場面の置きあげ雛(押絵)
南総里見八犬伝(左)と伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)(右)
そういえば、小さい頃家にはこういう置きあげがいくつもあって
畳の縁にさして遊んでいたような・・・
あれは今、どこにいったんだろう?
劇場廊下に飾られた雛飾り。
一緒に来た今は亡き父のことや、座長大会の光景などを思い出し
ながら、廊下に飾られた雛飾りもあわせて劇場内をゆっくり見学、
(劇場の舞台裏など今まで見たことがなかった)
以前とほぼ変わらない状態で復活していた嘉穂劇場に安心して
帰ってきました。